第18話 愛してるよ 夏子3


「敵が来ている。はやく描いて。この屋敷にも入りこんでいるわ。彼らの邪念が感じられるでしょう。壁のツタが錆鉄色に退色したら危険信号なの……」

 そういわれてみれば、確かに外から邪悪な思念が迫ってくる。異質なとげとげしい念波がぼくの意識のふちをちくちく刺している。

「ブラック・バンパイァですか。鬼島や田村ですか」

「ほら、おしゃべりしていると、雨野にしかられますよ」

 ラミアの帰還に、感動のあまり雨野の顔はほころんでいる。もう会えないかもしれない。ラミヤ姫の母。鹿未来(カミーラ)さまの密命を拝受して。姫の執事になってから何年になるのだろうか。忘れてしまった。

 人の血を吸うことができず。

 拒血症の白っこ。

 アルビネスとさげずまれ。

 群れを追われた姫のふいの帰還。

 うれしくて雨野のこころがふるえている。

 ラミア姫の帰国。

 それも〈心〉を人にかよわせ。

 その相手の心のエネルギーを高揚させる。

 そのエネルギーをほんの少しばかり吸収することで。

 生きながらえる技を獲得しての帰還だった。



 この土地の吸血鬼としては新しいタイプだ。マインド・バンパイア。人間の血を吸わず、人を殺してバンパイアとすることもない。

 なお、さらに、人と共生できる技を目前にしても。まだそれを信じられない。雨野のよろこびがぼくのこころにながれこんできた。

「信じられない。筆がひとりでに動き、配色まで無意識にやっている」

「それはわたしのこころにある、ムンクのなせる技……」

 絵を描こうとする。いい作品を創造しょうとする意欲が高まる。精気がこんこんとわきあがる。

「いそいで」

 壁にはりついたツタがざわついている。垣根のツルバラ、アイスバークがさわいでいる。垣根のツルバラ、シテイオブヨークがふるえている。垣根の白バラが、急速に色あせていく。風もないのに垣根の白いバラ、庭の赤や紫のバラの花びらが散っている。

 風もないのに葉がひるがえる。ちりちりと干からびていく。ツタの蔓が念波攻撃を受けて壁からひきはがされる。バリバリと壁からひきはがされる。ツタが泣いている。ツタの悲鳴だ。まるでいきているように空中で蛇のようにのたくっている。錆鉄色のツタの葉が宙にとびちる。

 しゃりしゃりに乾き、粉末となって降ってきた。その粉末の霧の中に人型。――異界のものが浮かびあがってきた。

「こんどの攻撃は強いですね。見てまいりましょう」

「でないほうが、いいわよ」

 夏子の制止が聞こえていたはずだ。雨野は外にとびだした。

「爺はよろこんでいるのよ。わたしが戻ってきたので。生き返ったようなものね」

それが、文字通り棺から再生したのだとは――。ぼくにはまだわかっていなかった。

 雨野京十郎は目覚めた。この屋敷も生の息吹をふきこまれた。これだけの屋敷があれば評判になっていたはずだ。雨野も屋敷も長い眠りから目覚めたばかりなのだ。



 見えた。

 雨野が庭を走っている。

 雨野の前方で芝生が盛り上がる。盛り上がった芝生の筋が雨野めがけて集まる。青々とよくのびた芝生がそそけだち。なんぼんもの筋が。あきらかに雨野の足元めがけて集まってきた。地下からモグラのように。攻撃をかけてきた。

 雨野が隠し持った幅広の剣を。大地につきたてた。バンと青白い炎が。剣をつきたてた大地で。炸裂した。衝撃音が窓ガラスをこなごなに破壊した。

「念波アタックよ。わたしたちの防御バリアが破られたわ」

信じられないことだが絵は完成していた。キャンバスの中の夏子を見るために。現実の夏子がぼくのそばによりそった。

「なかなかの出来ね」

 作品を見て夏子はつぶやく。

「作品をほめられたことなぞ、はじめてだ」  

 ふたりはかたく抱きあった。絵の出来栄えを祝してふたりはかたく抱きあった。

「隼人の処女作ね」

 はげしくもえるようなキスをかわした。強く抱擁した。夏子の胸のふくらみを感じた。やわらかく、弾力のある乳房。

「いくわよ!」

 凛としたひびき。

 夏子の気魄のこもった声だ。

 絵筆を木刀にかえて。夏子の後を追った。

 夏子が念じる。「美しいものを守るためには命をかける。邪神退散。邪神退散」

 お経のようにも聞こえる。陰陽師の呪詛のような念動力をひめたものだった。

 割れてちらばっていたガラスの破片が。人型にうごめくものたちにむかって。射こまれた。鋭角にとがった破片が。雨野を襲おうとしている人型をヒットした。光にきらめきながら、無数の破片が人型を攻撃する。

 そこに声がする。破片は四散する。はねかえされる。むなしく大地におちる。



「あいかわらず、勇ましいことだ。白っこ娘。おれの従者がせわになったな」

「その呼びかたは、やめてほしいわ。鹿人お兄さま」

 空気が冷えた。

 肌寒かった。

 ぼくは土埃のなかにいた。

 その目前で人型が具体性をおびてきた。どこといってかわったところはない。背のすらりとした、やせ形の若者の姿になった。チェックのシャツをダメージGパンの上にだらしなくだしている。背後には鬼島と田村がひかえている。そして、ああ、爬虫類の肌をした異形のものたちが周囲には群れていた。

「夏子と名乗っているのだったな。妹よ。おまえはラミア。もどってきてはいけなかったのだ」






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