東條希と二次創作について

なつみ@中二病

東條希と二次創作について

東條希は、二次創作殺しである。


殺しと言うと言葉が強いが、作家泣かせである事には違いない。


というのは、彼女の口調のルールの不明確さが、曖昧さが、科白を創作するにあたり、大きなボトルネックとなってしまうのだ。


ボトルネック──律速。


それは、化学反応の律速。


物語を書くにあたり、流れの心地よさは非常に肝要である。


流れとは、話の整合性、イベントの発起、起承転結、キャラクター性と感情の一貫性、そして、台詞の勘合性である。


勘合する、合致する、ということは収まりの良い心地よさである。


東條希を描くにあたり、誰もが、どうしてもその口調に悩まされる。

書いてみたはいいが、どうしても腑に落ちない、居心地が悪い、そんな違和感を憶えてしまう。


作家の手を離れて、読者の手に渡れば、目に触れればそれは尚更の事である。


それは、東條希の言語体型──簡単に言うとその方言が定まらないことに起因する。


関西弁風かと思いきや、関西弁では決してない。


転校を繰り返してきた彼女だから、標準語とは違う言葉を話し、さらにはその言語のアイデンティティは定まらず、軽薄なのである。


アニメのシナリオの設定を採用するならば、彼女はエリチカとの距離を縮めるために、敢えて一人称を「うち」と据えた。


ラブライブコンテンツ立ち上げ時のコンセプトとしても、

一人称が「うち」のどこにでもいるような、親近感の沸く女の子が東條希のキャラクター性なのだ。


したがって、東條希の口調は、

キャラクターを立たせる為の方言、ではなく、

東條希というキャラクターがコミュニケーションを取る為の手段として捉える方が正解なのだと、私は考える。


故に、東條希を描くにあたって、その口調に振り回されるのではなく、

東條希が他のキャラクターと会話をするにあたって、どういう話し方をしたら心地良いか、

と、彼女の事を慮って創作すべきだと思う。


私の極論から言えば、東條希が時々標準語を話すことも許されていいはずだ。


もちろん、東條希というキャラクター性を壊さない程度にだが。

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