第5話 第三幕ノ一
【第三幕】
山田は世界の中心に立っている。或いは端っこに。
雑踏。ざわざわと、世界がざわついてる。
世界とはすなわち、自分が認識している外界の情報だ。
人ごみの中、神崎が歩いている。
山田、神崎を見つける。
音が消える。
時間が止まったかのように止まる人々。世界。
山田「一瞬、世界が止まった。これは比喩なんかじゃない。
少なくとも俺には、そう感じられた。
息をするのも忘れるほどに、時間が凝縮されたような刹那。
偽物じみた世界が、ようやく本来の姿を見つけられたような、
そんな全てが合致したような、感覚。
うまく言えないけど、俺にとっては、その瞬間こそが──」
動き出す世界。人々。
神崎は人ごみの中へと消えていく。
立ち止ったままの山田。
彼はそのまま、彼女の行く道を見つめていた。
/
島村が立っている。
なんだか格好も雰囲気も違う。
左目には眼帯を、右腕には包帯を巻いている。
服装は黒ずくめ。
島村「俺の名は『漆黒の闇・アンリミテッド・ルール・ブレイカー』。この世界のバランスを保つために戦う、調停者だ」
右腕が疼きだす。
島村「く・・・こんなときに。昴、そんなに血に飢えているのか。ふふふ・・・はーっはっは!!」
掃除のおばちゃんの格好をした本拓が現れる。
本拓「ちょっとあんた邪魔だよ!」
箒ではきながら、島村を追い払う。
島村「ちょ、ちょっと、おばちゃん、やめてよ、今いいところなんだから」
本拓「あんた受験生でしょうが! こんなバカなことやってないでとっとと勉強しなっ!」
箒でぺちぺちと叩きながら本拓に追われる島村。
島村「ちょっと、おばちゃん、痛い! 痛いから!」
と、神崎が現れる。
神崎を見つめる島村。
島村「あ、神崎ちゃんだ。(なぜか格好をつけて)──いや、お姫様か」
が、すぐに異和感に気付く。
島村「あれ、あの子って、あんな雰囲気だったっけ?」
本拓、箒でぺちぺちと叩いて、二人がはける。
本拓「はい、とっととはける!」
島村「はけるとか言うなあ! やめて、痛い! おばちゃん痛い、痛いから!」
山田が現れる。
山田「神崎!」
神崎「なに? 話しかけないでくれる?」
山田「その、昨日はごめん」
神崎「は? 何謝ってんの? 意味わかんないんだけど」
山田「神崎、その・・・」
山田も何か異和感に気付く。
山田「あれ──お前、本当に神崎か?」
神崎「は? 何言ってるの?」
ぞろぞろとモブたちが現れる。これは第一幕の最初のシーンの再現。
場面は学校の中庭とか、そんなところ。
神崎が歩く。少し後ろを山田がついて歩く。
みんなが噂をしている。
いや、していない。
みんな、後ろを向いて、棒読みでセリフを言う。
女子たちはみんな「あの子かわいい」「お人形さんみたい」「綺麗な子。どこのクラスだろう」
男子たちもみんな「マジかわいくね?」「あんな子が彼女になってくれたらなあ」「めちゃくちゃかわいー」「彼氏とかいるのかな」
それは、言葉の残滓であって、彼らの今の声ではない。
何度も何度も繰り返される、心にもない、好意と称賛の言葉。
何度も、何度も、全く気持ちがこもっていない言葉は繰り返され、加速していく。
山田「なんだこれ、なにかが、おかしい」
人だかりの中、神崎が歩く。
誰も見向きもしない。
不穏な空気が続く。
みんなが少しずつ離れていく。
男数人が現れる。
神崎「なによ、また告白? うっとうしいなあ」
が、男たちは、口ぐちに「あんまりかわいくなくね?」とか「神崎ってそうでもないよな」とか「なんか冷めたわ」とか言って、興味を失った様子。そのまま帰っていく。
神崎「なんなのよ、あれ」
そんな中、持杉が現れる。
持杉「やあ神崎さん、おはよう」
神崎「あら、クラスの人気物で成績優秀、スポーツ万能、顔はそこそこイケメンの持杉実(もてすぎみのる)くん、おはよう」
持杉「違うよ神崎さん、僕は──。あれ、僕はどうして君なんかに話しかけたんだっけ?」
神崎「はあ? 何言ってるのよ。先に言っておくけど、デートなんかしないからね」
持杉「は? どうして僕が、君なんかとデートしなくちゃいけないんだ?」
神崎「え・・・?」
持杉「僕みたいな、クラスの人気者で成績優秀、スポーツ万能、顔もかなりのイケメンの持杉実が、どうして、君のような平凡で地味で暗い、クラスで浮いている君とデートなんかしなくちゃならないんだ。身の程をわきまえろよ」
神崎「は? 何言ってんの? 意味わかんないんだけど。あんた、あたしのことあんなに好きだとかなんだとか言っていたじゃない」
持杉「は? 誰が誰のことを好きだって? 妄想もたいがいにしとけよ、勘違い女。お前、この僕に話しかける前に鏡を見た方がいいんじゃないのか?」
神崎「え、なに、それ・・・」
持杉「神崎さん、君みたいな何の取り柄もない人間は、そこの同類の山田くんとつるんでいるのがお似合いだよ」
神崎「な、なんなのよ・・・」
持杉「あまり僕に話しかけないでくれるかい? 誰かに誤解されたら困るだろ?」
持杉、去る。女子数人が近づいてくる。
女3「持杉くん、あれ、誰―?」
持杉「さあね。同じクラスだけど、あんまり話したことないし」
女4「あんな暗い奴ほっといて、あたし達と遊びに行こうよ」
持杉「そうだな。授業が終わったら、みんなでカラオケでも行こうか」
女子たち「やったー!」
持杉と女子たちの姿が見えなくなる。
山田「神崎・・・?」
神崎「・・・話しかけないでって言ってるでしょ」
モブたちが現れて、殴り合いのケンカを始める。
まるでヤンキーの抗争のような、戦国時代の合戦のような、そんな争い。
山田と神崎は立ちつくしたまま。
神崎「(棒読みであるが、前にも言ったセリフを言って自分の存在を確認しようとする。)ま、まったく、愚民どもはタイヘンね。何をもめているのかしら」
神崎、オーラを全開にする。が、何も出ないし起こらない。
神崎「『跪きなさい』」
神崎の言葉に世界が圧縮される、が、すぐに消え失せる。
彼らには何の影響も与えられない。
神崎「(自信なさげに)『仲直りなさい』」
何も起こらない。
争いはエスカレートしていく。
力なく歩き始める神崎。
山田「神崎」
山田、神崎を追いかけようとする。が、
神崎「ついてこないで」
神崎に止められる。
山田は舞台の端でずっと神崎のことを見つめている。
神崎、とぼとぼと歩いていく。
昨日ナンパしてきた男たちがいる。
神崎、勇気を振り絞って話しかけてみる。
神崎「ねえ、昨日のことなんだけど」
男1「え? なに?」
男2「なにこいつ、お前の知り合い?」
男1「いや、知らね」
男2「あ、こいつあれじゃん、昨日お前が声かけてた奴じゃん」
男1「はあ? 俺、こんな地味系の女に声かけたりしないっつーの」
男2「だよなー。もっとかわいかったら声もかけるのに」
男1「なに勘違いしてんだよ、ブサイクひっこんでろっつーの」
男2「ははは、お前それ言いすぎー」
男二人組笑いながら去っていく。
神崎、頭が混乱しながらも、傷ついている。
山田「その日を境に、神崎は全てが上手くいかなくなった。もちろん、彼らの言葉はもっとオブラートに包み込まれた、柔らかい言葉ではあったけど、神崎にはそのように聞こえていたのだろう。自分に失われた興味は、ただの拒絶として感じられたはずだ。時間にして1カ月ほど、ゆっくりと、しかし確実に神崎は自覚していった。周りの反応が明らかに変化してしまったことに。誰も彼女のことをちやほやしなくなったし、かわいいとも言わなくなった。告白なんてされないし、誰からも認められることも、頼られることも、視線を送られることも、言葉をかけられることも、なかった。そもそも神崎は自分から他人とコミュニケーションを取るタイプの人間ではなかったし、相手から歩み寄られなければ、会話をすることもままならなかったのだ。神崎は1カ月と少しの時間をかけてゆっくりと自覚していった。自分には、もともと、なんにもなかったってことを。そうして神崎は、次の期末テストで、順位を大きく落とすこととなる。学年で上から数えて20人以内には入っていたのに、今となっては下から数えた方が明らかに早い。自信を失った彼女は、本当に、何もできない人間になってしまった。あの日を境に、神崎は全てが上手くいかなくなった」
神崎、電話をかける。
繋がる。
神崎「藤村、あのね・・・」
藤村の声「ごめん、神崎。いま、それどころじゃないから。ごめん」
電話が切れる。
山田「きわめつけだった。タイミングが悪かった。ただそれだけだ。藤村の母親が交通事故で入院して、藤村が母親の代わりに家の仕事をして、弟のために弁当をつくったり、病院に泊まり込みで見舞いをしたり、学校もしばらく休んで、精神的にも肉体的にも時間的にもけっこう大変で、それを支えてくれたのは彼氏で。本当に、「いまそれどころじゃない」。それだけだった。神崎は藤村に支えて欲しかったし、藤村だって神崎に力になって欲しかった。でも、お互いにそんなことをできる状態ではなかったのは確かだ。タイミングが悪かったんだ。本当に。結果的に、藤村から拒絶されたと感じた神崎は、完全に孤立した。女王であった彼女は孤高ではあっても決して孤独ではなかった。しかし、凋落した女王には、何も残っていなかった」
神崎はひとり。ぼうっと立ちつくしている。
小声でひとりごちる。
神崎「一つ、気付いたことがある。みんなあたしの顔とか、表面的なものしか見ていなかった。あたしの外観から、言葉から、行動から、あたしの全てを憶測して、あたしという虚像ができている。神崎ミホはこういう人間なんだと、勝手なイメージを抱かれる。そんな外的な要因をとっぱらうと、あたしにはなんにもないんだって気付く。希薄で軽薄な人間関係と自己の人間性。あたしには、本当に、人から認められるようなところなんて何一つないんだ」
山田「神崎はひとりだった。迷子の子供のように、今にも泣きそうな顔で、その場に立ちつくしていた。俺は神崎に言うべき言葉が見つからずにいて、でも、それでもなんとかしたくて、やっとの思いで声をかけようとしたとき、そいつは現れた」
/
菊川が現れる。
菊川「やあ、神崎」
神崎「・・・・・・」
菊川「効果は、十分、いや、十二分、だな。これで世界は少しだけ動いた。やはりお前のおかげだ。いや、お前のせいとでも言うべきか。ありがとう。礼を言っておくよ」
山田「あなたは──」
神崎「あんたは、あんたはあのときの!」
菊川「覚えていてくれたか。まあ、あのときは一言、二言挨拶をしただけだが」
山田「なんだ、面識があったのか?」
菊川「なんだ、お前か。無影響の塊よ。俺はお前には興味がないと言ったはずだ。まさかまた会うことになるとはな。意外だ」
神崎「あんたが、あんたが──!」
菊川「ほう、俺が犯人だとわかったのか神崎。素晴らしいな。なんだ、俺の雰囲気か何かで分かってしまったのかな。さすがだよ神崎」
神崎「おまえ──」
菊川「ははは。憐れだな、神崎。かわいそうだと言ってもいい」
神崎「おまえ、あたしに何をした──?」
菊川「別に。何も。俺はただ、世界の【設定】を少しだけ変えただけだ」
神崎「設定・・・?」
菊川「そうだ。世界の【設定】だ。神崎、お前、自分自身がどうしてあんなにモテていたかわかるか? どうして自分が他人からあんなに好かれていたのか、疑問に思ったことはないか? どうしてお前なんかが、お前みたいなどうしようもない人間が、他人から愛されるだなんて、それが不自然だと、おかしいと、異常だと、本当に感じたことはないのか?」
神崎「『黙れ!』」
ぐん、と世界が圧縮される。
が、すぐに雲散霧消する。
神崎「な、んで・・・?」
菊川「・・・・・・。憐れだな神崎。お前の【それ】は、別に特別な能力でもなんでもない。ただのおまけだ。お前の大きすぎる影響力の産物の一つに過ぎない。お前に与えられた【設定】はただ一つ。その【容姿を愛される】ということだけ。
お前のその言葉によって人間を制圧していたかのような一連のくだりはただ、お前のその影響力を表すための舞台的・演劇的表現の一つに過ぎない。
人間には言葉に逆らえない関係性がある。強者が弱者に対して下す命令は、逆らい難いだろ? 上司や先輩の頼みは断りづらい、そういうものだ。それは関係性が精神的にプレッシャーを、補正をかけているのだよ。それとは別に、ここからが本題だが、かわいい後輩の、子供の、大好きな人のお願いは聴いてあげたい、そう思うのが人の性だろ。そういうことだ。神崎、お前が人に影響を与えることができたのは、お前が愛されていたからだ。お前は他人に命令できていたのではない。他人がお前のわがままに付き合ってあげていただけなのだ。かわいい、大好きな、お前のために何かをしてあげたい、そう周りは思い込んでいただけなのだよ。お前はそんな容姿を皆から愛されていた、そういう設定だったのだ。
この世界は舞台なのだよ。【設定】──そう、設定なのだよ。この世界には設定が溢れている。運動が得意だ、甘いものが好き、あの二人は付き合っている。それは先天的な理由だったり、後天的な理由だったりはあるけれど、結果や現象や趣向や関係に、名前がつけられたってそれだけのことではあるけれど、それっていうのは、全てそうであるように、在り方が決められている。ただの設定なのだよ」
神崎「あんた、何者なのよ・・・」
菊川「俺か? 俺のことはなんとでも思ってくれ。天使だとでも、悪魔だとでも、世界から派遣されてきたサラリーマンだと思ってくれても構わない。
俺の仕事は【世界】の【設定】を【改変】し、世界の淀みをなくすこと。世界は常に淀んでいる。だから、ときどき世界を動かしてやらなければならないのだ。肉体の健康のために血液の循環をよくする。そのようなものだ。
世界は常に設定で縛られ、動的でありながらも淀みで固まっている。だからこそ、ときどき設定を変更し、世界に刺激を与え、世界を回してやらなければならないのだ。それが、世界の意思だ。おっと、俺のここでの仕事はもう終わりだ。お前のおかげで、いい仕事ができた。ありがとう。一言礼を言っておきたくてね。それでは、さようなら」
神崎が菊川の袖を掴もうとすると、
菊川がルービックキューブを回す。
軽くカシャンという音。
菊川と神崎の間に見えない壁が現れる。
菊川「少しだけ【設定】を変えた。この場において、お前は俺に触れることすらできない」
菊川「それでは、さらばだ本当にもう会うことはないだろう」
菊川、去る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます