ギヒノム
@Rougoku540
諸言
誕生
月明りが照らす夜の街道を、一台の馬車が駆けていた。
「貴方、苦しいわ……」
「しっかりしろ、病院はもうすぐだ!」
馬車の中では、一組の夫婦が向かい合って座っていた。女性は身ごもっており、陣痛に苦しむ彼女を、男性が励ましていたのだ。同時に彼は、女性がイスから落ちそうになるため、何度も支えていなければならなかった。
しばらく石畳の道を駆けていくと、馬車は病院前にたどり着いた。
夫婦は馬車から降りると、急いで病院に入った。受付を済ませると、女性は病室へと運ばれ、男性は付き添いとしてついていった。この時も、男性は女性を励まし続けていた。
別れる前に、男性は女性と会話した。
「しばらくの間、お前と離れ離れになるのか」
「心配しないで。産まれたら、会いにいけるでしょ」
「そうか。でも何かあったら、連絡してくれ。すぐにむかうから」
「わかったわ。私もがんばるから、貴方もがんばってね」
「ああ」
陣痛に少し慣れたのか、女性は落ち着いた口調で話していた。そんな彼女を見ていた男性は、心が落ち着いてくると同時に、自分も頑張らねばという意識を持ち始めた。そして、安堵した表情を浮かべている彼女を尻目に、そっと病室を去った。
女性が入院してから数週間が経過した。職場が病院から近かったためか、男性は馬車ではなく走って病院へむかった。この日は、女性の出産予定日であるため、仕事を早々と切り上げたのである。
病院につくと、男性は自分の妻に会いに行った。病室では、落ち着いた表情をしている彼女のそばで、一人の看護師が座っていた。
「あの、もうすぐ産まれますか?」
「そうですね、この調子ですと今日中には産まれそうです」
看護師の答えに、男性は喜びと焦りの表情を浮かべた。しかし、自分が慌てていてもどうにもならないと気づき、すぐに冷静になった。
突然、静かだった女性が苦しみ始めた。今まで以上に、きつい陣痛が発生したのだ。早急に数人の看護師たちが駆けつけ、女性は分娩室へと運ばれた。男性は、彼女が入院し始めた時と同様に、運ばれていく彼女に付き添いながら、励ましの声を何度もかけた。
女性がストレスを感じさせないように、男性は分娩室の前で、子供が生まれるのを待つことにした。自分も落ち着いてはいられなかったが、彼女の計り知れない苦闘を思い、じっと待っていた。
女性が分娩室に運ばれてから、どれくらいの時間が経過したのか、男性にはわからなかった。ドアの向こうから聞こえてくるのは、依然看護師たちによる励ましの声と、いきむ彼女の声だけである。男性は祈った。どうか、無事に出産できますように……。
そのとき、ドア越しに泣き声が聞こえてきた。赤ん坊の声だとわかった。出産は、無事成功したのである。男性は、喜ばずにはいられなかった。
分娩室から出てきた看護師は、男性に報告した。
「おめでとうございます。元気な女の子が産まれましたよ」
「ありがとうございます! 今、会えますか⁉」
「はい。ですが出産直後で疲れていますので、なるべく短時間でお願いします」
承諾を得た男性は、分娩室に入った。そこでは、数人の看護師に見守られながら、女性が赤ん坊に寄り添っていた。赤ん坊は、今はすやすやと眠っている。
「よく頑張ったな、俺はうれしいよ」
「私もうれしいわ。見た? この子の顔を」
「ああ、見たとも。なんてかわいい顔をしているんだ」
感動した声で男性は答えると、疲れた表情をしている彼女にそっと言った。
「にしてもお疲れさま。今日は寝たほうがいいかもな」
「そうするわ。また明日も、来てくれる?」
「来るさ。お前とこの子に会いにな」
女性はそう言われ、笑顔でうなずいた。それを見た男性は、静かに分娩室を後にした。
それから男性は、毎日女性と娘の顔を見に訪れた。出産から二週間後、彼女は我が子を連れて退院した。迎えに来た男性と共に、馬車に乗って帰宅した。
のちに、娘はユウと名付けられた。
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