第84話 Progress

「えー、番組の途中ですが、速報が入りました。報道センターからの映像に切り替わります」


「速報です。本日午後、TS女子高生の華名咲夏葉さんが、女子になってから始めて、ソロプレイヤーとして試合に勝利した模様です。繰り返します。本日午後、TS女子高生の華名咲夏葉さんが、女子になってから始めて、ソロプレイヤーとして試合に勝利した模様です」


 ていうのはわたしの脳内で緊急速報の妄想が暴走してしまっただけ。

 かなりおかしなテンションになっているが、今日は許してほしい。


 それというのも、脳内速報の通り、ついに目標を達成したのだ。

 いや、正確にはまだまだ里程標を一つクリアしたに過ぎないのだが。


 わたしは瞼を閉じて、昼下がりの出来事を反芻するようにして振り返る。


 この日、昨日のあれこれで疲れてるのもあるし、生理前ということもあって、酷く眠かった。


 幸い日曜日なので、午前の内に洗濯や掃除をやっつけて、午後からは夕食までベッドでゴロゴロしながら、漫画を読んだり、微睡まどろんだりして自堕落に過ごした。


 うつら空らと微睡みを繰り返す中で、わたしは夢を見ていたようだ。


 断片的な記憶を搔き集めて辿ると、どうやらわたしは誰かと一緒にローソファに腰掛けてお喋りしながら、テレビか映画か何かを見ていたのだろうか。多分そんな雰囲気だった気がする。


 一緒にいたのが誰だったのか思い出せないのだが、男性だったと思うので、もしかしたらまだ女子化する前の友達とでも一緒にいる夢を見ていたのかもしれない。


 自分がその時点で女子化した後の姿だったのか、まだ男子だった頃の姿だったのか、そこはよく思い出せないのだが、床に無造作に広げて置いてあるポテトチップスを取ろうとして、一緒にいるもう一人と度々手が重なってしまうということがあったのは覚えている。


 そのことをはっきりと覚えているのは、多分三度目にその誰かの手に触れてしまった時に、自分が女子であることに気付いて、男子と二人っきりであることを急に意識しだしてちょっと焦ったからだろうか。


 それまでは何でもなかったみたいなのに、夢というのはヘンテコなものだ。

 それからどうしたんだか全然思い出せないんだけど、何故かその時触れたあの手の感触だけは、妙に生々しく印象に残っている。


 大きくて骨ばっていて男っぽいんだけど、それでいて指先にいくに従って細まる繊細そうな手。

 触れるとやはりゴツゴツした感触だけど、でもとても優しく感じたあの手は、誰だったんだろうなぁ……。


 夢で見たその手のことをあれこれと思い返しながら、気付けば無意識に部屋着の上から胸に触れていた。


 恥ずかしながら生理前って、なんかムラムラしてしまうので、ついついその手でもっと触れられたいって思ってしまったみたいだ。だからって誰にでもほいほい触って欲しくなるとかそういうことではないし、これはあくまで妄想の中での話なんだけど。

 

 今までのところ、男子時代に見てたAVみたいな絶頂を迎えたことはなかったんだけど、女子の体ってそれがなくてもそれなりに気持ちよくなれる。


 男子のような瞬間的スパークに達することがなくても、なんかじんわり気持ちよくてリラックスできてぐっすり眠れるから、ひとりエッチはそんなもんでいいかな、と思いかけていたのだ。


 だけど今日はどういう訳かいつもより気分が盛り上がっちゃって、そのままオーガスムらしいオーガスムを初めて経験してしまったのだ。いやぁ、いい汗かいた。



「番組の途中ですが、ここでいくつか映像が届いたようです。あ、インタビューの映像ですか? 華名咲さんのインタビューの映像が届いているようですね」

 

「現場の佐藤です。先程、試合後のインタビューで、華名咲夏葉さんのコメントをもらえました。その時の映像です。どうぞ」



「正直言って気持ちよかったですね、はい。なんていうか、きゅーってなって次の瞬間には完全に脱力した感じですか。両脚爪先までピーンッてしたら、気がついた時にはもうイってましたね、はい。次もしっかり準備して試合に臨みたいと思います。今晩はぐっすり眠れそうです。ありがとうございました」


――などと意味不明なことを犯人は繰り返しており……。


 って、何でいつの間にか別の報道番組になるんだよ! 妄想から覚めるわ!

 ダメだ、最初からやり直し! 密着取材系の番組で、インタビューを受けてる場面な。


「それまで何となくこれでいいやと思ってたのは何だったんですかね……。正直、そんな自分に、心底変わらなきゃって思えたのが、きっかけだったんじゃないかなって、今はそんな風に思ってます。そんな風に思えるようになったことが、一番大きな変化なのかなぁ……」


――今回の勝因は何だったと思いますか?


「結局女子ってね、イメージが重要だと思うんですよ。……これは妄想って言い換えてもいいんですが。そうですねぇ、例えば今回のケースで言えば、夢に出てきたあの謎の手。まあこの業界ではゴッドハンドって呼んでますけどね。あのゴッドハンドが仕事をしたっていうことだけは、幾ら強調してもし足りないくらいなんですよね。そこはね、うん……。要するに自分の手じゃなくて、あのゴッドハンドに触れられているって想像していたら、なんかいつもと全然違ったんですよね」


――では今後の課題として、現時点で見えていることがあったら、教えてください。


「課題点ですか? 課題点……。うーん、まだまだ多いですね。これからもっともっと上を目指していくには……世界のトップでやってる人たちと比べたら、まだまだ足りないですよね。女子って何度もイケるって、大抵男子はそう思ってるじゃないですか。実際そう思ってるでしょ? 少なくとも自分はそういうもんだと信じ込んでいて、なんて羨ましいんだと思っていたんですよね。さっきまでは。だけどね、実際まだ次があるのかって触ってみたら、敏感になり過ぎていたのかくすぐったくてとてもそれ以上触れたものじゃなかったんですよ。AVだと何回もイッちゃうじゃないですか。やっぱトッププレイヤーは違うなー、て思い知らされますよね。あれはどういうことなのかなぁ。何か更なる極みへの道が隠されているのか。やっと道が開けたかと思えば、そこにはまた更なる謎が立ち塞がる。エロの求道者の道は狭く険しいもんですよね、うん。」


――最後に、華名咲さんにとって、プロフェッショナルとは?


「うーん、そうですねぇ。……カヨウ・カナサキ……ですかね」


 こうして無事に脳内であの曲が流れた後、いつの間にか寝落ちしていて、目が覚めたらそろそろ夕食の支度という時間になっていた。


 昨日のことがあって、特にまだ秋菜とは気不味い気がしていて億劫に感じたが、いつまでも引きずってはいられない。

 仕方ないと割り切って下に降りる決心をする。


 夕食の準備中も食事中もわたしと秋菜は言葉少なめ。

 但し、秋菜が何か言いたげに矢鱈とわたしの顔をガン見している。わたしは気付かないふりでガン無視している。


 結局秋菜が、ネイルして欲しいから後で部屋に来ると言ってきた。仲直りしたいと思って折れたのだろう。

 ここで突っ撥ねてこのまま気まずいのが続くのも何だし、こちらも折れて了承した。

 食後にみんなでお茶を飲んだ後、解散して各自部屋に戻って行き、わたしはお風呂に入った。


 その後秋菜が来るのを待たず、こちらからネイルのセットを持って押しかけることにした。


「秋菜〜、入るよぉ」


「え、あ。ちょっと待っ……」


 っていう声を待たずにもう秋菜の部屋に入っていた。

 ちょっとだけ散らかってはいたけど、家族だしそんなに恥ずかしいほど散らかっている訳ではなかったので、こっちは気にせずにネイルのセットを準備し始めた。


「それで、今回はどんな感じにする?」


 昨日から気不味かった空気を払拭すべく、なるべく普段通りの感じでネイルのリクエストを求める。


「それじゃあ、足の爪をしたいんだけどさぁ。サクランボの表面みたいな感じ? グラデーションつけて」


 秋菜も努めて普段通りに返事を返してくれた。手の方は学校があるからあまり派手にはできないから、思い切り楽しむなら足の爪なのだ。


「オッケー、分かった。かわいくしてあげる!」


 快諾して秋菜の爪を先ず整えていく。

 一通り爪の形を整えたら甘皮の処理をするのだが、甘皮をまず柔らかくする必要がある。その為にぬるま湯に足を浸けてふやかさなければいけない。

 持参したフットバスに秋菜の足を浸すためにベッドからソファに移動してもらう。


「夏葉ちゃんさ」

 フットバスに足を浸けて落ち着いたところで、秋菜が訥々と話し始める。


「うん」


「最近なんか悩んでるよね? 何となく元気がないじゃん」


 昨日の件を話すのかと思いきや、意外にも話し始めたのはわたしについてのことだった。

 まあ確かにこのところ、十一夜君の色惚けのせいで捜査が全然進展してない気がする。それでわたしは何だかんだ気を揉んでいてストレスが溜まっているのは事実だ。

 とは言え、捜査の件については秋菜には何も言えることがない。どうにか誤魔化さなくては。


「そうかなぁ?」


 取り敢えずいつもの調子でしらばっくれてみる。


「絶対あれでしょ。十一夜君だっけ? 彼と何かあったでしょ。もしかして喧嘩中とか?」


「別に? 十一夜君は彼女いるし。こっちとは何にも関係ないし」


 相変わらず秋菜はわたしと十一夜君のことを勘繰っているようなので、はっきりと十一夜君には付き合ってる彼女がいることを教えてあげた。


「えぇっ!? それマジで?」


 流石にそれを聞いて秋菜も驚いている様子だ。これでやっと誤解も解けるか。


「そうだよ。十一夜君本人から聞いたし」


 秋菜に念を押すようにそう付け加えると、何故か今度は秋菜が怒り出した。


「ちょ、夏葉ちゃん! 何やってんのよ! 何でぽっと出の何処の馬の骨とも知れない子に横から持ってかれてんのよ! しっかりしなさいよぉ、もう」


「知らないよ! 何でアンタからキレられないといけない訳? 秋菜には関係ないじゃん!!」


 聞き分けの悪い秋菜に、こっちもなんかイラっときて言い返した。

 仲直りするんじゃなかったのか!?


「はぁ……」


 大きな溜息をついてから秋菜が言葉を続ける。


「あのね、夏葉ちゃん。昨日のことは悪かったけどさ。このところなんか元気ないからママも心配しててさ。わたしもだけどね。何か別のことで忙しくしてれば気が紛れるかなとか、怒りのパワーで元気出るかなとか思ってね。ちょっと悪巧みだったとは思うけど、強引にディセットの仕事に行ってもらったんだ。瀬名さんにも相談したら協力してくれたしさ。まあ瀬名さんにしたら願ってもないって感じで二つ返事だったけど。でも実際どうよ? 嫌なことちょっとは忘れられてたでしょ?」


「……」


 言われてみれば確かに、一昨日十一夜君にムカついて泣いたことも、ここ最近桐島さんのことで感じていたイライラも仕事の間はすっかり忘れていた。


「わたしの場合はそういうところあるから。何かに打ち込んでると、少なくともその時だけは嫌なこととかウジウジ考えてる余裕がなくなるっていうか、考えなくて済むから」


 そういう秋菜の言葉には確かに説得力があった。

 ベッドの片隅に無造作に置き忘れられているものにわたしの目が留まるまでは。


「ちょっと。なんとか言いなさいよ」


「……」


 しかし釘付けになった目をそこから離せない。


「フンッ」


 と、いきなり秋菜の指がわたしの目を潰そうと凄い速度で襲いかかってきた。

 しかしわたしはそれを見切って躱す。


「チッ」


 秋菜が舌打ちをする。


「それって……」


 と言いかけたところで、わたしの口から言われるくらいならと思ったのか、秋菜が言葉を被せてくる。


「あ〜ぁ、バレちゃったか〜。だってさぁ、夏葉ちゃんいきなり入ってくるんだもん。隠す暇なかったじゃん! かわいい形だから一か八かバレないことに賭けてみたのにさ! でも流石にこれは貸さないからっ! 共用はやだから! 自分用をちゃんと買いなよね」


「誰が借りるかっ! てかバレたくなかった理由!! 普通そこじゃないよね?! もっと別のとこだよね?!」


 秋菜のあまりに斜め上を行く反応に思わずツッコミを入れずにはいられなかったが、秋菜のベッドの片隅にわたしが見つけてしまったのは、いわゆるローターである。ぱっと見はパソコンのマウスか、何かオブジェ的な小物かといった風に見えるので秋菜もバレない可能性に期待したのだろうが、エロの求道者を前にバレないはずあるまいよ。ふ。

 だけど今日はこんなの(下ネタ系)ばっかかよ、まったく。


「もぉ。女性向けの通販サイトがあるから。コンビニ受け取りもできるし、ちゃんと自分専用を買ってよね」


 冗談かと思ったら、結構本気でそう言ってる様子の秋菜。

 いくらなんでもそんな物を共有しようなんて思うはずがないだろうが。

 そもそもそういうの知られるのが恥ずかしいんじゃないのか、普通は?


 まあ一応参考までにそのサイトのURLを教えてもらったけどもね。あくまで参考までにだけど。ホントにね。ブクマもしたけど。


 秋菜があまりにズレたことを言うものだから、わたしは思わず吹き出してしまい、その瞬間にはすっかりわだかまりは消し飛んでいた。

 そういえば華名咲家の女子ってこうだった。でもここまで明け透けだとは予想だにしていなかった。

 その後何故かひとりエッチ談義が始まり、夜遅くまでキャーキャー言って盛り上がったのは、二人だけの秘密である。


 だけど、妄想とは言え男の手でイカされた意味について数日後に気付いた時、食事も喉を通らないくらい落ち込んだことは、この話の終わりにそっと書き添えておきたい。

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