第70話 ÇA VA, ÇA VIENT
「あらお帰り、夏葉ちゃん。聞いたわよ。ディセットのモデルやるらしいじゃないの。うちの方にも連絡が来たわよ」
帰宅後、夕食の準備のために下に降りると、いの一番に叔母さんがそう話し掛けてきた。耳が早いというか、まあ親代わりだから真っ先に連絡が行くのは当然といえば当然か。
「ただいま。もう聞いたんだ……やるのは秋菜がね。わたしはやらないし」
興味が無いとばかりにそっけなく答えるわたし。
「あらそうなの? 二人ともOKしておいたのに」
「えぇ? 叔母さんの許可があってもわたし本人がやる気ないんだもん」
「そうなの。それじゃあ仕方がないわね、残念」
意外にあっさりと引いたかのように見えるが、その後わたしたちが有名モデルになれば
まだまだ油断はできないな。
「そう言えば、ディディエがもうすぐ引っ越してくるみたいよ。そろそろバカンスの時期だし」
叔母さんが言うディディエというのは、フランス人の親戚だ。確かお祖母ちゃんの姉の孫だったかな。
「へぇ、そうなんだ。うちの学校に留学するの?」
「多分そうなりそうよ。今書類揃えてるところじゃないかしら」
叔母さんは桜桃学園の経営にも携わっていて理事長とちょくちょくやり取りしているので、ディディエの件にも一枚噛んでいるのだろう。
「そうなんだ。これ以上騒がれるのは勘弁だけどなぁ……」
「何で? 夏葉ちゃんはホントそういうところ面倒臭がりだよね。皆でワイワイキャーキャーやるの楽しいじゃん」
秋菜がまた秋菜らしいことを言ってくる。お前にゃ一生この気持は分かるまいよ。
ディディエもあのまま成長していたら恐らく今じゃかなりのイケメンになっていそうだ。秋菜と二人でいても何かとキャーキャー騒がしいのに、そんなのに来られたら余計に面倒臭そうだ。
あ、ディディエ自身はイイ奴だし会うのが楽しみなのだけどね。
「当たり前だろ。皆が皆秋菜と同じ感覚の持ち主だと思うなよな」
「夏葉ちゃん、言葉がまた男に戻ってる」
秋菜の指摘にうるさいな、とは思いつつ、叔母さんの表情をそろっと横目で窺う。男言葉禁止になってしまったのも、実質的にこの家のボスである叔母さんの意見で決まったことだ。叔母さんはそんなにしょっちゅう怒るわけじゃないが、一旦怒らせたら怖い。秋菜ですら黙る。
「あ〜、そう言えば夏葉ちゃん。友紀から連絡なかった? 明日一緒に遊ぼうって」
秋菜に言われてスマホをチェックしたら、なるほどLINEにメッセージが入っていた。
「あ、連絡入ってたわ。……秋菜も一緒か」
「そうだよ。何、一緒だと何か?」
「いや、始めてじゃないかなと思ってさ」
「そうだね〜。これでも一応夏葉ちゃんがクラスメイトと仲良くなれるようにと思ってさ。それなりに気を遣ってたんだよ」
だろうね。薄々そうなんだろうなと思っていたんだよ。時々そういう気遣いをするんだよな〜、秋菜の奴は。
「あぁ、そうなんだ。何となくそうかな〜とは思ってたけどね」
「あは、気付いてたんだ。どうよ、わたしの優しさ。感謝したくなった?」
「そうだな。そういうこと言わなければ」
「むぅ、素直じゃないぞ。夏葉ちゃん。感謝のチュウしてもいいよ、ほれ」
ほっぺたを差し出してきたので軽く
「ちょっと、そんなにわたしのほっぺたがかわいいの?」
「いや、なんか腹立ったから」
「夏葉ちゃんにはわたしの優しさの十分の一でも分けてあげたいわ」
お前の腹黒い優しさなどいらんのじゃ。
わたしは秋菜の言い分には耳を貸さずに友紀ちゃんへの返信を打ち込んだ。
そんなわけで明日は秋菜も一緒に友紀ちゃんたちと遊びに行く予定だ。楓ちゃんも一緒らしいが、他にも誰か誘うと言っていた。麻由美ちゃんが来ることも十分に考えられるので、注意しておかなければ。
わたしは念のため、そのまま十一夜君にも明日のことを連絡しておいた。
翌朝、いつもの通りジョギングで一日を始める。幸い天気にも恵まれ早朝の澄んだ空気が心地よい。大分暑くなってきて汗だくになるけれど。
もし今日、麻由美ちゃんも来ていた場合には、例のキーホルダーで十一夜君に知らせる手はずになっている。麻由美ちゃんがわたしを襲った黒幕だという確証は未だ掴めていないようだが、用心に越したことはない。できれば麻由美ちゃんのことを疑いたくはないのだけど……。
それでも一応用心のために動きやすい服装を選んだ。昨日の撮影を参考に、サブリナパンツとノースリーブのポロシャツ、それにキャスケットを合わせてかなりカジュアルなコーディネイトとした。靴もサブリナっぽくスリッポンにしたのでいざという時には走ったりもできる。
待ち合わせのファミレスへの道中秋菜と二人でいたため、知らない人から声を掛けられる確率が格段に上がる。不本意ながら、
今日も道すがら、親子連れに声を掛けられた。お母さんと小学生の双子の女の子という取り合わせで、今は遠くパナマにいる妹のことを思い出してしまった。
二人の娘さんたちは、わたしたちのファンだと言ってはにかみながらも、テンションは上がっていたらしく、お母さんの後ろに隠れながらもキャーキャー言っていた。暫く立ち話をして、最後に一緒に写真を撮って無事に解放されたのだった。
ファミレスに到着すると、わたしたちが最後だったようで既にメンバーは勢揃いしていた。
「あ、さっちんだ。久し振りだね〜」
「よぉ〜、夏葉ちゃん、久し振り〜。学校で時々見かけてはいたけど、会うのは春休み以来だね〜」
さっちんというのは、秋菜や友紀ちゃんの共通の友達で、春休みに秋菜とショッピングに出かけたときにバーガーショップで偶然会った子だ。名前は確か岡田佐知香と言ったかな。相変わらずちっこい。かわいいけど。
他には友紀ちゃんと楓ちゃんといういつものメンバー。そして、やはり麻由美ちゃんも来ている。
わたしは事前の打ち合わせ通り、さり気なくキーホルダーを握って十一夜君に合図を送った。
恐らくこれで十一夜君はわたしのGPS情報を追跡し、いつでも音声を聞くことができるはずだ。
みんなと一緒なので危険はないだろうと思うが、絶対安全という保証がない限りは用心するに越したことはない。
ファミレスではそう長く留まることをせず、カラオケボックスに言って食べ物を注文しようということになった。
カラオケなぁ。いいんだけど、音楽の趣味が一般的な女子高生と違っているわたしにとって、同級生と一緒に行くカラオケはハードルが高い。と言うか、皆をしらけさせたら悪いなと言う心配が付いて回る。
勿論最近の音楽も聴くのだが、同級生の多くが聴いているような音楽をあまり知らないのだ。
そんなわけでカラオケではなるべく歌わずにやり過ごせないものかと考えていたのだが、やはりそうも行かないようだ。
「はい、次夏葉ちゃん」
とデンモクを渡されたが、何を歌えばいいのかまるで分からない。
それで盲滅法というか、その場の思い付きで選んだのが、何故かコールドプレイの『Viva La Vida』だった。案の定、最初はポカンとされてしまったが、徐々に手拍子が始まり、途中からは皆乗ってきて、思っていたほど悪い選曲ではなかったようだ。
蓋を開けてみれば結局、皆自分が歌いたいタイプだったようで、わたしはその一曲歌っただけで済んだのでよかった。
他のメンツはと言えば、各々好き好きにアイドルものやJ-POPを中心に歌っている。そこそこカラオケも盛り上がり、自分の所為で場をしらけさせずに済んだことにホッとしながら店を出た。
「ねぇ、次何しよっか」
秋菜が皆に問い掛ける。
「わたし久し振りに皆で体動かしたい」
おぉ、女子高生でもそういうこと言う子がいるのか。意外に思ったその提案をしてきたのは、さっちんだ。さっちんは体は小さいが、結構スポーツ好きなのだろうか。そう言えば今日はデニムを履いてスポーティな出で立ちだ。
「あ、じゃあボーリングは?」
秋菜がボーリングを提案してきた。実はボーリングは子供の頃から秋菜とよく行っていて、わたしとはライバル関係だ。実際秋菜がこちらをちらちら見ながら挑戦的な笑みを浮かべている。
「おぉ、いいね。秋菜とは中等部時代によくボーリングも行ったよね」
わたしと秋菜がバチバチと火花を散らしているところへ割って入ってきたのは友紀ちゃんだ。そうなのか、秋菜は友紀ちゃんなんかともボーリングに行って鍛えていたわけなんだな。
ふふん、よかろうよかろう。こっちだってまだまだ男時代に培ったアドバンテージがあるのだ。秋菜ごときに負ける気はしない。
そう意気込んでいるときに、向こうから歩いてくる数人が目に入った。見覚えのある面々だ。
「おぉっ、これは華名咲さん! こんなところで偶然出会うとは運命の女神は何といういたずら好き!」
あぁ、こんな鬱陶しいことを言うのは、クラスメイトの坂田、通称アホの坂田だ。
「自分で言ってるじゃん、偶然って。いたずらじゃなくてただの偶然だから安心しなさいよ」
容赦ない言葉を浴びせかけたら何故か坂田は嬉しそうに頬を染める。
「おぉっ、相変わらずしびれる冷たさ。だがそれが超いいっす」
「キモッ」
一緒にいた女子が一斉にそう口にした。やっぱりキモいよな、坂田は。
「坂田たち何してんの?」
とは麻由美ちゃんだ。麻由美ちゃんは共学出身でこういうときにも躊躇なく男子に話し掛けることができる。
坂田は麻由美ちゃんを一瞥すると、少し見下すようにして説明を始めた。
「これから同士でサバゲーだよ。折角の日曜日だから有意義に過ごしたいじゃないか」
「何それ、缶詰?」
皆一様にぽかんとしている。
サバゲーっていうのは言うまでもなくサバイバルゲームのことで間違いないだろう。
皆がぽかんとなったのは、サバゲーの意味がわからなかったというより、寧ろ缶詰の方。皆セレブ家庭なので、缶詰なんて食べる機会が少ない。多分多くの家庭では食べたことがないのではないだろうか。非常食として缶詰は入っているかもしれないが、普段目にする機会はまずないだろう。
麻由美ちゃんは缶詰のことを当たり前に知っていたようだ。彼女が言いたかったのは、鯖の缶詰、通称鯖缶だと思われる。
うちの場合、父と叔父さんが兄弟揃ってB級グルメ好きなこともあって、安い缶詰と焼酎なんていうあまりお上品ではない飲み方を普通にしているのを目にしているので意味が分かるのだ。
「缶詰? 君は何を頓珍漢なことを言ってるんだ? サバゲーはサバゲー。サバイバルゲームという紳士の嗜みだよ、ふんっ」
ちょっと小馬鹿にした態度で坂田が言う。こういう態度だからアホの坂田なんて呼ばれるんだ。尤もそう呼んでいるのはわたしの心の中だけの話だけど。
「あ〜、知ってるそれっ! 面白そう。ねえねぇ、わたしもやってみたいんだけど?」
いきなりそう言って食い付いたのはさっちんだ。そしておねだりするような上目遣いで反応を窺っている。彼女は意外に好奇心旺盛なタイプなのかもしれない。
それにこんなかわいい子から上目遣いで言われたら、間違いなく野郎どもは色めき立つに違いない。
女子はどう反応したらいいのか判断が付かず、お互いの出方を窺っている様子だ。男子連中は、突然の女子からの申し入れに、やはり無反応を装いきれずに少し浮足立っているように見える。
「ま、まあ我々としては別にかまわないよな。但し女子だからと言って手加減はしないけどな」
沈黙を破ったのは何だか上から目線の坂田だ。
「手加減しろとは言わないけど、なんか上から目線なのがやだな」
麻由美ちゃんは案外遠慮なくズバッと言うこと言うんだな。
「ねぇ、華名咲さん」
間髪を入れず、麻由美ちゃんは何故かわたしに同意を求めてくる。まあ確かに彼女の言う通り、わたしとしても偉そうにされるのは気に入らない。
「ん? まあね。坂田君、女子をどう扱うかは男の甲斐性っていうか、余裕っていうか? まあそんなことと関わってくる気がするかなぁ。女の子に敬意を払える男の子って素敵だよね〜」
あは、元男のくせにいけしゃあしゃあとよくもまあと自分でも思う。
だが今は女だからな。女にとって都合がよい方が得なのだ。
「華名咲さん、勿論僕はジェントルマンですからね。女子だからと言って手加減しないとは言ったけど、それはあくまで言葉の綾というか。ゲームとは言え軽く考えていると怪我をするかもしれないから、注意を促しただけなのです。勿論女子には最大限の敬意を払いますとも」
二枚舌野郎というかチョロい野郎というか、相変わらず薄っぺらい男だな、アホの坂田は。
「じゃあ皆でサバゲーに参加させてもらおうよ。面白そうじゃん」
さっちんが如何にも嬉しそうにそう話すものだから、皆もまあいいかという気になって同意することとなった。
「いいでしょう。それじゃあ我々に付いてきてください」
それから程なくして、サバゲーができるという場所に着いた。こんな都会でサバゲーができるような場所があるのか少々疑問に思っていたが、実は最近はビル内にそういう施設が設けられていたりするらしい。
ビルの入口を入ると、各フロアの案内板があって、四階にサバゲーができる施設が表示されていた。
エレベーターのボタンを押して待っていると、少ししてドアが開いた。
扉の向こうから出てきたのは、
「あれ、お前十一夜?」
そう、お馴染みの十一夜君だった。
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