第21話 At The Top Of The Stairs

 昼休み、通常食事は学食で摂っている。学食と言って普通イメージされるものと、恐らく桜桃学園でいうそれとではかなりかけ離れていると思う。ここのは学食と名が付いてはいるが、どちらかと言うとお洒落なカフェと言った方が近いだろう。ただ、フードコートみたいに、いろんなお店が集まっていて、バリエーションは豊富に楽しめるようになっている。テラス席もあって、この時期を過ごすにはちょうど気持ちのいい感じだ。

 初等部と中等部までは給食だそうで、ここを利用しているのは俺たち高等部の生徒だけだ。

 利用する生徒は、チャージ式のプリペイドカードを持っていて、注文した分だけそこから支払うようになっている。クレジット機能が付いていたらなお便利なのだが、毎日使いのカードだしセレブな人たちのものなので、セキュリティ上問題があるということで、チャージ式のプレイペイドカードに留めているらしい。セレブ相手だと色々と面倒くさいのね。その代わり、校内に設置されているATMでチャージできるようになっているので、それなりには便利だ。


 プリントを取りに来るように担任の細野先生から言われ、俺だけ昼食前に職員室に立ち寄ることになった。友紀ちゃんや楓ちゃんは先に学食に行って席を確保しておいてもらうことになった。

 高等部の学舎は三階建ての二棟を繋いだコの字型の建物になっている。職員室があるのは、俺たちの教室とは別棟の最上階だ。俺たち一年生の教室は一階にあるので、連絡通路を通って別棟の階段を三階まで上ることになる。実は教員用にエレベーターが備え付けられているのだが、基本的に生徒の利用は禁止となっている。

 華名咲家の自宅も家族用のエレベーターがあるのだが、実はほとんど誰も利用していない。男性陣は健康と、トラブル時に身動き取れなくなるのを回避するため。女性陣は健康と美容のためだ。あ、お祖父ちゃんは時々ずるしてるかもしれないな。なので、俺にとっては階段上るのもそこまでの苦労はない。


「失礼致します」


 そう声をかけて職員室に入ると、細野先生が気づいて、

「お、来たか。こっちこっち」

なんて言って手を振っている。


「華名咲、使って悪いな。これ、教卓の引き出しに入れておいてくれるか。次の授業の時に配ってもらうことになってるんだけど、木下先生午後出勤でさ。ちょうど僕も用事が入ってて木下先生と会えないんだよ。悪いね」


 そう言ってプリントの束を俺に寄越した。


「承ります」


 てか何で俺なんだ? 日直は他のやつだよな。まあいいけど。


「あれ、十一夜にも声掛けてたんだけどな。一緒じゃなかった?」


「十一夜君ですか? そう言えば昼休みに入って直ぐに教室を出て行きましたけど、一緒じゃなかったですね」


「そうか。一人で持てそうならもう行ってもらっちゃっていいけど」


「はい。大丈夫ですので、これで失礼しますね」


「おお、頼んだわ。よろしくな」


 十一夜〜。お前か。どこ行ってんだよ、まったくよぉ。ていうかそもそもこの程度のプリント運ぶのに二人も要らねーよ。仕方ない。文句言ってるよりさっさと用を済ませて昼飯だ。

 階段が百八十度折り返す踊場で、上がってくる十一夜君を見かけた。


「あ」


 十一夜君、と言いかけたその時、誰かに後ろから押された。こ、これは、少女漫画でありがちな階段落ちというやつか?

 偶々たまたま都合良すぎるタイミングで通りかかった十一夜君がわたしを抱き止めて無事に済むものの、十一夜君に怪我させちゃって、その申し訳無さから甲斐甲斐しく世話を焼いているうちに二人の距離が縮まり、やがてそれが恋に変わる、まとめると階段から落ちたら恋にも落ちた的なテンプレ展開始まった?

——などと考えている余裕はもちろんなく、気が付いたら下の踊り場で十一夜君に覆い被さっていた。


「びっくりしたぁ。ごめん、十一夜君、大丈夫?」


 十一夜君の上からずれて、十一夜君の様子を窺う。結構思いっきり飛び込んだもんだからホントにやばかったかもしれない。周囲も流石に驚いた様子で、心配そうにこちらを窺っている。


「華名咲さん……。いててて」


 肩口を抑えながら十一夜君は上体を起こしたが、どうやら肩を痛めている様子だ。


「肩怪我した? うわぁ、ごめん。他に怪我は?」


「あぁ、大丈夫だと思う。それより華名咲さんは大丈夫だった?」


「うん、多分大丈夫。十一夜君、保健室行かなくちゃ。歩けそうかな?」


 どうやら俺の方は大丈夫そうだが、それより十一夜君のことが心配だ。


「今、華名咲さん誰かに押されなかったか?」


 そう言って、十一夜君は俺が落ちてきた階段の上の方を訝しげに睨んでいる。見えてたか。誰かに押されたが、十一夜君を巻き込む訳にはいかない。しかし、俺を押した奴は、手紙の奴と一緒なんだろうか。若しくは関係しているのか。


「分からない。誰かとぶつかっちゃったのかも」


 一応誤魔化しておく。


「もう少し早く来れていれば……」


 何だ、十一夜君もちゃんと職員室に来るつもりはあったんだな。何か他にも用事があって遅れたのか。


「いやいや、十一夜君のお陰で無事だったし。ていうか私の所為で逆に怪我させちゃったね、ごめん」


 十一夜君が肩を痛めているが、二人共命に別状があるような事態では無さそうだと分かり、俺がぶちまけてしまったプリントを周囲の人達が拾い始めた。


「あ、すみません」


 慌てて俺もプリントを拾い始めた。十一夜くんも追従して拾ってくれるが、右肩が痛そうだ。


「十一夜君、保健室行こう」


「いや、いい」


「良くないよ、めっちゃ痛そう」


「痛いけど大丈夫。保健室行ったら飯食えなくなるから」


「えぇ? 体よりご飯?」


「う〜ん……今はご飯だな」


 マジかよ、十一夜君。怪我が心配だなぁ。


「はぁ。分かった。じゃあこうしよう。お詫びにお昼ごはん奢らせて。何でも好きなもの食べていいから」


「別にそんなのいらないよ」


「いいから。わたしの気持ちが済まないし」


「う〜ん……でもやっぱりいらない。今回偶々だったんだし。偶然の出来事にお礼する必要無いだろ」


 奢らせろってのにな。意外に潔癖な野郎だな。でも十一夜君の様子がちょっとおかしい。ポケットの辺りをまさぐりながらそわそわしている。はは〜ん。さてはこれは。


「華名咲さん」


「はい?」


「やっぱり奢ってもらっていいかな。プリペイドカードも財布も忘れてきた」


「勿論。さっきから奢らせてって言ってるじゃん。ふふふ」


 俺は事のあらましを、LINEのグループトークで、待っているであろう友紀ちゃんたちに説明し、一緒に食事できなくなったことを詫びて、十一夜君と食堂へと向かった。十一夜君は意外におっちょこちょいか。かっこよく断った直後に手のひら返した。


「何食べる? 何でも遠慮なく言ってね」


 料理の種類ごとに店が違うので、奢らせてもらうに当たって十一夜君に確認しておく。


「う〜ん、がっつりパスタ行きたいなぁ」


「パスタ? ナポリタンとかじゃなくて普通にイタリアンのがいいのかな?」


「だね。あそこ行こ」


 お、十一夜君が急に積極的になった。普段はまるでやる気無さそうにしてるけど、食には積極的なんだね。目当ての店に向かう十一夜君はやっぱり肩が痛そうだった。十一夜君が希望した店は、カジュアルなイタリアンでトラットリアという感じの店だ。


「お好きなだけ幾らでもどうぞ」


 メニューを渡しながら好きなものを注文するよう勧める。


「なぁ、色々食べたいんだけど、シェアでもいい?」


「いいよ。わたしはそんなには食べられないけど、食べたいだけ注文して」


 女子になってから食が細くなったんだけど、それだけじゃなく、体重を結構気にするから食べる量も気にするようになっちゃって、そのうち小食になってしまったんだよね。俺は何だか辛いものが食べたくて、ペンネ・アラビアータを注文して、後は十一夜君の好きなように注文してもらった。ここはハーフサイズがあるので、十一夜君はハーフで何種類か注文したようだ。細い割によく食べるんだな。


「十一夜君はイタリアンが好きなの?」


「う〜ん……基本何でも食べるけど、イタリアンも好きだよ。家業がイタリアン・レストランだからね」


「あ、そうなんだ。何ていう店か聞いてもいい?」


「いろんな店を手広くやってるよ。店をやってるって言っても、経営の方だから料理人ってわけじゃない。例えばミラノ食堂っていうチェーン店とか」


「あぁ、あの店ってそうなんだ。そう言えばうちもイタリアンのお店いくつかやってる」


「華名咲さんのところは手広いからね。因みに何て店?」


「例えば、この近辺だとリストランテPARADISOとか?」


 この前叔父さんに連れて行ってもらったお店だ。ドルチェが美味しかった。


「う〜ん、知ってる。あそこのドルチアーリオは優秀だね」


「お、分かる? だよね〜。あそこのドルチェ最高なのよ。美味しいよねぇ〜」


 思わずあのドルチェの味を思い出して意識が遠くへ飛んでしまっていたが、料理が運ばれてきて引き戻された。学食とはいえ、他所の店のことに思いを馳せているとは失礼なことをしてしまった。最初に運ばれてきたのはサラダとしらすのピッツァとカルボナーラだった。


「いただきまぁす」


 しらすのピッツァは初めて食べた。ほぉ、悪くないね。十一夜君はカルボナーラを頬張っている。


「へぇ〜、ちゃんとローマ式のカルボナーラだ。学食レベルでベーコンじゃなくてパンチェッタを使ってるのも流石だな」


 どれどれ、俺もカルボナーラに手を伸ばす。


「ホントだ。生クリーム使ってるとくど過ぎてわたし苦手なんだよね。前にローマで食べたら生クリーム使ってなくて、それ以来我が家じゃローマ式」


「うん、こっちの方が断然美味いよな」


 何だ。十一夜君って、食べ物のことになると結構普通に喋るんだね。普段ホント何考えてるんだか分からないけど、ちょっと違う一面を見られたな。こんな風に向い合って、正面からまじまじと顔を見たこともなかったけど、女子の間で人気があるだけあって、なかなか端正な顔立ちをしている。どちらかと言えば骨ばった感じで彫りも深いのだが、それでいて切れ長の一重瞼がシャープな印象を与える。眠たそうに見えることもあるが。唇は厚すぎず薄すぎずといった感じだ。髪の毛は黒々としていて、無造作ヘアというのか、いや多分こいつはただのボサボサ頭だな。さらさらって雰囲気じゃあない。

 十一夜君はむしゃむしゃ食べてもう殆ど皿は空だ。タイミングを見計らって次の皿が運ばれてくる。俺が注文したアラビアータとサーモンと茸のトマトクリームパスタだ。こんなに食えるのか、こいつは。まあこの調子なら行けそうか。よく食うな。


「十一夜君は辛いのも平気?」


「おぉ、全然問題ない。ペンネ、もらっていいよな」


「どうぞどうぞ。じゃんじゃん食べて」


 本当によく食べる男だ。痩せ型なんだけどな。燃費悪いのか。

 俺も負けじとペンネ・アラビアータを口に運んだ。


「このアラビアータはちょっと変わり種だね」


「うん。バジリコの中にペパーミントを少し混ぜてあるな」


 唐辛子の辛味が最初来て、スイートバジルの香りと共にペパーミントの清涼感がスーっと鼻腔に抜けていく。その後に残るトマトの酸味と甘味と旨みが舌を優しく整えてならしてくれるような感じだ。これはなかなか面白い。

 サーモンと茸のトマトクリームパスタはアラビアータで些か尖った舌の感覚をマイルドに癒やしてくれる。トマトの酸味と旨味にクリームの濃厚なコク、茸の香り、各々の持ち味をサーモンがまとめている感じがする。


「このサーモンは軽くスモークしてあるな」


「なるほど。何かひと味違うなぁと思ったけど、燻製してるんだ〜。十一夜君、よく分かるね」


 ボケーっとしてる野郎だと思っていたが、意外にも繊細な舌の持ち主で実際感心した。


「まあな」


 と謙遜も何も無く突慳貪つっけんどんに応じる十一夜君。多分謙遜も無いけど別に傲慢で言ってるってわけでも無いんだろうな。


「食べたら保健室行こうね、十一夜君」


「そうだな」


「肩、まだ痛む?」


「おぉ。でもまあこの程度ならそう大したことはないだろ、どうせ」


「そう? 何か心配だなぁ。病院でちゃんと診てもらった方がいいと思うよ」


「取り敢えず保健室で診てもらってからな」


「そうだね。さあ、急がないと昼休み終わっちゃうよ」


 色々あったからもう結構昼休みの残り時間が少ない。今から保健室に行っても午後の授業に食い込むのは必至だ。この食いしん坊のせいでな。食べ終わって会計を済ませると、十一夜君がごちそうさまと、今更面目無さそうにしてお礼を言ってきた。ごちそうさまには普通、お粗末さまと応じるのだろうが、この場合料理を作ったのは俺じゃないし、お粗末さまと答えたら何か料理人に悪い気がしたので、気にするなと言っておいた。

 そのまま十一夜君を保健室に連れて行って、養護教諭に任せ、病院等に行く必要があれば俺にも連絡してもらうよう話を着けておいた。治療費のこととかあるからな。

 十一夜君を保健室に置いて、俺が教室に戻ったのは、午後の授業開始の直前だった。教室では、俺が十一夜君とランチを共にしていたというのがすっかり広まっていて、何か噂話の種となっているようだった。

 友紀ちゃんや楓ちゃんからは、どうだったどうだったと、十一夜君とのことを根掘り葉掘り訊かれ、非常に鬱陶しかったが、幸いにしてすぐに授業時間となったため助かった。尤もその場凌ぎで、授業が終わればまたしつこく質問攻めに遭ったわけなのだが。

 結局、午後の授業には十一夜君は戻って来ず、そのまま帰ってしまったようだ。ちゃんと病院に行ってくれていればいいのだが、帰りしなに保健室に寄ってみたが、生憎と養護教諭もおらず、結局どうなったのか不明のまま帰途に着いた。

 秋菜は今日はクラスメイトと図書館に寄るのだとかで、また別々に帰った。

 それにしても、階段で誰かに突き落とされた。この事実はでかい。ていうか重い。手紙の件と言い、確実に俺は誰かに目を付けられているようだな。一体何なんだろう。薄気味が悪いことだ。より一層の用心深さが必要になるな。

 俺は駅のホームで電車待ちするときも、足を肩幅くらいに開き斜に構えるようにして、線路側に突き落とされるような事態にならないよう気をつけた。注意一瞬怪我一生なんて言うくらいだから、注意しているに越したことはない。

 流石に家に帰り着いた頃には、気を張っていたためぐったりと疲れており、男の頃みたいにパンイチになってベッドに倒れこんでそのまま夕食前まで寝てしまっていた。JK的にははしたないことでスマン。

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