第二章 Love Letter

第20話 手紙

——男女だんじょキモい。死ね——だと? 何の謎かけだ……?


 一体何のことだと二、三秒ほどだろうか悩んだ挙句、——男女おとこおんなキモい。死ね——つまり俺のことをキモいと言ってるのだと気づいた。

 待て待て。俺が男女おとこおんなだと? 俺は精神的には立派に男だし、身体的には立派に女だぞ。男女とは何だよ、失礼な。

 いや、男であり女でもあるから男女で合ってるか。合ってるな、言われてみれば。くそぉ、言い得て妙とはこういうことじゃないのか。何か悔しいな。ていうかさ。これ、ラブな感じのレターじゃないのかよ。ないんだな。

 待て、縦読みとか? って、一行しか無いだろうがよ、くそ。

 まあ待て。落ち着けよ。もしかして斜め読みとか? 一行しか無かったーーーっ。

 あー、なんか損した感じ。俺のウキウキドキドキ感返せよ。コンチキショー。

————しかし。しかし、問題の本質はそこじゃないと俺も既に気づいているぞ。

 俺が男であり女でもある、男女である——この呼び方採用するのはちょっと悔しいが——と、この手紙の差出人は知っているぞと、そう言いたいのか? だとしたら大問題だ。門外不出の機密事項のはずの情報が外部に漏れている。その可能性が否定できない状況なのだ。これは大変まずい。

 これは誰かに相談すべきだろうか。相談するって言っても家族しかいないんだが。しかしなぁ。家族の誰かに相談すると、確実に最低でも叔父さんに伝わるな。叔父さんに伝わったら、これ、お祖父ちゃんに話が行くな。そうなったら絶対きな臭くなる。お祖父ちゃんの世間的な権力凄いから、お祖父ちゃんが動くと学生ごときの人生潰されるぞ。多分だけど、そこの一族郎党社会的に抹殺されるようなことにもなりかねない。いやこれマジでありえる話だから怖いんだよ。うちはおいそれと身内に頼れないんだ。強大な権力を使うってことになるから。

 子供の頃から華名咲家では対人トラブルに関しては基本的に当人同士でどうにかするように厳しく教えられる。どうにもならなくて親に頼るとき、それは子供同士の話というだけではもう収まらなくなる。中途半端に相手に甘さを見せると、余計なトラブルへと発展するので、ある程度エグいやり方で、言わば捩じ伏せることになるのだ。恐ろしいし、信じられないかも知れないが、これが社交界に生きる者のルールなんだ。そんなわけで、俺たちは子供の頃からできる限り当人同士で問題を解決するように、もっと言えば、端からトラブルを招かないように立ち振る舞う術を身に着けさせられる。

 前に叔父さんがレストランで、デザートのことから訓話みたいなことを話してくれたことあっただろ。別れ際まで誠心誠意相手に接するようにってさ。ああいう話にも社交界ならではの生き方に対する教訓が含まれているんだよ。だからああいう話も、侮っておいそれと聞き流せないんだ。自分に返ってくるからな。

 よく物語の中じゃさ、親の権力使ってやりたい放題する悪役令嬢みたいなのがいるんだけど、現実にそれやろうと思ったらまず親から潰されるだろうね。そんなアホな子供は放っておいたら、そのうちお家取り潰しという不幸を招くのが目に見えているから。そんなこと許していたらより強い権力か、若しくは複数の権力から制裁されてしまうだろう。そうなるくらいなら、その出来の悪い子供を放逐することを選ぶのが、社交界に生きる者の価値観なのだ。そういうわけだから、すぐにでも誰かに相談したいところだがおいそれと家族には頼れない事情があるのだ。

 これどうすっかなぁ。もしも情報がどこからか漏れているのなら家族からしか考えられないし、扱いが難しい。そういうことじゃなければいいんだが。取り敢えず俺が今現状できることは何だろうな。ここはまず最初に状況の分析からか。手紙の送り主は、何が目的でこれを俺に寄越したんだろうな。

 封筒は恐らくファミマ辺りででも購入した無印良品のものだろう。便箋も同じだ。文言は手書き。黒の水性ボールペンで書かれているな。筆跡からすると恐らくは女子だ。筆圧はそんなに強くはない。何とも色気のない、何処どこ彼処かしこも素っ気無さで裏打ちされたような手紙だ。これは逆に言えば、文言自体はキモいだの死ねだのというある種の情念が込められたような内容なのに、その割にはあらゆる感情の欠落した素っ気無さしか感じられない裏腹さに特徴がある手紙とも言える。そう考えると、相手の人物像が手紙の向こうに少しだけ透けて見えてくる。男女というのが、俺のTS事情に言及したものだとしたら、相手はそのことを俺に知らせることによって、何らかの牽制か警告を与えようとしているのではないだろうか。一見感情的なメッセージを装ってはいるが、その実、ただ感情に任せて書かれた手紙ではない。つまり明確な意図を持って書かれており、計略的だ。断定はできないが、筆跡からは女性の可能性が高い。女性だけど、ただ感情に任せて嫌がらせをするのではなく、冷静で策を弄するようなタイプか。

 明日以降、その線で調査を開始するか。

 冷静沈着で謀略家的な性格。それと筆跡。この二点を手掛かりとして、まずは身近なクラスメイトから当たるのがよさそうだ。場合によっては、俺が女子になってしまった秘密に近づくことができるかもしれない。何となくそんな気がした。


 方針を決めた俺は、帰宅後もできるだけ普通に振る舞うことにした。家族に心配かけると別の意味で危険だ。主に相手側がな。ちょっとちょっかい出したくらいで人生終わらされたんじゃ、向こうとしても堪ったもんじゃないだろう。

 夕食時の話題はDioskouroiディオスクーロイのウェブサイトのリニューアルと、それに伴うCeriseスリーズとのコラボ企画で、俺と秋菜がモデルとして出てるコーナーの件だった。何でもそろそろリニューアルされて公開されるらしい。こいつも俺の憂鬱の種のひとつなんだよな。

 となれば当然またCeriseスリーズも街中で配られるわけだ。俺たちのコーナーを引っ提げてさ。冗談じゃないよな。まあ仕事を引き受けておいてそんなこと言ってるのも何だけどね。

 叔父さんにローファーの話を振ったら、また熱く語りだしてしまった。こうなると叔父さんは長いんだよな。ホント物好きというか、ウンチクンなんだよ。俺もしっかりそういう所受け継いでるんだけどさ。ま、そんな調子で俺のテンションは下がりつつも、終始食卓は和やか。いつも通りの華名咲家の食卓だった。

 俺も手紙の件でちょっと心配事を抱えてしまったことを気取られることなく、巧いことやりおおせたと思う。


 明日から勝負だな。誰の仕業だろうか……。

 入浴剤を入れたバスタブでゆっくりと足を伸ばしてリラックスしながら、リンパマッサージを入念に行なう。集中力を高めるためのある種のルーティンだ。

 そう言えば、この前エステでジャムウソープという弱酸性のハーブ石鹸を見つけたので購入しておいた。これはいわゆるデリケートゾーンに使えるもので、内部用にも別途専用のジェルというのを勧められ購入したのだった。これで安心して清潔に保てる。男の頃は普通の弱アルカリ性石鹸でゴシゴシ? 洗ってりゃよかったもんだが、何しろ女子の体は男と比べるとデリケートでな。

 風呂の後、スキンケアしてからベッドに入った。俺もすっかり華名咲家の女だよな。もう秋菜がうるさいから日々のメンテナンス欠かすってことが無いもん。男としては終わってる気がするけどな。さて、明日に備えてもう寝る。オヤスミ。


 翌朝、いつも通り玄関で秋菜と別れ、自分の靴箱の前に来ると、昨日のこともありちょっとだけ緊張した。だが靴箱にも、そこにある上履きにも、特にいつもと違う点は無かった。取り敢えず俺はホッとして、靴を履き替えて教室へと向かった。

 教室もいつも通り。しかし完全に安心している場合ではない。この中に手紙の送り主がいる可能性はゼロではないのだ。俺はクラスメイトに挨拶の言葉を掛けつつ、不審なところはないか表情を探ってみたのだが、特におかしな挙動を示す者は無かった。


「夏葉ちゃん、おはよう」


 先に来ていた楓ちゃんだ。


「おはよう、楓ちゃん。いっつも早いねぇ」


 楓ちゃんはホントにいつも早い。少なくとも俺よりは早い。そんなに早く来たからって何をして時間潰すんだろうな。


「うん。うちの執事長きっちりしてるのよ。何かあった場合に備えていつもゆとりを持ったスケジューリングしてるし」


「あ〜、なるほどね〜。ちゃんとしてるんだ」


 ほれ来た。これよこれ。セレブだろう? うちの方がセレブと言われてるんだけど、我が家じゃ執事もメイドも雇ってないからな。自分のことは自分で何だってやんなきゃならないんだ。


「うちの執事長はね、オランダのインターナショナル・バトラー・アカデミーの講師をしていたんだけど、祖父が口説き落としてきたんだって」


「そうなのね。優秀な方なんだ〜」


 ほぉ。そんな学校があるのか。しかもそこで講師を務めていたとはな。よっぽど優秀な人材なのだろう。


「そうね。取り敢えず長谷川に任せておけば安心かな〜」


 日本人なのか。オランダの学校から引き抜いたって言うから、てっきり外国人かと思ってたら、まさかの日本人とは。


「へぇ〜、そんな人が執事長さんなんだ〜」


 あまり関心もないので俺の受け答えも大概だ。


「夏葉ちゃんのところは? きっと凄いんだろうなぁ、あの名門華名咲家の執事ともなると」


「うち? うちは執事さんもメイドさんもいないよ」


「えぇっ? ホントに?」


「ほんとほんと。運転手さんすらいないよ。秋菜もわたしも普通に電車通学だもん。普通にSUICAもPASMOも持ってるし」


 そこまで驚くことかよ。寧ろ世間じゃ圧倒的に普通だぜ。


「だって誘拐とか怖くないの? 華名咲家ほどの名家のご令嬢ともなれば、危機管理の点からも運転手くらいは必要でしょうに。うちはトヨタの開発ドライバーを務めていた高橋が運転手をしていて、常時警護の人間が二人同乗しているわ。SWATの出身者よ。夏葉ちゃん、本当にそれで大丈夫なの?」


 えらく心配されてるなぁ。ていうか、そこそこ秋菜との付き合いが長いだろうに、知らないのか? 俺は楓ちゃんの物言いに幾許いくばくかの違和感を感じた。手紙の件があって、やや疑り深くなっているのかもしれない。

 楓ちゃんは性格もいいし、社交界でもそこそこの立場のある家の子だ。絶対無いとは言いきれないが、あまり疑ってしまうのも客観性を失ってしまうか。そう思い直して、楓ちゃんに笑顔を返す。


「大丈夫大丈夫。誘拐なんてした日には、華名咲の総力挙げて実力行使に至るから、そんな命知らずは普通いないでしょ。裏稼業の人間ならもう二度とそっちで仕事できなくなるし、表稼業ならなおさらだもんね。軍隊でも動かさなきゃ華名咲には対抗できないって。あははは」


 大凡おおよそ女子高生が語っている言葉には聞こえないだろうが、実際には恐らく軍でもそう簡単には対抗できないはずなんだけどね。色々と圧力かかると思うから。俺としては乾いた笑いしか出ない。願わくばうちの家族に手を出すような無茶な人間がいないことを願うばかりだね。主に相手の人生のためにさ。


「あは、あは、あはははぁ〜」


 さすがの楓ちゃんも、返す言葉を失った様子で笑顔を引き攣らせている。万が一手紙の主が楓ちゃんだったとしても、これで変な気を起こす気も無くなっただろう。楓ちゃんはそんなことしでかすような子じゃないとは思うが。


「おっはよー」


 些か乾ききった空気になっていた二人の間に、潤いを与えるような緩い空気感を持った友紀ちゃんの登場だ。普段なら鬱陶しい限りだが、何となく空気を変えたいこんな時にはありがたい。


「おはよう、友紀ちゃん。今日も脳天気だねぇ〜。あ、違った。いい天気だね〜」


「ちょっと。夏葉ちゃん、最近わたしの扱い酷くない? かわいいから許しちゃうけどぉ〜」


 と言ってまた抱きついてこようとしたので、当然のごとく予想していた俺はすんでのところで身をかわした。見事に空振りした友紀ちゃんの両腕が、ジャキンと音を立てて交差する剪定鋏か、あるいは敵に向かうクワガタの顎角のように交差して空を切った。危ない危ない。あいつにやられたらまた意識を失いそうになってた所だ。そうだな。今のところは通常通り。何も問題はない。引き続き注意を払いつつも、疑心暗鬼にはならないようにしなくては。

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