5話「花屋のティニー」
「……はぁ、良かったぁ」
アークスはその場にぺたりと座り込んで、ほっと胸を撫で下ろした。あの巨漢と正面からまともに打ち合ったら、アークスに勝ち目は無かっただろう。
「お兄ちゃん!」
少女は嬉しそうにアークスに小走りで近づき、アークスに抱きついた。アークスは、自身の細身の胴に、幼いながらもしっかりとした、少女の力を感じ取った。
「ふふふ……いい子だね。もう大丈夫だから。……僕も、もう大丈夫だな。あんなに体格の大きな人が凄んできたから、一時はどうなることかと思ったけど……」
アークスは、少女の気が済むまで抱きつかせてやった。少女が手を解き、笑顔でアークスを見上げた時を見計らって、アークスはそっと、花束を少女へと渡した。
「はい、これ」
「ありがとう、お兄ちゃん!」
お礼を言って、花束を受け取り、身を翻して走っていく少女を見るアークスが、ある事に気付いた。
「あっ! 待って!」
「……え?」
少女は足を止め、怪訝な顔つきをしながら、アークスの方へ振り返った。
「お花、折れちゃってるよ」
「あ……」
少女は花束に目を移した。すると、花束の五割くらいの花の、丁度真ん中あたりの茎が、ぽきりと折れ曲がっていた。
「あー……でも、大丈夫だよ。これくらいなら」
「いや……ほら、茎の部分だから心配だよ。花瓶にいけるぶんには大丈夫だろうけど……」
アークスが、少女の持つ花束の近くに寄って、まじまじと花束を観察する。折れているのは花の部分に至る長い茎の部分だ。これでは折れている部分が目立ち過ぎる。綺麗な花束が台無しだ。
「こんなに綺麗に装飾されてるってことは、贈り物だろ? だったら、折れてちゃ良くないよ」
「でも……」
少女が花束を見直した。確かにアークスの言う通り、茎が折れて、ラッピングの方も中ほどから、ぐにゃりと曲がっている。全体的にも皺が目立つようになってしまっている。
「どこで買ったの? お花屋さんに、買い直しに行こう!」
「え……でも、もうお金も無いし……」
「そんなくらい、僕が払うから、ほら、さあ!」
アークスは、少女の手を掴むと、強引に少女の手を引いて歩きだした。
「あ……待って……」
少女が足を踏ん張らせて、アークスの腕を逆に引っ張った。アークスは、無理矢理少女を連れて行くわけにもいかないので、その場に踏みとどまり、少女に応えた。
「……うん?」
「お花屋さん、逆だよ」
少女はそう言うと、アークスの進む方向とは逆の方向を指差した。
「ああ、そうなんだ……」
アークスと少女は互いに手を繋いで、少女の案内によって花屋へと向かっていった。
「ティニーの所か……」
少女に連れられて花屋へと着いたアークスは、見慣れた風景を見て呟いた。
「来たことあるの? お兄ちゃん」
「まあ……一応。お店の人、知ってるんだ」
「知り合いなんだ?」
「いや、知り合いってほどじゃないけど。……すいませーん! ティニー!」
アークスが花屋の中にティニーの名前を叫んだ。花屋の壁の大部分はガラス張りで、昼間なら明かりが無くても、店内の大部分が明るくなっている。なので、アークスは花屋の中、奥の方に、ティニーという店員が居るのを確認できたのだ。
「あら……アークスじゃない」
花屋の中から青い瞳、茶がかった黒髪の、アークスと同じ年頃の少女が出てきて、アークスを見るなり言った。
「やあ、ティニー」
「どうしたの? 今日は出勤しなくていいの?」
「いや、そっちもしなくちゃだけど、今は……ほら、これ」
アークスが花束をティニーに見せた。
「あ、これ……」
ティニーの目に、無残に折られた花と、くしゃくしゃの包み紙が映った。ティニーは悲しそうに、そっと花束に触れた。
「ごめんなさい……」
女の子が申し訳なさそうにうつむいた。ティニーは女の子に少し体を近寄らせて屈むと、女の子の頭を手で触れ、ゆっくりと撫でた。
「いいのよ。何か訳があったんでしょう? 待ってて、新しいのをこしらえてあげるから」
ティニーが女の子を、優しく三度撫でた。
「すまないな、ティニー」
「アークス……また、いつものお節介なのね?」
ティニーがため息混じりに言った。ティニーとアークスは最近見知った仲だが、一度出会ったが最後、その後、この花屋に絡むことがやたらと多くなり、アークスはこの花屋に何回も足を運ぶことになっていた。冠婚葬祭や、この少女のように、ちょっとした贈り物等、この花屋は、意外とこの辺りの人に関わりが多いものだと、アークスはしみじみと思った。
「あ……ま、まあ……そんなところだけど……」
アークスが思わずたじろいだ。会ったそばからお節介だと決め付けるのは、普通だったら強引だと思うが……アークスの場合、それに反論できないのだ。
今回みたいに、何かしら人を助ける事は、珍しくない。ただ、この花屋には、その人助けの過程以外の目的で来たことがない。またお節介かと言われても、仕方が無い。
「ええと、これ、お金……」
アークスは、チュニックの腰の辺りに付いているポケットから、茶色い布袋を取り出し、更にその中から金貨を取り出してティニーに渡そうとした。
「いいよ。アークスがお節介焼いてるって事は、悪い理由じゃないってことでしょ?」
ティニーはアークスに呆れた様子で一回だけ溜め息をつき、長い髪をふわりとなびかせながら踵を返すと、店の中へと戻っていった。
「ふう……なんとかなったか……良かったね」
アークスが女の子に微笑みかける。
「うん!」
女の子は、こくりと頷いて、アークスに満面の笑みを見せた。それを見たアークスは嬉しく思い、ついつい自分の顔にまで笑顔がこぼれてしまった。
「アークス!」
アークスが店内からの声に反応すると、ティニーは既に店の中から出てくるところだった。手には花束を持っている。勿論、真ん中が折れた花束ではなく、綺麗な新品の花束だ。
「あ、ティニー、早いね」
「もう、満足な顔しちゃって! はい。今度は折らないでね!」
ティニーは手に持った花束をアークスに渡した。花束の花は萎れていずに生き生きとしていて、紙には汚れの一つも無く、また、皺も無い。
「うん、ありがとう。へえ……綺麗だな」
アークスは、ティニーから花束を受け取ると、それをまじまじと見た。あの巨漢によって、ぐしゃぐしゃにされてしまった状態とのギャップのせいか、凄く美しく見える。
「あの、アークス? その花束……」
「ああ、そうだよね」
ティニーの声で、花束に見とれてしまっていたアークスは我に返り、花束を少女へと渡す。
「ありがとう、お兄ちゃん。今度は気を付けるから! あんな人が来たって、この花束は絶対守るんだ!」
花束を受け取った少女は花束を両手で、半ば抱えるようにして、しっかりと握り締めた。
「ふふ……しっかりと持ちすぎて、自分で折ってしまわないようにね。さっきみたいに怖い人に絡まれた時は、近くの騎士や、居なかったら近くの人に助けを求めるんだよ」
「うん! 分かった! お兄ちゃん!」
「よし、いい子だね」
アークスは少女の頭を撫でた。
「……」
ふと、アークスは不安になった。さっきの巨漢は追い払ったけれど、この少女の行く道は、途中までは知っている筈だ。だったら、さっきの恨みとか、もう一回同じ道を通るチャンスを狙って、待ち伏せされていたりするかもしれない。もし、そうだったら、大変だ。
「……やっぱり、僕も一緒にお婆ちゃんの所に行ってあげるよ。途中でまた、何かがあると大変だから」
「え……ち、ちょっとアークス、お勤めはどうするの? 遅れちゃうよ!?」
ティニーはアークスの言葉を聞いて、慌てた。もう騎士の出勤時間はとっくに過ぎているのだから、これ以上遅れたら大目玉が待っているのではないだろうか。
「ああ、そっか……いや、でも、さっきの事も心配だしなぁ……これ以上遅れると、確かにまずいかもしれないけど、仕方がないよ。もし、何かあったら大変だし。それに、おばあちゃんの家の場所はここに来る途中に聞いたけど、丁度お城に行く時の通り道だから、送っていかなくても、お城に着く時間はそれほど変わらないと思う。でも、急がないと! じゃあ、ありがとう、助かったよ」
アークスと少女は、ティニーに手を振りながら、ティニーの花屋を離れていった。
「アークス……本当に大丈夫かな?」
今から急いでも間に合わないことは確実だ。しかし、ティニーも、間に合わないとはいえ、急いでいるアークスを引き止めるわけにはいかない。少女と一緒に歩くアークスを、ティニーは心配を胸に見守るしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます