新カチカチ山

@YuzuruShirakawa77

第1話

「おい、吉川金融、ちょっと来いや」

 吉川等は番長の木村元気に胸ぐらをつかまれた。いつもの事だ。長く伸ばした茶髪の生徒がふざけあっている廊下に引っ張り出されると、「金出せ」と言われる。

 吉川は身長が低い、ドングリみたいな顔をした大人しい中学二年生だった。家が貧しいので新聞配達をしている。それに目をつけて、木村は彼に金をたかっているのだ。木村は校内でかなうもののない強面番長だった。自称空手三段という腕で、同じ不良であろうと叩きのめす。父親は宇治の補給基地の将校ということだったが、その父親に殴られたからこうなったんだと、彼は常々言っていた。

 「何で俺から金を取るんや」と吉川は言いたかった。だが、言えばこの間みたいに鼻を折られる。彼は地元の公立高校二類を目指して勉強中だった。働いているのに、成績は割と優秀だ。特に英語の点が良い。といったところで、外国人と会話をしたことはなかった。

 「一万円、あります」

 彼は財布から一万を抜き出した。これを恐喝罪というのだと、彼はネットで知った。この間、鼻を折られた時、家に父親から電話があった。「私はあいつを信じていますから」と言って、治療費は少し、ちょうど一万しかくれなかった。一万円を稼ぐのにどれだけ働かなければならないか、この阿呆番長の親にはわからないのだろう。そう思って、猿にバナナをやる気持ちで彼は一万円を差し出した。もちろん、表面上はうやうやしく。

 「少ないやんけ、コラ」木村はそういって彼の顔面にビンタをした。吉川は頭から廊下に倒れた。

 木村は身長の高い、あばた面のゴリラのような顔だ。このキングコングは、知能は低いのに悪い事をするのにかけては頭が回る。これまでに四人ばかりボコボコに殴って、一度も補導されたことはない。ちなみに彼のいる京都四中は旧制のナンバースクールだったが、今では学級崩壊ナンバーワンの学校だ。いじめられっ子は点を取ったら不良から殴られる。

 「い、今はこれだけしかないんです」

 吉川は土下座して頭を廊下にすりつけた。

 俺は奴隷じゃない。お前らのATMじゃない。自分で必要な金ぐらい新聞配達でもして稼げよ…吉川はそう言いたかった。

 「おう、じゃあ明日、もう一万貰おか」

 ヒ―、何言ってんだこの番長は。俺がコツコツ貯めた小遣いを何だと思ってるんだ。

 その意志とは真逆の言葉が吉川の口から出た。

 「持ってきます。助けて下さい」

 「おう、待っとるわな」

 このままじゃいつまでもATM代わりだ。でも、卒業するまでは何とかガマンしないといけない。先生にチクっても、倍返しされるだけだ。この間、桜井という別のいじめられっ子が職員室に駈け込んだ。ところが、木村も職員室に呼ばれた。だが、一時間後、桜井は木村に教室で顔面を殴られて机に激突。それきり学校に来ていない。

 「高校進学まで、ずっとガマンか…もう限界やな俺」

 そう心の中で呟いて、彼はまた教室に戻った。教室に戻っても彼の居場所はない。

 「また勉強バカが来たで」女子の何人かがヒソヒソ声で話をする。「あいつクレタケはよ行ったらええのに。今度の棒倒しでクレタケ行かせてって、木村君に頼もか」

 女子のひとり、田井という女が彼の机を足蹴にした。「何やってんの、ガイジ。ここはあんたのいる場所とちゃう。はよヨーゴ行き、ヨーゴ」

 「家の生活もあるのにヨーゴなんか行けへん」と彼は田井に答えた。

 「お前の貧乏親なんか、お前と一緒にくたばっちまえ。今度、木村君に頼んで、お前をヨーゴにして貰うから覚悟しいや」

 吉川は背が低くて、腕力がない。勉強は出来るが体力はクラスでビリだった。体育でもいつも教師からからかわれている。そういう状況なので、体育館でズボンを下ろされても文句が言えないのだ。

 「そういうのを傷害というんやで。傷害の非行事実で木村も少年院送りや」

 彼は心の中でそう叫んだ。


 数学の授業が始まっても、生徒たちはきく耳を持たなかった。二次関数の曲線の上を紙ヒコーキが舞い飛び、教師は黙って板書をしている。

 「先生、こいつの頭に爆弾を落とすにはどうしたらいいですか?弾道計算のラプラス関数を教えて下さい」よりによって吉川を指さして、掛川という不良が言った。掛川は頭がいい。クラスでも一二を争うイケメンで、栄光学園という名門塾に通っている。

 「ラプラス関数はまだ早い」と教師が呟いた。

 弾道計算は難しい。対気速度から重力まで考慮に入れなければならない。だから現代では射撃統制装置が内部のプログラムで全てを行う。もし吉川の頭を吹き飛ばしたければ、爆弾より拳銃を使った方が早い。マカロフで頭部を一発撃てば始末がつく。「あとは溝に蹴り込んでションベンをひっかけるやろな」と吉川は自虐的に考えた。

 数学の時間が騒ぎで終わり、体育の時間の前になった。この学校では着替えの時間にもいじめがある。女子は別の教室で着替えをするのだが、その着替えをスマホで撮って来いだとか、ズボンを下ろしてオナニーをしろだとか言われる。彼が着替えていると、さっきの掛川が前に来て彼の頭を殴った。

 「こら、ガイジ、チンポ出せ」

 「嫌です」と吉川が言った。掛川はいきなり吉川の後ろ襟をつかむと、山嵐の大技で床に叩きつけた。そしていきなり股間に足を振り下ろそうとする。

 「やめとけ、ネンショウ行きになるぞ」

 木村が傍に寄って来て注意した。掛川は、ひっくり返ったいじめられっ子のひきつった顔を見て笑うと、スマホで写真を撮り、「さっさと着替えせい、このアホ」と言った。


 体育の時間は地獄だった。どんなに一生懸命走ってもビリなので、教師は「コラ、アホ、はよ走れ」を連発した。「ガーイジー、ガーイジー」と他の生徒がはやし立てても、注意すらしない。山嵐で投げられたために頭から血を流していても、彼は保健室に行く事さえできずに体育の授業に参加した。それが終わると、やっと保健室に行けた。保健室でも、係の教師はあきれ顔で手当てをする。

 「吉川君、またやられたん。一回、仕返しし、仕返し」

 「仕返ししたら俺、殺されるで」

 いつの間にか日が暮れかけていた。彼は頭に包帯を巻いて、夕暮れの道をとぼとぼと歩いて新聞販売店に向かった。

 

 新聞配達は普通、二時か三時には始まる。自転車をこいで決まった家に新聞を投函し、店に戻ると四時半だった。店主は新田という、五十代の肥った男だった。周囲には中高年の男性が多い。

 「吉川、今日もよう頑張っとるな。新聞配達のエッセイに投稿して見いひんか?それに、若者を考えるつどいの投稿情報もあるで」

 お疲れ様ですのあいさつをしに行った吉川に、新田はそう言って新聞の切り抜きをくれた。

 「また怪我させられたし、どうせ僕には通りません」と吉川が視線を下げて言った。

 「まだ中学生やのにそんなこと言うな。とにかく通っても通らんでもいいから書いてみい。もし通ったら、十万円を有名なジャーナリストから手渡しで貰えるで。もちろん祝賀会付きでや」

 「お前も、そろそろ何かでやり返さんとな」横からしょうゆ顔の中年男性が口を挟んだ。「とにかく四中は危ないから、金がなかったら公立の進学校行くか、職業訓練校に行って技能検定を取るか。お前、知ってるか?特級の技能検定を取ったら、職業訓練校の先生になれるんやで」

 職業訓練指導員制度―特級技能士と単一級技能士はそういう指導員になれるのだ。それは彼もネットで知っている。

 「英検の2級、取ろうと思ってるんです」と吉川は言った。「高校の推薦でポイントが高いんで」

 「ネットがあるんやったらキャセックいう試験があるで」と新田が言った。「コンビニ払いで、パソコンから受けられる英語の試験や。スコアレポートはかなり威力がある。俺の娘は、あれでとんでもないエエ会社に通ったんや」

 「凄いですねえ」と彼は返事した。「で、何点やったんです?」

 「千点中八百五十点や」

 「そりゃまた凄いですわ」

 彼は半分お世辞、半分本当に凄いという気持ちで高木にお辞儀をして新聞店を出た。

 

「どうせ世の中は強いもんの勝ちや。お前は弱いからいじめられるんや。とにかく何があっても学校に行き続けろ。でないと桃山学園に放り込むからな」

 ビールを飲みながら父親の正はそう言った。正はトラックの運転手で、息子である等には勉強しろとうるさい。自分が高校にも行けなかったから、等にはどうしても有名な大学に行って欲しいのだろう。

 「英検はどうなってん?2級を受けたら高校で推薦貰えるやろ」

 模試の結果を等は父親に見せた。判定は「A」だった。

 「これで気を抜くなよ。最後まで頑張って2級を取ったら、琵琶湖に連れてったる」

 いや、琵琶湖なんかいいんだ。いじめられる学校から逃げ出して家で勉強に集中したいのだ。そうすれば、金さえついてくれば洛星でも洛南でも行ける。二級の判定がAなので、彼は夕方店主が言っていたキャセックを受けてみようかと思った。幸い、明日は土曜で学校がない。配達を終えたらコンビニで手続きしよう。そう思いながら彼は狭い階段を上がり、金をためて買った英語ではなく数学の参考書を開いた。

 

次の日が土曜日なのが彼にはチャンスだった。新聞を配り終えると、家に戻ってネットでキャセックという試験のことを調べた。CASECという、英検の実施団体がしている試験だった。ホームページに載っているコンビニ払いの手続き通り、近くのコンビニで払うと、彼は家まで走って帰って試験を受けた。試験は全てパソコン上だった。音声を聞き取る問題や文法の問題があって、ラジオボタンをクリックして回答する。制限時間内に解答できないと次の問題に行ってしまう。わけもわからないまま、テストが終了した。

 Webテストの点数は意外に良かった。CASECは満点が千点で、彼の点数は七二五だった。TOEICに置き換えると八〇〇点以上になる。スコアレポートはすぐ印刷できるよう、PDFファイルでダウンロード可能になっていた。試験時間は四十五分。全ての手続きが終わるのに一時間しかかからなかった。

 「母さん、凄いで、俺、こんな点数取ってん」

 狭い家の二階から、緑色の枠で縁どられたスコアレポートを持って彼は駆け下りた。

 

「配達は朝早いやろ?勉強は大丈夫なん?」

スコアレポートを見て高木は肥った肩を揺らした。土日の配達は隔週で回って来る。

「何とかやってます。でないと、生活大変ですし」

「そのスコアやったら私立でも奨学金が出るとこあるで」

「できれば公立に行きたいです」

 前日、家族をびっくりさせたことを彼は高木に話した。父親は飛び上がって喜び、パートでいつも疲れた顔の母親は「何て点数なん。ほかの生徒に見つからんように、先生に書留でコピー送らなあかんな」と言った。配達を終えて帰る途中、彼は通っていた小学校の近くの坂で小学校時代の同級生にばったり会った。同志社中学に行っている北川という女の子だ。ふっくらした色の白い子で、同級生からはクラスの女子で一番賢いと言われていた。同志社のアーチェリー部にいると聞いたことがある」

「顔、また怪我してるやん、吉川君。まあ、自転車降り」

北川はそういって彼を近くの電信柱のところまで連れて行った。

「俺、これだけの点数取ってん。親は学校に行け、行けとうるさいけど、何とか高校の推薦取って、ええ高校に行っていじめられんようになりたい」

スコアレポートを見て、北川は「これ大変やん。CASECで七二五なんて、私でもなかなか取れへんわ」

そう言うなり、北川はいきなり唇を重ねてきた。吉川はびっくりしたが、すぐに背の高い彼女の身体を受け止めて、舌を絡め合う。吉川の背中が電柱にぶつかった。そのまま電柱に押し付けられながら、彼は北川の口の甘い香りを堪能した。ややあって北川から身体を離した。

「キス、上手いね」

そういうと北川は少し黙ってから、得点を他の生徒に知られんようにしいや。学級崩壊の学校やと死ぬことがあるし」と、吉川の目をじっと見つめて言った。近くを初老の男が通り過ぎていく。その足音だけが、いやに大きく響いた。

「わかった」

 口の中の、北川の甘い香りをどう扱っていいものか戸惑いながら、等は再び自転車に乗った。


 日曜日は数学と社会の勉強に明け暮れ、月曜日が始まった。

 教室に入るなり木村は「一万」と手を差し出した。言われるままに彼が万札を差し出した。それからしばらくして、不良どもが教室で騒いでいる間に、彼はクリアファイルに入れたスコアレポートをそっと職員室に持って行った。

「これはすごいスコアやな」

英語の担当の梅木という、ややしゃくれた顎の教師が言った。「TOEICとの比較で八〇〇やから、頑張れば私立の推薦も通れるで」

「教室では発表しないで欲しいんです。不良に殴られるし」と吉川は言った。寄木細工の床に目を落として、梅木がつぶやくように言った。

「殴られっぱなしでは何もできん。技術室から工具を持ちだしてでも、仕返ししたらなあかん。もっとも傷害事件なんかになったらかなんから成績は伏せとくけど、いずれ広まるで、これ」

「広まったら、ほんまに殺されます、僕」

「その時がチャンスなんや」と梅木が言った。「机か椅子で殴り返して職員室に逃げ込め。成績が原因のいじめやカツアゲはよくある話やから、反撃したかて多少のことでは問題にならへん。万が一失敗したら、その時はその時や。成績と心中せい」

この先生、悪魔や。吉川はそう思った。成績表と一緒に死ねだと?なら自分が死んでみるがいい。不良に死ぬまで殴られて顔がサッカーボールみたいに腫れ上がって死んだらいい。地獄の泥のような思いを胸に隠して、吉川は「噂になったら、やってみます」と言った。


水曜日の一時間目は英語の時間だった。

梅木は、生徒たちが礼をした後に、「吉川君がこんな点数を取りました」と言いながらCASECのスコアレポートを見せた。そして、「普段、目立たない彼やけど、みんなこれからは一目置いたってや」というと、「吉川、こっちに来い」と教壇に立たせた。

「何か言え」

「こんな、いい点数を取れるなんて思ってませんでした。これからも努力して、ええ高校に入れるようにしたいです」

「こらアホ川、なに恰好つけとんねん」

前の席から掛川が野次を飛ばした。女子が後ろでクスクス笑っている。

「アホと言った掛川君、これだけの成績が取れるんか?取ってから言いなさい」と棒読みの口調で梅木が言った。

「先生、こいつアホなんです。こんなスコアレポートなんて破いて捨ててまいましょ」

そう言うと、掛川はいきなり立ち上がって吉川を突き飛ばすと、梅木の手からスコアレポートを奪い取って破った。

「おい、お前何すんねん」

梅木がそう叫んで掛川の襟首を掴んだが、ふり飛ばされて黒板に頭をぶつけた。そのまま崩れ落ちる梅木の腹を思い切り蹴り上げると、掛川は木村に「このガイジ、始末しよ」と声をかけた。木村は薄笑いを浮かべて立ち上がると「焼却炉へゴーゴーカレーや」と言って、吉川の後ろ襟を掴むとそのまま教室から出て行こうとした。

「焼却炉だけはやめ、殺人になるで」

田井が横から注意した。

「うまくやったらええねん、うまくやったら」

木村はそう言うと、掛川に「クラスの奴が抜け出さんように見張っとけ。俺が始末をつける」と笑いながら言った。そして、吉川の顎をアッパーカットで殴り、さらに廊下に叩きつけた。

「落としてから料理したるわ」

そういうと木村は、吉川の首を掴んでそのまま引きずっていった。


「点なんかとりやがってテメエこの野郎!」

運動場の端にある焼却炉の前まで吉川を引きずって来ると、木村は吉川の顔にビンタをくらわした。吉川の目があいた。

「ほら、ここがお前の墓や。お前は、俺にいじめられるのが怖くなってここに飛び込んだ。そういう事になるわ」

そう言いながら番長は等の後ろ襟を掴むと、また地面に叩きつけた。続いて、腹を思い切り踏みつけた。そして、半分気絶した彼の身体を、焼却炉の中に放り込もうと持ち上げた。

「わ、どうなってんねん」

 どこから火が出たものか…火だるまになったのは何と、木村の方だった。炎が勢いよく怪物番長のあばた面を焼き、それが制服にも燃え移ったのだ。化繊の制服だから燃えるのは早い。あっと言う間に炎に包まれて、木村はわけの分からない叫び声を上げながら校庭の真ん中へと走って行った。

「ヤッター」

口から血を流しながら吉川はそう言って笑った。そして、痛む胃を押えながら職員室に駆け込んだ。

「木村君が焼身自殺しました。いま、運動場にいます」

「何?」

教師がそう言って窓の外を見ると、火だるまで地面を転げまわっている人間がいた。そして、目の前の吉川もボコボコに殴られている」

「君が、放り込んでへんのは確実やな」

そう言うと、教師は「いま見たやろ、焼身自殺や。えらいこっちゃ」と言いながら、他の教師数名と職員室を駆け出して行った。職員室には、だれもいなくなった。

「不良番長はあれくらい懲らしめてやらなあかん」

 そう言ったとたん、彼の胃から吐瀉物があふれ出してきた。彼はあわてて職員室の流し台に駆け寄ると、真っ赤な吐瀉物を流し台に吐き出した。

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