30 勇気の価値は
三戦目の開始時刻はとっくに過ぎていたが、戦闘は全く収拾がついていない。
客を避難させ、がらんとした修練場に残っているのは校内戦の参加チームと真っ赤になった灰簾柘榴、そして自鳴琴から召喚されてきたカリヨンだけだった。
《前代未聞ですぞ! いかなる理由があれ、私の声かけもないままに試合を始めるなど!! マイナス十カリヨンポイントッ! ……いいえッ、マイナス百カリヨンポイントですぞっ、マスター・オガル殿!!》
「ああもう、いくら非常事態とはいえ我を失い過ぎです! 他の先生方も、何を冷静に構えているのですか!」
教師たちは傍目には冷静に事のなり行きを見守っているように見える。
ただしマスター・カガチは剣の柄に、サカキは杖に手をかけ片手で宝石をじゃらじゃらと弄んでいる。それを冷静、と言えるならば、だが。
「……そろそろ潮時でしょう」
オガルの祈祷はよく効果を発している。天藍やウファーリの動きは精彩を欠き、とても見ていられる状態ではない。
一歩、進み出たテリハはカガチに止められた。
「もう少し待とう。このままではオガル先生も落としどころが見つかるまい。それにお前たちも気になるはずだ。突然現れた教師が何者で、何をなす者なのか……」
深緑の瞳は戦いの場ではなく修練場の裏口、資材搬入口のほうを見ていた。そこには通常の入り口ではなく、大きな物を運びこめるよう、両開きの扉がついている。
扉がゆっくりと音を立てて開いていく。
ちょうど光を背にして、輝かしい英雄の登場のように手に黄金の杖を携えた彼が戻ってくる。
テリハはまじまじとその姿を見つめ、何とも言えない微妙な表情を浮かべた。
入口から入ってきたのは、マスター・ヒナガと――奇妙な二足歩行の生物だった。
ずんぐりとした明るく目に痛い黄色の毛に覆われた体躯。モコモコとして丸みを帯びた手足、そして体の大きさと明らかに釣合いのとれていない、でかい頭。しかも頭にはだらりと顔の両側に垂れた茶色の耳がついている。白目と黒目の二色に塗り分けられた楕円の瞳は、顔の三分の一を占める不自然な大きさだ。にっこりと笑顔で固定された赤い口と、ひょうきんさを演出するために口元から上向きに出された舌が、文句なしに不気味だ。
つまり、それはどう見ても着ぐるみなのだった。
「あれは誰なんですか……裁定者カリヨン……?」
サカキが茫洋とした声で訊ねる。
カリヨンはキュッと不快な音を立てて、頭部の金属面を指で撫でた。
《え~っと、確かに登録はお済みですが……ええ。カリヨンはより愉快な実況中継の円滑な実施のために登録者の情報を逐一収集しております、それこそ電子・魔術の区別なく通信網上、女王国のあらゆる情報基盤に違法接続いたしまして……》
「おっと、あからさまに……問題発言ですね……」
《ですが、着ぐるみの方の情報は多重防御がかけられ、名前はおろか住所経歴性別趣味人種、病歴決済情報と、およそすべての女王国の誰にも閲覧できないように秘匿されているのであります。これじゃ、どこにも存在しない幽霊のようなものですぞ》
やれやれ、という風に肩を竦めてみせる。
サカキは真顔のまま首を傾げる。
「ふむ。司法か政府権限による経歴抹消が疑わしいところです……今回の試合には最適の人材だ……そうでしょう、カガチ先生」
誰にも経歴のわからない人物ならば、占うための情報を入手することはほぼ不可能だ。
「理由はそれだけではなさそうですがな」
カガチはひっそりと言って目を細めた。
~~~~~
顔を上げると、ゴーグルをかけた横顔がある。
赤茶の髪が風になびいている。
巨人にすり潰される寸前に助けてくれたのは、図書館の警備員、イネスだった。
「中継見てたら嫌~な感じの騒ぎになってたんで、来てみました!」
大型バイクは巨人と十分に距離をとるまで走り続け、それから僕を地面に下ろした。この試合がどこかで公開されていたとは知らなかった。
「――先生、仲間を置いて敵に背を向けるなんて、感心しませんよ!」
ゴーグル越しではあるが、丁寧な口調とは裏腹にイネスが本気で怒っていることが伝わった。
でも、と言いたいのをぐっと堪える。
「……ごめん。僕の力不足だったんだ」
僕は彼の過去を少しだけ知っているから、この件では言い訳をしたくはなかった。
……ん? 待てよ。
そこで、僕の脳裏に妙な案が閃いた。
「イネス、グローブ脱いで手を出して」
「手?」
素直な青年は、少し小首をかしげつつ、右手を差し出した。
僕は躊躇いなく首から提げた小さな剣で掌を刺した。
そして僕は修練場に戻ってきた。
途中、打ち捨てられて転がっていた客引き用の着ぐるみを頭からすっぽり着せた警備員イネス・ハルマンと共に。
小さな剣には、赤茶の宝石が加わっていた。
「何なんですかこの格好! しかもいきなり参加させられることになってるし!」
イネスは地団太を踏んで怒っているが、着ぐるみの大雑把な動きのせいでどこか愉快で面白げな動きになっている。
「あいつはおそらく占い界最強の男だ。占い殺されたくなかったらその着ぐるみは脱がないほうがいい。……自分でも何言ってるのかわからないけど」
でも本当のことだから仕方がない。
顔や仕種が見えてしまえば、占いを正確なものにしてしまう。
「頼れる人が君しかいないんだ。これからはチームメイトと思って対等にいこう」
「仕事じゃなけりゃ殴ってるところだ、このクソガキ」
「だよね。楽しい本音をありがとう……」
黒曜に雇われているという点以外では善意の部外者を巻き込むのは心苦しかったのだが、他に方法が無い。これで、またひとり心優しい人の信頼を失った。
真剣にがっかりしていると、急に伸びて来た黄色い腕が急に僕の頭を引き寄せた。
「あんたと天藍団長にはちっとばかし借りがある。俺は魔法の槍でもなんでもないナマクラだが、使い道があるんなら好きに使え」
「!」
「なるべく上手に使ってくれよ、先生」
反対の腕が槍をくるりと回す。細長い柄の先端に刃。
槍だが、ただの槍ではない。持ち手のところにレバーと、刃の付け根に装置が取りつけられた
めちゃくちゃかっこいい……着ぐるみだ、と思った瞬間、顔面の制御が崩れ半笑いになってしまう。
「天藍、ウファーリ! 今から……ええと、こちらの暫定ポチ君の援護をしろ!」
呆然としているウファーリ達に指示。
「なぜ俺がお前の悪ふざけに付き合わなければいけないんだ!」
巨人の腕を押さえこみながら、天藍が叫び返す。
その手が水で滑り、地面近くを渦巻く大量の水の中に逆さまに落っこちた。
すぐに周囲が凍り付くが、竜鱗魔術師の桁外れの生命力と膂力で氷を叩き割り、這い出てくる。全身氷塗れで、哀れみとおかしみが同居した趣のある光景だ。
笑ってる場合じゃないけど。
「ポチ君、やってくれ!」
着ぐるみが動く……背後にあって全く姿が見えなかったバイクが出てくる。
のっそり、のっそりとした仕種でスタンドを外し、跨り、エンジンをかける。
「ごめん、ウファーリ、力を貸して!」
声をかけると、グラグラ揺れる着ぐるみの体とバイクが突然、安定した。
オガルの魔術から跳んで逃げながらも、ちゃんと意図を察してくれたみたいだ。
「アタシに誘導しろってことだな!? ――行けっ!」
ウファーリが海音を使ってバイクを操作しているのだ。
バイクが巨人に向かって走り出す。
巨体とすれ違い様、ポチ君は武器を構えた。
レバーを引くと刃が白く発光し熱を発し、刃が触れた箇所を高温の水蒸気の尾を引きながら両断していく。
「――よし!」
オガルに向けた魔術は、占いの効果で不発に終わったり、届かないことが多い。でもイネスに向けた力は確実に本来の効果を発揮している。
だが、オガルの力は運勢操作だけじゃない。
着ぐるみとバイク目がけて、水と氷の奔流が地面を走っていく。
正面衝突……寸前に、地面に花弁のような白い鱗が突き刺さる。
僕の隣で、天藍が剣を振るっていた。それを合図に純白の結晶が花開き、一瞬で成長する。バイクを下から持ち上げて、通路を作り上げていった。
バイクは次々に形成されていく白い空中回廊を疾走する。
操り人形のごとく翻弄されるイネスの悲鳴がここまで聞こえてくる。回廊は華麗に空中一回転を極め、左右に大きく蛇行しながら巨人のほうへと向かっていく。
本当に、悪かった。ごめん、イネス……。
このときばかりは、僕も罪悪感でいっぱいだ。
巨人が走り回る鉄の馬を捕まえようと、巨体を躍らせる。両手が進路を砕き、バランスを崩した運転手が空中に放り出された。
「待て」
ウファーリが海音を使って浮かせようとするのを、天藍が止める。
着ぐるみは恐るべき身体能力で体勢を整えると、槍を頭上に構え、素早く穂先を下へと動かした。
落下の速度をのせたまま肩口を切り裂き、水蒸気を浴びながら両足で地面に着地。
大上段に構え。
前進しながら、刃をふり下ろしていく。回転の軌道で翻りながら斬り、突き、再び払う。巨人を切り裂きながら間合いの奥深くに潜りこむ。
回転する刃が氷の粒を散らす。
僕の動体視力では何が起きているのかわからないまま、刃が右足に食い込み、止まるのが見えた。
その瞬間、ウファーリが海音を発動。
人間の膂力だけでは不可能な力で刃が向こう側に抜けていく。さらに左足まで真一文字に切り裂き、後方に倒れていく氷の塊の下を、水蒸気を切り裂いて黄色の着ぐるみが抜け出てきた。
「ぐぬぬぬぬ……!」
ウファーリは見たこともない形相になっていた。
イネスの動きを邪魔しないよう、かつ魔術に合わせて細心の注意を払って海音を使い、必死に着ぐるみを操っているのだ。
「ウファーリ、今の動きが限界か?」と、天藍が訊ねる。
「うるせっ、まだまだ実力の半分も出してねーよ、こんなもん!」
あからさまな強がりだった。
おそらく、それが彼女の限界だ。ウファーリが繊細な作業に向いているとはとても思えない。
「そうか、では必死に逃げろ。俺からな」
だが、空気読めない男選手権の優勝候補である天藍は、止める間もなく竜鱗を放った。
天藍と倒れた巨人、着ぐるみまでの間に等間隔に刺さっていく。
「四の竜鱗、《
三海七天の奔流のような魔力が走り抜け、地面を純白に染め上げ、一気に結晶化させていく。結晶化したの地面が途中に撃ちこんだ鱗の楔で弾けるように急成長。
見上げるほどの結晶の塊を作り出し、巨人の胴体を微塵に粉砕する。
着ぐるみが華麗に……片足で地面を蹴り、無茶苦茶な後方宙返り四回転半して回避。あと一歩遅ければ巻き込まれて結晶化していただろう。ただし今も中身が無事かどうか、保証はない荒技だった。もう申し訳なさすぎて戦闘領域をまともに見ていられない。
「ちょッ……何してんだ! 天藍、バカ! 死んじゃうだろ、竜鱗バカ!」
天藍は蒼白な顔をしたウファーリに肩のあたりを掴まれ、がくがくと揺さぶられている。
「殺すつもりでやっている。死ぬ気で避けろと言ったはずだ」
その瞳は竜を見つめる騎士のそれだった。
さらに、着ぐるみの着地点まで竜鱗を放ち、息吹が追いかける。
オガルに対する攻撃は占いに邪魔されて通らない。でもあくまでも着ぐるみイネスに対する本気の殺意を込めた攻撃なら、妨害は受けない。理屈は合っていたとしても、ほとんど見ず知らずの人間に本気の殺意を抱けるなんて、精神異常一歩手前だ。
続け様に何度も撃ちこまれた《
正面は白い雪原となり、着ぐるみの姿も消えている。
オガルは肩で息をしていて見たところ魔力切れ一歩手前だ。この水気のない修練場で、もう一度大技は使えない。
「あ、あわわわわわ! うわわわわわわわ!」
ウファーリは見たことのない取り乱し方で、天藍の首を絞めていた。
着ぐるみの姿がどこにも見えない。彼女も見失ってしまっていただろう。
「いい奴だったのにな……弁償しろとか言われませんように」
僕は諦め、どこにも姿が見えない着ぐるみのために祈った。
「勝手に殺すなっ!」
白い結晶の山の一つから、黄色いワンコが飛び出してくる。
「ほう。運のいいやつだ」
と、天藍が瞳を輝かせているが、それはお前の敵じゃなく味方だと小一時間説教したい。
動きの止まったオガルに一気に距離を詰める。
勝敗は見えていたはずだが、それでもオガルは杖を構え直した。
「オン・サラバ・ダキッシャタラ・サンマエイ・シリエイ・センチキャクロ・ソワカ!」
しかし、着ぐるみの突撃が止まることはない。
さらにオガルの背後から五条の線、圧縮された水が撃ちだされ、着ぐるみを切り裂いていった。そのうちの一条が頭部を貫き、着ぐるみの頭部が吹き飛ぶ。
「イネスっ!」
射線は運良くゴーグルに当たったようだった。
イネスは短く息を吐き、槍を構え治して突く。
オガルの構えた長杖を押さえこみ、柄頭を握った手を捻り、刃を押し込む。
高熱によってどんな装甲も焼き切る残酷な刃は、心臓に突き入れられる寸前で止まっている。
「……やれるものならやってみろ」
そう呻くように言ったオガルの憎しみの重さが、辛い。
イネスは刃を引くと、杖の中ほどを断ち切って抵抗の手段を奪い取った。
ほとんど同時に魔力切れを起こしたらしい。
オガルはその場に膝を着いて、荒い息を吐いていた。
「何故、私の術が全く効かないんだ……!?」
観覧席から、カガチが降りてくる。
ふわりと、翼もないのに浮いているような足取りで。
「彼には効かないでしょうな……あれは鶴喰砦の英雄だ。数十万の犠牲の果てに、絶対の死の運命を逆転させた者には、運の悪さも何もないでしょう」
特殊な装備に、顔の傷。軍属ということはすぐにわかる、と読んでいたが、状況から所属まで見抜くとは。
五年前、イネス・ハルマンは大竜侵攻の最前線にいた。
逃げ遅れた市民を最後まで守り抜き、奇跡の生還を果たした兵士のひとりだ。カガチの言うように、彼はこの世に存在する最高最悪の不運のうちで、最も最悪なやつを乗り越えた強運の持ち主なのだ。
それと同時に――彼の魂を構成する者は、本来のイネスひとりじゃない。竜との過酷な戦いを乗り越えるために、彼は犠牲となった無数の仲間たちの生命をその身に宿し、延命している。
その全ての運命を占わない限り、イネス・ハルマンを占うことはできない。
『キミとイネスはまさしく歪な鏡の表と裏だネ』
オルドルはケタケタと笑っていた。オルドルは僕の前に提示された悪魔だが、五年前、似たような別の悪魔がイネスたちの耳元に囁きかけたのだ。
いつでも、だれにでも、無限の選択肢が提示されているわけではない。
僕にも、イネスにも。
ただそれだけだ。
僕は結晶の平野を越えて、オガルの元へ行く。
「マスター・オガル……疑う気持ちはわかります」
僕が差し出した手を、彼は睨みつけた。
今のオガルは、以前の僕だ。
誰が敵で、誰が味方なのかわからない中、憎しみだけが膨らんでいく。
「でも今、力を貸してくれたのは、誰よりも仲間の大切さと勇気の価値を知っている人なんです。もしも僕が犯人なら、彼は力を貸してくれなかったでしょう」
「お前は見ていただけだろう」
折角いい感じにまとめようとしてたのに、天藍が横から口を挟む。
「そういうお前は、本気で仲間を殺そうとしてただろ!」
思わず怒鳴ってしまい、慌ててオガルの様子をうかがう。
怒りを発散して落ちついたのかオガルの表情からは、さっきまでの険がとれていた。
《お取込み中、失礼しますぞ~っ!》
突然、オガルと僕の間に、ピンクのドレスが飛び込んで来る。
《マスター・オガル! カリヨンはプンプンです。怒っていますぞ! 自鳴琴の取り決めを破り、試合の妨害を行ったものとみなし――マイナス百ポイントの罰を与えます! カリヨンは裁定者であり執行者、自鳴琴の旋律を守護するもの。何人たりとも、ルール違反は許さず、そして例外もありません!》
カリヨンは剣を振り上げる。
『マスター・オガルよ、人形にな~~~~あれっ!』
人形。
その言葉が何を示しているのかわからず、僕がじっとしている間。
天藍よりも深く、速く、恐ろしい桁外れの殺意でもって、カガチが剣を抜いたのを感じた。
衝撃波で修練場の壁の一部が吹き飛ぶ。
本来なら一刀のもとに、自鳴琴は粉々になっていただろう。
しかしそうはならなかった。
刃は自鳴琴の蓋の上で止まっている。
カリヨンはフワフワと浮いたまま、耳穴をほじくっているかのような動きをみせた。
《効きませんなぁ、マスター・カガチ。血の契約を結んだ以上、自鳴琴に傷ひとつつけることはできませんぞ》
そして、僕の足元には……。
水色の髪をした小さなマスコット人形が落ちていた。
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