第07話:猫は不幸なんて認めません!

 暗闇の中で夏梅が最初に考えたのは、安直にも「死」であった。


 しかし、全身を伝うわずかな感覚がそれを否定する。


「いっ……」


 どこかにぶつけたのが、身体の痛みに思わず声が漏れる。


 さらに、痛みとはまた別の、柔らかな感触と肌触りが顔面を覆っていた。


(パーカーか……)


 目を開けても薄暗い視界の中で、夏梅は冷静に状況を把握していく。


 マンションが破壊されたときのことを考えれば、夏梅に覆いかぶさっているのはスーであるはずだ。


 それが正解だと示すように、少女の声が聞こえてきた。


「治まった」


 瓦礫に埋もれながら、脚の痺れが治まるのを待っていたのだろう。


 夏梅の視界が明るくなる。スーが立ち上がるのと一緒に瓦礫が崩れる音がした。


 全てが止まった青色の世界。人のいない猫の戦場が広がっている。


 立ち上がったスーは夏梅を一瞥すると、そのまま立ち去ろうと歩き出す。


「待って!」


 夏梅に声をかけられて、スーの足が止まった。


 振り返った青い瞳からは、怒りの感情は読み取れない。言葉が見つからない、そんな表情だった。


 思わず夏梅が問いかける。


「やっぱり、闘うの?」

「……子猫を助けてくれて、ありがとうございました」


 スーはそれだけを言うと、高く飛び上がり姿を消した。


「夏梅!」


 遅れてやってきたのは女神を抱えたルナだ。


「無事でよかったわ」

「うん、スーちゃんが近くにいたから」

「スーちゃんが?」


 ルナが周囲に目をやると、ビルからビルへと飛び越えていくスーの姿を見つけた。


「今度はサシってわけね」


 ルナの浮かべた笑みは、闘争心を燃やしているのがよくわかる。


「女神様、夏梅を頼んだわよ」


 そう言って、抱えていた女神を解放する。


 夏梅の顔が強張った。


「ルナちゃんも……闘うんだね」

「当たり前よ」


 夏梅の問いかけにルナは即答する。


 振り向いた金色の瞳は、揺らぎない意思を宿していた。


 その顔が夏梅に優しく微笑む。


「夏梅は、ルナの願いを覚えてる?」

「人間に、なること」

「猫の生も悪くないわ。好きな時に遊んで、好きな時に寝て。お日様の下でポカポカするのが、とても気持ちいいのよ」

「それなら、なんで」

「そんな自由な猫にも、人間は優しくしてくれる。それは人間だからこそだと思うの」

「人間……だから?」


ルナの表情がわずかに暗くなる。


「ルナたちの生きる世界で、人間の存在はとても大きいわ。それこそ、猫の命なんて握りつぶせるほどに」


 夏梅が息を呑む。スーにも同じことを言われた。ルナまでもがそう思っているとは考えもしていなかった。


「でも、だからこそ、優しさがあると思うの。ルナは、人間のそういうところが好きよ」


 ルナが笑う。


「お昼寝する場所をくれた。ご飯をくれた。遊び道具をくれた。撫でてくれた。いろんな人間が、ルナをみて笑ってくれたわ」


 夏梅は失念していた。ルナだって元は猫である。スーと同じように、猫として様々な経験をしてきたはずだ。


「ルナが幸せだった。だから、他の猫にだって幸せになってもらいたい。だって猫は、いいえ、猫だけじゃないわ。生きていれば誰だって――愛されたいじゃない」

「ルナちゃ――」

「大丈夫よ夏梅、絶対勝つから」


 夏梅の言葉を最後まで聞かず、ルナはスーのいる方へと向かっていった。


「せ、せめてパンツぐらい穿いて……」

「猫に言ったって無駄だよ」


 夏梅の呟きに、女神が失笑した。


「ん? どうしたんだい、夏梅?」


 女神が夏梅に視線を向けると、彼は今まで見せたことのない真剣な表情を浮かべていた。


「なにかが、引っ掛かったままなんです」


 夏梅の違和感は晴れないでいる。


 実際の闘いや、猫たちとの会話から、その答えが導き出せそうではいた。


「まあ、生きていただけ幸いとしよう」

「……生きていた?」

「ここでだって、痛いものは痛いからね」


 女神の呟きが、夏梅の疑問に重なった。


「そうだ……どうして僕は生きている?」 


 スーの願いは、人間を殺すこと。


 ――それなら、どうして僕を殺さない。


 違和感が、明確な疑問へと変わる。


「女神様、一つ確認したいことがある」

「聞こうじゃないか」

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