第2話 無宗教ゆえに淫夢厨は流行ったのか

宗教があれば、皆が共通した知識と認識とモラルを持ち合わせることになる。それゆえに、孤独は和らぐことになる。


昭和の時代であれば、日本人はTVという共通知識があった。同じものをみて、同じものを話題にして、そうすれば孤独は和らぐ。宗教と似たような効果がそこにあったのだ。


だが今ではTVの視聴率はどんどん下がってしまっている。つまり、共通の話題を持ったひとは、どんどん少なくなっている。自然と孤独に悩む人間の総数は増えているのだと言える。


別段、TVを見ろという話ではない。クレームの電話と自主規制とで雁字搦めになったTVのコンテンツに魅力を感じなくなってしまうのは当然のことである。それに加えて、今は楽しめるコンテンツの幅が増えた。結果、人々はバラバラになってしまった。同じ話題を楽しめる人が少なくなってしまった。


SNSによって、どんな矮小でマニアックなコンテンツであっても同好の士を見つけることは容易い。だが、それにも限界があり、真なる意味での孤独はより強まっていってしまっているのが現状だ。


そもそも、宗教とは何だなんて話をすると、はてしなく面倒だし、膨大だ。そもそも、つまらない。だから、ぼくなりの定義でざっくりと決めよう。宗教とは何なのか。それは「一般社会にあるルールとは違った特定のルールを定め、それを守って生活すること」である。


横暴だ。我ながら横暴だ。ゆえに反論のたぐいは大いに寄せられることになるかもしれないが、知ったこっちゃない。だってこれはエッセイだから。免罪符って意味だよね…、え、ちがうの…。


この定義からすると、淫夢厨は宗教である。


「淫夢厨ってなんだよ!」っていうネット初心者が、このアホみたいなエッセイを呼んでいるとは思わないのだが、説明しておこう。


ニコニコ動画、は流石に知っているかな。そこで真夏の夜の淫夢というホモAVの語録を信仰する集団がいる。


彼らはニコニコ動画にアップされていた(無論、違法アップロードである)MAD的な動画から語録を抜き出し、それをネットでの日常会話として使用することを目的とした集団である。


彼らは真夏の夜の淫夢の本編AVを見ている人間を真なる淫夢厨と呼ぶ。


こういう解釈で淫夢厨を見れば、聖者の声を聞いて、それを聖書にまとめた宗教と何ら変わらない行動をしており、その上で聖書にあることを規律として守ることと語録を使いこなすことを史上目的とすることは、同一のように見えるだろう。


ああ、もう怒られる。わかってる。でも、これあれだから。実在する宗教関係者とはなんら関係のないフィクション・エッセイだから。だから抗議とかはやめてください。ジョークが通じないひとは読まないでください。


一緒だとはいってません。ええ、システムが一緒だって話です。存在が同一だとは言ってません。言ってないから!まじで!もういいでしょ!!


なんにせよ、だ。若者の間で淫夢厨が流行ったのは、それは無宗教だからだろう。ちゃんと仏教なりキリスト教なりが捕まえてくれていたのなら、あんな汚ねぇなにかにハマることもなかったはずだ。


淫夢厨は、同じ淫夢厨を見つけたとき、恐ろしいほど心を開く。すぐに仲間と認識する。もうそのへんも宗教と似てるなと感じる。更にファッション淫夢厨もいると聞く。淫夢厨であることを表明することで、淫夢厨を味方につけることができるからやるのだそうだ。


この辺、戦国時代のファッション・キリスト教徒を想起する。南蛮貿易をする上で、やっておいたほうが得だからとファッション・キリスト教になった戦国大名が居たという。ガチなキリシタン大名もいたのだけれども。そのへんはガチ淫夢厨がいるんだろうから、一緒だよ。


いや、キリスト教と淫夢厨が一緒とはいってないです。いやまじで。勘違いしないで。そこんところ、適切だから礼に出しただけだから。本当に、信じてください。


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