ダイラと失くした思い出9

 ダイラは自分の手足が縛られていることを確認した。ついでに口元もだ。

 目隠しはされていない。猿ぐつわをされているから声が出せないから相手も油断しているのだろう。


 部屋の中は薄暗かったが燭台が必要な程ではない。まだ日は暮れていない。

 夏のこのころは日が長い。夜の九時だってまだ明るくて、それからゆっくりと日が暮れていく。けれどそのおかげで時間の感覚がわからない。ダイラはどのくらい意識を無くしていたのだろう。


 一体自分の身になにが起こったのか。。

 カルロスを喧嘩をして(というよりダイラが一方的に言いつのっただけなのだが)、自己嫌悪に陥って当てもなく走り出した。


 多分、うっかり城の外まで走ったのだと思う。涙があふれてきて、そんな顔を誰にも見られたくなかった。

 そんな風に走っているといきなり腕を掴まれて首の後ろに衝撃を感じた。


 記憶はそこで止まっている。

 気を失って気が付いたら芋虫状態。ここから導き出される答えは……。

 誰かによって誘拐された。

 いったい誰が何のために。

 と、そこまで考えてからダイラは思い至った。これは絶対になにか厄介なことに巻き込まれている。


 けれど芋虫のようにごろごろと転がることしかできない今のダイラができることなんて限られているわけで。

 意識が戻ってから床に転がされていると身体が痛みを主張する。これはずいぶんと長い間固い床の上に転がされていたようだ。


 そんな折、外で音がした。

 人の気配だ。鍵はかかっていないのだろう、取っ手を回す音が聞こえて、ぎいっと木戸が開く音がした。

 ダイラはあわてて目をつむった。

 乱暴な足音ではなかった。

 何人だろう。不自然に顔が動いてしまわないよう、ダイラは全神経を集中させた。


「おい、この女で間違いないんだろうな」

 男の声が聞こえてくる。

 命令することに慣れた声音だ。


「はい。黒髪に紫の瞳をもった女官だと聞いています。どう城の外へおびき寄せようかと考えておりましたが、運よく彼女が裏手から出てきたので急きょこのような手段に」

 答えた声はぴんと張った糸のような声をしている。

「ふうん。少しはこっちに運が向いてきたか」

 男が愉快そうな声を出した。


「で、本当のところはどうなんだ? 本当にこいつはあのアウグストの落とし胤なのか?」

「それはなんとも。噂だけのようです。真偽のほどは現在確認中のようですが」

「へえ。ま、どっちでも関係ないか。あいつの悔しそうな顔が見れれば俺は愉快だ。ついでに公国も手に入れば愉快なことこの上ないね」

 男はげらげらと笑い声をあげた。


「このような手に引っ掛かりますか?」

 従者らしき男は懐疑的な声を出した。

 この場で主導権を握っている男のほうは愉快そうに鼻を鳴らした。


「さあな。でも、俺の知っているアウグストは案外情が深い男なんだよ。昔惚れた女の娘ってだけでも助けるには十分なのさ。それとも、昔恋しさに情婦にでもするつもりだったのかね」


 ダイラは男の足により仰向けにされた。

 それでもなんとなか目を閉じたままにしておく。

 男たちは灯りを用意していたようで、ランプの光が顔の真上に掲げられ瞼越しでもわかるほどまぶしく感じる。


「確かにきれいな顔立ちだな」

「……変な気を起こされませんよう」

「ふんっ。混ざりものなんか相手にするか。娼婦にしたってリューベルン人のほうがいいね。……ああ、でも昔の女の娘が無残に犯されたっていうのもいい余興かもしれないな。おまえ一発やっておくか?」


「……殿下。冗談もほどほどに」

「寝ている女が嫌なら起こせばいいさ」

「日が暮れて、準備が整い次第国境の向こう側へ向かいます。なんでもこの女はこちらの王太子妃のお気に入りの女官とのことで。アルンレイヒ側に騒がれると面倒です」


 従者はあくまで固い声を崩さない。その声にダイラは安堵した。

 アウグストの当てつけのためだけに凌辱をされるなんて冗談ではない。彼の正体はわからないけれど、おそらくリューベルン人で間違いないだろう。それもこてこての民族主義者のようだ。

 混ざりもので悪かったわね。大体、国同士地続きでつながっているんだから混血が進むのなんて当然だろうが。


「わかっているよ。出発まで見張っておけ。万一アルンレイヒ側に気づかれるのは遠慮したいからな」


 男はおもしろくなさそうに言い捨てた。

 足音が少し遠ざかり扉が閉まる音が聞こえる。

 十分に時間がたってからダイラは恐る恐る瞳を開いた。

 猿ぐつわをされていて良かった。


 でなければ、さすがのダイラでも話の途中に悲鳴を上げていたかもしれない。自分が知らない男の慰み者になるなんて話を聞かされれば心穏やかでいられない。


 ダイラは今になって震えてくるのを感じた。

 怖い。

 知らない男に犯されるなんて嫌だ。

 相手は身分の高そうな男だった。殿下と呼ばれていた。


 国境の向こうと言っていた。向こう側、リューベルンに決まっている。ダイラが起きていることに気づかなかった彼らはいろいろな情報をダイラに与えてくれた。

 民族主義の男が連れて帰るところ。アウグストを平気で呼び捨てにできる身分に殿下という呼称。

 アウグストが登場してから踏んだり蹴ったりだ。母の過去を知ってしまったし、カルロスともつまらないことで喧嘩(多分ダイラが喧嘩を売った)した。


 どうしてただの平民のダイラがこんな目に合わないといけない。

 カルロスの馬鹿。

 普段人にべたべた付きまとってくるくらいなら、こういうとき颯爽と助けに来てみなさいよ。


 ダイラはぎゅっと瞳を閉じて同僚を理不尽に詰った。

 わかっている。

 さっきダイラは思い切りかわいくないことを彼に言った。

 あなたには関係ない、なんて言っておいてこういうときだけカルロスのことを思い浮かべるなんて。


 馬鹿みたい。

 切羽詰まった状況になって頭に浮かんだのが普段面倒だとあしらっているカルロスだなんて。

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