四章 男装令嬢隣国へ4
回廊は目立つため、レカルディーナはエルメンヒルデを迎賓館近くの庭園の隅まで連れてきた。
「まあ、それではお姉さまは自らの運命を切り開くために男装をされているんですのね」
レカルディーナはアルンレイヒ帰国後に起こったあれやこれや、を彼女に語って聞かせた。
主に男装に至る流れである。
「うん。だからここではわたしの名前はルディオ・メディスーニだから。好きに呼んで。絶対にレカルディーナの名前は出さないように」
エルメンヒルデは旧知の仲なのだから賭けの文言の「女だとバレたら」の範囲からは除外してもらうことにする。心の中で勝手にエリセオに宣言をしたレカルディーナだった。
声を潜めて忠告をすればエルメンヒルデはにこりと笑って頷いた。さっそくルディオ様とかメディスーニ様とか口にして頬を染めている。
「わかりましたわ。お姉さまが無事に女優になれるようエルメンヒルデ微力ながらお手伝いしますわ」
またしても腕にまとわりついてきたエルメンヒルデにレカルディーナは苦笑いを浮かべた。昔からぴったりとくっついて離れない子ではあったが数カ月ぶりに再会してみれば以前よりも余計に距離が近くなった気がする。
「もう、この姿のわたしにあんまりべったりしていたら、エルメンヒルデの評判が落ちちゃうよ。傍から見ると逢引きしてる男女にしか見えないだろうし」
そうやって注意をすればますます頬を染めてぴたりと寄り添ってくるからお手上げだった。
「お姉さまは昔からお優しいですわ。女優になられてもエルメンヒルデのこと忘れないでくださいね」
レカルディーナはその問いかけに曖昧に笑った。女優という言葉に以前ほど色めき立たなくなったのは何故だろう。男装の理由について説明するときにエリセオとの賭けの期間について話した時。一年間という期間を口にした時胸の奥に何かが刺さったみたいにずきりとした。
代わりになぜだかベルナルドの顔が脳裏に浮かんで慌てて打ち消した。
(わたしは女優になるのよ、女優……)
一人泥沼に陥ったレカルディーナをエルメンヒルデが不思議そうに眺めていた。レカルディーナもすぐに我に返って話を変えた。
「それにしてもエルメンヒルデ、学校はどうしたの? いまごろ授業でしょう」
新学期の始まった時期である。今日は休日でもないので外泊届けなども認められないだろう。二人の出身校であるライツレードル女子寄宿学院の規律はとても厳しい。
レカルディーナの質問にエルメンヒルデの表情が曇った。
「それが……わたくしも十六歳。そろそろ結婚のお相手を見つけろとお父様もお兄様もうるさくて。陛下の即位記念式典に合わせて寄宿舎に休学届を出されてしまったのです。わたくしの許可なく勝手にです。」
聞けば連日兄らに王宮に連れて来られているとのことだった。今日は王妃主催のお茶会に出席していて、途中抜け出して迎賓館へとやってきたのだ。
「どうしてここに?」
レカルディーナは疑問に思って質問をした。エルメンヒルデの登場はあまりにも唐突だったからだ。
「それは昨日オペラ座の前でルディオ様をお見かけしたからですわ。遠目からでしたがわたくしの目に狂いはありまん! 絶対におねえ……ルディオ様に違いないと思いまして、人に尋ねたのですわ。そうしたらアルンレイヒからの使節団だと教えていただきましたので迎賓館まで捜索しに参りましたの」
エルメンヒルデはえへんと胸を張った。
「あれだけ人がたくさんいたのに?」
「愛の力ですわ」
そう言ってエルメンヒルデはレカルディーナの頬に自身の顔をすり寄せた。
「あ、エルメンヒルデ。ちょっと離れて」
「いかがなさいまして、ルディオ様」
急に離されたエルメンヒルデはきょとんとして、すぐにレカルディーナが視線を向けている方へ自身の顔も傾けた。
建物の方からベルナルドがこちらへ向かってきていた。
レカルディーナは慌てて立ち上がった。
「知り合いか?」
「殿下! これはええと。その密会とかではなく。彼女はフラデニア時代からの友人でして」
ベルナルドは沈黙したままレカルディーナとエルメンヒルデとを見比べた。
「……友人」
ベルナルドはエルメンヒルデに対して不躾とも取れる視線を送った。
「殿下、女の子相手に威嚇しちゃ駄目ですよ」
「威嚇なんてしていない。そなた、名は?」
レカルディーナは内心ひやひやした。
勝手に彼女を連れてきたのは自分だが、仮にもエルメンヒルデはフラデニア王家に縁のある公爵家の令嬢だ。
エルメンヒルデはゆっくりとした動作で立ち上がった。
「お初にお目にかかりますわ。王太子殿下。わたくしはエルメンヒルデ・ド・アデナウアー。父は公爵です。こちらのメディスーニ様とは昔から親しくさせていただいておりますの」
エルメンヒルデは隣国の王子にも物おじせずに堂々とした所作を披露した。
ベルナルドは相手の家格に礼を尽くそうとしたのか、エルメンヒルデに対して略式ではあるがきちんとした挨拶を返した。これにはレカルディーナも驚いた。まさかベルナルドが公式の場以外で礼を尽くすとは思わなかった。この評価も大概だとは思うが、それだけいつものベルナルドの態度がおおよそ王子らしくないのである。
「ルディオとはどういった友人なんだ?」
その上ベルナルドの方から話を振ってきた。
もしかしたらベルナルドはエルメンヒルデのような物静かな女性が好みなのかもしれない。アンセイラ姫も絵姿で見る限り大人しそうだった。
ということはアンセイラのことはだいぶ吹っ切れたのだろうか。
「幼馴染のようなものですわ、殿下。といっても十三頃からでしょうか。わたくしの大好きな人なのです。頼りになって、素敵で、それはもう素晴らしいお方ですのよ」
エルメンヒルデはベルナルドを挑発するかのように仲良しの前の「大好きな人」に力を込めて発音した。そののあたりでベルナルドの眉根が寄ったのをレカルディーナは見逃さなかった。
もしかして、恋敵(ライバル)視されている?
「うわあ、ちょっとエルメンヒルデったら。何言っているの」
「あら、本当のことですわ。おね……ルディオ様」
なぜだかベルナルドの背後の空気がひやりとした気がした。
「仲がいいんだな」
「ええ、とっても仲良しですのよ。……それで、殿下にお願いがありますの」
エルメンヒルデはなぜだか「仲良し」という単語に力を込めて発音した。
先ほどから、二人の間の空気が心なしかぴりぴりとしている、気がするレカルディーナだった。
「なんだ?」
「お忙しいのは重々承知しているのですが、一度でよいのでルディオ様をわたくしに貸していただきたいのです。積るお話もありますでしょう。なかなかお会いする機会もございませんからせめてこちらにいらっしゃる間、一日だけでよいのでルーヴェの街を一緒に歩きたいのです」
「ちょっと、エルメンヒルデ!」
レカルディーナの方が慌てた。
王太子相手に何を突然に言い出すのだ。
「お願いしますわ、ベルナルド殿下」
エルメンヒルデとベルナルドは数秒互いに視線をぶつけた。
エルメンヒルデは笑顔を保ったままだが、その微笑みに迫力を感じるのはなぜだろう。
さらにその数秒のち。
「好きにしろ」
ベルナルドは短く言い捨てた。
「ありがとうございます。殿下の寛大なお心遣いに感謝いたしますわ」
エルメンヒルデはきれいな所作でお辞儀をし、そろそろ兄が心配している頃合いだからと言い残して迎賓館から去って行った。最後にぎゅっとレカルディーナに抱きついて、何度も振り返って手を振りながら名残惜しそうに去って行った。
その間中ベルナルドはレカルディーナの傍らに付き添っていた。
エルメンヒルデの姿が見えなくなり二人で並んで館へと戻る最中ぼそりとベルナルドが呟いた。
「仲がいいんだな」
レカルディーナは周囲を見渡した。自分以外に誰もいない。ということはこれはレカルディーナに対しての言葉ということだ。
「仲がいいと言うか、彼女はその、妹みたいな存在で! 殿下のお邪魔はしませんから!なんだったら僕からさりげなくエルメンヒルデの好みの男性像を聞きだしますから」
「何を言っている?」
レカルディーナの提案にベルナルドはあからさまに低い声を出した。顔つきもものすごく険しい。しかし、レカルディーナはどうしてベルナルドが急に態度を急変させたのか見当もつかなかった。
「え、だってエルメンヒルデのことが気になられたんじゃないんですか? さっき興味持っていそうな雰囲気でしたので」
この言葉にベルナルドはしばしの間絶句した。そして次の瞬間ベルナルドが彼にしては大きな声を出した。
「そんなわけないだろう! 俺だって社交辞令くらい言える。というか、どうしてさっきのあれでそうなる」
「そうなんですか。なにもそこまで思い切り否定しなくてもいいじゃないですか」
「おまえが妙なことを言い出すからだろう」
どうやら完全にレカルディーナの早とちりだったらしい。ということはやっぱりまだ年下の従妹姫のことが忘れられないのだろうか。
レカルディーナの心の奥が少しだけ騒いだ。
「まあいい。あの公爵家の娘は気に食わないが時間をやる。友達なんだろう、ゆっくりしてこい」
「えっ、本当によろしいんですか」
若干引っかかる物言いだったが先ほどの件は社交辞令ではなかったらしい。
「で、でも仕事は」
そう切り出せば、ベルナルドの腕がレカルディーナの方へと伸びてきた。
ふわりとかすかに髪の毛に触れたような気がして、ベルナルドの方を見やれば彼はかすかに口元に笑みを浮かべていた。
「いいって言っている。気にせず楽しんで来い」
そう言ってベルナルドは踵を返した。
どんどん小さくなっていくベルナルドのことをただ呆然と見つめていた。ただ触れられただけなのに、髪の毛が別の生き物のように熱を持っている気がする。
ああまただ。心の奥が必要以上にざわざわしてしまう。レカルディーナはどうしていいかわからずにその場にしばらくの間立ち尽くした。
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