四章 男装令嬢隣国へ3
到着した日は疲労の色が目立っていた顔色も、今日は健康的な色に戻っている。
昨日はとくに大きな予定を入れていなかったため、みんなそれぞれ時間をゆっくり使うことができたのだろう。
男と同じように仕事をしているのだから疲れだって他の誰よりも溜まっているだろうに、頑なに大丈夫ですと言う彼女に痺れを切らして到着したあの日、寝台へと連れ込んだ。
少し目を離し、次にベルナルドが戻って来た時にはもう彼女は夢の中へ旅立っていたから、その判断は間違っていなかった。しかし、すうすうと気持ちよさそうに寝息を立てるレカルディーナを見降ろせば、目が離せなくなって困ったことになった。長いまつげや頬に掛かる短い髪の毛、小さな唇から目が逸らせなかった。どこからどうみても女性のそれで、無防備な彼女に対して怒りたくなって、それでもこうして間近で彼女のことをもっと眺めていたくてなかなかその場から離れられなかった。無理をしてでも離れたのはこのままだと無意識に手を伸ばしてしまいそうな自分に嫌気がさしたからだ。
このまま彼女を手放したくない。
そんな想いが沸き起こり、ベルナルドはその気持ちにふたを閉めるのに苦慮する。
彼女は、ベルナルドがそんな想いを抱いているだなんて、これっぽっちも思っていないに違いない。
今だって、彼女の方に顔を向ければ、無邪気に微笑み返してくる。
「どうかしましたか?」
「いや。……おまえは、楽しそうだな」
「はい。ルーヴェのどこもかしこも懐かしいです。数カ月離れていただけなのに。すんなり馴染めてる自分がいてびっくりです」
その答えにベルナルドの心はざわめいた。
「ルディオはこのあいだからはしゃいでいるからな」
「そんなこと……ないです」
アドルフィートの指摘にレカルディーナは身を縮込ませた。
「こちらとしても、ルーヴェに精通されている方がいらしてくれて嬉しい限りですよ」
レカルディーナが役人の説明を補足する形で相槌を打ったりするから、彼らはすっかり彼女にほだされたようだ。在住経験があるという話しを聞けば親近感も沸くというものだ。
「そんなに詳しくないですよ」
しかし、ベルナルドの心の中は複雑だった。
楽しそうなレカルディーナを目に入れれば、自然と口元がほころぶような気分になる。
それなのに、彼女が少しでもフラデニアに心を残しているような発言をすると、途端に胸の奥が痛くなる。
おまえはアルンレイヒ人だろう、と諭したくなる。
「この先のオペラ座は我がフラデニアが威信をかけて建立したものでして。今から五年ほど前に完成したのですよ」
視察団は役人に導かれるままヴァン・サーム広場を北上した。大通りの正面には白亜の建物が見えてくる。正面の馬車付けは大きくとられ、正面入り口には美しいバラ色の大理石の円柱が何本もそびえたっている。
「相変わらずきれいだなあ」
レカルディーナが感嘆の声を上げた。
「おまえも、来たことがあるのか?」
ベルナルドはつい、好奇心に負けて尋ねた。
レカルディーナはベルナルドの方に顔を傾けた。それから、にっこり笑顔を作った。
「はい。何度か親戚や友人と一緒に」
「メディスーニ卿、ちょっといいかな」
レカルディーナは役人に呼ばれ、呼んだ男の方へ足早に向かった。
彼女の横顔を眺めていると、髪を結い上げ、ドレス姿でオペラ座へ入っていくレカルディーナの幻が浮かぶようだった。
「いやあ、本当にルディオは楽しそうですね。近衛騎士隊の隊士にもどこの店が人気だとか、色々と教えてくれるんですよ」
傍らに立つアドルフィートがベルナルドに話しかけてきた。なんでも旅の準備の頃からたびたび聞かされていたらしい。だからなんだというのだ、という意味も込めてベルナルドは視線を送ったが、年上のアドルフィートはこういう時気づかないふりをして簡単に受け流す。
「殿下に対していい意味で影響を与えてくれて感謝しているんですよ。今日だって彼がいなければすぐに帰られていたでしょう」
「何が言いたい」
なんとなく図星を突かれてベルナルドはじろりとアドルフィートを睨みつけた。アドルフィートはつかの間見せた親しみのこもった眼差しをすぐに隠して近衛騎士としての顔に戻った。
険しい顔をして周囲を見渡す彼の視線を受けて近くで様子を窺っていた集団が一斉に視線を逸らせた。国王即位記念式典が間近に迫っているので各国の主賓がこうして市内を巡る光景が散見されるとはいえやはり物珍しいのだろう。
ベルナルドもさりげなさを装って、集団の方へ視線をめぐらせた。
先ほど確かに、視線を感じたのだ。
ベルナルドの意識を感じ取ったのか、少女がぱっと目をそらした。
金色の髪の、一目で貴族だと分かる身なりをした令嬢だった。同じ年頃の男女が数人と、お目付け役の夫人らのグループのようだ。
彼女は一度はベルナルド達から関心を失くしたようにそっぽを向いたが、少ししてのち、再び見つめてきた。
レカルディーナは侍従の仕事として、ルーヴェ・ハウデ宮殿の図書室からいくつか書籍を借りてきた。
続々と到着をする各国賓客との懇談は使節団一行の一人ボレル侯爵に任せきりで、ベルナルドは迎賓館の一室で読書に勤しんでいるからだ。
早足で回廊を歩いていると前方に金色の髪をした女性が一人で当たりの様子を窺っていた。後ろ姿だけでは誰だかは分からないが、この先には迎賓館しかない。
いくつかの棟に分かれている迎賓館には現在アルンレイヒをはじめとする近隣諸国の大使一行が滞在をしている。もしかしたらその中の一人で道に迷ったのかもしれない。
「どうかしましたか。もしかして道に迷いました? 僕でよかったら力になりますよ」
レカルディーナは親切心で女性に声をかけた。
「その声は、もしかして!」
「え、その声……」
その声に振り返った女性、いや少女の顔を見てレカルディーナは背中から冷や汗をだらだらと流した。ついでに顔に青筋を浮かべる。
「まあ……」
良いところの令嬢らしくゆるく編んだ髪の毛には宝石のついた髪飾りを付け、ルーヴェ最新流行のドレスを身にまとった少女は見覚えのありすぎる顔をしていた。薄青の瞳が驚いたかのように丸くなり、息を潜めた。
レカルディーナは今すぐこの場から逃げたくなった。実際回れ右をして走りだそうとしたが、その直後がばっと件の少女がレカルディーナの背後に抱きついてきた為逃亡することは叶わなかった。
「レカルディーナお姉さま! こんなところで会えるなんて、エルメンヒルデは夢を見ているようですわ」
歓喜に震えた声を出すエルメンヒルデは、レカルディーナが宮殿内で鉢合わせしたくない相手第一位の人間だった。公爵家令嬢の彼女は現国王の親戚筋でもあるため宮殿へは比較的自由に出入りできる。
(この時期寄宿学校はまだ休みじゃないはず……)
現在寄宿学校に籍を置いている彼女との鉢合わせは無いだろうと完全に油断していた。
「えっと、人違い……」
無駄だとは思ったけれど、レカルディーナは否定をしてみた。
「何を言いますか、お姉さま。この抱き心地、レカルディーナお姉さま以外にありえませんわっ!」
きっぱり断言した口調で反論された。そしてぎゅっと抱きしめる腕に力を込められてしまった。レカルディーナは天を仰いだ。
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