四章 男装令嬢隣国へ1

 ベルナルド一行が王都ミュシャレンのアルムデイ王宮に移動して約二週間。

 八月も中ごろに引っ越しをし、そろそろ秋の気配も漂ってきた頃である。


 勤務場所が長閑な郊外にある宮殿から王都のど真ん中にあるアルムデイ王宮に代わり、レカルディーナの身辺も少し変化した。


 しかし一番の変化といえばこちらに移動してきて数日後からベルナルドが議会に出席するようになったことだろう。引きこもり王子が大勢の人の集まる場所に自ら出向いたのだ。どんな心境の変化があったのか。近衛騎士団は皆涙を滂沱して喜んだ。ちょっとしたお祭り騒ぎになってうるさかったし感極まったカルロスに抱きつかれようとされて逃げ回る羽目になった。


 本当はベルナルドが引き続き引きこもるのならレカルディーナも協力しようと思っていたし、どこかよい隠れ場所がないかどうか捜そうとも思っていた。それとなく申し出てみればそっけなく必要ないと言われてしまった。


 せっかくベルナルドのことを深く知ることができたし、彼の力になりたいと思うのになかなかうまくいかない。ほかに何かないだろうか、とうんうん唸っていると扉が勢いよく開いて、レカルディーナは慌てて意識を現実へと引き戻した。

 もしかしたら議会が終了したのかもしれない。


「ルディオ様! こちらにいらしていると聞いたので会いに来てしまいましたわ」


 嬉しそうな声をあげてレカルディーナの方に駆け寄ってきたのはおなじみ侯爵令嬢のファビレーアナだった。実家である侯爵家邸宅もミュシャレンにあるため、王宮の方が通いやすいのだろう。彼女はレカルディーナらがアルムデイ宮に居を移した直後からほぼ日参しているのだ。


「やあファビレーアナ嬢」


 周りの騎士らがさりげなく移動をしてファビレーアナとレカルディーナの為に空間を作ってくれた。彼らも学んだのだ。下手にファビレーアナを追い出そうとしようものならものすごい癇癪を起すということを。だったら人身御供を一人捧げておけば少なくとも彼らの平穏は保たれる。


 ちゃっかりレカルディーナの隣に座ったファビレーアナは近衛騎士の一人が用意したお茶を手にして上機嫌だった。


「殿下には感謝ですわ。こうして閣議に参加してくださるおかげでルディオ様を独り占めできますもの。そういえばルディオ様はご存じ? 国王陛下は今回の殿下のやる気をとても評価なさっていて来月フラデニアで行われる式典にぜひとも出席してほしいと望んでおられますのよ」

「式典?」


 名門侯爵家の娘ともなると国の中枢にかかわる情報を手にするのも早いらしく、ファビレーアナはこうして色々な話題を振りまいてくれる。王子の侍従とはいっても身の回りの世話や付添くらいしか仕事をしていないレカルディーナの元にはあまり情報が降りて来ないから、彼女は貴重な情報源だ。


「ええ、フラデニア国王即位三十周年記念式典ですわ。あちらの国は何かにつけて祝うのが大好きでしょう」

「ああそうだね。自由な気風だし、そういえば二十周年の時も派手にお祝いしたって親戚の人が言っていたような」


「まあさすがはルディオ様。フラデニアにお詳しいのね」

「つい最近まであっちに住んでいたからね」

 そういえば今年に入って何度か寄宿学校でもそんな話が話題に上った気がする。

「わたくしもいつか、ルディオ様に王都ルーヴェを案内してもらいたいですわ」

「ははは……。機会があればね」


 そんな機会があるのかは分からないが、レカルディーナは乾いた笑いを浮かべた。

 ファビレーアナはその後もひとしきレカルディーナ相手におしゃべりに興じ、満足したファビレーアナを侍女の待つ控えの間へ送るためレカルディーナも一緒に室内を後にした。


 回廊を歩く時もファビレーアナはぴたりとレカルディーナの隣に寄り添っている。腕を組まれると女だとばれるかもしれないので、適度な距離を保つようにしているが、そうやって紳士的な態度を取ることも彼女にしたら誠実と映り、ますます好意を寄せられるのだ。


 レカルディーナはちらりと横を歩くファビレーアナを盗み見た。彼女はレカルディーナが女だとはまるで気付いていない。結婚してくださいと何度も言われるたびにズキズキと心が痛むし罪悪感に苛まれる。しかし兄との賭けの為、そして自身の自由の為にもここで正体を明かすわけにはいかない。

 レカルディーナはこっそりとため息をついた。




 同じ頃、ベルナルドは不機嫌そうに椅子に背をもたれさせ目を閉じていた。


 主要大臣らが集まって行う閣議の席である。レカルディーナは貴族議会と閣議を混同しているようだがまったくの別物だ。ちなみに貴族議会は王宮の外に建物がある。


 別に閣議に出席しているからといってベルナルドにやる気が戻ったわけではない。手っ取り早くレカルディーナから離れることができる場所としてうってつけだっただけの話だ。現に今だって大臣らが特別予算について話し合いを重ねているがベルナルドはちっとも話の内容を聞いていなかった。


 なぜにおっさんどもに囲まれた場所に避難しているかといえば、ベルナルドの中でレカルディーナの立ち位置が変わってきたからである。

 しかもきわめつけが一緒に引きこもりましょうか、という誘い文句だ。宮殿に越してきてからのことである。


 これを聞いた時ベルナルドはレカルディーナと同じ室内で四六時中肩を寄せ合って引きこもり生活をしてる図を想像してしまった。想像してから瞬時に後悔した。


(何が一緒に引きこもります、だ。あいつは自分が何を言っているのか、というか自分の性別が女だっていう自覚はないのか?)


 おそらくレカルディーナは自分が女だとばれていないと信じ込んでいるのだろう。エリセオに見逃してやれと言ったのはベルナルド本人である。だからベルナルドが秘密に気づいていることはレカルディーナに悟られてはいけないし、そう振る舞っている。


 数日前のことを思い出してベルナルドは眉間に刻んだ皺を深くした。それを隣に座っていた某大臣が目撃をし、背筋を凍らせたことに本人は気づいていない。


 そしてもう一つ。一年後には王宮から出ていく気満々の癖にベルナルドの側にいます、とか言うのだ。しかもずっと、とか付けた。期限が来たら出ていくと決めているのに、だ。エリセオから彼女が男装をしている経緯は聞いている。彼女を止めることはできないだろう。ベルナルドを置いて行くのに、彼女は遠慮なしにベルナルドの心の中まで入ってくる。本人の了承も得ぬまま勝手に居場所を作って広げていくのだ。


 男に混じって生活をしているから余計に危なっかしくて目で追ってしまう。

 これ以上踏み込まれたくないならもっと冷たく当たればいいのに、月夜の下で二人で話した時からそれも出来なくなってしまった。


 冷淡に出来ないなら物理的に断ち切ってしまえばいい。そう思って一人になれる場所に逃げ込んだのだ。


 ここならばベルナルド一人になれるからである。これ以上彼女の傍にいればもっと深入りしてしまいそうで怖かった。手を伸ばせば届く距離にいるのに伸ばそうとしてもするりとすり抜けて隣国へ逃げていくことは分かっている。

 そういうわけで手っ取り早く一人(彼にとって閣議会場に同席している大臣らは数に入っていない)になって心を落ち着かせられる場所としてこの場はうってつけだった。どうせ自分が発言などしなくても大臣らがすべてを決めていくのだ。


「……殿下、いかがでしょうか」


 考え事に集中していたおかげでちっとも周りの話を聞いていなかった。

 この場に出るようになって大臣がベルナルドに挨拶は別として、話しかけてきたのはこれが初めてだった。


「は? 別にいいんじゃないのか」


 隣の大臣がこちらを窺うような視線を投げてきたので、ベルナルドは適当に返事をした。

 政治については議会で話し合い、大臣らがその後詰めていく。王政とはいっても王一人で何もかも決める時代はとうに終わった。この場でベルナルドが反論などしても覆らないし、そもそもこれまで引きこもっていたおかげでこの場で何が議題にあがっているのかもさっぱり分からなかった。


「本当によろしいのでしょうか」

 大臣は信じられない、といった具合に目を見開いた。

「だからさっき返事をしただろう」

「しかし、その……」

「なんども言わせるな。うるさい」


 どうして決めごと一つにこんなにも驚愕されなければならないのか。そんなにも補正予算に問題でもあったのか。だったらおまえらでもう一度話し合えばいいだろう、とかなんとか言ってやりたいことがあったが面倒だったので最小限の言葉にとどめた。


 しかしベルナルドの鉄面皮も次の言葉でもろく崩れた。


「では来月のフラデニア国王即位三十周年記念式典参加の我が国代表はベルナルド殿下ということでよろしいのですね」

「はぁっ? おまえ何を言って。というか補正予算の話し合いじゃなかったのか?」


 さすがにベルナルドも大きな声をあげた。

 話をほぼ聞いていなかった自分の行いは棚にあげるベルナルドだった。


「い、いえ。さきほどからフラデニアの式典参加者についての話し合いに移っておりまして。今日最後の議題でございます。そして、殿下、確かに今しがたよろしいとおっしゃいましたよね」

「ええ、ええ。確かに殿下は了承なさいました」


 ベルナルドは舌打ちをした。

 この場にいる全員がベルナルドの敵のようなものだった。


 どうにかして前言撤回させてやる、と暗い顔で決意したベルナルドがそのまま親善大使役を引き受ける羽目になったのは、話を聞いたレカルディーナがやたらと瞳をキラキラとさせながらベルナルドのことを見つめてきたからだった。

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