三章 引きこもり殿下の事情4

 しかし、さすがに侍従が主人から逃げ続けるわけにもいかず、レカルディーナはシーロに首根っこを掴まれてベルナルドの元に連行されてしまった。


 彼の夕食の給仕をするのも侍従の務めである。

 といっても、ベルナルドは絶賛引きこもり中で正餐をとるわけでもないから、彼の食事中ずっと張り付くといったことでもないのが救いだ。


 食器を下げるために彼の私室へ入ると、珍しくベルナルドがまだ部屋にいた。

 レカルディーナはなるべくベルナルドを視界に入れないように自分の職務に集中する。


「おい」

 食器を片していていると、ベルナルドが唐突にレカルディーナの腕を掴んだ。

「あっ……」


 驚いて、手に持っていた食器を床に落とした。

 ガシャン、という音が鳴り響いた。

 銀食器は割れることはなかったが、それでも食器を落としたという事実はレカルディーナを狼狽させた。


「も、申し訳ございません」

 レカルディーナは慌てて食器を拾おうとした。

「どうして俺の顔を見ない?」

 ベルナルドはかがもうとしたレカルディーナの腕を掴んで、立たせようとした。

「どうして、俺のことを……避ける」

 レカルディーナは顔をあげることができなかった。

 間近で聞こえてくるベルナルドの声はいつもよりも低かった。


「べ、べつに避けてなんか……」

 レカルディーナは必死の体で言い繕った。

「嘘だ」

「……」


 確かになるべくベルナルドの近くに寄らないようにしていたから、指摘をされると黙るしかない。

 彼はまだ、レカルディーナを離してはくれなかった。


「どうして俺の顔を見ない?」

 再度同じことを言われ、レカルディーナは恐る恐る顔をベルナルドの方へ仰向かせた。

「これで……いいですか」


 彼は何がしたいのだろう。

 ベルナルドはやっと上を向いたレカルディーナを凝視した。掴まれた腕がようやく解放され、曲げていた腰を立たせる。


「ルディオ……、この間は……」

 相変わらず近いしい距離で、ベルナルドがゆっくりと言葉を紡いだ。

「ルディオ、なんかすっげえ音がしたけど。大丈夫か~?」


 ばたんと勢いよく扉が開いた。

 シーロである。

 どうやら、落とした食器の音を聞きつけてやってきたらしい。レカルディーナは慌ててしゃがんで銀食器を拾い上げた。


「ご、ごめんシーロ。僕……」


 レカルディーナはそれだけ言って、拾った初期を抱きかかえて慌てて部屋を飛び出した。

 なんだか無性に逃げ出したくなったのだ。


 突き放しておいて、どうしてベルナルドの方からレカルディーナに近づくのか、さっぱり分かららなかった。それなのに、間近で彼と相対すれば、どうしてだか胸が大きく騒いだ。


「え、おーいっ! ルディオー」

 シーロの呼びかけが遠くから聞こえた。

 



 逃げ出したベルナルドと向かい合って話したのは夕食も済んだ夜の更けた頃だった。


 翌日のことである。


 なんとなく気分が落ち着かなくてカンテラを貸してもらって牧場の近くまで歩いてきた。今日はますますベルナルドと顔を合わすのが気恥ずかしくて、逃げるように引っ越し作業を手伝いまくったらシーロに怒られた。


 しかし、現状彼と正面から対峙する勇気がない。

 晴れている日で大きな月が顔を出して明るかった。

 男の恰好をしているだけで夜に外を歩くことだってできてしまう。もやもやした気分を落ち着かせるには月明かりはもってこいだな、と心の隅で思った。


 なんだかんだと牧場まで足を運んでしまうくらいここでの暮らしになじんだのか、それとも早朝カルロスにたたき起こされて乳搾りを手伝わされたこと数回……の記憶が頭から離れないせいなのか。ともかくリポト館での生活がレカルディーナにとって衝撃の連続だった。


 物語の騎士と現実の騎士は全然別物だということもここに来て知ったことだった。時には牛舎で乳搾りを手伝わされたことも今ではいい思い出だ。牛の名前も割と覚えてきた頃だったので離れてしまうのは正直さびしかった。特にメアリーは色々と心配をさせたから思いもひとしおである。当たり前だがこの時間牛も羊も小屋に入っている。鶏も少し離れた小屋の中だろう。


 明かりの無い牧場は深い闇に包まれていた。上を見上げれば月と星が明るく輝いているから真の闇というわけではないけれど。それでも動物たちのいない草原はどこか虚無感で溢れていた。


 風が吹いた。

 短い髪を抑えつけ、後ろから照らされた明かり気がついて、騎士の誰かが呼びに来たのかなと、振り返ってみればそこには同じように明かりを手にしたベルナルドが一人佇んでいた。黒髪が闇夜に溶けてしまいそうだった。



「で……んか……」

 レカルディーナはきょろきょろとあたりを見渡した。彼以外に人の気配を感じない。

 何か用事をでっちあげてこの場から立ち去りたい。けれど、まっすぐにレカルディーナを射抜くような眼差しを向けられると、足がその場に縫いとめられたように動かない。


「何をしている」

 ベルナルドが口を開く方が先だった。

「もうすぐリポト館ともお別れなので。なんとなくしんみりしちゃって。歩いておきたくなったんです」


 あれだけ心の中が迷走していたのに、自分でもびっくりするくらい普通に言葉が出てきた。

 ベルナルドも今日はいつもより静かな顔をしていた。


「しかし一人で夜出歩くのは感心しない。危ないだろう」

「殿下に言われたくありません。よくアドルフィートさんが許してくれましたね」


 護衛対象に危ないとかは言われたくない。どちらかというとベルナルドの方が厳重に守られるべき対象なのに。そんな意味も込めて彼の方を見上げると心外そうに眉をあげた。


 しかしすぐにまじめな顔に戻った。珍しく何かに迷っているような瞳をしていたが、不機嫌そうな顔ではなく帰り道の分からなくなった少年のような、少しだけ頼りない表情をしていた。


 無防備なベルナルドなんて初めてだ。憎まれ口をたたかないベルナルドとどうやって過ごしたらいいのかわからなくて、レカルディーナの方もそわそわとしてきた。


「……この間は悪かった」


 小さな声だったから最初はよく聞き取れなかった。

 レカルディーナはきょとんとしたが、察したベルナルドがもう一度今度は幾分大きな声で言った。


「この間は言い過ぎた。悪かった」


 レカルディーナは少しだけ俯いた。

 数秒そうして、そのあと顔をあげてベルナルドの方へ顔を向けた。


「あと、昨日も……色々と、悪かった」

「……いいえ。こちらこそ無神経なことを言ってしまって。だた、僕殿下に前を向いてほしくて。だから謝りたくないとか思っていたんですけど……」


 そこでレカルディーナは一度口を閉ざして逡巡した。

 いつまでも過去にとらわれてほしくなかった。けれど自分の想いだけを一方的に押し付けるのはお節介なのかもしれない。ベルナルドの謝罪の言葉を受けて、ダイラの言葉がすとんと心に落ちてきた。相手が嫌な気分になったのなら自分にだって非があるのだ。だったらきちんと謝らなくていけない。


「こちらこそ申し訳ありませんでした。僕の意見を押し付けるようなこと言って。何も知らない人からこうしろ! って言われたら気分悪いですよね。それで思い出しました。僕もここに来る前両親と喧嘩したなって」


 随分と遠い過去のように思えるけれど、女優になりたいというレカルディーナと反対する両親との話し合いは平行線をたどるばかりだった。あのときレカルディーナは分かってくれない両親に相当もどかしい思いをしたものだった。


「だから王宮に行っても殿下の気が済むまで引きこもっていただいて構いません。僕がお手伝いしますよ! まかせてください」


 レカルディーナはいたずらっ子が共犯者にみせるような笑みを浮かべてベルナルドのことを見上げた。どん、と胸を叩くとベルナルドがなんとも言えない顔を返してきた。


「いや、別に。引きこもりを手伝わなくていい。俺はただアンセイラが人々の中から忘れられていくのが嫌だっただけだ。俺が王子になった途端にすり寄ってきた奴らは、俺に言ったんだ。やはり女が国主だと頼りない、他国になめられると」


 レカルディーナは彼の言葉に耳を傾けた。




 ベルナルドは言葉を続ける。


「あいつらは簡単に掌を返して、俺の機嫌を取りに来た。それが当然であるかのように」

「そんな……」


 レカルディーナが小さく呟いた。

 あれは、立太子されて間もないころのことだった。 

病で無くなった王女に対する臣下の、貴族連中の本音を聞かされたベルナルドの心に灯ったのは怒りだった。幼いころから年下の従妹の努力を見てきたからこそ。


「だったら俺がもっとやる気のない、駄目な王太子だったら奴らはアンセイラのことを評価するかと思った」


 ただ彼女が忘れられていくのに堪えなかった。

 そういえば国王直系長姫なんて者もいたな、と

 人々の記憶から消えていってしまうことが辛かった。あれだけ努力をして、よい国主になろうと努めていた少女を、人々はあっさりと忘れてしまう。


「だったら! ベルナルド殿下がいつまでもぐちぐちいじけているんじゃなくって、ちゃんと部屋に絵とか飾って胸を張っていないと。引きこもっていないで立派な王子やって僕の隣にはアンセイラ姫が常にいますくらい言わないと。それが愛する姫に対する敬意だと思います」

「ちょっと待て。誰が誰を愛しているだと」


 話が思いもよらぬ方向に進んでベルナルドは訝しんだ。いつ、愛する人の話になったというのだ。

 しかし、レカルディーナは得意そうに続ける。


「え? だからベルナルド殿下はアンセイラ姫のことがお好きなんでしょう」

「別にそういう感情じゃない。単純に年下の従妹が努力を惜しまない姿に尊敬の念を抱いていただけだ。努力を間近で見ていたからなおさら悔しかったんだ」

「無自覚なんですね。大丈夫です。昔観た歌劇にも似たような題材の者がありましたから。そうだ、書庫にしまい込んだままにされている絵とか王宮に持って行きましょうね」


 だから違う。なのに話はどんどんベルナルドがアンセイラに恋愛感情を持っていたという前提で進んでいく。


「なんだ歌劇って。だから違うと言っているだろう。人の話を聞け」

「大丈夫です。僕がずっと殿下の傍にいますから。寂しくなったら言ってください。アンセイラ姫の思い出も、もっと僕やアドルフィートさんに話してください」


 おまけにとんでもないことを言ってきた。

 ずっとそばにいるとか、なんだそれは。

 ベルナルドは踵を返して歩き始めた。

 しかし、足音はベルナルド一人だけのものだった。ベルナルドは振り返った。


「ついてこないのか」

「え?」

「一人じゃ危ないだろう。送ってやると言っているんだ」


 二度も言わせるな、と重ねて呟くと、ようやくレカルディーナがこちらに向かって小走りをしてきた。彼女は自分が女だという自覚がまるでないから困りものだ。


「あ……ありがとうございます」


 そばまでやってきたレカルディーナがベルナルドの方を仰いでお礼を言った。

 月明かりと、カンテラの明かりに彼女の顔が照らされる。薄い緑色の瞳の中に、こちらに向けられた温かいものを感じてしまったのは、ベルナルドの気のせいだろうか。

 口元をほころばせた彼女に、つい見とれてしまいベルナルドは慌てて口元を引き締めた。


「どうせ帰り道なんだ。気にするな」

「はい」


 レカルディーナの柔らかな声がベルナルドの耳朶をくすぐった。

 二つの足音が重なって、それがとても幸福なことのように感じてしまってベルナルドはそんなことを思う浮かべた自身の考えを慌てて頭の中から追い払った。

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