三章 引きこもり殿下の事情1
朝、夢うつつの中、人の気配にベルナルドの意識は覚醒した。
昨日はなんだかんだと夜更かしをしてしまい長椅子でそのまま寝落ちをしたらしい。視界の焦点が合い、目の前の人物を確認するとベルナルドは勢いよく起き上がった。
「あ、殿下おはようございます。駄目ですよ、ちゃんと寝台で寝ないと」
にこりと笑みを浮かべた侍従の大きな瞳をまともに見てしまいベルナルドは内心うろたえた。朝から女が自室へ入り込む事態に頭が着いていかない。
長椅子の傍らで建て膝をついて、ベルナルドを覗きこんでいたのはルディオという新入りの侍従、というかつい最近女だと知れたレカルディーナという侯爵令嬢だった。こういうことにあまり頓着しないベルナルドだって、さすがに男の寝室に何のためらいも無く女性が侵入する自体が芳しくないことくらいは承知している。
「どうしておまえがここにいる?」
顔に手をやって前髪をかきわけながら尋ねると、呑気な答えが返ってきた。
「え、最近シーロにばかり殿下の御世話をまかせていたので。彼からも言われちゃったんですよね。男性の寝起きばかり見ていると萎えるって。ってあれ、これ殿下に言ったらまずいですよね。すみません!」
うっかり余計なことまで漏らしてしまったレカルディーナが慌てて謝った。
「おまえ自分が何をしているのか、自覚があるのか?」
「ええと、侍従のお仕事ですよね?」
そう返されてしまえばその通りだ。
彼女はベルナルドがその正体をすでに知っているとは露にも思っていない。
それでも、ベルナルドの方は以前のように彼女のことを男として見ることはできなかった。
女がそばにいることを黙認したのはベルナルドの方だ。ベルナルドは内心長いため息をついた。
「もういい。支度をするからおまえはそこにいろ」
ベルナルドはそう言いつけて続き間へと移動をした。
「手伝いますか?」
「いらない」
そう言い残して歩き出すとき、ちらりとレカルディーナの顔を盗み見れば、彼女はその顔に安堵の色を浮かべていた。
そんな顔をするくらいなら最初から男の振りなどしなければいいのに。
ベルナルドは奥の部屋へと入り扉を閉じた。
するりと身に着けていた衣服を脱ぎ、適当にシャツを着込む。近い距離に女性がいるなんてどれくらいぶりだろうか。自身に降りかかる縁談はことごとく破談にしてきた。
寝起きの顔を覗きこんできたのはアンセイラくらいだった。といってもお互い年端もいかない子供の頃のことだったが。
真面目な年下の従妹はベルナルドにとって尊敬の対象だった。幼いながらも己の立場と将来身を置くことになるだろう地位についてきちんと理解をし、周囲の期待から外れることのないよう努力することを惜しまなかった。すこし真面目臭いきらいはあるものの、二人きりになれば年相応の子供らしさをベルナルドに見せた。
こうして感傷的にアンセイラのことを思い出すのはまっすぐな視線をこちらに向ける少女が側にいるからだろうか。
こちらに笑顔を向けてくる少女は自分の夢の為に慣れない環境下で一生懸命にもがいている。それに比べると今のベルナルドは一体何をしているのだろう。エリセオにああ揶揄されてもおかしくはない。ベルナルドを知る者は大方同じ想いを持っていることくらいは察している。
―お兄様、わたくし立派な君主になるわ。それがお父様の娘に生まれたわたくしの為すべきことだもの―
そうやって年に似合わず大人びたことを告げた少女は今頃天上の国からベルナルドのことを呆れかえっているだろう。きっと怒っているかもしれない。
それでもベルナルドは政治なんて興味がないという風を装い続けている。こんなことをしてもアンセイラが喜ぶことなんて一つも無いのに。彼女の為と言いつつ王宮に嫌気がさしたベルナルドは彼女を言い訳にしているだけなのだ。
その日の昼下がり。レカルディーナは何故だかリエンアール宮に呼び出された。
理由を尋ねてもアドルフィートは何も告げずにとにかく行ったらわかると言うだけだった。迎えの馬車に乗せられてリエンアール宮へとやってくれば、明るいサロンへと通された。女性の好みそうな薄い黄色や桃色で内装が統一されている。
サロンには二人の女性がソファに座っていた。
一人はレカルディーナも知った顔、ファビレーアナである。もう一人も以前書簡を届けた貴婦人だ。灰色が混じった黒い髪に緑色の瞳をした女性である。てっきり女官だと決めつけていたが、今日の彼女は結いあげた髪に小ぶりの宝石のついた髪かざりをつけている。
もしかしたら身分の高い女性なのかもしれない。
「ごきげんよう。先日もお話したわね」
その女性が口を開いた。口元には柔和な笑みを浮かべている。
「ごきげんよう。……ええと」
挨拶をしようにもレカルディーナは目の前の貴婦人がどのような身分のものか測りかねた。ファビレーアナがおとなしく、それこそ借りてきた猫のようにソファの上でちょこんとしているので身分が高いのは核心が持てるが、名前までは分からない。レカルディーナから尋ねるわけにもいかないので、どうしたものかと視線を彷徨わせた。
「カシルーダ様失礼しますわね。ルディオ様、こちらのお方はカシミーロ三世のご伴侶であらせられるカシルーダ王妃様ですわ」
ファビレーアナはカシルーダに一言詫びを入れてから口をはさんだ。
貴婦人の正体を知ってレカルディーナは慌てふためいた。カシミーロ三世の伴侶ということは現国王の妃ということだ。ということは目の前のご婦人は王妃様ということになって、アルンレイヒで一番高貴な女性ということになる。
「王妃殿下にはご機嫌麗しゅう。ルディオ・メディスーニと申します。先日はとんだ失態をみせてしまいまして申し訳ございませんでした」
「あら、いいのよ。わたくしも正体を告げなかったのだもの。あなた、長らくフラデニアにいたのですってね」
カシルーダはおっとりと微笑んだ。
そしてそのままお茶の席への同席を促された。
「さあさ、今日はお菓子も沢山用意してもらったのよ」
「失礼します」
一介の侍従が王妃のお茶の席に同席するというよくわからない状況に陥ってしまいレカルディーナとしては恐縮のしきりであった。
侯爵令嬢でもあるレカルディーナは礼儀作法に問題は無いけれど、女としてのそれと男のふりをしてのそれとでは勝手が違うからどうしても緊張してしまう。
「ベルナルドは息災かしら」
カシルーダはお茶を飲みながら息子の様子を聞きたがった。やはり離れて暮らしているものの気になるのだろう。
「はい。毎日本を読んだり、お友達と戯れていたり、ええとお散歩をしたり……」
「ああ、彼のお友達ね。ちょっと変わっているでしょう?」
「ええと……」
肯定していいものか判断に迷ったレカルディーナは苦笑いを浮かべた。
「あら、ルディオ様。はっきり変わっていると言ってしまってよろしんですのよ」
ファビレーアナの方がよほど堂々としている。
「あら、あなた虫は苦手なのかしら」
「……」
レカルディーナは黙り込んだ。こっそりうかがった王妃はアンセイラと同じ緑色の瞳をしていた。
「うふふ。正直ね。ちょっと変わったところもあるけれど、根はいい子なのよ。呆れないでやってね」
「そんなことありません!」
レカルディーナは強く言った。
自分でも不思議なくらいだった。
「あら、頼もしいわね。ありがとう」
「でも、ルディオ様ったら先日ボートから転落したと聞きましてよ。なんでも殿下が無理を言って湖に連れ出したとか。熱まで出されてわたくしとても心配しましたわ」
それまでおとなしくしていたファビレーアナがずいっと身を乗り出してきた。ことの詳細までしっかり聞き出していたらしい。
「あら、まあ」
カシルーダも右手を口元に当てて驚いた様子を示した。
「で、でも! あのあと殿下気を使ってくれましたし」
レカルディーナは慌てて言い募った。
なんとなく、誤解されたままが嫌だった。
「そうなの。ベルナルドが……」
カシルーダは目を見張った。
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