一章 男装始めます3

 シーロと名乗った侍従の先輩は愛嬌のあふれる笑顔でレカルディーナを迎えてくれた。


 ひとまず同じ階にある侍従の部屋に案内をされ荷物を下ろした。もともと王族に仕える侍従は身分のある人物が務める職種だ。使用人よりも待遇が良く、個室は一般的な貴族の寝室に比べると小さいが床には絨毯が敷かれ、家具も立派なものが置かれていた。


 個室で休む暇も無く早速シーロから侍従としての仕事や役割を一通り教わって夕食会場へとやってきたのは夜も九時を回った頃だった。


 使用人とは別に近衛騎士と侍従専用の食堂があり、そこで改めてレカルディーナはベルナルド付きの近衛騎士に紹介された。王子付きとしてこれから頻繁に顔を合わすことになる同僚だ。


 夕食をつつきながらレカルディーナは尋ねたくて仕方なかったことを質問した。ちなみに長い食堂机の一区画、シーロと近衛騎士隊長アドルフィートに囲まれている。当り前だが男ばかりの空間で落ち着かない。


「えっと。その……殿下って……その、ずっとここに居るんですか?」


 エリセオの言葉引きこもりを出すのは憚られてレカルディーナは曖昧に口を濁した。


「あれ? 君知らないの。殿下はアルセンサス宮殿に引きこもっているんだよ、もうかれこれ四年くらいかな」

 シーロはレカルディーナの言いたいことを察したのかあっけらかんと言い放った。


「ええと、なんだっけ。そうそう離宮警備員をしているって殿下は言っていたっけ。俺たちは警備員の警護とかお世話をしている感じかな!」


 あははと豪快に笑う。この場にお酒は席になかったような気がするがよっぱらったかのような笑い方だった。


「えっと…」

「シーロ、言葉を慎みたまえ」


 どう相槌を返していいものか悩んでいたがアドルフィートの方が対応が早かった。ぱしんと小気味よい音が鳴り響いた。アドルフィートがシーロの頭をすぱんと叩いたのだ。


「いって。本当のことじゃないですか。殿下自らが離宮警備員っておっしゃってたのに」

「だとしてもだ」


 ということは引きこもりというのは本当のようだ。レカルディーナは乾いた笑いを顔に浮かべた。もはやどこから突っ込めばいいのかわからなかった。というか一国の王子が離宮で引きこもりって、それでいいのか。


「それはそうと、ルディオはどんな子が好みだ?」

「へっ?」


 シーロはベルナルドへの興味を失ったのか唐突に話題を変えてきた。好みってなんのだろう。舞台でのあこがれの人なら沢山いるけれど、異性の好みはよくわからない。


「俺的に今一押しなのは、このあいだ新しく入ったダイラちゃんね。あのつんとした冷たい視線とでっかい胸がたまらなくいいっ!」


 あれこれ思案し口籠ったレカルディーナに痺れを切らしたのかシーロがまたしても一人で喋りはじめた。とてもにぎやかな性格をしているようだ。


「シーロ。おまえは口を開くと女のことしかないのか」

「あたりまえじゃないですか、隊長」


 アドルフィートの言葉に別の騎士が話に加わってきた。金髪に水色の瞳をしたいかにも童話の王子様といった容貌の美青年である。ベルナルドの目付きが冷たくどことなく人を寄せ付けなかったこともあり、やさしげな目をしているこちらの青年の方がよほど王子様然していると思うレカルディーナである。隊長のアドルフィートは短い黒髪に灰色の瞳をしているのでその対比も真逆みたいで面白い。


「おまえまで桃色めいたことを……」

「新入り。俺はカルロス。よろしくな」

 斜め正面に座ったカルロスがにっと笑って挨拶をしてきたのでレカルディーナも慌てて返した。


「ダイラちゃん、美人さんなんだけどちょっと冷たいんだよね。もう少し笑ってくれるとうれしいな」

「カルロスよ、あのつんとしたところがいいんじゃないか」

「押しの子がかぶらないって重要ですよ、隊長。隊長はどんな子がいいです? あれ、そういえば許嫁がいるんですっけ」

「おまえらうるさい」


 こうなっては話題を変えることは難しく、このあとは食堂にいる全員が一通り好みの女の子像を語るに至った。

 高潔で硬派な騎士像を勝手に想像していたレカルディーナは現実と妄想、もとい理想とのあまりの違いに大きなショックを受けた。


「で、おまえはどうなんだよ~」


 シーロはなおもしつこくレカルディーナの好みの女の子を聞きだそうと絡んできた。にやにやと笑いながら事の成り行きを見守る騎士たちを見渡してレカルディーナは生身の騎士と物語の騎士は全然違うことを学んだ。


(こんな現実を知るためにここに来たんじゃないのにぃぃ)


 悲痛な叫びはもちろん口に出せるはずもなく心の中で絶叫するレカルディーナだった。




 翌日。

 レカルディーナはベルナルドの私室へ連れてこられた。相変わらず分厚いカーテンで閉められた室内はどんよりと重苦しい空気が漂っている。


「おはようございます、殿下。今日からよろしくお願いしますね」

「おまえの主な仕事はこいつらの餌やりだ」

 ベルナルドは読みかけていた本をぱたんと閉じて、億劫そうに口を開いた。

「こいつらって……」


 室内には網ののっかった盥やガラスの箱が置かれている。

 レカルディーナは訝しんだ。そして、本能で危機を察したのか、背中にたらりと汗が流れだすのを感じた。


「殿下の一番のお友達だ」

 なぜだかシーロが得意そうに胸を張った。

「友達……?」


 レカルディーナはしゃがみこんで、盥のなかを覗きこんだ。水が張られた盥の中は、あいにくと室内が薄暗いせいでよく見えない。

 レカルディーナは目を凝らした。

 じっと見つめること数十秒。何かが水の中でうごめいているのを感じ取って、「ひっ」と小さい悲鳴をあげた。


「な、なななんですか、これ」

「見ればわかるだろう」

 ベルナルドが再び口を開いた。先ほどよりも声が低いのは気のせいか。


「えっと……分かりません」


 ベルナルドは今度はシーロの方に視線を投げた。シーロがおもむろに別の盥の上にかけてある網を取り除いて、それから手を水の中に突っ込んだ。しばらくして、シーロは何かを掴んでレカルディーナの目の前に掲げて見せた。

 小さな、黒いものが至近距離に迫っている。そして動いている。足がある。


「キ……キャァァァァァァ! なんですか、これ!」

「うわあ、ルディオ女みたいな悲鳴だな」

 キヒヒ、とシーロが笑ったためレカルディーナは慌てて口元を押さえた。


「うるさい」

 ベルナルドは煩わしそうな顔をした。

「だ、だって……」


「こいつらは殿下のお友達のゲンゴロウだ。可愛いだろう? 俺も獲るの手伝ったんだぜ。こっちのガラスの箱の中にいるのは蜘蛛。毒はないから安心しな」

「あ、安心って……」


 レカルディーナの瞳に涙が浮かんだ。

 虫が大好きな女の子なんて、そりゃあ広い世界探せばいるだろうけれど、少なくともレカルディーナは苦手だ。


「おまえ男のくせに虫が駄目なんて情けないな。俺の姉さん言ってたぞ。虫をみて男が女よりも先に逃げ出すなんてありえない、なにそれって」


(いや、わたし男じゃないし……)


「いやなら出ていけばいいだろう。人出は足りている」

 ベルナルドは冷たく言い放った。

「ええぇ~。さすがに殿下の面倒俺一人はいやですよ。女の子ともっと遊びたいし」


 シーロがすかさず不満を口にした。仕える相手に本心そのまま意見を言う彼は大物かもしれない。

 レカルディーナだって、こんなことでくじけている場合じゃない。自由を掴み取るためには一年間何が何でも、この職場にしがみつかなければならない。


 はっきりいってやりたくない。女だとばれるのが先か心がぽきっと折れるのが先か、どちらだろう。多分心の方が先に折れるかもしれない。ここまで見越してレカルディーナをベルナルドの元に寄こしたのならエリセオは大分性質が悪い。


(だけど!)


 女に二言はないのだ。

「大丈夫です! 僕やりきって見せます! 殿下のお友達と仲良くなってみせます」

 レカルディーナは高らかに宣言をした。


「お、今度の侍従は威勢がいいなあ。前回のやつはほんの二ヶ月で逃げ出したからな。頑張れよ、俺の休みのためにも」

 シーロはからりと笑った。

「はい! ついでに殿下自身とも仲良くなってみせます!」


 そう宣言をするとベルナルドは暗がりでも十分わかるくらいに眉間にしわを寄せた。


「何が仲良く、だ。そんなものは必要ない」

 ベルナルドは閉じた本を持って歩き出した。

「あ、殿下どちらへ?」

 レカルディーナは慌てて追いすがろうとした。


「うるさい。俺にかまうな」

「ルディオはまずは、こいつらの世話の仕方からだな。はい、俺についてくる!」


 シーロはレカルディーナの肩にぽん、と手を置いた。その隙にベルナルドは部屋から出て行ってしまった。

 前途多難なレカルディーナの侍従生活の始まりだった。

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