一章 男装始めます

 レカルディーナはこっそりとため息をついた。

 さきほどから目の前に座る母の小言が長くて一向に離してくれないからだ。


「……寄宿舎に入ればもう少しおしとやかになってくれると思っていたのに」


 金茶色の髪の毛を結わえた母はハンカチを目に当て、レカルディーナを睨みつけた。彼女をというより、少年のように短くなった髪の毛を親の敵か何かのようにねめつけている。


「こんな……こんな。髪の毛を男のように短く切ってしまうような子に育てた覚え、わたくしにはないわ!」


(まあ、たしかにちょっとやりすぎたかな、とは思ったけど)


 勢いにまかせてばっさり切ったので、少年のように短くなっていた。

 人生思い切りが必要なことだってあるのだ。しかし、先ほど鏡を覗きこんでみれば女物の衣服が面白いくらい似合ってないくらい。


「十三から四年間寄宿舎で育ったんだから、別にお母様に育てられたわけでもないし」

「なんですって」


 どうやら聞こえていたようだ。

 ちなみに応接間にはオートリエとレカルディーナ、そしてなぜだかすぐ上の兄エリセオの三人のみだった。たまたま屋敷でくつろいでいた父セドニオはレカルディーナの短くなりすぎた髪の毛を目撃した直後倒れたのだ。今頃は寝室でうなされている頃だろう。

 その姿を目撃した執事がご丁寧に兄の所属する軍の指令室へ早馬を飛ばしたのだ。余計なことをしてくれたものである。


「レカル、あなたね。分かっているの? これがどんなに大変なことか」

「そう? 最近フラデニアでは短い髪型も流行り始めているのよ」

「ここはアルンレイヒです! フラデニアではありません」


 オートリエはレカルディーナの主張をぴしゃりと撥ねつけた。


 つい先日まで隣国フラデニアの寄宿学校に留学していたレカルディーナは思春期の四年間を過ごしたフラデニアの文化にとっぷりと浸かりきっていた。

 侯爵令嬢のレカルディーナが母の祖国でもある隣国フラデニアの名門女子寄宿学校へ留学したのも列車が開通し、二日足らずでフラデニアの王都へ行けるようになったから。


 フラデニアはオートリエの生まれ故郷でもあり、現在も母方の祖父母の住まいもある。長い休みは祖父母の屋敷に滞在し、すっかり人脈や地盤をフラデニアに築き上げたレカルディーナが寄宿学校時代にアルンレイヒへ帰郷したのは片手で数えるほど。


 その理由というのが。


「聞いて、お母様。わたし決めていたの。卒業したらメーデルリッヒ女子歌劇団に入って男役の女優になるって」


 レカルディーナは立ち上がってくるりと一回転し、得意気に言い放った。

「いい、お母様。メーデルリッヒ女子歌劇団はとにかくすごいのよ。凛凛しい騎士や王子様を演じているのもすべてが女性なのよ! そこらへんの男性よりもずっとかっこいいんだからっ! そもそもの始まりは十数年前に当時の責任者が他の劇団との差別化を図るために、女性だけで構成された劇団を創設しようと思い至ったことに端を発しているのよ。最初こそ、色もの扱いで苦難の連続だったけれど、評判が評判を呼び、いまや確固たる地位を築くまでになったんだから」


 母が娘の突拍子もない告白に絶句して口が聞けないことをいいことに、そのままいかにメーデルリッヒ女子歌劇団が素晴らしいかを得々と語った。


 アルンレイヒと比べて自由な気風で知られるフラデニアは大陸でも文化けん引役を担っている。ファッションや流行の発信地だ。そのフラデニアでは現在女性だけの歌劇団というものが大流行している。


 そもそもの始まりはレカルディーナが先述したとおりである。乱立する劇場の中で、目立つためには、客を呼び込むためにはどうしたらいいか。 

 観客の興味を引くために当時のメーデルリッヒ歌劇団が女性のみの歌劇団を設立したのだ。


 それがメーデルリッヒ女子歌劇団である。

 舞台に上がる役者全員が女性、さらには専用の楽団までもが女性というこの劇団は、いまでは若い女性から既婚女性まで幅広い層の女性からの支持を獲得するまでに成長した。


「あなたがメーデルリッヒ歌劇団に夢中ということは手紙で知っていたけれど……」

 ここまで重症だとは思ってみなかったわ、とオートリエは頭を抱えた。


「あなたね、仮にも侯爵家の令嬢が女優になどなれるわけがないでしょう」

「なれるわ!オーディションだって開催されるのよ。向こうにいる後輩が教えてくれたの。近々メーデルリッヒ女子歌劇団では新団員募集のオーディションが行われるのですって。幅広く募集するそうよ。わたしそれに参加したいの!」


 とにかく時間が無い。エルメンヒルデが送ってくれた新聞の日付は一週間前のものだった。開催日まであとわずかな時間しかない。


「これはもう運命よ! わたしは女優になるわ」

「侯爵家の人間が何を言っているのです。ねえ、それよりも女の子の幸せは好きな人と結婚することよ。あなたも今はフラデニアが恋しいのでしょうけれど、すぐにアルンレイヒの生活にも慣れるわ。とにかく一度冷静になって、ね」


 その言葉にレカルディーナはカチンときた。

 どうしてお母様は分かってくれないの、と。二言目にはすぐに結婚とか女の幸せとか言うのだ。オートリエ自身恋愛結婚をして父と結婚をした。

 父は再婚だったがオートリエは故国フラデニアの夜会で十三歳年上の父セドニオと一目会った途端恋をして、両親の反対を押し切ってアルンレイヒに嫁いできた。


「わたしはいたって冷静よ、お母様」

「それのどこが冷静だっていうの」

「お祖母さまだって、わたしの夢に賛成してくれているもの。一緒の屋敷に住めばいいっておっしゃってくれたし」


「それは単にあなたをフラデニアに留めておきたいだけよ」

「とにかく! わたしは本気だから。今すぐフラデニアに戻ります。じゃあね、お母様」


「そんなこと許しませんよ!」

「許さなくても知りません」


 レカルディーナは立ちあがって扉の方へと足早く向かった。善は急げというやつだ。


「ちょっと、レカルディーナ!話はまだ終わっていませんよ」


 オートリエが大きな声を出して制止を促したけれどレカルディーナは聞く耳を持たずに部屋から逃げ出した。兄はそんな妹をちらりと一瞥しただけでとくに何も口出しをしなかった。このとき、自分自身の未来のことで頭が一杯だったレカルディーナは兄の瞳が面白そうにきらりと光ったことには気づかなかった。


 しかしレカルディーナの女優になろう計画は最初のところでとん挫することになった。女主人の命令を忠実に実行した家令以下使用人らによって自室軟禁の憂き目にあったのである。




 レカルディーナが自室軟禁処分になって早十日。

 今日も自室で鬱々とした気分で過ごしていたところにすぐ上の兄エリセオが尋ねてきた。

 すぐ上の兄と言っても年は十七歳のレカルディーナより八歳離れている。


「で、十日間自宅軟禁をしてみてどうだった?」 


 口を開くなりエリセオはにっこりとほほ笑みかけてきた。その笑みにレカルディーナは片眉を器用に釣りあげた。本当に軍隊に所属しているのか、と思わせるような軽薄ななりをした兄のことは昔から苦手だった。


 エリセオともう一人の兄であるディオニオとレカルディーナは異母兄妹である。母譲りの金茶髪に黄色を帯びた薄緑色の瞳をしているレカルディーナとは違い、エリセオは明るい栗色の髪に深い森色の瞳をしている。兄二人はセドニオと前妻との間に生まれて、その後政略結婚した妻に先立たれたセドニオがオートリエと再婚し生まれたのがレカルディーナなのだ。母違いの兄二人とは年が離れているせいもあり、小さいころからなんとなく馴染めなかった。長兄はいつも怖い顔をしてにらんでくるし、次兄は食えない性格で本音が見えなかった。異母兄妹のため髪も瞳の色も共通点なんてないけれど、レカルディーナのすっと通った鼻筋や涼しげな目元はどことなくエリセオと共通点があった。二人とも父セドニオ似なのだ。


 今だってどうして妹の部屋にわざわざ尋ねてくるのかが分からない。

 訝しげににらんだ妹の表情にエリセオは大げさに肩をすくめてみせて口を開いた。


「自宅軟禁状態なのに脱走未遂が五回に、脱走が二回。うち一回はアトーリャ駅までたどり着くんだからものすごい根性というか行動力だよね。最近の寄宿舎はなんともすごい教育をしているんだなって感心したよ」


 兄の言葉にレカルディーナは無言を貫いた。

 小さなころからずっと思っていたけれど、長兄とは違った意味でこの兄のことも苦手だった。人のことをまるで珍獣かなにかとでも思っているのか、観察をするような目つきで見つめてくる。


「父上も嘆いておられたよ。いまだに君のその髪を見てはゆらりと体を倒しそうになるし。駄目だよ、君は父上にとってやっと授かった一人娘なんだからもっと親孝行してあげないと」

「……別に向こうが勝手にわたしに理想を押しつけてきているんじゃない」


 レカルディーナは口をとがらせた。

 母も父も勝手に理想の娘像を押しつけてくるから困りものだ。ライツレードル女子寄宿学院生活も規則だらけで窮屈だったけれど、それでも同世代の女の子との共同生活は両親との生活よりかは楽しかった。


「元気すぎるレカルディーナに少しでも女の子らしくなってほしいと思って義母上は故郷でも屈指の名門寄宿舎に入れたのに。父上の反対を押し切ってまで。真逆に育つんだから子育てってむずかいしよね」


 エリセオは大げさに嘆いてみせた。どうも先ほどから口調が妙に芝居掛かっている。

 そうか、嫌味な男を演じるときはこの兄を参考にしたらいいかもしれない。しかしやはり女優を目指すのだからお姫様を華麗に助け出す王子様や騎士役をやりたい、とレカルディーナの頭の中はせわしない。


「レカル、聞いている?」

「え、聞いているわよ。厳しい学校だったけれど、おかげで真夜中のお茶会とか、窓から脱走とか色々と楽しいこともできたし。結果的に感謝しているわよ」


 寄宿学校に入れられた当初こそは寂しくて枕を濡らしたこともあったけれど、それでも卒業をしてみれば楽しいことの方が多かった。

 オートリエの実家は複数の事業を手掛ける商会を持っているが、爵位を持っているわけではい。いわゆる新興の金持ちに分類される家だった。子供とは残酷なもので成金出の母を持つということで幼いころは貴族子女らからいじめられたものだった。


 いくらそのへんの貴族よりも裕福な家だとはいえ、そこはやはり貴族社会でオートリエも今でも保守派貴族の婦人との付き合いには苦心していた。


「まあ、そんなことはどうでもいいけどさ。君この先もずっと女優宣言は取り下げないわけ?」

「当り前じゃないの! わたしは絶対に女優になるのよ。男役の頂点に上り詰めるわ」


 レカルディーナは拳を握って叫んだ。

 ここは絶対に譲れない。大好きなメーデルリッヒ女子歌劇団に入団するのがいまのレカルディーナの最大の目標なのだ。


「ふうん。隣国では女性だけで芝居をする劇団が流行っているって聞いていたけど、その毒牙がまさか名門女子寄宿学校の内部にまで及んでいるとはね」

 エリセオの声は呆れを含んでいた。

「何よ、女子歌劇団を馬鹿にする気?」

 彼女は兄を睨みつけた。


「別に馬鹿になんてしていないさ。ここで僕とメーデルリッヒ女子歌劇団について討論しても時間の無駄だよ。それよりも今日はもっと現実的な話をしようと思って面会しにやってきたんだ」


 現実的な話、というところでレカルディーナの耳がぴくりと反応した。これまで両親にいくら訴えてもまったく取り合ってももらえなかった。

 女の幸せはいい相手と巡り合って結婚の一点張りの母と、しばらくは親子のふれあいの時間を持ってしかるべき時(数年後)に良縁を、と言う父の言い分が覆ることはなかった。


 レカルディーナが黙ったままだけれど、こちらの話に興味を持ったことを感じ取ったのかエリセオがにやりと笑みを深めた。


「賭けをしよう、レカルディーナ」


「賭けですって……?」

「そう、賭けだ。おまえが勝ったら自由をあげよう。隣国でもどこにでも行って女優になればいいさ。両親の説得も僕がしてあげるし、色々と協力してあげるよ」


 いくらなんでも条件が破格すぎる。

「それで? わたしが負けたらどうなるの」


 レカルディーナは注意深く尋ねた。この兄が無条件で自分の味方になるなんて。絶対に何か裏があるに決まっている。


「負けたら僕の勧めに従って結婚でもしてもらおうかな」


 エリセオは爽やかな笑みを浮かべた。爽やかさに騙されそうになるが、要するに負けたら兄の手駒になれということだろう。

 侯爵家の次男であるエリセオは侯爵家を相続するディオニオとは違い自身で生活の糧を見つけなければならない。現に今だって軍隊に属している。ようするに彼の今後の出世の為の道具にされるということだろう。


「どう? いますぐにでも結婚させられるよりも自分で自分の道を切り開く機会を得られるってかなり重要なことだと思うけど。ちなみに期間は一年間」

「一年って、そうしたら今度のオーディションは受けられないじゃない!」


 反射的にレカルディーナは叫んだ。

 メーデルリッヒ女子歌劇団の団員募集のオーディションはもう差し迫っている。一年も悠長に待てない。それに女優は若さだって勝負だ。頭角を現す子は十代前半から舞台経験を積んでいるのも珍しくはない。レカルディーナの年齢だと遅すぎるくらいだ。


「どのみち今回は無理だよ。あんまり侯爵家の警備と力を甘く見ない方がいいよ。現に義母上は君の短すぎる髪の毛を気にするあまり、今度はアルンレイヒの辺境の修道院に預けようかと検討しているみたいだし」

「!」


 つけ毛を用意するではなく辺境の地に閉じ込めるというところに母の本気を感じたレカルディーナだった。辺境の修道院に閉じ込められては脱走しても旅路の資金確保だって困難になる。第一、四年もフラデニアに住んでいたから、アルンレイヒの地理感覚だってさっぱりだ。王都から離されてしまっては脱走計画もとん挫してしまうだろう。


「ついでに色々と調べてみたけれど」


 エリセオは笑顔を保ちつつ先を続けた。別にレカルディーナが聞いていようといまいと関係ないという風に独り言に近かった。


「男役で人気があるのは二十代半ばくらいなんだったね。やっぱり女性は年上にあこがれるのかな。今いる一番人気の女優も確か年は二十四だったって話だし。ついでにこれも余談なんだけれど、メーデルリッヒ女子歌劇団は幅広い才能を集めるために今後も年に一度くらいの間隔で団員募集のオーディションを開催していくって話だったよ」


 だから、まあ賭けとしては悪くはない条件だと思うんだけど。そうにっこり笑ったエリセオにレカルディーナが落とされるのはこのあとすぐであり、条件を尋ねる妹に兄はやっぱりきらりと瞳を煌めかせてこう説明したのだった。


「簡単だよ。一年間男のふりをして女とばれずにベルナルド王太子殿下の侍従として仕えることができたら、君は自由だ」


 男役の練習もできて一石二鳥だろう、とエリセオはとびきりの笑顔を浮かべたのだった。

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