第16話 語り合う

「疲れていたんだろう」

 言ったのはカクさんだった。

 カクさんのいた世界にいるという機竜。

 こいつを倒すと機竜の力を得る代わりに呪いを受けるという。

 そのおかげでカクさんは異性に自身の声を聞かせる事が出来ない。

 もっとも、その呪いは意識のある相手に限定される事が分かったから、こうしてマホちゃんさえ眠ってしまえばマホちゃんの心配をする事もなく会話をする事が出来る。

「カクさんも会話に混ざりたかったんじゃないの?」

「まあな。なかなか面白い話だった」

 一見すると朴訥とした印象を受けるカクさんであったが、その実はきっと話好きの気さくな人間なのだろう。

 まだ出会って数日しか経っていないが、何となくそれが分かる。

「カクさんの世界はどんな感じだったんだ? 機竜がいるらしいって事くらいしか分からないんだ」

「ユウやマホのいた世界とは全然違うな。魔法も電気もない。何かを作っても機竜が全て壊してしまう。俺達は群れを作って、移動しながら生活をする。機竜から逃げながら。俺の世界は機竜が支配しているんだ」

 遊牧民のような生活か。

「大変なんだな」

「生まれてからずっとそんな生活だからな。大変も何もない。それが当たり前なんだ。それに今は独り身だ。気楽なもんだよ」

「そうかい」

 カクさんの身の上については少し聞いた。

 決して気楽であるはずがない。

 ただ、カクさんがそう言うのなら俺は何も言わないでおこう。

「それにしても火をおこすにしろ肉を捌くにしろ随分と手際が良かったな。今度俺にも教えてくれよ」

 アウトドアに行ってこんなに手際よく動けたら、きっとモテるに違いない。

「長い旅になりそうなんだ。嫌でも覚えるよ。それよりどうだ、一杯」

 そう言ってカクさんは懐から革袋を取り出した。

「何それ」

 もしかして酒?

「こっちに飛ばされる時に偶然持っていたんだ。ちびちびやろうと思ってたんだけど、こっちの食べ物も美味いからな。美味い物がある内に美味く飲む。贅沢だろ」

 カクさんが放り投げたのを受け取る。

 それからカクさんは飲めよとでも言うかのような仕草をした。

 どうしよう。

 未成年なんだけど。

 いや、でもここ日本じゃないしな。

 治外法権だよな。

 カクさんの世界の酒とかこの先一生飲めないもんな。

 まあ良いか。

 自分を納得させてから、革袋の中の物を少し口に含む。

 アルコールを感じた。

 確かに酒だ。

 ただそれ以上に俺の知っている苦いだけの酒とはだいぶかけ離れていた。

 ジュースのような甘みがした。

 飲み込む。

 するとさっきまで感じていた甘みが一瞬にして消え、鼻を爽やかな香りが駆け抜けた。

「お、おおう…美味いなこれ」

「今度はこの肉を食べてから飲んでみな。きっと美味いぜ」

 カクさんに言われた通りにウォーウルフの肉を頬張ってから酒を飲んだ。

「んんっ!」

 さっきとはまた違った味わいが口一杯に広がった。

 ウォーウルフのジューシーな味わいと酒の持つ豊かな甘みが混じり合う。

「ヤバいな」

 自分の語彙力ではこの美味さは表現できない。

 この一言に全てを凝縮させるのが精一杯だった。

「だろ? 俺にもくれ」

 カクさんに革袋を返す。

 カクさんも同じように肉を喰らい、そして酒を呷った。

 とても幸せそうな顔をしている。

 お互いに酒の入った革袋を投げ合いながら無言でウォーウルフの肉を無言で食べ続けた。

 いつしか肉がなくなってくると少しずつ会話が始まる。

「これ酒だろ? 俺、酒なんか初めて飲んだよ」

「そうか。珍しいな」

「俺のいる国じゃ二〇にならないと酒は飲めないんだ」

「飲んで大丈夫なのか」

「大丈夫だ。ここは日本じゃない」

「違いない」

 些細な事も面白く感じられ、俺達は何でもないのに面白おかしく笑っていた。

 酔っているのだろうか。

 だとしたら酔うのも悪くない。

 いつも父親がベロンベロンになって帰ってきて、こうはなりたくはないと思っていたが、少し考えを改めよう。

 酔っても良いじゃないか。

 気持ち良いんだから。

「それより、これ何て酒?」

「ラバルって言うんだ。グルゴゴから作るんだ」

「へえ。グルゴゴって何だ?」

 何がおかしいのか分からないが、そこでまた二人して笑った。

 思いのほか、強い風が風が吹くと、もう勢いがなくなり始めていた焚火が消えた。

 二人の笑い声が聞こえる。

「火、焚くか?」

「いや、明日も早い。このままで良いよ」

 無言の時間が流れた。

 暗闇。

 目の前にはカクさんがいる。

 けれど、今この瞬間において俺はこの世界に一人ぼっちだ。

 地球とは異なる世界に飛ばされた。

 そんな中での一人ぼっち。

 もう一度、風が吹いた。

 青い匂いがする。

 こんな匂い、俺がいた世界では絶対に感じられなかった。

「おっと」

 風に吹かれたせいか、酔っているせいか、バランス感覚を失って地面に倒れた。

「大丈夫か」

 カクさんの声がしたが答えなかった。

 声が出なかった。

 視界に広がる星空。

 それに目を奪われていた。

 こんな星空、見た事がない。

 星々が幾千と集まって明滅している。

 数えきれないほどの光が瞬いているが、大地を隈なく照らすにはまだまだ光量が足りない。

 ともすれば不安になりそうな心許ない輝きを放つ星々を見て、一切の思考を失った。

 酒のせいで浮遊感を覚える身体。

 全てを忘れさせるほどの景色。

 微かに香る青さ。

 それらを感じて、少しずつ身体の力が抜けて行くのを感じた。

「綺麗な空だな」

「…見慣れた空だ」

「カクさんのいた世界じゃあこれが普通なのか」

「普通だ。見飽きた景色だよ。俺からすればハジマーリの景観の方が新鮮だった。機竜が容易に襲ってこないような場所じゃないとあんな建物は作れない」

「そうか。俺からすればそっちの方が見慣れているよ。むしろあれはド田舎、辺境の地だな」

「ユウはそんなに発展した地から来たのか」

「そうだよ。でもそれももうすぐ終わるらしい」

 カクさんからの返事は無い。

「俺の世界、滅びるんだとよ」

 カクさんの返事がないから、俺は話し続けた。

「シンがな、そう言ったんだよ。俺に世界を救えとも言ってきやがったな。本当、迷惑な話だ…なあ、カクさん」

「どうした」

「正直さ、世界なんて滅んでも良いやって思ってるんだ。どうせ俺の人生、どこかの誰かが歩んだような人生にしかならないんだ。だったら世界の終わりと共に死ぬのも劇的かなってさ。でもさ、この星空を見て思ったよ。こんな景色が見られる場所が、俺のいる世界にもあるらしいんだ。そこで好きな女と一緒に星を見る。そうしたら、それもきっと劇的だよな」

 思っている事、思ってもいない事が次々と口から出てくる。

「そうだな」

 随分な棒読みだな。

「カクさんもマホちゃんもきっと理由があってこの世界に飛ばされたんだよな」

「きっとな」

「自分から話さない限り俺は聞くつもりはないけどさ、それでも大体の事情は想像出来るんだ」

「…」

「だから思ったんだよ。これはインターバルなんだって」

「インターバル?」

「休憩って事。この世界での旅はきっと、元の世界に帰った時に待ち構えている辛い事を覚悟するための時間なんだ。旅をして、色んな世界の色んな事を知って、それで対策を立てる時間なんだ。心の準備をするんだ…なあ、カクさん」

「どうした」

「辛いなら、辛いって言えば良いんだと思うよ」

 不意に初めてカクさんに会ったあの日の事が思い浮かんだ。

 カクさんが自分の事情を淡々と話す様子が視界に広がった。

 それは何でもないようでいて、何でもあった。

「そうだな」

 このそうだなはどこか柔らかく、そして湿っていた。

 無音。

 無心。

 時間だけが動いている。

 酔いに任せて、取り留めのない事を考えた。

 しかしその思考も時折吹く風がどこかへ吹き飛ばしてしまう。

「にぃーくぅーっ!」

 突然、そんな叫び声が聞こえた。

 マホちゃんの寝言だ。

「どんだけ食べたりないんだよ」

「いくら食っても足りないんだろ」

 二人で笑った。

 何だかな。

 おセンチな気持ちが台無しだ。

「じゃあ明日以降の事でも話してから寝るか」

「そうだな」

 身体を起こすと、カクさんと明日以降の旅程について話し合った。

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