第9話 潜伏2


 始まりの町上層にある巨大な神殿。

 プレイヤーがガチャを引いた際にキャラクターが召喚される場所だが、その神域は今では丸ごと騎士団の本部となっていた。

 大理石造りの神秘的なロビーを抜け、炎帝のメドヴィエルは騎士団作戦室に到着した。

「入るぜ」

 煩わしそうな表情を隠さず、メドヴィエルはノックもなしに作戦室のドアを開けた。

 中では見慣れた人物がメドヴィエルを待っていた。

 現ワンダー・ブレイド最強のスーパーレアキャラクターであり騎士団のリーダー……木龍の魔剣士バルバトス。

「ようこそ。遠慮せず掛けてくれ」

 言われるまでもなくソファにドカッと腰を落とすメドヴィエル。頬杖をついてバルバトスを睨み付ける。

「何の用だよバルバトス。またお叱りをしていただけるのか?」

「そういうことになるね」

 けっ、とメドヴィエルは床に唾を吐き捨てる。

「またノーマルキャラ達と揉め事があったらしいが、緊急メンテナンスが明けてから何度目だい?」

「クソ旅団のメンバーなんだ。ぶっ潰したって構わねえだろ?」

「そういうわけにはいかない。彼らも一応ワンダー・ブレイドのキャラクターの一人だからね」

「よく言うぜ。下層の連中を一掃したお前ともあろうもんがよ」

「別に彼らのことを気遣って言ってるわけじゃない。全てはこのゲームの秩序のためだ。キャラクターを相手にエアロ・シュトロームを放つのは初めてだったからね。あの一撃でプログラムが破損するとは思わなかった。緊急メンテナンスになってしまったのは僕の責任だ。だからこそ皆で決めたはずだ。必要以上に創生旅団との戦闘行為を行わないと」

 あの日……下層のノーマルキャラクター達との一戦以来、始まりの町の空気は険悪極まりないものとなっていた。

 現状、ほぼ全てのノーマルキャラクターは創生旅団に属しており、また多くのスーパーレアが騎士団に所属している。

 どちらにも属していないと思われるキャラクターも少なからず存在しているが、〝それを確認する手段が双方にない〟というのが何よりも問題で、創生旅団はスーパーレアを見かければ騎士団だと考え、騎士団はレアキャラクター以下を見かければ創生旅団だと想定する。

 始まりの町でノーマルキャラクターを目にしたスーパーレアは問答無用で睨みを飛ばされ威嚇する。

 だがノーマルキャラクター達はそんな睨みに怯むことなく憮然とした態度で睨み返す。

 彼らには既に、スーパーレアを倒したという実績がある。もはやレアリティによる力関係などに怯む者はいない。

 その増長はひたすらスーパーレア達のプライドを逆撫でし、始まりの町ではキャラクター間の揉め事が多発していた。

 そしてその事案の実に三割を起こしている人物がメドヴィエルだった。

「連中をつけあがらせとくってのかよ?」

「やむを得ない場合はこちらも考慮するが、君の場合はちょっと頻繁すぎるね」

「今回がまさにやむを得ない場合だったのさ」

「違う。君はただ彼らに負けた屈辱を晴らしたいだけだ」

「俺は負けてねえ!」

 テーブルを蹴り飛ばして立ち上がるメドヴィエル。それを氷のように冷えた瞳で眺めるバルバトス。

「違う。君は負けた。その事実は受け止めてもらわないと困る」

「あれは――ッ、俺が油断してただけだ! 本当ならこの俺がノーマルキャラなんぞに負けるわけねえ!」

「違う。君は負けるべくして負けた。実力通りに必然の結果としてね」

「テメエッ!」

 堪え切れずにバルバトスの胸倉を掴み上げるメドヴィエル。

 額が突きあうほどに顔を近づけ、獣のような眼光でバルバトスを射抜くメドヴィエルだが、バルバトスは尚も鉄面皮を崩さない。

「――まだ理解できないのかい? 君ほどのスーパーレアでも戦術を誤れば敗れるんだ」

「……ッ」

 胸倉を掴み上げるメドヴィエルの右手を振りほどき、バルバトスは静かに語り掛ける。

「今までどれほど強靭なモンスターが相手でも我々は勝利してきた。何故だと思う」

「俺たちが……強えからだ」

「違う。〝勝てるように設定された敵だったから〟だ」

 黙するメドヴィエル。バルバトスは続ける。

「全てのモンスターは、そのヒットポイントからスキルや弱点、行動パターンに有効戦術まで、全てを曝け出した上で我々と対峙する。何十万人というプレイヤーが情報を交換し、戦術を編み出し、運営はプレイヤーがダンジョンをクリアできるようにモンスターの強さを設定する。だから我々は勝利するんだ」

「……」

「だが創生旅団はそうじゃない。彼らは〝本気で勝ちにくる〟よ。あの日の戦いを見ればそれが分かる。理想的なパーティ構成に、理想的な陣形で、理想的な戦法をとっていた。彼らはとっくに戦術を確立させていたんだ。たった二人で無策に突っ込んでいった君とは違ってね」

「……」

「だから君は負けるべくして負けた。その事実を正しく認識しなければ、我々はこの戦争に勝てない」

「……てめえは、たった一人で何十人もぶっ殺してたじゃねえか。本当に強え奴は一人でだって勝て――」

「あの勝利は僕だけのものじゃない。僕と、シンシアと、ラティのものだ」

 謙遜なくバルバトスは言い放った。

 最強のスキルで下層ごと全てのノーマルキャラクターを葬ったこの男は、それでも自分だけではノーマルキャラクター達には勝てなかったと本心で口にした。

 あの勝利は自分と、シンシアと……そしてただの初期レアであるラティなくしてあり得ないものだったと。レアリティもプライドも度外視した純然たる事実として掲げた。

 だからお前も自らの敗北を正しく認識しろ、と暗に諭され、メドヴィエルは苦々しく視線を逸らした。

「――今日、ワンダー・ブレイドのダウンロード数が790万を突破したらしい」

 バルバトスは作戦室の窓からそっと始まりの町を見下ろしながら言った。

 平穏を着飾ったようなこの町は、そう見えるように作られているだけだ。その内側では醜い私怨とレアリティ格差の怨讐が渦巻いているのをバルバトスは知っている。

 やがてそれらは溢れだし、町を呑み込んで憎しみの炎で焼き尽くすだろう。

「決戦は近い。なのに騎士団は万全とは言い難い状態で800万ダウンロードを迎えることになるだろう。君のくだらない自尊心を尊重している時間は一切ないんだ」

「……うるせえよ」

 メドヴィエルは苦し紛れの悪態をついて踵を返す。扉を叩き壊すほどの勢いで閉め、そのまま作戦室を後にした。

 バルバトスは疲れたように壁に背を預け黙考した。

 ワンダー・ブレイドの人気は未だ衰えず、残り10万ダウンロードなど一週間もかからず突破するだろう。

 だというのに、未だ騎士団は団員の統制すらままならない状態にある。

 その不始末はリーダーである自分の責任だ。

 自分は、この〝たった二○人しかいない組織〟をまとめることすら満足に行い得ない……情けなさがバルバトスを苛む。

 創生旅団にとって騎士団は最大の脅威であり、恐るべき戦力をもつ怪物たちの巣窟のように見えているだろう。が、その内情は驚くほどに脆い。

 騎士団は個々人のスペックの高さによって成り立つ組織だ。

 少数精鋭と言えば聞こえはいいが……実際には単純に二○人しかメンバーが集まらなかったというだけの話だ。

 レアリティに格差があるように、スーパーレア間でもスペック格差が存在する。外れスーパーレア……この世界で最上級のレアリティを与えられながらも出撃する機会がなく忘れられる者たちも決して少なくない。

 彼らは身を挺してまでこの世界の秩序を守りたいとは考えない。彼らが戦ったところで、守られるのは現在の主力キャラクターの地位だけ。自分たちのメリットなど何もないのだ。

 騎士団に所属するメンバーは確かにワンダー・ブレイド指折りの猛者たちかもしれない。だがそこにあるのはただの保身。自らの地位を守りたいという浅はかな考えしかない者たちがほとんどだ。

 そんな志は、創生旅団の者たちとなんら変わるところではない。

 そんな、バルバトスの思想とは真っ向から衝突する理念を掲げる者たちを一つにまとめ上げることは至難の業だった。

「……間違ってる」

 こんな世界は間違っている。

 自分たちが何のために存在するのか。それを理解もせず嫉妬に狂う愚者たち。ここはそんな亡者で溢れている。

 この世界はもう、内部から崩壊し、腐りきっている。

 騎士団が行っていることは対処療法に過ぎない。この歪みを正す方法などもうこの世に存在しないのではないかとすらバルバトスは諦観している。

 だがそれでも、バルバトスは戦うしかない。いずれ多くのプレイヤーがこのゲームに見切りをつけ、サービスが終了するその時まで。


 そのとき、作戦室のドアがノックされた。

「失礼します」

 入室してきたのは一人の暗殺者だった。

 まだ少女と言って差し支えない容姿をしているが、ワンダー・ブレイドに実装されたのはバルバトスよりも遥かに早い時期だ。

 アップデートによる強化もされず、プレイヤーからも運営からも存在を忘れられ、当然のように出撃の機会などないレアキャラクター。

 リリィ。それが来訪者の名前だった。

「念のために聞くけど、誰にも見つからなかっただろうね?」

「はい。隠密行動はアサシンの専売特許ですから」

 得意げに胸を張るリリィ。確かに隠密スキルはそう多くは存在しない希少スキルだ。

 とはいえこのゲームにおいて暗殺者のもつスキルはもうほとんど使い道がない。『一ターン敵の攻撃を高確率で回避』や『先制攻撃』スキルなどの一癖あるアビリティスキルを持つキャラクターが多く、プレイヤーの戦略の幅を広げる――という狙いが運営にはあったのかもしれないが、蓋を開けてみれば単に使い勝手が悪いだけで、結局わかりやすく使いやすい優秀なアビリティを持つキャラクターを差し置いてパーティに入る余地はないという不遇な職業だ。

 ――そんな、真っ先に創生旅団に勧誘されてもおかしくないほど悲壮感の漂うこのキャラクターこそ、騎士団内で誰よりもバルバトスからの信頼を勝ち取っている人物でもある。

「依頼されていた資料を届けに参りました。こちらです」

 リリィはそう言ってテーブルの上に数十枚の資料を置いた。

 この中には騎士団にとって非常に有益な情報がいくつも記されており、創生旅団との戦いを前に必要不可欠なものばかりだった。

 それをわずかな期間で収集してみせたリリィに、バルバトスは最大限の敬意をこめて返答した。

「ご苦労様。なんとか間に合ってよかったよ。聞いてるかもしれないけど、今日ワンダー・ブレイドは790万ダウンロードを突破した」

「はい」

「ということで、一週間以内には創生旅団との決戦が予想される。――君の仕事もいよいよ大詰めだ。抜かりはないね?」

「もちろんです、バルバトスさん」

 リリィの返答に満足し、バルバトスは頷いた。

「正直なところ、君は戦力として数えていない」

「……承知しています」

「でも、君にはそれ以上に重要な成果を期待している。ぜひ応えてくれ」

「はい!」

 騎士団においてレアキャラクターはラティとリリィの二人しかいない。

 その中でも例外的にスーパーレアに匹敵する働きができるラティを除けば、リリィの戦闘力は騎士団内では飛び抜けて低い。

 だがそれ以上に彼女の存在は陰で騎士団を支え続けてきた。

 スパイとして創生旅団の情報を騎士団に流し続け、そして創生旅団のリーダーであるフリージアを間近で監視し続けてきた功績は計り知れない。

 加えて、そのフリージアから強い信頼を寄せられている点も非常に好都合。スパイとしてはまさに理想的とも言える。

 何より……リリィの中に断固として存在する思想は、バルバトスと全く同じものだった。

 レアリティの格差による差別的な一面すら見せるバルバトスも、リリィとはその垣根を越えて親しかった。

「よし。下がっていいよ。君は引き続き情報収集を頼む」

「了解しました」

 リリィは恭しく頭を下げて作戦室のドアに手をかけた。だがそこで、彼女の手が止まる。

「バルバトスさん……」

「なんだい?」

「騎士団と創生旅団は……戦うしかないんでしょうか。同じゲームのキャラクター……仲間、なのに……」

「無論だ」

 断固としたバルバトスの言葉に、リリィは悲しげに瞳を伏せる。

「戦いを望んだのは創生旅団だ。騎士団はあくまでも秩序を乱す異分子への対抗勢力でしかない」

「……承知しています」

 だが割り切ることはできないのか、リリィは終始暗い顔を浮かべていた。

「今回の戦争が終わっても、また次があるんですよね。メンテナンスの度に、戦争は起こるんですよね」

「今回以降は騎士団ももっと地盤を固めているはずだ。遅れをとることはない」

「キャラクター同士でずっと憎み合って、始まりの町もギスギスしちゃいますよね」

「キャラクター間の揉め事は騎士団が可能な限り鎮圧する。……とはいえ、メドヴィエルのような奴がいるのも悩みの種なんだけどね」

 二人は同じ話題について話していながら、その論点は大きく食い違っていた。

 リリィはぎゅっと黒装束の裾を握った。

「……哀しい、ですね」

「それ以上に馬鹿馬鹿しいね。つくづく愚かだ」

 リリィとは全く違う観点から返答を返すのは、バルバトスなりの抵抗の姿勢でもあった。

 益体のない感傷に浸るつもりはない。創生旅団はただ殲滅するのみ。

 それがバルバトスの決定だ。リリィは諦観のままに受け入れるしかなかった。

 もう創生旅団との全面戦争は避けられない。それから先もこの狭い箱庭の世界で、キャラクター達は互いに憎み合い殺し合い続ける。

「……バルバトスさん。もう一つお話があります」

「なんだい?」

「……あの、できればこのことはラティさんには秘密にしておいていただきたいんですが」

 胡乱気に眉をひそめるバルバトス。リリィは先ほどよりも更に一層悲しみを滲ませた瞳でぽつりと言葉を発した。

「創生旅団に……カインさんが入団していました」

「ふーん」

 悲痛な面持ちのリリィとは対照的にバルバトスは心底興味がなさそうに適当な相槌を返した。

 個人的にカインに思うところなど何もないバルバトスにとっては、それなりに強力なレアキャラクターが創生旅団に加入した、程度の認識だった。

 だがリリィの言いたいことには察しがついた。

「まあ、確かにわざわざラティに教えるようなことでもないね。変にショックを与えるのも悪影響でしかないし」

「……ありがとうございます」

 ラティの姿を思い浮かべ、心から気の毒そうに瞳を伏せるリリィ。

 その気持ち自体はバルバトスにも十分理解できた。

「このゲームのリリース当初からずっと一緒にいた初期レア三人の内、ラティ以外の二人は創生旅団、か……救われないな彼女も」

 うんざりしたように嘆息するバルバトス。

 だが、それはバルバトスには何ら関係のないことだ。彼にとって重要なことはただ一つだけだ。

「とはいえ、僕と戦うことになればいくらラティの馴染みとはいえ容赦はしないよ。彼が創生旅団である限り、ただ殲滅するだけだ」

 今更かける情けなどない。そんな余裕もない。


 決戦の時はもう目の前に迫っていた。

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