第7話 反逆の狼煙4
大気をどよもす咆哮のうねりが巻き起こる。
数十人のノーマルキャラクター達の叫びが大地を揺らし、彼らは一斉にメドヴィエルへと襲い掛かった。
先陣を切る者たちの敵意は紛れもない本物。ゲームキャラクターという括りも、レアリティの垣根も越えて、彼らは反逆の刃を振り上げる。
剣を、槍を、斧を手に猛進する彼らを迎え撃つメドヴィエル。
奔る炎。鞭状となった火炎が横凪ぎに払われ、ノーマルキャラクターの腹部へと直撃する。
瞬間、烈しい炸裂音。炎はそれ自体が爆発力を秘めていた。触手のように高速でうねる炎の鞭に触れた者は爆炎の支配者の洗礼を受け、軽々と吹き飛ばされ瞬く間に戦闘不能に陥らされる。
その鞭はメドヴィエルを囲うように計七本存在していた。その全てが意志を持つかのように、炎帝を守護すると同時に攻撃へと転じる。
不用意に接近したキャラクターはまずこの炎の結界に阻まれる。
次々と轟く爆発音。一人、また一人と地に沈んでいくノーマルキャラクター達。だがそれを踏み越えて、彼らの突撃は止まらない。
無秩序に振り乱れる鞭をやり過ごすことは不可能に近かった。一歩、歩みを進められるか……それすらもほとんど運に委ねられていると言えるほどの苛烈さだ。
前進を繰り返す度にすぐ傍らで誰かが吹き飛んでいく。もう一歩踏み込むと眼前を眩い紅蓮が掠めていく。
そうして死の行進を乗り越えた数人のキャラクターが、ついに反撃の機会を手に入れる。
あと一歩の踏み込みでメドヴィエルに刃が届く――その距離まで詰め寄った彼らへ、
「――遅えよ」
メドヴィエルからの最後の洗礼が浴びせられる。
剣が振り下ろされるよりも遥かに早く、ノーマルキャラクターへと小さな火球が迫る。直撃するや否や膨張した火球は瞬時に爆発し、ノーマルキャラクター達をまとめて吹き飛ばした。
近接戦においてもメドヴィエルに隙などない。接近することすら至難の業だというのに、接近したとしても攻撃が届かないとあっては、勝機などあるはずもない。
メドヴィエルがそう確信したとき。
「馬鹿、下がりなさいメドヴィエル!」
「あ?」
上方を見上げるメドヴィエル。そこには無数の矢と火球と雷鳴の雨があった。
それと気づいたときには既に遅い。それらはたちどころにメドヴィエルへと着弾した。
遠距離タイプのキャラクター達による一斉掃射。吹き上がる粉塵へと更に第二射が放たれる。絨毯爆撃さながらに十、二十と絶え間なく降り注ぐ攻撃の中、メドヴィエルは不動。
「う――ぜえッ!」
爆炎が舞う。一瞬にして膨張したあまりにも暴力的な熱風が、迫りくる一切の攻撃をもろともに吹き飛ばす。粉塵を払い姿を現したメドヴィエルにさしたる損傷は見られない。
「これだけ当ててもあの程度のダメージかよ……」
凄まじい乱戦の中、一人身を隠していたカインは改めてスーパーレアとの地力の差に戦慄する。
今の攻撃でメドヴィエルは少なからず被弾していたはずだ。だがあの様子ではヒットポイントの一割も削れていないだろう。
「調子に乗るんじゃないわよ」
ラクシュミーの呪文詠唱が始まり、彼女の周囲に無数の水滴が発生する。それらは一瞬にして集結、凝固し、やがて五本の槍となってラクシュミーの前方で滞空した。
「消えなさい。セイントランス!」
虚空を切り裂く五本の閃光。遠距離タイプのラクシュミーには距離は関係ない。後方で支援射撃に徹するキャラ達に向けて直接攻撃を叩きこむ。
セイントランスのあまりの速度に、咄嗟の回避すらままならないノーマルキャラクター達。
否。セイントランスの威力はもとより回避などという選択肢を許すほど甘くなかった。
メドヴィエルの爆炎にも劣らない激震。
その威力は、キャラクターに直撃せずともその付近の足場、壁、どこに当たってもその衝撃だけで標的を吹き飛ばした。
弾けるように家屋や石造りの壁が爆散し、その中に数名のノーマルキャラクター達が混じっているのが見えた。
だが怯まない。彼らはいつ自分に向けられるかわからない攻撃への恐怖を、咆哮と共に忘却する。心を麻痺させ、半ば自棄に近い攻撃を繰り返し続けた。
凶弾の雨は止まず、メドヴィエルとラクシュミーは絶え間ない攻撃に晒され続けながらもさして気にすることもなかった。
スーパーレアの二人にとってノーマルキャラクター達の一撃が与えるダメージは微々たるものでしかない。その何倍、何十倍ものダメージを、彼らはたった一度の通常攻撃で叩きだす。
この程度の攻撃の雨など、文字通り小雨に過ぎない。鬱陶しくはあるが、意に介する価値もない。
――そう楽観視していた二人は……しかしふと思わぬ数字を目にすることになる。
自身のヒットポイントが、じりじり、じりじりと減っている。非常にゆっくりと、しかし着実に減り続けている。一割、二割、と次第にそれは無視できないレベルになっていく。
その時になってようやく明らかになる事実。
確かにスーパーレアが対峙するモンスターは一度に何千というダメージを与えてくる化け物だらけだ。だがそれらの攻防は全てルールを守って執り行われる。
素早さのパラメータの早い順から、一ターンに攻撃できるのは一度ずつ。その一ターンをどのように消費するか……それこそがワンダー・ブレイドの売りである戦略性、その醍醐味だ。
だが今彼らを襲っているのは、そんなお上品なルールなど全く度外視した理不尽。
次のターンを待つ必要すらない。一ターンに何度でも攻撃を行える。一度に何人で襲い掛かってもいい。魔法の詠唱を攻撃で妨害するのも常套手段。攻撃されそうなキャラクターを別のキャラクターが庇うのも戦略の内。
モンスターとの死闘が試合だとするならば、ここはさながらストリートの大乱闘。
運営という審判もいない。システムも、アルゴリズムも、何者からも見放された下層の地で、今まで蔑まれてきた者たちの反逆の刃が鈍く光る。
「――メドヴィエル、一旦下がって!」
暴れ狂っているメドヴィエルよりも早くに冷静さを取り戻したラクシュミーが声を張り上げる。だがメドヴィエルはペチペチと目障りな遠距離攻撃に業を煮やし、苛立ちまかせに炎を振りまくことに必死だった。
「死ねッ! 死ねオラァ!」
爆発。爆発。爆発。
苛烈に過ぎるメドヴィエルの攻撃は瞬く間に前線を押し返し、ノーマルキャラクター達を次々と血祭に上げていく。
「奴らはスキルゲージを溜めてるのよ! スキルで一斉攻撃するために!」
まずはこの遠距離攻撃を止めなくては、ノーマルキャラクター達のスキルゲージはたちまち上昇してしまう。
だというのにメドヴィエルは眼前の近距離タイプのキャラクターを爆殺することに躍起になっている。これでは奴らの思う壺だ。
「く、この馬鹿……!」
悪態を吐きながら、ラクシュミーは仕方なく遠距離タイプの敵は全て自分で始末することを決意する。先程と同様にセイントランスの詠唱に入る。その標的は、とある民家の屋根の上から周りのキャラに指示を出しているノーマルキャラクター。
魔法使いマリー。リーブと同様にカインのスキルを溜めるために絶え間なく攻撃を繰り返していた彼女に向けて、セイントランスの矛先が向けられる。
ひっ、と恐怖に息を呑むマリー。セイントランスが発射されようとしたそのとき。
「うおりゃあああ! 『フレイムソオオオオオオド』!」
あろうことか自らセイントランスに向かって突進する一人の男の姿があった。
剣士ミルド。マリーと同じパーティの彼は今まさにスキルゲージを溜め終え、捨て身覚悟でラクシュミーに斬りかかった。
近距離タイプの敵は全てメドヴィエルが対処しているものと考えていたラクシュミーは突然の奇襲への対応が一歩遅れ、為す術なくミルドのスキルをその身に受けることとなった。
ほんの数百程度のダメージでしかなかったが、確かなダメージを受けたラクシュミーの攻撃対象が瞬時に入れ替わる。
「こ、の――虫ケラ!」
ほぼゼロ距離のミルドに向けて容赦なく放たれるセイントランス。回避できるはずもなく、ミルドはセイントランスの直撃によって当然の如く戦闘不能に陥った。
数秒のタイムラグなど気にも留めず次のセイントランスを発動しようとするラクシュミー。
――だが、その時点で既に勝敗は決していた。
「全員、一時退却!」
マリーの号令と共に、それまでメドヴィエルと交戦していたキャラクター達が咄嗟に距離を取る。
ここまでコケにされて逃がすものかとメドヴィエルが追い縋ろうとしたそのとき、その彼ですら足を止めざるを得ない光景を目の当たりにする。
ノーマルキャラクター達の体がかすかに発光していた。
キャラクターがスキルを発動する際に発生するエフェクトだ。問題なのはその数だった。
およそ視界に映るほぼ全ての者の体が発光していた。三○を超えるキャラクター達が一斉にスキルの発動態勢に入っている。
「――撃てぇ!」
号令と共に、全てのスキルが一斉に放たれた。
火球が。雷が。氷の矢が。魔弾が。レーザーが。
ありとあらゆる攻撃が休む間もなく振り続ける。回避などあり得ない。スキルはほとんど面となってメドヴィエルを押し潰していく。
様々な色が交じりすぎてもはや何が何やら見分けがつかなくなる。ただ爆音と閃光だけが支配する時間が、メドヴィエルとラクシュミーを襲う。
メドヴィエルが何かを叫んでいた。だがそれもこの轟音の中では届くことはない。
恐るべきことに二○秒もの間スキルによる一斉攻撃は続き、止む頃には八メートルもの上空まで粉塵が立ち上り視界を遮っていた。
その只中にいるスーパーレア二人がどうなったのか。全てのキャラクターが固唾を呑んで見守る。そして次第に粉塵が霧散し、その中に見える二つの人影の姿を視認できるようになったとき。
「――勝った、のか?」
ぽつりと誰かが声を漏らした。それは徐々に周囲に伝播し、大きなざわめきとなっていく。皆は改めて、メドヴィエルとラクシュミーの姿を確認した。
――二人は全身に無数の傷を負い、ボロボロの状態で地面に膝をついていた。
戦闘不能にはなっていない。が、間違いなく重傷を負っていた。メドヴィエルの双眸は怒りに煮え滾り……しかしそれでも立ち上がることができない様子だった。
今度こそ、下層にノーマルキャラクター達の歓声が木霊した。
今まで自分たちをゴミだ虫けらだと罵っていたスーパーレアに、ノーマルキャラクターだけで土をつけた。その歓喜が全身を包む。
「く――そ、がっ……!」
歓喜に沸き立つ下層の中で、メドヴィエルは憎しみに支配された瞳で下層の全てを睨みつけていた。
重症を負っていても、むしろその闘志は先ほどよりもずっと強く燃え盛っている。
ここで放置するのは危険だ。カインは剣を強く握りなおした。
あそこまで重傷を負っている二人なら、スーパーレアといえどもなんとかカイン一人で倒せるだろう。これ以上ノーマルキャラクター達に被害が出ないよう、とどめはカインが刺すべきだ。
様子を窺う。メドヴィエルはこちらに全く気付いていない。間違いなく不意を突ける。
「よし……行くぞ!」
「何を手こずっているんだメドヴィエル」
――瞬間、物陰から飛び出そうとしていたカインの脚がピタリと止まった。
その声一つで、その場にいる誰もが動きを止めた。先程までのけたたましい歓声が一瞬にして沈静化し、皆の視線は一点に集中した。
どくん、とカインの心臓が脈動する。静かに、優雅にメドヴィエルのもとへと歩むその人影。
忘れるはずがない。見間違えるはずもない。その眼……虫けらを眺めるような視線を。
「……バルバトス……!」
翠緑のローブをたなびかせ、木龍の魔剣士バルバトスが戦場へと現れた。
「君ともあろうものがこんな無様を晒すとはね。言ったはずだよ、この戦争では物量がスペックに勝ると」
「……うるせえよ。まだ負けてねえだろうが」
「負けだよ君たちの。明白だ」
「んだとォ!?」
そういきり立つメドヴィエルだが、もはや立ち上がる気力もないのか、悔しそうに拳を地面に叩きつけた。ラクシュミーも同様に、恥じ入るようにバルバトスから視線を外した。
「……ごめんなさいリーダー。認識が甘かったわ」
「まあいいさ。今回はいい教訓になった。机上の話だけでは納得できなくても、こうなった以上他の騎士団員も認めざるを得ないだろう」
リーダー。ラクシュミーはバルバトスことをそう呼んだ。つまり彼こそが騎士団のトップだということか。
バルバトスは視線を移動させた。鋭く輝く双眸が、未だ多く健在するノーマルキャラクター達を見据えていた。
「下層の諸君、騒がせてしまってすまないね。だが我々はあくまで平和的な解決を望んでいる。君たちが800万ダウンロード記念のアップデートの際……そしてそれ以降も、ワンダー・ブレイドのメンテナンス時に外出を控えるならば我々は君たちに関与しない。よろしいか?」
「なにがよろしいかだ、ふざけんな」
一人のノーマルキャラクターが唾を吐き捨てながら言い放った。
「偉そうにしないでよね。私たちはあんた達なんかの指図は受けない」
「そうだ! 俺たちは自分の未来を自分の手で掴み取るんだ!」
「私たちは自由に生きるんです!」
まだ戦闘の熱が引いていない者たちがバルバトスを睨み付けて吠えかかる。
そこかしこで怒声が鳴り響き、バルバトスは小さく嘆息しながら頭を振った。
「……未来……自由……」
ぽつぽつと、バルバトスは噛みしめるように呟いた。俯いたその顔からは、彼の表情を読み取ることはできなかった。
――そのとき、下層の入り口から新たに二人の人影が現れた。
「…………ぁ」
カインは小さく声を漏らした。新たにその場に現れた二人。その二人をカインは知っていた。
カインだけでなく、その場にいる誰もが新たな介入者の姿に息を呑んだ。
「お前たちを突き動かしているのは本当にそんな願いか? 違うだろう。お前たちの中にあるのはただの嫉妬だ。自らの役目を忘れ、その責任からも目を背けるお前たちを、僕はもはや同じゲームのキャラクターとは認めない。私怨に狂った愚者ども……〝僕たち〟が裁いてやる」
「だから言ったじゃないですかバルバトスさぁん。こぉんな人たちに説得なんて通じるわけないって」
彼女らは当然のようにバルバトスの傍らへ立ち、
「嫉妬……本当に醜い人たち。――虫唾が走る」
バルバトスの仲間として存在できることを誇るかのように、創生旅団のメンバーを……〝カイン達〟を睨み付けた。
「……ラティ」
深緑のシンシアと、そしてラティがそこにいた。
バルバトスのパーティメンバーとして。騎士団員の一人として。カイン達に向けて敵意を晒していた。
先ほどまで殺気立っていたノーマルキャラクター達もさすがにたじろいでいた。今彼らの前に立ちはだかっているのはただのスーパーレアではない。
高攻撃力、高ヒットポイント、高回復力を兼ね備えた、現ワンダー・ブレイド中最強のパーティだ。
それでも恐怖を押し殺し武器を構えなおす彼らを勇敢と捉えることが、その時のカインにはできなかった。
カインはそのとき、ろくに回らない頭でただ一つの事実を認識していた。
カインが創生旅団として革命を起こすなら。ラティが騎士団としてそれを阻むのなら。
〝――俺は……ラティと戦うことになるのか〟
「怯むな!」
一人のキャラクターが槍を天に向けて突き上げ叫んだ。
「俺たちはスーパーレアを二人倒したんだ! こいつらだってやれる!」
その声が彼らの士気を取り戻した。彼らは再び雄たけびをあげてバルバトスへと襲い掛かった。
カインはそれを、物陰から出ることもできずにただ見ていることしかできなかった。
「ラティ。君は回復にだけ専念してくれ。シンシアはラティを護りながら僕のサポートを」
「わかりました!」
「私たちは戦わなくていいんですかぁ?」
「問題ないよ。僕一人で十分だ」
すらりと剣を抜くバルバトス。そのまま横凪に振り払った。
たったそれだけで、三人が数メートルも吹き飛ばされて戦闘不能に陥った。当惑する暇も与えない第二斬。咄嗟に盾で防御しようとしたキャラクターを盾ごと両断する。その剣速は視認すら困難な程で、どんな防御もバルバトスの剣撃の前では無意味だった。
加えてその攻撃力は圧倒的すぎる。カインですら一撃で戦闘不能に至らしめたその剣技にノーマルキャラクターが耐えられるはずもなく、誰一人としてバルバトスの一撃を受けて戦闘を続行できる者はいなかった。
「囲め! 押しつぶすんだ!」
真っ向勝負では勝ち目がないと早々に悟った彼らはバルバトスの周囲を囲う。総勢二○名もの近距離タイプのキャラクターがバルバトスに同時に襲い掛かる。
いくらバルバトスとはいえ、これだけの攻撃を凌ぎ切るのは不可能だ。技能云々の問題ではなく物理的に不可能だ。メドヴィエルのような広範囲での攻撃手段も見せないバルバトスは、戦うほどにその身に傷を負っていくことになる。
事実、その通りになった。一秒ごとに切り伏せられるキャラクター達だが、その数倍の数の攻撃をバルバトスは直撃していた。
肩に。背中に。足に。いたるところに浴びせられる渾身の一撃。だがバルバトスの表情には微塵の焦りもない。ただ淡々と、目の前の敵を一人ずつ切り捨てていく。
直後、バルバトスめがけて降り注ぐ矢と魔法の雨。
爆撃に晒されたバルバトスは多くをその身に受けていた。
「…………なるほど」
もうもうと立ち上る砂煙の中、バルバトスがぽつりと声を漏らした。
「これは確かに、レアリティを嘆きたくなるのも分かる気はするね。少しだけ同情してあげるよ」
今まで戦っていたノーマルキャラクター達に向かって、バルバトスは憐れみの目を向けていた。
「……き、効いてねえ」
誰もが戦慄した。あれほどの攻撃を直撃していながら、バルバトスにはまるで消耗が見られない。あれだけの攻撃を受ければメドヴィエルならばヒットポイントの半分が消し飛んでいてもおかしくない。だというのに、バルバトスの様子ではヒットポイントの二割も削れているかどうかわからない。
「シンシアだ! あいつを倒すんだ!」
誰かが叫ぶ。そこでカインも事の真相に気が付いた。
シンシアのアビリティスキルによって、バルバトスは通常の数倍のヒットポイントを手に入れているのだ。更にその効果はバルバトルのアビリティスキルによって各段に上昇している。
しかも……。
「『スーパーヒール』!」
ラティの体が光を放つ。その光はやがてバルバトスを包み込み、たちまちバルバトスの傷を癒していった。何人ものノーマルキャラクター達が命を賭して与えたダメージが、ものの数秒で完治してしまった。
「そんな……」
先ほどまで士気高らかに攻勢に出ていたキャラクター達が思わず後ずさる。
これがワンダー・ブレイドの第一線で活躍するスーパーレアの力なのか。メドヴィエルとラクシュミーのような即席ペアではない。ワンダー・ブレイドを遊んでいるプレイヤー達が知恵を絞り考え出した最強のパーティ。
一撃で岩を砕くドラゴン。猛毒の牙で襲い掛かる大蛇。轟雷を操る闇魔導士。そんな、カイン達では手も足も出ないような化け物を倒し続けてきた勇者達の姿だ。
「ま、まだだ。まだ俺達にはスキルがある」
祈るような声音で勇気を振り絞るノーマルキャラクター達。
そう、まだ希望が潰えた訳ではない。もともとスーパーレアへのダメージソースの大半はスキルによる固定ダメージの連打によるものだ。
メドヴィエルとラクシュミーもそれに倒れた。スキルさえ溜まれば、バルバトスを倒すこともできるはずだ。
「試したければ好きにすればいい。無駄だろうけどね」
言うか早いか、バルバトスは敵陣に向かって斬りこんだ。一息の内に三人を斬り捨てたバルバトスへ、彼らは再び襲い掛かる。
だがそれはもはや単なる虐殺だった。メドヴィエルとラクシュミーとの戦いも決して互角とは言い難かったが、目の前の惨劇はもはや戦闘と評するのもおこがましかった。
次々に斬り飛ばされる者たち。その代償として与えたダメージを、たちどころにラティが回復させていく。
彼らが数十人で襲い掛かっても、ラティの回復魔法一度分のダメージも負わせることはできない。
「遠距離キャラ! ラティを狙って!」
マリーが屋根の上から指示を出す。バルバトスを射撃していた者はその矛先をラティへと変更する。
一斉に発射される凶弾。ラティの顔が一瞬恐怖に歪む。だがその眼前をシンシアの背が覆った。
「そんな豆鉄砲、無駄ですよぉ」
短い詠唱の後、シンシアの立っている足場に激しい亀裂が走る。直後、堅い足場を突き破って巨大な大樹が姿を現した。
灰色にくすんだ下層の景色が一転、瑞々しい深緑に包まれる。
ラティを狙った攻撃の全てが大樹を打ち据える。だが大樹はかすかに震えて花吹雪を散らすだけで、全くの無傷。ラティ、シンシアともにわずかのダメージも見られない。
シンシアが以前のアップグレード時に獲得したスキルの内の一つ、『ゴッドクリフの守護』。一定時間中敵からの攻撃を全て無効化する絶対守護の魔法が、ノーマルキャラクター達の攻撃を阻む。
そうして遠距離攻撃がもたついている間に、バルバトスは着実に標的を倒し続けていた。あれほどいた近距離タイプのキャラクターが、今では数えるほどしかいない。それもじきに底をつき、あとは盾となって護ってくれる者のいない遠距離タイプのキャラクターだけが残ることになる。
カインは結局物陰から出ることができずにいた。
恐ろしかった。
バルバトスが、ではない。創生旅団の一人として……ラティの敵としてラティの前に姿を現すことが恐ろしかった。
――カインがバルバトスに攻撃をしかけても、ラティはバルバトスを回復するんじゃないかというのが恐ろしかった。カインがバルバトスに倒されても、ラティは顔色一つ変えずにバルバトスの勝利を称えるんじゃないかというのが、ただ怖かった。
カインが躊躇している間にも、戦局は決定的となっていた。
バルバトスを倒すためにはまずラティを戦闘不能にする必要があるのは明らかだった。だがラティはシンシアによって守護されている。ラティを攻撃するためにはシンシアを倒さなくてはならない。
だがそのシンシアへの道はバルバトスが塞いでいる。結局この連携を突破するためにはラティの回復が追い付かないほどの攻撃をバルバトスに与え続けるか、シンシアの守護魔法を無効化するスキルを使うしかない。
そのどちらも、ノーマルキャラクターにできるはずがない。
つまり今この場にバルバトスを倒す手段は、ない。
「どうした、スキルを使わないのか?」
ついに全ての近距離タイプのノーマルキャラクターを狩り尽くし、バルバトスは周囲を睥睨しながら問いかける。
遠距離タイプのキャラクターの攻撃も止んでいた。もはや彼らの持つ武器は命中させても意味がない、事実上の空砲も同然のガラクタだった。
おそらく生き残った全キャラクターのスキルを全て命中させてもバルバトスは倒せない。そしてそのダメージもラティによってたちまち回復されてしまう。万策尽きた彼らにできることは、バルバトスの決定した処刑方法を迎え入れることだけだった。
「君たちが無闇やたらと突っかかってくるから、僕のスキルも溜まってしまったよ」
途端、バルバトスを中心に静かな風が流れ出した。
翡翠色の風はやがて密度を増し、旋風となり、暴風となり、一瞬のうちに嵐へと変貌していった。やがてその暴風は規則性に則って一点へと収束していく。
触れただけで小屋を丸ごと吹き飛ばしそうな密度の風が、人の顔ほどの大きさに球形に密集する。
惨劇の予感が体を貫く。ノーマルキャラクター達の畏怖だけが場を支配する処刑場で、嵐は手の平サイズの結界の中で乱れ狂い続ける。
そしてバルバトスがそっと剣を振り上げる。
――情状酌量の余地なく皆殺し。それがバルバトスの下した判決だった。
「望むなら、これでお前たちが下らない革命を諦めてくれるといいんだけどね……」
バルバトスはやれやれ、なんて肩をすくめた後、
「――ではさらばだ。《エアロ・シュトローム》!」
躊躇うことなく剣を振り下ろした。
刃が嵐を切り裂く。球形の風の塊がぱっくりと裂け、凝縮されていた風が規則性の鎖から解き放たれた。
直後、鼓膜をぶち抜くほどの轟音が下層に響き渡った。
収束していた風が逃げ場を求めて一瞬にして膨張した。突き抜ける暴風の姿を視認できたのはほんの一瞬だけだった。
何かが体を押すような気がしたそのときにはカインは宙を舞っていた。今自分が何に襲われているのかも分からないまま、まるで塵屑のように吹き飛ばされた。
何かが腕に当たったような気がした。だが何かはわからない。
凄まじい暴風の中精一杯目を開いて確認する。木片が腕に突き刺さっていた。だが何も感じない。触覚は既に機能していない。風が津波のように押し寄せ、その只中でカインはあまりに無力だった。
そのせいで、なぜこんなものが腕に刺さっているんだろう、なんてぼんやりと考える余裕すらあった。そしてその理由はすぐに判明した。
宙を舞っているのはカインだけではなかった。
いや、何もかもが宙を舞っていた。木端微塵になった家屋も、粉砕された壁も、捲れ上がった地面も、岩も、人も、全てが。カインはただその中の一つというだけのことだった。
すぐに視覚も消滅した。そもそも乱れ飛ぶ砂のせいでまともに目を開けることなどできない。聴覚も消えた。あまりの轟音に鼓膜が吹き飛んだのかもしれない。今となっては何の意味もない機能だ。
飛んできた岩が腹に直撃する。血を吐き出したようだが何の味もしなかった。背中に何かが激突した。そこで勢いが止まるかと思えば、背中に当たったナニカも一緒になって吹き飛んでいった。
後頭部への衝撃。もはや何も把握できないカインはそのまま意識を手放した。
カイン意識を取り戻したとき、視界は真っ暗だった。視覚を失っているのかと思ったが、地面にそっと見える夕暮れの明かりで、カインは何かの下敷きになっているだけだと気付いた。
うめき声をあげながらそれをどかそうとする。だが予想以上に重い。その上、カインの体には七つも木片が刺さっていてろくに力が入らなかった。
本当なら戦闘不能になっていてもおかしくない。カインが死に損なったのは、単にカインがスキル要因として前線に出ていなかったからだ。
もしあと一歩でも物陰から体を出していれば、問答無用でヒットポイントをゼロにされていただろう。
「……結構、距離は……あったはずなんだが……なッ!」
残った力を振り絞り、カインに覆いかぶさっているものを蹴り飛ばした。それは小屋の屋根だった。カインが身を隠していた物陰の近くにあったのだろう。
バルバトスが放ったあのスキルは、おそらく最上級ダンジョンのボスのためにプレイヤーが死にもの狂いで温存するような一撃必殺スキルだ。
攻撃力上昇補正を限界までかければ、ウン十万というダメージを叩きだすとフリージアは言っていた。その威力の前には、多少前線から離れていたなどというのは大した意味を持たないようだ。
屋根の下から抜け出したカインを、滲んだ夕日が出迎えた。どれくらいの間意識を失っていたのかわからない。バルバトス達はとっくに姿を消した後のようだ。もう戦闘の熱は冷え切っていた。いったい下層はどうなったのか――
「――――おい、冗談だろ?」
下層などどこにもなかった。少なくとも、カインの視界には存在していなかった。
バルバトスが放ったエアロ・シュトローム。その放射状に立ち並んでいたあらゆる建造物は根こそぎ姿を消していた。
あるのはただ大量の残骸のみ。何が何の一部だったのかわかりようもないほど砕け散った破片が、ざっと見渡しても視界の端までくまなく広がっていた。
視界を遮るものなど何もない。新地も同然に地平線まで突き抜ける破壊の痕跡。そこに生存者を見つけ出すことは不可能だった。
ミルドも、マリーも、リーブも、ほかにもあれだけいた多数のノーマルキャラクター達の誰の姿も見えなかった。あるのはただ無限に広がる瓦礫の山。
「……」
言葉をなくして膝をつくカイン。
もはやラティと戦えるのかとかいう次元の話ではない。
「……俺達は本当に、勝てるのかよ……フリージアさん」
その疑問だけがカインの脳裏にいつまでも残り続けた。
◇◆◇◆
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以上の事情により、下記の日時に緊急メンテナンスを実施させていただきます。
『20××年×月×日(日)~未定』
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これからもワンダー・ブレイドをよろしくお願いいたします。
◇◆◇◆
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