魔王と勇者の終わり
阿房饅頭
地獄を見た
荘厳なるステンドグラス。
精緻な刺繍のカーテンに包まれた場所。
赤い絨毯の玉座の前。
女はそこで血を吐いた。
腹に打ち込まれた剣の一撃。
少年の一撃はあまりにもきつかった。
女は酷い一撃を食らったものだと、思う。
だからこそ、少年の泣きそうな顔は何故か女にとって、最後にふさわしい舞台ではないかと考えてしまう。
笑顔。
満ち足りた笑顔。
何故だろうか。
今、地獄を見ているはずなのに。地獄を見たはずなのに。地獄の中へと落とされるのだろうに。
思い出すのは泥の中にまみれた自分。
その中で血反吐を吐き、ゲロを吐き、殴られ続け、いつしか女の尊厳さえも壊されてしまったのも何度かあった筈だ。
それでも自分は成り上がってやる。
女は一歩を歩む。
酷くのろく、ゆらゆらと幽鬼の如く執着し続けた結果、自分の体がとても強いもので魔力を帯びていることに気付いた。
魔術の強い男を篭絡し、魔術を身につけ、男を殺した。
血溜まりの中で笑い続ける女は堕落し、自分の角を触っていることに気付いた。
女は自分を蔑んだ者達への復讐を誓っていて、そこからは殴り、魔術で殺し、時には暗殺も繰り返した。
気付けば女は独りになっていた。
ある時、弱い女に化けて女は純粋無垢な少年に出会った。
笑顔を絶やさない少年は一言言う。
「俺は勇者なんだ。異世界から呼ばれて、魔王を倒す為にやってきたんだ」
そして、その少年の顔は驚愕に満ちていた。
女は笑顔を絶やさない。
いつの間にか、少年は泣いていた。
情けないぞと言ってやればいいのだろうか。
いや、自分は魔王だ。
世界を征服しようとした誇り高き王だ。
ならば最後まで悪役として踊ってやろう。
最後のダンスだ。
「私は魔王」
自分に刺さった剣を魔王は引き抜く。
シュウシュウと刀身に触れると煙が出て、自分のすべてを持っていかれそうになる。
ゆっくりと少年の剣から手を離した。
「魔王、俺は」
目の前にいる少年が白煙のような光を纏った剣を持ち、自分の前に立っている。
剣は聖剣で魔王を殺す為にあるのだから。
だが、少年の目は殺そうとするのを躊躇っているのを振り払うような気がしてたまらない。
歯を食いしばり、自分を睨みつけている姿はどこまでも痛々しい。
「勇者よ。私は世界の半分をやる。それでいいのではないか」
魔王伸ばした手は白く、華奢で世界を手にするようなものではなかった。
むしろ人間の貴族で蝶よ花よと育てられた深窓の令嬢といってもわからないものだろうとは思っている。
ただ頭からねじくれた2本の角だけが人とは違うのを示している。
「俺は勇者だ」
彼の手は多くの魔族の血にまみれている。
確かに人間の町へと魔族は襲いかかり、その力を存分に使い、征服をした。
それについて何が悪いのだろうかと魔王は思う。
力が弱いものを力が強いものがどう扱おうがどうでも良いことだろう。
人間だってそんなものだろう。わかっているのではないか。
などと、思っていたが、人間はそうではなかった。
あとで魔王は知ったのだ。
――それを魔族にも教えてくれたらな。
などと思ったこともある。
勇者は教えてくれたことの一つ。
魔王は人間の中に女として化けて勇者とつながりを持って、色々なことを知った。
いいや、知ってしまったと解釈しても良いだろう。
荒地を耕す男、女。
彼、彼女らはふしくれだった手でその地を耕していた。
勇者は違う場所の開墾をしてくれと言った。
彼らは首を振って、はにかみながら答えた。
「ここが私達の故郷です。離れるのはとても出来ません。ここがとても大好きなのですから」
魔王――女は知る。
人間はあまりにも執着が過ぎる。
捨ててしまえばいい。奪ってしまえばいい。そんなこともわからないのか、と。
勇者――少年は「それでいい」と答えた。
魔王はゆっくりと手に力を込め、雷撃を放つ。
勇者はそれを受け止める。
「うおおおおおおおおおおおお! 負けるものかああああああ!」
獣のような叫びは少年自身を鼓舞するためのもの。
そして、人間を守るための気持ちを代弁するもの。
雷が霧散した。
魔王は勝てるのだろうか。
こんな力だけでしかない魔力を持った化け物が、気持ちのこもった化け物を倒すことが出来るのだろうか。
地獄を見ている。今、地獄を。泥水ではない。屈辱ではない。それでもこれだけの恐怖を魔王に思わせてしまう地獄を見ている。
「私は魔王だ。だからこそ、ここで負けられぬ」
「俺は負けられない!」
勇者が魔王に肉薄する。
魔王は聖剣をあえてつかみ、魔力を手に込める。
これでへし折ってくれる。
「もう、これでお終いだ!」
「それは俺のセリフだ!」
魔王がつかんだ聖剣がじりじりと進み、心臓をえぐる。
ゆっくりと進み、そして、その一撃は。
一つの終わりへとして、
最後の一撃として、
心臓を貫いた。
魔王は何故か、笑顔だった。
「何がおかしい?」
「何故だろうな。私にもわからない。それよりも何故勇者は泣いているのだ」
滂沱の涙。理解の出来ない涙。
「わからない」
勇者にもわからなければ魔王にはわからないのだ。
「そうだな。なら、わからないまま私は死んでいくのだろう」
本当にそれでいいのかと、勇者は伝えたいのだろうが、彼の言葉は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていて、言葉になっていない。
魔王の意識も薄れている。
ただ、一言だけ伝えたいことがあった。
それだけは。
「私は君を理解したかった。結局君のことを知りたいだけだったのに、何一つわからないまま地獄へと旅立つ。それだけが心残りだ。教えてくれ、君は私に何を思っていた」
「その言葉を教えてほしかった。だって、それは俺が魔王を好きで、魔王は俺を好きだった」
ああ、何故だろうか。そんなことは無いと思っていたのに、どうしてこんなところで納得してしまうのは。
この世は何て――地獄なんだろうか。
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