コスモスとオリンピア

さいとし

第1話

「ほら、出航時刻だ」

 見上げれば、遥か高く大気圏の外、無数の高速艇がそれぞれの母星へと散っていく。天涯を覆いつつある夜の帳に、反陽子エンジンの閃光が、複雑な刺繍を縫いつけていく。

 エンジンへの点火は、軌道塔から一定距離離れないと許されない。だから、星の向こうへと伸びる数えきれない航跡は、軌道塔の周囲だけぽっかりとあけて、そこから花のように全天へと広がる。


「まるでコスモス。文字通り」


 アイが足下に生えていたコスモスの花を摘み、掲げてみせた。確かに、その細い茎は軌道塔に、花弁の色は白い軌跡に区切られたこの空に似ていた。


 閉会式からちょうど丸一日。最後の現地レポートを脱稿したぼくらは、ホテルを抜け出して近くの丘に来ていた。頭上では、人工の彗星が休む事なく次々と生まれては、すぐに見えなくなる。


「今がきっと、この星が一番綺麗なときだろうねぇ」


 アイはコスモスをくるくるとまわした。このコスモスは、テラフォーミングの終盤、大地の二次遷移を加速させるために散布される改良品種だ。理論上最速の速さで咲いて枯れ、その枯死体は多くの地球型植物の養分になる。環境が安定すれば、本来のコスモスと同じく、慎ましやかに咲く一年草として定着する。


「今回は残念だったな。ぼくの母星系は一つも金メダルをとれなかった」

「レスリングと平泳ぎは僅差だったねえ。どっちも銀だっけ」


 ぼくらはしばらく、今大会における各星系の成績について、思いつく範囲で復習した。マラソンで世界新が出たし、走り高跳びの選手が二連覇を達成した。柔道の2G級では、ランキング九位の伏兵がまさかの金メダル。


「八年後の開催星はどこかな? テラフォーミングが終わって、立候補してる星が四つもあるんだよね」

「0512番がいいな。田舎に近い」

「えー、微妙に辺ぴだな。あそこ」


 アイは急に口をつぐみ、軌道塔の方をじっと見つめた。ぼくは何も言わず、彼女の言葉を待つ。


「いつまでこんなことができるのかなあ?」


 しばらくして、ぽつりと彼女の口から出た言葉は、妙に寒々としていた。


「ずっと続くかも」

「それはないよ。いくら私でも、今の経済がバブルだってことくらいわかるし。ゼネコンがどんどんテラフォーミングを進めてて、政府もお金を出してるけど、星あたりの総人口は減り続けてるって」


 太陽がついに地平に消える一瞬、ぼくは眼下に広がるできたての街を見渡した。屋内プール、二つの陸上競技場、三つの総合体育館。


 ここはオリンピック開催総合地区。宇宙時代が始まっても続くこのスポーツの祭典は今年で512回目。ちなみに、初めて原始地球外で競技が行われたのは、210回目からだ。

 会場施設の外に広がるのは未開の、けれど全てがコントロールされ、限りなく原始地球に似せられた広い大地。この星に誘致された企業は、すでに各地で次々と工場を展開し、これから人が住むはずの街を作っている。オリンピックは入植者集めにはこれ以上ない、最高のコマーシャル。五輪開催星の入植者数は通常の百倍近いとまで言われている。


 オリンピック開催星の条件。それは、きれいな、できればテラフォーミングされたての惑星。そしてなにより、原始地球に限りなく近いこと。世界記録は全て、原始地球を基準にしたものだからだ。誘致を目指す企業や国は限界までテラフォーミングを押し進める。大気の成分、気象は当然の事として、今では地殻や重力の改造も普通に行われている。


 見境のないテラフォーミング。無秩序な星々への拡大。今の時代は「お祭り」なんだろう、きっと。


 日が落ちて、辺りは急に暗くなってきた。会場周辺で、ぽつぽつと灯りがつき始める。この星はもう、暗闇からはほど遠い。


「祭りのあとって、好きだよ。昔からそう」


 眼下の光は小さく、もうアイの顔もよく見えない。


「でも、それはお祭りを知ってるからだよねえ。それを知らない子供たちが祭りのあとを眺めても、きっと空虚なだけ」


 軌道塔の基部あたりで、花火があがった。開会式の余り物を一掃しようとしてるんだろう。五色の炎が、巨大なコスモスの下で円を描いた。その光にアイの持つコスモスが一瞬だけ照らされ、すぐにまた闇へ融けた。


「また、四年後に」

「うん」

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コスモスとオリンピア さいとし @Cythocy

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