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ハルは母親のことを覚えていない。
もちろん、本当に覚えていないわけではない。その顔や、声や、いくつかの思い出を、ハルははっきりと記憶していた。それを思い出すことも、もちろんできる。
けれどそれは、ハルにとっては何の意味もない記憶だった。
見も知らぬ家族のポートレートが、それを知らない人間にとって何の意味も持たないのと同じように、ハルはそこからどんな感情も思い起こすことはできなかった。
彼女が死んだのは、ハルがまだ小さかったときのことである。
それはある晴れた日で、宮藤未名は朝の透明な光の中で眠るように亡くなっていた。
結局、彼女がハルといた時間は十年にも満たないものだった。それは母親が子供と過ごすには、あまりに短い時間である。
母親の匂いがもたらすものや、柔らかな肌触りがくれた感情、その仕草が心にひき起こすもの、そんなものをハルは覚えていない。
どうしてだろう――?
ハルは考えてみる。
それは決していっしょに過ごした時間の短さや、ハルの無関心や、母親の愛情の薄さによるものなどではなかった。そんなものであるはずが、ない。
もしかしたら、母親の死の衝撃がハルの記憶をすっかり壊してしまったのかもしれない。そんな可能性も、ないではなかった。
けれど――
そんなふうには、ハルには思えなかった。
あるいはそれは、そう――
〝魔法〟のせいなのかもしれない。
「――でもね、ハル」
かつてハルが何かに泣いていたとき、彼女は優しく、囁きかけるように言ったことがある。
「その悲しみは、とっても大切なものなの。そんなものはなかったほうがいいと、思うかもしれない。何とかして、それを取り戻そうとするかもしれない。でもね……それでも、その悲しみは大切なものなの」
どうして、とその時ハルは聞き返した。
「それはね――」
未名がそっと、その言葉を伝える。
けれどハルにはもう、その言葉を思い出すことさえできなかった。
彼女の死といっしょに、いろいろなものが失われてしまっていた。そして自分が何を失ってしまったのかさえ、ハルにはわからずにいたのである。
それでも、一つだけわかっていることがあった。
――宮藤晴は大人にならなくてはならなかった。
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