5
休日明けの最初の日、ハルとアキは再び鈴川公園に向かった。〝クラノナツ〟がやって来るというのである。休みのあいだに、〝クラノナツ〟がやって来て、子供たちの一人がハルたちのことを伝えたらしい。
三人が公園に着いてみると、そこには前と同じように子供たちが集まっていた。五人は前と同じように遊んでいる。ただ一つ違うのは、そこに一人の少年の姿があったことである。
(あれが、〝クラノナツ〟?)
アキは入口のところからちょっとのびをするようにのぞいてみた。遠くてよくはわからなかったが、すらっとした感じの背の高い少年のようである。眼鏡をかけている。
子供たちは少年のまわりに集まって、何かをやっているようだった。
「風船やってよ、風船」
と、子供たちの一人、名坂茂が言っていた。茂は少年に向かって、何かを差しだしている。
〝クラノナツ〟らしい少年は、仕方ないな、という感じでそれを受けとり、口元につけて息を吹きこんだ。どうやら、黄色いゴム風船らしい。
風船が十分な大きさになると、少年は口の部分を結んだ。それから身に着けていたウエストバッグからマジックをとりだして、ふたを外す。どこにでもあるような油性の、黒色のマジックだった。
「――――」
意識を集中して、少年はそのマジックを動かしはじめた。
(……?)
アキは何かを感じたような気がして一瞬、ぼうっとしてしまう。その〝何か〟は感じたと思ったときには、もう消えてしまっている何かだった。鏡のような水面に小さな波紋が起こって、次の瞬間にはそれがどこで起こったのかさえ忘れてしまうのに、似ている。最初から、何も起こらなかったかのように。
ちらっとハルのほうを見ると、この少年も何か気にするような表情でじっとそれを見ていた。
少年はそのあいだも、集中した様子でマジックを動かし続けている。何度も描いているのか、その手にはほとんど迷いがない。
「できた」
と言って、少年は風船を子供たちの一人に渡した。途端に、子供たちは駆けだして、少し離れた場所で遊びはじめている。
アキは不思議そうにそれを眺めていた。子供たちは風船をはじきあっては、それを避けたり、はじき返したりしている。
一分ほどたった頃だろうか。
小さな女の子、上村七花のところに風船が来たとき、
バンッ
といって、その風船が爆発した。――爆発、である。かすかな煙まであがっていた。まったくの突然で、きっかけのようなものは何もなかった。
「どうなってるの、これ?」
アキは呆然とつぶやいた。子供たちはその奇妙な現象を、ただおかしそうに笑っている。
「――魔法だよ」
誰かが、アキのほうに向かって言った。
振りむくと、そこには〝クラノナツ〟の姿があった。ハルも、アキの隣でこの少年と向きあっている。
その少年は無造作な髪型をして、気さくそうな表情をしていた。背丈はハルよりも少し高い程度。黒縁の眼鏡をかけている。どことなく、飄々としてつかみどころのない感じのする少年だった。眼鏡の奥の瞳は、教会のステンドグラスを思わせるような、複雑な色あいをしている。
「あんたらが宮藤晴と水奈瀬陽だろう? 僕は
久良野奈津は、気軽にそう言った。
「今のは……」
ハルは子供たちのほうを見ながら、
「魔法なの?」
「そうだな」
ナツはまるで意に介さないように、無造作に答えている。ハルは黙ってしまった。この少年は、どうしてこんなに気軽に魔法を使っているのだろう――
「ねえねえ、どうやったか教えてよ」
アキは黙ったままのハルの隣で質問した。アキは単純に、好奇心からその質問をしている。もちろん、彼女がナツの行為をいちいち不審がる必要はなかった。
「爆弾だよ」
「は?」
アキはきょとんとする。
「あの風船には〝爆弾〟の絵を描いたんだよ。丸くて、導火線と火花のついたやつ。どこかのゲームにあるようなやつだな。それで時間がたって、風船が爆発した」
「えーと……」
アキにはいまいちわからなかった。
「つまり君は」
と、横からハルが言った。
「描いた絵の効果を具現化できるってこと? 形而上的な〝記号〟を、形而下の〝現実〟に置き換える……」
「まあ、そんな感じか。スケボーに〝エンジン〟を描きこんだり、靴に〝バネ〟の絵を描いたりとかだな」
言いながら、ナツはくるりとマジックを回転させた。
「もっとも、何でもかんでも描けばいいってもんじゃないけどな。イメージがうまく結びつかないやつはだめらしい。その辺は直感てやつだな。ぴんと来たやつは案外成功するけど」
「何でそんなことができるの?」
アキが訊くと、ナツはどうでもよさそうに答えた。
「さあね、僕は知らない。気づいたらできるようになってた」
「…………」
向こうのほうから、子供たちがナツを呼ぶ声がした。どうやら、次の遊びをはじめたいらしい。
「ぬいぐるみのことを聞きたいんだっけ」
ナツはそっちのほうに手を振りながら、二人に向かって言った。
「特に何も知らないけど、何か聞きたいこととかは?」
「今のところはないよ」
「じゃあ、僕は向こうに行くから。見つかるといいけどな、ぬいぐるみ」
ナツはちょっと笑ってみせて、子供たちのほうへと行ってしまった。
「……あかりちゃん」
と、ハルはそのあとであかりに向かって言っている。
「はい?」
「悪いけど、ひかりちゃんを呼んできてくれるかな」
「……?」
あかりは不思議そうにハルのことを見た。けれどハルはごく穏やかな、落ちついた顔であかりのことを見返している。
「……わかりました」
うなずいて、あかりは公園を駆けていった。小さな足音が残りそうな走りかただった。
「ねえハル君、何かわかったの?」
あかりを見送ったあとで、アキは訊いた。
「やっぱりひかりちゃんが犯人なの? あの人――久良野奈津って子の魔法を使って?」
「これから話すよ」
そう言ったきり、ハルはそれ以上答えようとはしない。アキは仕方なく質問するのを諦めた。
「……でもさ、すごいよね」
アキは子供たちのあいだにいるナツのほうを見ながら言った。
「魔法ってあんなこともできるんだ。絵を描いただけで、爆発させちゃったり」
「…………」
――いや、あれは少し違う。
ハルはつぶやいたが、その声は小さすぎてアキには聞こえていなかった。
あかりがひかりを連れて戻ってきたのは、十分ほどしてからのことである。ひかりはあかりの後ろを、仏頂面を浮かべて歩いていた。こうしてみると、双子なだけに二人はそっくりだったが、身にまとっている雰囲気のようなものはまるで違っていた。ひかりは腕に、ぬいぐるみらしい白い塊を抱えている。
ハルとアキは例の木陰のベンチに座って、ナツと子供たちが遊んでいるのを眺めていた。ナツはその奇妙な魔法を使って、ちょっとした遊びを披露していた。エンピツをロケットのように飛ばしたり、カサを使ってパラシュートのように舞い降りたりといったことである。
やがてひかりとあかりが、二人の前にやってきた。
「何か用なの?」
ひかりはやってきて早々、不機嫌そうに言った。彼女はそれなりの大きさの、白い犬のぬいぐるみを抱えている。
「前にも言ったけど、ぼくたちはあかりちゃんのぬいぐるみを探してるんだ」
ハルはベンチに座ったまま、いつも通りの落ちついた声で言った。
「じゃあ勝手に探せば」
ふん、とひかりは顔をそらしている。
「私には関係ないでしょ。言っとくけど私は何も知らないから」
「いや、君がいてくれないと困るんだ」
「…………」
「そうだよね、栩ひかりちゃん」
ハルの隣で、アキがちょっと話についていけないような顔をしていた。
「どういうこと、それって?」
「つまりさ、栩ひかりは栩あかりのぬいぐるみの行方を知っている、そういうことだよ――」
ひかりは相変わらず不機嫌そうな様子で、
「面白いじゃない。私があかりのぬいぐるみについて、何を知ってるっていうの?」
「君の持っているそのぬいぐるみを調べれば、それはわかるんじゃないかな。君はあの時も、そのぬいぐるみを持っていたんだろう?」
言われて、ひかりは視線をまっすぐ向けたまま、腕の中のぬいぐるみを強く抱きしめている。
「これは私のだから、誰にも触らせない」
「ひかりちゃん……?」
あかりが不安そうにひかりのほうを見た。
それを聞きながら、アキが困ったように言う。
「えと、ハル君……? 何がどうなってるのかよくわからないんだけど。ひかりちゃんが知ってるってどういうこと?」
けれどハルは、
「でも彼女は〝盗んだ〟わけじゃない。正確には〝隠した〟というべきなんだ」
と、ますますよくわからないことを言った。
「?」
アキは無言のまま、さっぱりついていけないといった顔でハルのことを見ている。
「――じゃあ仕方ない。一応、説明みたいなものをしておこうか」
ハルはそう言って、あかりとひかりをベンチに座らせた。ひかりはちょっと警戒するような様子で、ぬいぐるみを抱えたまま座っている。
ハルの話がはじまった。
「まず、状況を整理しておこうか。数日前、あかりちゃんのぬいぐるみがこの公園でなくなった。その時、公園にいたのはあかりちゃんも含めて全部で八人。なくなる前、あかりちゃんはちょうどこのベンチのところにぬいぐるみを置いていた」
うんうん、という感じでアキはうなずく。
「でも公園をくまなく探しても、ぬいぐるみは見つからなかった。ポケットに入るような大きさじゃないし、誰かが隠したとも思えない。風で飛ばされたわけでも、第三者が持っていってしまったわけでもない。ぬいぐるみは一瞬のうちに消えてしまった……」
ハルはいったん言葉を切って、様子をうかがうように三人のほうを見た。
あかりは不安そうに話を聞いて、ひかりは不機嫌そうに視線をそらし、アキは不可解そうにハルのことを見ている。
ハルは何だか、自分がひどく滑稽な立場に立っているような気がした。
「……常識的に考えて、ぬいぐるみが突然なくなったりするなんてことはないから、結論として、ぬいぐるみはその時公園にいた誰かが持ち去るなり、隠したかしたことになるしかない。要するに、犯人はこの中にいるわけだ。向こうの六人と、それから栩ひかりちゃん……」
ハルはそして、こう言った。
「そして結論を言うなら、あかりちゃんのぬいぐるみを隠したのは、ひかりちゃんなんだ」
アキがよくわからない、というふうに言った。
「でもどうやって? 隠し場所なんてどこにもないわけでしょ。ひかりちゃんが隠したとしたって、どこにも隠せない。それとも、あの子たちが何か見落としてたのかな?」
「ううん、公園のどこかに隠されていたなら、あの子たちがきっと見つけてたよ。そのことはひかりちゃん自身よく知っていた。だから彼女は、いろいろと工夫しなくちゃいけなかったんだ。もしかしたらとっさに思いついたのかもしれないし、そのぬいぐるみを買ってもらったときから、そのことは考えていたのかもしれない」
ひかりはやはり、無言のままだった。あかりがそれを、心配そうな顔で見ている。
「あの時、子供たちが言っていたごみ箱の〝綿〟、それから久良野奈津の〝魔法〟、ひかりちゃんの持っていた〝ぬいぐるみ〟。この三つをつなげると、あかりちゃんのぬいぐるみがどこに隠されているのか、考えることができるんだ」
「?」
「つまりさ、あかりちゃんのぬいぐるみは、ひかりちゃんのぬいぐるみの中にあるってこと」
「は……?」
アキが、よくわからないという顔をした。
「それって、えと……ごみ箱の〝綿〟はひかりちゃんのぬいぐるみの〝綿〟ってこと? 中身を抜いて、その中にあかりちゃんのぬいぐるみを隠した?」
「そうだよ」
「でも、えと……そりゃ大きさ的には大丈夫かもしれないけど、ぬいぐるみを分解したってこと? 分解して綿を抜きとった? でもそんなことしたら、元に戻せないでしょ?」
「だから、〝魔法〟なんだ」
「魔法で元に戻した?」
「違うよ」
ハルは首を振った。
「分解なんてしていない。ある方法を使えば、そんなことしなくても中身を抜きとることができるんだ。でもその方法ではまずいことに、そのあとが残ってしまう。彼女が急にぬいぐるみを大事にして、自分のそばから離そうとしなくなったのは、そのせいなんだ」
「えと、つまり……?」
「久良野奈津の魔法、その描いたものを現実化する魔法を使って、ひかりちゃんは自分のぬいぐるみにあるものを描いた。油性のマジックだったから、残念ながら簡単には消せなかったけどね」
「……?」
「見ればわかると思うけど、たぶんひかりちゃんはジッパーを描いてもらったんだよ」
「ジッパー――?」
アキはおうむ返しにつぶやいてしまった。
「それが、一番うまくいく可能性があったんだ。魔法でジッパーを描いて、そこから中の綿を取りのぞく。空いたスペースにあかりちゃんのぬいぐるみを詰めこんで、ジッパーを閉じる。見られる危険性はあったけど、タイミングよくやればできないことはない。子供たちは〝魔法遊び〟に夢中になってるし、久良野奈津の協力もあった。綿は適当に気づかれないようにして、ごみ箱に捨ててしまえばいい。割れた風船を捨てるついで、とかでね――」
「…………」
ひかりは、何も言わなかった。
けれど――
その手のぬいぐるみを、いきなりあかりのほうに投げつけている。あかりはびっくりしながら、そのぬいぐるみをぶつけられた格好で受けとめていた。
白い犬の腹には、ハルの言ったとおりマジックで描かれたジッパーのあとが残っている。
ひかりはきっ、とハルのことをにらんだ。
「何なのよ、あんたいったい……!」
ハルは少しだけ笑って、答えた。
「ただの〝魔法使い〟さ――」
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