第八章 願いの在りか
一
エンパシーという言葉がある。
他者と感情を同期・同調することにより、まるで自分の感情そのもののごとく共感してしまうテレパシー能力の一つだ。
だが、それは本来、テレパシー能力を指して名づけられた言葉ではない。人間に限らず社会を生活基盤とする生物が、連綿と続く営みの中で自然に獲得した共生機能の一つなのだ。
他者を洞察し、他者と足並みを揃えて生きるため互いの気持ちを思いやり、気づかい、配慮する。そんな社会性―――俗に言う“空気を読む”能力へ付けられた言葉なのである。
高度に発達した知性が故に、感情と理性の狭間で大きく揺れ動く不安定な精神構造を得てしまった人間にとって、その能力は生死を支える根幹の能力と言っても過言ではない。
過去のどんな国家や社会においても、発展や充実には強固な民衆のエンパシーは必須条件であり、それを獲得するため為政者は様々な手段を講じてきたのだ。
法や宗教、英雄や神話、富と思想、全ては人々が互いの価値観を共有することによって個の足並みを揃えるため発明し、磨いてきたエンパシーのための産物なのである。
しかし悠久の時間とともに勢力圏を宇宙にまで広げ、更なる繁栄を目指し続ける人類にとってエンパシーは遠い言葉になりつつあった。
多く、広がり続ける事による価値観の相違と矛盾を、既存のツールでは埋めきれなくなってきていたのだ。
繁栄を謳歌する一方で二極化する貧富と、進む環境汚染はまさにその象徴であったことだろう。
その最極端な実例が、かつての中央と木星圏なのだった。
フロンティア(新世界の開拓地)と言えば聞こえは良いが、水どころか空気すらない虚空の世界で生きる人々を、天然ガスやレアメタルといった資源供給システムの部品に等しい認識のまま中央は実効支配し続けたのだ。
航路を行き交う輸送船には常に軍艦が付き添い、食糧供給を初めとした生産拠点は中央からの制限がかけられた。各コロニーの重職は中央から派遣された権力者の血縁者で占められ、コロニー間の情報も厳しく統制され続けた。
テレパシー能力は、そんな抑圧的環境下の世界で発現したのだ。
変化や進化と呼ぶにはあまりにもドラスティックでありすぎるそれが、生活環境への適応や突然変異といった自然発生的なものでないことは誰の目にも明らかであった。それが人為的なものか否かは別として、確かな原因と要因がある現象に過ぎないのであろうことは想像に難くない。
だがしかし、テレパシーシンドロームを乗り越え、混乱から立ち直りつつあった人々にとってそれは神の啓示に等しい“証明”となっていったのだ。
“持たざる者”であるが故に、“持てる者”たる中央が示す価値観への従属を余儀なくされていた自身の変革―――“持てる者”として自己の価値観を示し、豊かな自分たちの世界を築く資格者である事の証明として、木星圏の人々はテレパシー能力を受け入れていった。
混乱期に中央関係者のほとんどが退去し、状況の不透明さから中央が木星圏航路の断絶策を取った事も幸いした。テレパシーシンドロームの混乱期、そして以後の内乱期を経た十数年を、ひたすらに国力の増強のため使うことが出来たからだ。
そうして混乱と内乱によって目減りした人口と、荒れた木星圏へ開かれた資源コロニーから供給される潤沢な食料と資源が相乗し、急速な発展と豊かさが人々の生活を一変させていった。
だが、豊かさを手にした人間というものは往々にして恐怖を抱え込むものでもある。豊かさを失う恐怖というものを、だ。
かつて中央が、木星圏という自身の制御を外れた生活圏の可能性を危惧したように、木星圏の人々もまた再び中央に支配される未来を切実な予想図として畏怖をつのらせていったのだ。
混乱、内乱、復興、そして戦争。
時代の変化と呼ぶにはあまりにも大きな起伏で人々を翻弄し続けた状況の果てに、国としての体を成した現在の木星圏はあるのだった。
そしてそんな人々が抱いたエンパシーの果てに起こった争いの渦中に今、優人はいる。
それを巻き込まれたとは呼ぶまい。優人は軍人だ。戦う事を志し、戦うすべを日々磨いてきたのは、いつかその手で銃の引き金を引く日のためなのだ。偶発的ではあっても、ブラッディ・ティアーズのパイロットとして戦うことは優人自身が選んだ必然に他ならない。
だが何故なのだろう。
何かが優人の中で警鐘を鳴らし続けているのだ。
この戦いを否定し、拒絶せよと叫んでいるのだ。
不明瞭きわまる声は何故なのか。だが確かに優人の中で、自身が叫んでいるのを感じる。
それが理性のささやく正論からのものなのか。それとも感情がかきたてる暴論によるものなのか。優人にはわからない。
しかし、戦いから退くつもりなど微塵も無いことだけは確かだった。
優人には理由があるのだ。
強くならねばならない理由が、だ。
その思いこそが優人に軍人の道を選ばせ、人型機動兵器”ブラッディ・ティアーズ”のパイロットへと導いた原動力なのだった。
記憶がさざめく。
脳裏を過去の情景がフラッシュバックしてゆく。
手が見えた。
懸命に前へと伸ばした小さな自身の左腕だ。その小ささに、七歳という当時の幼さを思い出す。
その五指の間の向こうから、こちらへと手を伸ばしている男女が見えた。涙を流し、必死に何かを叫ぶ二人は優人の父と母だ。
園芸が趣味で、自慢の花壇で花が咲くたび自慢げに花言葉をそらんじていたコロニー技術者の父。
料理は下手だったけれど、手芸が得意でいつも手作りの服を着せてくれた母。
優しい微笑みを浮かべるばかりだった父母が遠ざかってゆく。
いや、そうではない。優人自身が遠ざかっているのだ。
コマ送りで進む、ありし日の記憶が眉間に熱を喚起させてゆく。
(テレパシー……シンド…ロー…ム……)
それは、突如として発現したテレパシー能力の暴走が引き起こした大混乱の記憶だった。
能力の暴走は多くの者に周囲の心を透かし見せた後、過負荷で五感神経を麻痺させる疾患を誘発させていったのだ。
かすむ視界、遠ざかる聴音、味も匂いも触覚すら希薄となった霧霞の世界で、多くの者たちは混乱し、恐慌し、あるはずもない出口を求めて逃げ惑った。後にテレパシーシンドロームと名づけられたテレパシー能力の暴走による一大混乱期である。
その最中には中央への脱出を試みる者たちも少なくはなく、優人の家族もそんな中の一つであったのだ。
だが、それは優人にとって悲しい別れの記憶でもあった。
殺到する群衆に揉みくちゃにされる圧力が、固く握っていた母の手から優人を引き剥がしてしまったのだ。
遠ざかってゆく。
輪郭もおぼろな視界の向こうで、何故か父が叫んでいる顔が見えた気がした。
聞こえなくなってゆく。
無音に等しい世界の中で、どうしてか母の泣き叫ぶ声が聞こえた気がした。
伸ばした手の先で。
小さな五指の隙間から見える向こうの景色の中で。
泣いていた。
父が。
母が。
そして母の、優人とは反対の手に引かれていた小さな――――。
二
左腕シールドを襲った衝撃にはじかれ、テンザネスが大きく後退した。
シールド表面を覆うSSTフィールドがこそぎとられたショックが頭痛となって走るものの、思っていたより遥かに軽い負荷に安堵する。
(強くなる理由……か)
制御切替と同時にかけていた後退によって、五爪を引き戻すフューリーとの距離が開きだした。
急激な加速に身体が前へと引っ張られ、食い込む固定具で締め上げられた鎖骨がきしみを上げる。
(縁起でもない。走馬灯なんて見ている場合か。こんなときに何を思い出しているんだ僕は)
もれそうになる苦鳴を押し殺しながら、慣れない機体を懸命に操作する胸裏をよぎった過去のフラッシュバックに、優人は憂いを禁じえない。
「集中しろ。今は、それどころじゃないだろう!?」
一人ごちながら操縦桿のトリガーを引き絞る。
テンザネスが右腕に構えていた荷電粒子ライフルの引き金を引くのと同時に、銃口で収束していた荷電粒子が稲妻となってフューリーへと迸った。
真空の空間を駆け抜ける、ほぼ光速の閃きはしかし、フューリーが振るった右爪によって砕き散らされてしまう。紅蓮の炎とSSTフィールドをまとった爪によってだ。
「エネルギーを散らされた?」
手のひらを向けた両手を誇示するように左右へ広げ、フューリーがテンザネスへとスラスターを吹かせた。
接近戦は不利と、連射のきかない荷電粒子ライフルを左腕シールド裏へと戻し、左腕が構えている中距離用の電磁ライフルを撃ち放つ。
電磁誘導によって弾丸を加速射出する簡易レールガンによる銃撃は狙いを違うことなくフューリーをとらえ、振り払う爪をかいくぐった射線の一つが左肩に命中して一瞬、装甲の赤を剥ぎ取った。
衝撃で加速を鈍らされ、炸裂して散った弾丸片のスモークに包まれるフューリーへと、間髪いれず優人は引き金を引き続けた。
と―――。
「!?」
射線を蹴散らし、三つの赤き光弾がテンザネスへと走った。
かろうじてそれらの迎撃には成功するものの、その影に隠れていた一つ―――赤き燐光をまとわずに飛来した一本のシューティングネイルの存在に気づくのが遅れてしまった。
照準がロックする間も無く射程範囲をすり抜けたそれに慌ててテンザネスは左の盾を向けるものの、予想に反して爪はわずかに右へとそれてゆく。
(しまっ―――!!)
その意図を悟り、優人は即座にテンザネスを上昇させようとするものの間に合わず、周囲を数周した爪のワイヤーによって全身を絡み取られてしまった。
「捕まった?」
かろうじてワイヤーの内側へシールドを滑り込ませられはしたものの、それによって両腕の動きが完全に封じられ、攻撃能力を封じられたも同然の状態となってしまっている。
「駄目か。完全に全身を押さえられている」
操縦桿を軽く振ってテンザネスをもがかせてはみるものの、いかなる材質なのかワイヤーはビクともしない。SSTシールドのフィールドは理論上、あらゆる物質を破砕するはずであったが、よく見ればワイヤーそのものがわずかに赤く発光してシールドに触れた部分が対消滅の負荷で揺れているのがわかった。
「まずい。狙いはコクピットか」
全身にワイヤーを絡めつつ、周回径を狭めてくる爪が赤熱するように発光した。
狙いは考えるまでも無い。テンザネスの胸部中央―――優人が座すコクピットだ。
(死ぬのか? ここで)
唐突に思った。
(いやだ!)
即座に叫ぶ。
『ドウシテ?』
(僕はまだ何もしていない! 何も出来ていない! 誰も、守れていない……)
脳裏に響いた問いかけに疑問を抱くこともないほど混濁した頭で必死に優人は叫んでいた。
人は過去で己を形づくり、現在を賭して未来へと手を伸ばす生き物だ。
優人は今、あらためて自覚していた。自身を形作った過去とは、自身をここまで突き動かしてきた根底にある思いの正体とは、悔恨なのだと。
無力であったが故に、何よりも愛し、大切であったものとの離別を強いられた悲しみが優人に強さを求めさせていたのだ。だが、それは原点にすぎないとも優人は悟る。数多くの出会いが、そして成長が、感情に過ぎなかった悲しみを理性ある意志へと昇華させていたのだ。
過去によって形作られた
(僕は戦う。もう二度と失わないために。いつか、あの指間の先へと辿り着くために)
意志が奔る。
昂ぶる感情を制した理性が恐怖を払拭してゆく。
半ば無意識に、優人は操縦桿から右手を放していた。
右へと流れた手の先で、ほのかな灯りが立ち昇りだす。コクピット右アームレストの、基部しかなかったはずのスライダックにレバーが生まれていた。青く透き通った
見えない糸で操られるかのように伸ばされた右手が、まるで実体があるかのようにレバーを掴み取る。
それとほぼ同時のことだった。
轟然と迫り来るフューリーの殺意が、刺突よりも先に優人の心を貫いたのだ。FREの感情抑制レベルが危険域を突破し、安全装置がシステムカットに動きかける。
「うわああああああああああああ!!!!」
精神へ直接突き立てられた殺意の痛みに優人は絶叫していた。
肉体へのそれとは違う、優人の自我そのものを砕かんとする凄まじいまでの圧力だった。
その圧倒的な痛みへの防衛本能が、反射的に右手を前へと押し出させてゆく。ホログラムのレバーが前一杯にスライドされ、ヘッドアップディスプレイに”エンパスシステム”の起動メッセージが表示された。
コクピットの空気が一瞬にして一つの感情で埋め尽くされ、それに共感した優人の意識を飲み込んでゆく。
「あ、あなたは―――」
誰? と。続く言葉が途切れる刹那に、優人は後ろから自分を優しく抱きすくめる細く白い
三
「優人君!」
花開く爆光の散華を目の当たりしたエルが色を失って叫んだ。
生命維持が正常な数少ないエリアである艦橋は、負傷兵と避難してきた非戦闘員で埋まっている。だが、その誰もが眼前で繰り広げられている常識外れなブラッディ・ティアーズ戦闘に我を忘れて見入っていた。
それを背に、思わず窓際へと走り寄ったエルの手元から包帯の束がバラけて宙に舞う。
「どうして………」
わからない。わかるはずもない。だが、優人の乗るテンザネスが味方と思っていたフューリーに撃墜されたことは、まぎれもない現実だった。
右肩に重みがかかる。同じく駆け寄ったミユキが唇まで真っ青になって寄りかかっていた。かすかに動く唇が、言葉をつむぐ力を失ったかのように浅い吐息をもらしている。
「ミユ―――」
全神経を総動員し、やっとのことでしぼりだした言葉が止まる。爆発を凝視しているミユキの顔が見せた驚きの表情に、だ。
「え?」
振り返った視線の先では、一面に広がる灰色の爆煙を振り払い、テンザネスが健在をあらわしていた。
二人の顔に安堵が浮かびかけるものの、それはすぐに新たな驚きに取って代わられてしまう。
「な、なによあれ。優人君までなの?」
テンザネスの姿が変わっていた。
形状こそ同じであったが、その装甲がフューリー同様、深紅に染まっていたのだ。
シールギアによりテレパシー能力こそ解放してはいないものの、直感が二人に告げている。
畏怖を喚起させて伝えている。
その変貌が、新たなる悪魔の出現であることを。
「お願いよ」
こぼれる涙もそのままに、ミユキが窓ガラスへとすがりついた。
「もう奪わないで……」
深紅のテンザネスへと、悲痛な言葉をつむぎながら嗚咽にむせぶ。
「もう私の周りから誰も奪わないで……」
ミユキには予感があった。
アンディと同じように優人もまた、自分を置いていなくなる未来への確信が、変貌したテンザネスを見た途端に浮かび上がったのだ。
「お願い……よぅ……」
「ミユキ……」
非情な兵器であると知りながら彼方の機神へと懇願するミユキの背を、エルは直視できなかった。
四
引き裂かれた光芒が四散した。
赤熱した二枚の長盾を開き、テンザネスがその姿をフューリーへとさらす。
フューリーと同様に、まとう赤きプラズマの炎で輪郭を崩したテンザネスがそこにあった。
夕陽のように赤味が濃いフューリーと違い、黄色味の強い太陽を連想させる炎だ。同時に、顔面のスリットがたたえる闇が真白い光で満たされてゆく。
盾の表面に無数の亀裂が入った。
腕部の連結器とそれに接続されたライフルを残して、ガラスが割れるように2枚のシールドが微塵に割れ飛んでゆく。損壊し砕け散ったのではない。飛散した破片は、白き燐光の粒子と化しながら全周囲へと広がり、放つ業火で周囲を席巻し始めたのだ。圧倒的な熱量と輝度を持った真紅の炎が二機を取り囲み、炎獄の世界へと閉じ込めてゆく。
立ち込めた炎がフューリーの装甲に触れるたび、灼熱に落とした水滴のごとく対消滅の火花を散らせてはじけていた。
前触れ無く檻に放り込まれた獣のように、ゆっくりとセンサースリットの内でセンサーを廻らせ、フューリーが周囲をうかがう。
自身がまとう紅蓮の前に、この程度の炎は問題にはならぬと判断したのか。はたまた何もわからず判断を保留としたのか。
フューリーが両の爪を再びかまえ、テンザネスへと背のスラスターを吹かせた。
それに対し、テンザネスも左手のライフルを右腕のマウント部に戻し、右手で左腕にライフルと並列装備されていたブレードを抜き放つ。意匠・外見ともに打刀と呼ばれる日本刀を模したブレードは本来、高周波ブレードなのだろうが、テンザネスの右手に握られた途端、手首を伝った赤い燐光に包まれ、SSTフィールドを内包したプラズマの刃”SSTブレード”と化す。
接近したフューリーが右爪を袈裟がけに振り下ろし、応じて左切上げに振り上げたテンザネスのブレードが真っ向からぶつかり合った。
対消滅の衝撃で後方へと弾き飛ばされる両者の背でアクティブスラスターが複雑に動きつつ体勢を補正し、反動のショックで動きを鈍らせた右腕を胸の前へと振り上げる。
「全てを憎悪し、破壊する。それがフューリーの意志なのか……」
全ての計器類が停止し、ヘッドアップディスプレイも”エンパスシステム”とのメッセージを点滅させてダウンしたテンザネスのコクピットで、力なくうなだれて目を閉じる優人の唇が虚ろに言葉を発した。
「全てを許し、見守りたい。それがテンザネスの意志なんですね……」
フューリーのコクピットで、優人と同様のレイジが呟く。
エンパスシステムを通じ、マイセルフと意識を同調させた彼ら―――だがしかし、それは彼らが機体を支配しているということではない。彼らという器を得て、秘めたる意志を解放した機体の自律によってこの戦いは行なわれているのだ。
「フューリーを止めろ。もう敵は、どこにもいない。これ以上、暴れる必要がどこにあるんだ」
「……まだですよ」
フューリーがテンザネスへと両腕を伸ばし、残る九爪を全て撃ち放った。
「フューリーが言っている。“戦え”と。眼前に立ちふさがる全てを滅ぼせと。そうだ。敵だ。敵なんだ。中央も、木星軍も、BTも、そして――――マイセルフも!!」
個々に意志を持つかのごとく、ランダムな軌跡を描いて迫る赤き流星たちを前に、テンザネスが左腕で右腕マウントに装備されていたブレードを引き抜く。
そして眼前に掲げたブレードたちの柄尻を連結させ、一振りのツインブレードを完成させると、それを右手にテンザネスは前へと突き出した。
同時に手首が回転し、ブレードによる障壁を作り出す。
襲い来るフューリーの攻撃は数も威力も、捉えようの無い複雑な軌道さえもそなえていたが、実質三枚のシールドによる広範囲の防御網を割ることは出来ず、次々にはじかれてゆく。
距離をとっての攻撃は無駄とさとったのか、フューリーが爪を引き戻した。
手首に備えた基部を視点とし右肘へと折りたたんでいた幅広のブレードを引き起こす。テンザネス同様に刀身が深紅に染まり、一点に集中してゆくフィールドの高まりが紅蓮にブレードを染め上げた。
「憎い! 貴様らが憎い! よくも殺したな!? よくも奪ったな!? よくも! よくも! よくも!!!! 殺してやる! 殺してやるぞ!! 全て……全て殺しつくしてやる!!!!」
それをかざし、猛然とフューリーがテンザネスへ襲いかかる。
爪が引き戻される一瞬の隙を狙い、右から回り込むように接近していたテンザネスが、連結を解除したブレードを交差させてフューリーのブレードを受け止めた。
「レイジ。目を覚ませ! システムに取り込まれるな!!」
呼びかける優人にレイジは応えない。
テレパシー能力による交感を試みても、機体が放つ敵意と憎悪が圧倒的過ぎてレイジの存在が完全に埋もれてしまっていた。精神が完全に機体のシステムと同調してしまっているのだろう。優人自身も、背後から迫る闇のような感触をテンザネスから感じ続けていた。少しでも気を抜けば優人も同様に、理性を消失してしまうのだろう。
組み合ったまま踊るようにきりもむ中で、噛みあうブレードをはさみ向かい合う二機のセンサースリットが、互いを威嚇するようにまたたきを強めてゆく。
『軍神暦元年。火星独立を機に中央が発足させた機関があった』
呼びかけを続ける優人の脳裏に突如、声が走った。肉声やテレパシーによる交感ではない。共振し、ボルテージを上げてゆく同種のシステムが放つフラッシュバックにも似た認識が沸き起こったのだ。フューリーの敵意の向こうから、何かが優人へと流れ込んでくる。
『名は”ザ・ゲイト”。広大になりすぎた中央が、次代の情報通信ネットワークとして開発を進めていた量子コンピューターと、量子テレポートの技術研究を目的とした研究機関である』
互角の均衡を崩そうと、フューリーが右手に左手を添えかけた。単純なパワーではフューリーが勝るのか、ジリジリとテンザネスが押されてゆく。
『だが―――』
淡々と語る源の存在感はレイジと似ていたが、それは違うという直感が優人の胸をよぎる。
『研究が本格化し、実用化の目処が見込まれるようになるにつれ、生活領域の拡大による権力の減退と、技術独占による利益に注目するようになった中央政府高官たちは機関を解体、研究員を拘束・隔離し、機関を治安維持部隊直下の情報統制組織へと変貌させてしまう』
テンザネスが左スラスターを吹かせた。
きりもむ回転が急激に加速され、前方へと力を集中していたフューリーのバランスがわずかに崩れる。
交差部分を支点に右の柄を押しやり、左後ろへと傾けたテンザネスのブレード上でフューリーのブレードが大きく滑り、そのままいなされて左脇をさらしてしまった。
間髪いれず、ガラ空きとなったフューリーの左側頭部へテンザネスが右のブレードを振り下ろす。その刃を、フューリーの左手が掴み取った。
『軍神暦83年。13基のコアから成る量子コンピューター“クロノギア”の完成を手始めに、中央はとうとう量子テレポート研究施設の建造へと着手する。建設場所に選定されたのは―――』
刀身を掴み、逆らわずにスラスターを吹いたフューリーによってテンザネスの右手からブレードがもぎ取られた。
『―――後に木星圏と呼称される資源開発コロニー群の近傍に位置するアステロイドベルトであった』
フィールドの供給を絶たれたブレードを握る手にフューリーが力を込めた。その爪がおびたSSTフィールドの前に、超高密度の合金で出来た刀身はマッチ棒のように容易くヘシ折れてしまう。
『軍神暦92年。量子テレポートによる長距離情報通信実験が、恐るべき惨劇を引き起こす』
真実をあばきゆくレイジの―――いやフューリー自身の言葉に昂ぶりが加わってゆく。それはフューリーが抱く底知れぬ怒りであり、語る真実へ抱くレイジ自身の憤りなのだろう。
『様々な要因が複雑に影響した結果、システムは異なる次元に存在する量子と共振し、我々の次元では本来、認識不可能な情報の一端を飲み込んでしまったのだ。その情報は、単なる情報処理装置であったはずのクロノギアを、未知にして意思ある存在へと変貌させてしまった。無から有を生み出したに等しいその現象の余波は凄まじく、同時に発生した微量の反物質による衝撃波で施設は壊滅し、木星圏におけるテレパシスト発生と混乱勃発の源となってしまったのだ』
「テレパシスト発生が人為的なものだったっていうのか!?」
『軍神暦92年末。中央は木星圏で発生した精神感応能力発現症候群―――通称”テレパシーシンドローム”の原因究明に派遣した研究師団の引き上げを決定する。その中には、全滅したはずの機関の生き残り十人の姿があった』
問いにレイジは応えず、フューリーがかざし向けた右手の爪―――親指を失い残った四本を全て打ち放った。
二本が左右、二本が上下。
四方から迫る攻撃に、テンザネスが左手のブレードを右に持ちなおし左手でライフルを取る。
両のスラスターを吹かし、全開加速でテンザネスが上昇した。いち早く距離を詰めた上方の爪へとライフルを連射する。
高速で赤い軌跡をたどる射線の7射目が爪をとらえ、大きくはじきとばした。
『秘密裏に開かれた審問の中で研究師団は、自我が希薄な一人の少女を同道。そして少女が示したテレパシストの危険性を目の当たりにした中央政府は、危険因子として木星圏への門戸を閉ざすことを決定する』
下方から、軌跡を重ねた三つの爪がテンザネスへと追いすがる。
まとめて打ち払わんと、間隔を保ったままにフューリーの頭上へと回り込みつつライフルの引き金を引いた。だが、放たれる射線が到達する直前で軌跡が三つに分岐し、弧を描いて左右と下から同時に襲いかかってくる。
『同時に、中央はテレパシスト殲滅と発生原因究明のための機関を発足。ベースとなったのは”ザ・ゲイト”。そしてその中核を成す幹部に選ばれた研究員の生き残り十人は、中央へ脱出してきたものの月の収容所へ護送されたテレパシストをサンプルとして人体実験を開始する』
先程と同様に、下方からの爪に狙いを定めようとしたテンザネスが動きを止めた。センサースリットの中で輝きの一つが左顔に刻まれた翼模様の端へと動き、背後から取り囲むようにして迫る五つの光跡をとらえる。
『その成果は凄まじく、中央の技術発展に多大な貢献を果たす結果となった』
右爪たちからの回避に気をとられた隙をついて射出した左爪たちに包囲され、動きを止めたテンザネスを見上げるフューリーの顔面で、眼光を成す光の双眸が勝利の確信にまたたいた。
『軍神暦94年。機関内で小規模の内乱が発生。機関の長であるメーヴェ・アグシャの密告で、
ライフルの連射によって先に迫る三爪のうち二つまでを弾き飛ばし、右方よりの近接を許した一つを右手のブレードでどうにか受ける―――が、接触の瞬間に爪がわずかに軌道を変えたことによってはじけず、流したため、遅れて飛来したワイヤーにブレードが絡み取られた。遠隔とは思えぬ膂力に右腕をとられた動きが鈍る。
その停滞は時間にして1秒弱という短いものであったが、音速で迫る五爪にとってテンザネスの射程範囲を抜け出すのには十分な時間であった。
『そして少女は、稀少なサンプルとして研究材料へと供されることとなった。囚われたテレパシストたちと同様―――否、彼ら以上に
語る声音が、これまでにない怒りで打ち震えていた。フューリーからほとばしる怒りが熱を増し、装甲が放つ炎のごとき燐光を更に燃え立たせてゆく。
封じられたブレードを放り、ライフルで迎撃できる距離をも割られた五爪へとテンザネスが向き直った。
『少女には、中央をそこまで駆り立てるだけの秘密があった』
諸手を突き出したテンザネスが、フューリーへ向けて広げた手のひらを重ねてゆく。指間からからのぞくテンザネスのセンサースリットが内からあふれだす光に満たされ、それに重なる優人の瞳が見ひらかれた。
『彼女こそは、量子テレポート実験の予期せぬ成果物そのもの―――別次元の量子情報を取り込んだことで存在そのものを変質させてしまった量子コンピューター“クロノギア”のコアユニットだったのだ』
五
「優にぃ……優兄ちゃん……」
泥だらけだった黄色のシャツとサスペンダー付きのジーパンがきれいになっても、左手に着けさせられたシールギアでテレパシーの恐怖から解放されても、自分を暖かく守ってくれていた家族が傍にいない現実が、恐ろしくてたまらなかったのだ。
「寒いよぅ……」
膝を抱えてしゃがむ廊下の窓からは星々の海が見える。
いまだ幼い少年にとって正確な日数の感覚は無かったが、もう随分とこうしていることだけはわかっていた。
兄とはぐれて。テレパシーシンドロームの後遺症により精神衰弱が激しい母親の看病で父親は医務室へこもったままだった。そうして気づけば柾人は、メーヴェ・アグシャと名乗る老人へと預けられ、先行して中央へ向かうのだというシャトルに乗り込まされている。それから2週間は過ぎただろうか。
「泣いて……る……?」
涙で腫れた目じりを膝に押し付けてむせぶ右から、たどたどしい少女の声がかかった。
「くんなよぅ……」
顔を伏せた柾人の横でかがみ、不思議そうにかしげたフランス人形のように整った顔立ちを向けてくるのは、真新しい白のワンピースをまとった少女だ。父親であるメーヴェから、歳は柾人より五つ上の12歳だと聞いている。
「あっち行けよぅ……」
「なん……で?」
まとう衣服と対照的な緑がかった黒髪が、童女のようにきょとんと小首をかしげた所作につられてふわふわ揺れる。その仕草はあどけなく、真っ白で邪気の無い心根が形になったかのようであった。
「うるさい……」
ぶっきらぼうに、柾人はただ呟く。
「セシィ。うるさい?」
少女の父が呼ぶ愛称に、柾人は理不尽な怒りが込み上げるのを押さえられなかった。
「うるさいよ! 俺、おまえなんか大ッ嫌いだ!」
腹立たしさばかりが胸に広がってゆく。
「帰れよ! 帰れったら!!」
泉のように苛立ちばかりが湧き出して止まらない。
そんな自分を嫌悪しながらも、父親がいる少女への妬みばかりがつのって、拒絶をつむぐ口を止められなかった。
「帰れ!!」
「優にぃ……?」
うかがうように、かけられた言葉が柾人の心臓をワシ掴む。
「優にぃ……優にぃ……」
「やめろよ!!」
とつとつと、覚えたての言葉を反芻するような少女を睨み上げ柾人は叫んでいた。
その眼差しは、不用意に心を読んだ少女への怒りで満ち、握り締めた手は今にも少女へ掴みかからんばかりに震えている。
「女は、殴っちゃだめなの?」
「――ッ!!」
気恥ずかしさに顔を紅潮させて怒鳴りかけるものの、胸裏を過ぎった兄がそれを止める。「男は女を守るもの」それは柾人たちの父がよく口にしていた言葉だったが、いつの頃からか兄から聞くことが多くなっていた気のする言葉だった。
(優にぃ……)
「優にぃ……」
胸中の呟きを、そのまま少女が口にする。
柾人の感情を底なしに飲み込むばかりで、一切の感情を感じさせぬ瞳が柾人の感情を醒ましていった。そして無心とも無邪気さとも違う、空虚さを宿した瞳を見返す耳に、少女の父親の言葉を思い出す。
難しいことはわからないが、強すぎるテレパシー能力と引き替えに心を無くしてしまった者は多い。彼女もまた、そういった犠牲者の一人なのだろう。
優しい人になりなさい。思い至った柾人の胸に、いつか聞いた母の言葉がよみがえる。心を無くしてしまった人を癒せるのはきっと、優しい人との触れ合いだけなのだから、と
「友だ……ち…?」
友達になってやって欲しいと、頼まれた記憶を読んだ少女が呟いた。
その声はたどたどしく。その所作はぎこちなさを隠せないが、初めて出会った時の人形じみた様子から比べれば、随分と自我らしきものを感じさせるようになってきた気がする。
「守る……?」
そう感じた柾人の心に生まれた小さな使命感を、少女が言葉とつむいだ。
それは寄る辺を無くした少年にとって、溺れる中で無意識に掴んだ
だが少女がそれを言葉とした瞬間から、かすかだった思いは意志となったのだ。守ってくれる者を無くした悲しみを乗り越えるため、せめて今度は自分が守る者になるために、立ち上がらなければならないと、闇の中でうずくまっていた少年に決意させるだけの意志となったのだ。
「そうだよ。僕が、守ってやる」
右の袖で涙をこすり取り、柾人は腰を上げた。
「セシルは僕が守ってやる」
心のままに。偽りも虚栄も、打算さえもない仁なる思いから柾人は少女―――セシルへと笑って見せた。そのときだった。
「ありが……と……う」
セシルが微笑んだのだ。無邪気に、ニコリと笑みを浮かべたのだ。
「うんッ」
それはもしかしたら、オウム返しに笑顔の真似をしただけなのかもしれない。それを悟るにはあまりに幼く、シールギアによってテレパシー能力が抑制されてもいる柾人にはわからない。
だが、関係ないと柾人には思えた。
テレパシーなどは関係ない。その笑顔を結ぶ表情の瞳に、柾人はセシルの心を感じたのだから。
六
音速を超えて迫る五つの爪が、テンザネスの装甲に全て弾き飛ばされた。
まるであっけなく、鉄扉にゴムボールを投げつけたかのようにあっさりと跳ね返った爪たちが頼りなく宙を飛んでゆく。
エンパスシステムを発動しているとはいえ、コールドアイのときはシールドさえ容易く貫いた爪を受け付けなかった理由は、爪がまとうSSTフィールドの大幅な減衰か。
燃え盛る炎は激しさをひそめており、まるで残り火のようにかすかな燐光しか発していない。
だが、爪を引き戻す途中でテンザネスからある程度の距離が開くと、突然元の強さを取り戻した。再び両手を成した爪をかまえ、フューリーがY字スリットをまたたかせる。
(こいつ……このマイセルフは……)
それを目の当たりにした優人は悟った。
テンザネスが飛散させ、機体を中心とした全周囲200数十メートルを炎獄とせしめたシールド片たちの備えた機能と、この機体に込められた設計思想を、だ。
(テンザネスのこれはSSTフィールドを大きく減衰させる領域を作り出す防御兵器)
機体の思考補助制御システム”S-LINK”と同調し、常にテンザネスを取り囲み続ける結界型シールドシステム”ファナティック・フレイム”。
(変形機構と、遥かに高次元の汎用性をもたらす左手)
その機能、その設計が全てを物語っていた。
(わかったぞ。この武装のコンセプトが。こいつは”王”なんだ。他の”マイセルフ”を制するための能力を与えられた”マイセルフ”なんだ)
だが、フューリーやコールドアイとは違い、明らかに対マイセルフを想定して作られているテンザネスへの驚きすら、フューリーが語る真実の前にはかすんで消える。
距離を置いた間接攻撃は無駄と、再びブレードをかまえフューリーが飛び出した。
自身のそれに倍する肉厚と幅を持つブレードを前にしかし、先程の攻防でブレードを二本とも失っているテンザネスは左腕マウントから荷電粒子ライフルを外してかまえる。
引き金が引かれ、向けた銃口からほとばしった直径2メートルにもなる稲妻の閃光をフューリーは左へ
第ニ射の照準から逃れようと、小刻みに機体を振るフューリーが急上昇をかけた。
『彼女―――セシルには力があった。人外の力。奇蹟を起こす力が……』
フューリーを追尾し、小刻みに動く銃口とともにテンザネスの顔面センサースリットの中でも忙しく光が廻る。
『他者と自分の感情を音叉のように共鳴させて起こす不条理にして不可思議な現象は、奇跡としか言い表すほかないものだったのだ』
テレパシーを通じ、優人の脳裏でレイジの記憶にあるいくつかの光景が展開する。
コロニーの暴動から逃れる途中のシャトルで、死に瀕した男の傷を癒す、真っ白な光に包まれた小さな手。
訪れた軍の格納庫内―――目の当たりにした地球製ブラッディ・ティアーズの
『中央は、セシルが持つ奇蹟の力を求めた。その結果が―――』
防御も回避もさせまいと、ファナティック・フレイムによる領域ギリギリまで引き付けようとするテンザネスへ、突如フューリーが転進した。
それまでの回避姿勢をかなぐりすて、一直線に向かってくる
音速で接近する彼我距離が100メートルを割った刹那に、テンザンスはライフルの引き金を引き絞った。
『―――マイセルフという幻想機の建造だった。軍の拠点開発用ロボットをベースに造られたそれは、セシルとパイロットの意思を共感させることで強制的にありうべからざる事象を引き起こす幻想の具現機……』
ほとばしる稲妻の束が、フューリーへの到達寸前で引き裂かれた。
切り裂かれ、フューリーを避けるようにあらぬ方向へと四散してゆく亀裂がテンザネスへと走る。
その正体は、ニードルのごとく射出したブレードの刀身と、それを包み込むように保持する九つのシューティングネイルたちだ。
減衰してゆくSSTフィールドの耐久を超えた6本が気化し、その隙間から閃熱にさらされたブレードの一部が溶け爆ぜる。
『12体のマイセルフそれぞれには、セシルの一部が埋め込まれている。クロノギアの補助制御装置であった12基のサブコア―――少女の姿には余る存在力を分担し、言わば外部からのバックアップシステムとも言える12個の結晶体の一つずつが……』
ファナティック・フレイムと銃撃による防御網を突き抜けた刃がテンザネスの左肩付け根を貫いた。
衝撃により機体が大きく震え、左鎖骨と内包するネルブファイバーケーブル群を断ち切られた左腕が制御を失って動きを止める。同時に左のアクティブスラスターも推力を失った。
『全ては、中央がセシルの力を我が物とするため……』
テンザネスの懐へ飛び込んだフューリーが、勢いのままに左肩から体当たりをかけた。
いち早くライフルを放棄し右腕を防御せんと挙げるものの、受けたダメージによるショックで動きが鈍い。
『そしてセシルが
フューリーの左肩と衝突したテンザネスの胸部間で、干渉し合ったフィールドが対消滅の火花を散らす。大きく減衰されているとはいえ通常のSSTシールド級のエネルギーが炸裂した焦熱で二機の装甲が大きく焼き焦がされた。
だが、反動ではじかれかけたフューリーをテンザネスの左肩を貫くブレードにからめたワイヤーがつなぎ止める。
『マイセルフには、セシルの心の破片が宿っている……』
右手のワイヤーを引き戻して機体を密着させたフューリーが、左手先につながったままの残る一本のワイヤーを切り離し、基部のみのそれを頭上へと振りかぶった。
『セシルと近似の精神感応波形保持者であるパイロットの心を部品とし、システムの発動を引き金として発露する感情は、バラバラに引き裂かれたセシルの心の断片なのだ……』
顔面へと振り下ろされたフューリーの左腕をテンザネスの右手が受け止めた。渾身の力を込めて押し合う両者の腕部から、肩部から、負荷に耐えかねた骨格と関節機構が悲鳴を上げる。
『彼女を止めるすべは無い。否、止めてはならない……』
いや増すフューリーの膂力に押し切られ、テンザネスの右腕が肘部から折れ飛んだ。
左腕を一振りし、手首を掴んだままの右手を払ったフューリーが再びテンザネスの頭部へと一撃をみまう。
「そうだ。止めちゃいけないんだ。たとえそれが破壊への暴走だとしても、誰にもそれを止める権利がありはしない。セシルが望むのなら、フューリーがそれをするのなら、きっとそれは罪じゃない。心を重ねているはずの僕でさえ止められないのは、きっと同じ人間の僕にはその権利が無いからなんだ……」
一撃。二撃。自身のそれが壊れることもいとわず叩きつけられるフューリーの左腕を前に、分厚い兜のごときテンザネスの頭部がひび割れてゆく。
「だから―――」
「違う」
フューリーとともに語るレイジの言葉を、深い怒りに裏打ちされた優人の震え声がさえぎった。
その途端、振り上げた先でフューリーの左腕が肘部から砕け散る。
狂乱した獣のごとく右腕のワイヤーをも切り離し、尚も打とうとしたフューリーの胸部を、右アクティブスラスターを急噴射してコマのごとく一点したテンザネスの右肩が打ち払った。
叩きつけられた衝撃に、破片を散らせながらもつれ合う二機がセンサースリットを明滅させる。
「おまえはフューリーを―――セシルを誤解している」
FREによる感情抑制下にありながら、まるでフューリーの怒りが乗り移ったかのごとく優人が激情をあらわした。
「今の僕にはわかる。今のフューリーを動かしているのは彼女じゃない。おまえの中でくすぶる怒りと憎しみがシステムによって増幅された結果として暴走を引き起こしているだけだ。目をそらすな。そうやって、フューリーの手綱を放棄することでセシルを守れなかった罪悪感を誤魔化そうとする心が……そんなおまえの弱さが機体の暴走を引き起こしていることが、わからないのか」
遥か深奥の山湖のように。穏やかな静けさを持ちながら、臨む者を威圧しひるませずにおれぬ心底からの声音がレイジの胸に突き刺さり、肘から先を失った右腕を振り上げ踊りかかろうとしたフューリーの所作を止めさせる。
「う……嘘だ……」
「嘘じゃない。テンザネスと一つになった僕には聞こえる。おまえのマイセルフの中でセシルが上げる、すすり泣きがな」
「嘘だぁ!」
かぶりを振るレイジの心情を体現するかのように、大きくフューリーが左右に上体を揺らせた。顔面に刻まれたY字センサースリットで、一度は沈静しかけた凶暴なまたたきが再燃し、機体の背でアクティブスラスターが轟炎をとどろかせる。
「いい加減に目を醒ませ。どんなに感情が許そうとも、そんな憎しみで織り上げられた意志は―――操られた殺意は―――理不尽で無意味な、ただの暴力でしかないんだ!!」
がむしゃらに頭から突っ込んでくるフューリーを臨み、テンザネスが天を仰ぐように上体をそらせた。
顔面に灯った瞳光が輝度を増し、周囲を舞い漂うシールド片たちがテンザネスの意志に呼応して殺到する。
「弟を返してもらうぞ! フューリー!!」
アンチSSTとも呼べるフィールド減衰機能を持った鋼鉄の炎弾たちは、地をうがつ雹のごとくにテンザネスへ到達する寸前のフューリーを打ちのめし、行動不能へと追い込んでいった。
七
テンザネス。そしてフューリー。大破し力尽きた二機から感情の奔流が引いてゆく。
宙を舞うシールド片がテンザネスの両腕付近に殺到し、ヒビと欠損だらけではあるものの長盾の姿を取り戻していった。
同時に装甲の赤と炎も薄れて、元の青い輝きを取り戻してゆく。
共に両腕を失い、見る影も無く破損した二機の中で、優人とレイジはうなだれたまま伏せていた目をあけた。
ヘッドアップディスプレイのメッセージパネルから”エンパスシステム”メッセージが消え、フリーズしていた幾つかのアプリケーションが慌しく立ち上がりだしている。
「そう、だったのかもしれません」
正面ディスプレイに映り込んだテンザネスの顔を見つめ、それからコクピット天井を見やる。その先にあるフューリーの顔を見通すような眼差しを憂いにかげらせ、レイジはFREを切った。
「僕たちは心のどこかで思っていたのかもしれない。幻想機は人の手に余るからだと、本当に憎むべきモノから目をそらしていたのかもしれません」
あふれる涙が熱く、熱くレイジの目を焦がしてゆく。
「柾人……」
テレパシーを通じて届くレイジの思いにかぶりを振って、フューリーと通信回線をつなぐとともに優人もテンザネスのFREを切る。涙とともに溢れる感情は、懐かしさと安堵に満ち満ちていた。
「あるんだね。こんな……こんな奇跡も……」
映像回線が故障したのか、音声のみの通信でレイジが泣き笑う。優人からは見えなかったが、険の取れた少年らしい言葉から、穏やかな少年の様子が手に取るように感じられた。
「いつ、気づいたの?」
「つい、さっきだよ」
問うレイジに優人も笑った。
「断片だったけれど、一瞬だけおまえの記憶が見えたよ。木星圏を脱出する途中で会った、あの女の子なのだろう? あの子を助けるために、おまえはずっと戦ってきたんだな」
「僕にも見えていました。あの混乱の日に僕たちからはぐれて、苦しみながら生きてきた兄さんの姿が……」
互いに、互いで起きたことを思い憂う。
と―――。
突然、二人の眼前でヘッドアップディスプレイが甲高い電子音を奏でだした。
見れば機体のステータス表示パネルで、頭部の異常を知らせるアイコンが点滅を繰り返している。やがてメッセージパネルに”FACE OPEN”のメッセージが表示され、二機の頭部が勝手に装甲のロックを解いてゆく。
「テンザネスの顔が……」
息を呑むレイジの眼前で、テンザネスの額部から大きく張り出した、縦に幾本もスリットの入った面覆い状の装甲が上方へとわずかにスライドした。仮面のような顔面装甲の上端があらわとなるのと同時にそれが前方へと押し出され、真っ二つに左右へと、その後ろにある無数のセンサーレールを刻んだ素顔やさらに奥の防護壁ともども開いてゆく。
「フューリー?」
戸惑う優人が見つめる先―――フューリーの顎部で顔面装甲を固定するチンガード状の装甲が下へとスライドした。仮面のような顔面装甲の下端があらわとなるのと同時にそれが前方へと押し出され、真っ二つに左右へと、その後ろにある無数のセンサーレールを刻んだ素顔やさらに奥の防護壁ともども開いてゆく。
「これが……」
「セシル……」
二体のマイセルフが見せる、頭部に収められしそれを目の当たりにした優人は絶句し、レイジが哀しみに顔を曇らせた。
マイセルフがあらわにしたもの、それはブルークリスタルで出来た少女の彫像だった。
大きさにして一抱えほどだろうか。サイズから見て等身大ではあるまい。腰から下を装置に埋もれさせ、性の兆しが薄い中性的な裸身を隠すように両肩を抱いてうつむいている。まるで苦痛に耐えているかのごとく、伏せた顔を曇らせた姿に痛々しいものを覚えて、思わず優人は目をそむけていた。
「感じる?」
「ああ、テレパシーなんてもの関係なしにわかる。あんな悲しそうな顔、作り物に出来るはずがないから」
そうっと、セシルへ戻した優人の双眸から涙があふれて止まらなかった。
「どうしてなのだろう。彼女を見ていると涙がたまらなく熱くなる」
「そして痛いくらいに胸が締めつけられるんだ」
レイジも泣いていた。優人と同じ涙を流して泣いていた。
「セシル……それが彼女の名前?」
「うん。僕が助けたい子の名前なんだ」
「わかる気がする。たしかに今、あの子は苦しんでいるから」
憐憫をやるせない憤りで裏打った優人の言葉に小さく首肯して、レイジは濡れた眼差しを上げた。
その先で顔面装甲を展開し、セシルの像をさらすテンザネスの胸部を見つめ、その奥にあるコクピットを、座す優人を透かし思いながらレイジはこうべをたれた。
「ありがとう。優兄ぃ」
八
和解と再会。
大破し、内なる秘をさらし合う二機のマイセルフを遠方から臨むブラッディ・ティアーズがあった。
一言で言い表すのならば、これまで現れたマイセルフの集大成とも見える姿をしていた。
右と対象の精緻な左手を持つ輪郭は一見テンザネスだが、幅広い中折れ式のブレードを装備した右腕や、数々の武装を内包していることがうかがえる左腕の十字型シールド、そして武者鎧を彷彿とさせる積層型の装甲を持つボディの頭部ででまたたくΩ字型のセンサースリットと、その中央で異彩を放つ長距離照準用スコープが、異形ぞろいのマイセルフにあって尚、この機体を特異に見せている。
「……仕掛けますか?」
そのコクピットで、白いパイロットスーツに身を包んだ少年―――エドガーがFREの感情抑制を受けた低い声音で問い、彼方からの望遠映像を映すヘッドアップディスプレイから顔を上げた。
「エンパスシステムは使えませんが、僕の”ペイン”は少佐たちを牽引した復路を考えても十分に余力があります。あんな行動不能の機体くらい簡単に―――」
「かまわん。ただちに帰投しろ」
エドガーがペインと呼ぶ機体の右隣で、激しいダメージにより行動不能となったコールドアイからライトニングが命じる。
「了解」
通信機能に障害が発生したのだろう。ノイジーな音声のみで伝えられた簡潔な命令に、エドガーは逆らうそぶりもなく応じ、ヘッドアップディスプレイの三次元レーダーで自艦と、2キロほど離れた場所を時速4キロ程度で流れてゆく行動不能の9号機の所在を確認する。
「すみません。少し揺れます」
「かまわん」
「ついでに言うと、かなり乗り心地が悪いかもしれません。掴み所が後ろ襟ぐらいしか見当たらなくて」
「……さっさとやれ」
ペインが後ろ手に左手を伸ばし、コールドアイの襟首を掴んだ。
背と腰部後ろに二基ずつある蝙蝠の皮膜に似た可動翼の内側へ、配された四機のスラスターが青白い推進炎を吐き出し、身をひるがえしたペインを翔けさせてゆく。
「こちら12号機ペイン。ソードフィッシュ、聞こえますか?」
すぐさまあった返信に、エドガーは右足のスロットルペダルを踏み込みつつ応える。
「今から9、10号機の回収任務に移ります。合流ポイントの指示を―――」
(やられたな。レイジ)
開いたままの通信回線を通じて聞こえるエドガーの声を聞きながら目を閉じ、ライトニングは背面加速の慣性に身をゆだねた。加速とともに背がシートから離れ、前のめりになった身を支える固定具が腹部と鎖骨を圧迫する。幾本か、ヒビでも入ったらしい肋骨の辺りがひきつるものの、とるに足らないと無視し、変わり果てた弟へと語りかけ続ける。
(だが、負けたのではないぞ。おまえの名を騙る小僧がおまえを倒したのではない。いまだバケモノをねじ伏せられぬ私の未熟さがコールドアイを傷つけたのだ)
自身をさいなむ無力感に歯噛みし、ライトニングはファンクショントリガーから引き抜いた左手で胸の辺りを押さえて小さくうめいた。
(せいぜい笑っているがいい。だが、復讐は必ず果たす。貴様らテレパシストをこの宇宙から根絶し、全てのマイセルフから引きずり出したバケモノをこの手で粉々に打ち砕くことでな)
物言わぬ生体部品とされた弟への哀れみと、その発端を作り出したセシルとテレパシストたちへの憎悪を胸に、ライトニングは深い眠りへと落ちていった。
九
グレイティガーは喧騒に包まれていた。
艦の修理とチェックで艦内を駆け回る技術仕官達に混じり、イクシスら仕官達も総出で補助にあたっている。特に、大きく端を抉り取られた左舷エリアの隔絶が急務だった。救援が来る前に窒息死したのでは笑い話にもならない。
その後のレイジの取りなしで、とりあえずの救助に彼の母艦”トリニティ・ウィーセル”が来てくれることになっていた。艦長のカジバという男はかなり渋ったそうだが、レイジの談ではどのみち木星軍とコンタクトを取るキッカケを探していたのでちょうどよいとのことだった。
「まるで、ありふれたB級映画みたいだ」
人払いされ、二人きりとなったグレイティガーのブリーフィングルームで、コーヒーの紙パックを両手にテーブル端へ腰掛けたレイジが、向かいの壁で背をもたれた優人に笑う。
灰色の木星軍仕官服に着替えた優人と異なり、レイジはパイロットスーツを着たままだ。
前のジッパーを下ろし、はだけた合わせ目からのぞく黒のシャツには、戦闘で負った擦り傷のにじみが幾つも見て取れる。
「戦場で再会する生き別れの兄弟、か。たしかに」
笑う弟に肩をすくめ、優人は放られたコーヒーパックを右手で受け止めた。
「これもセシルの導きなのかな」
「そういうの、やめた方がいい。何でもかんでも自分のせいにされちゃあ、彼女だってたまらないだろう?」
「そうだ、ね」
何気なくした呟きに真剣な面持ちで応える兄が何故かおかしくて、レイジは笑いを噛み殺しながら優人そっくりに肩をすくめてみせた。それを見て、優人も相好を崩す。
「結局……」
ひとしきり笑い終えると、かたわらに置いたヘルメットをなでながら述懐するようにとつとつと、レイジは語り始めた。
「結局、僕はセシルを傷つけてばかりだ。守ろう、守ろうって勢い込むのに、気づいたらいつも全部カラ回りしちゃって、そのせいで大事な事を逃がしてばっかり……いつもなんだ。ヒュエル少佐が僕を憎むのも、セシルがこんなことになっちゃったのだって、僕がもっと強ければ無かったかもしれないことだったのに……」
うなだれて、押し黙るレイジを前に優人は必死にかける言葉を探したが、とうとうそれは見つからず、降りた重い沈黙に沈む弟の雰囲気から問うことさえはばかっている内に、トリニティ・ウィーセル接舷の艦内放送が鳴り響くまでの十数分を、とうとう一言もかわさずに過ごすこととなってしまった。
「優兄ぃに、また会えて嬉しかった」
ヘルメットを手に腰を上げたレイジが、コーヒーパックをダストシュートへ放り込む。
「まさ―――いや、いまはレイジ、か?」
「うん。昔、僕のせいで死んでしまった人がいて……そのときに決めたんだ。その人の代わりに、その人として、その人がやろうとしていたことをしようって。それまでは、ね」
「それが、レイジ・トライエフ?」
言葉無く首肯して、レイジが扉へと踵を返した。
「レイジ」
呼びかけに、振り返らぬまま歩を止めた背へ向けて、軽くした敬礼とともに優人がつづける。
「元気で……」
「優兄ぃも」
小さな、まだ幼ささえ残る華奢で小柄な背が去ってゆく。
やがて閉まる扉がその背姿を隠し、歩み去る気配が感じ取れぬほど遠くなっても、優人は敬礼に挙げた手を下ろそうとはしなかった。
* * * * *
レイジの母艦トリニティ・ウィーセルは、連絡から数えて半日ほどで合流した。そして接舷とともに乗り込んできた幾人かの技術仕官による作業指揮と物資の補給により、グレイティガーの修理は応急ではあるがどうにか終了する。
そして最寄の基地へ向けて出発することとなる直前、別航路で木星へ向かうとだけ言い残し、レイジ達はグレイティガーを後にすることとなった。
「優人君……」
左舷後部の展望室から、遠ざかるトリニティ・ウィーセルの背を無表情に見送る優人の背へとミユキが恐る恐る口を開く。
「いいの? 弟さんなんでしょう?」
エルも、どこか腑に落ちない面持ちで横から優人の顔をのぞきこんだ。
「いいんだ。生きていてくれただけで十分。それに――」
晴々とした表情で優人は二人に向き直ると、誇らしげに笑いかけた。
「――嬉しいんだ。小さくて泣いてばかりだったアイツが、あんなに強くなっていて、さ」
「兄バカね。意外と」
「かも、しれませんね」
やれやれと、大げさに呆れた顔をしてみせるエルに吹きだした優人とミユキの笑い声が、広いエントランスに響き渡る。
と―――。
「ミユキ……」
やや緊張の面持ちで、優人がミユキへと振り返った。
その横顔を可笑しそうに見やり、察したエルがにこやかに手を振りながら去ってゆく。
「聞いて欲しい事があるんだ」
いくばくかの間を置いて、ようやっとその言葉を発するときには、すでにミユキも紡がれるだろう言葉を察し、赤らんだ頬で見返してくる。
「バリサスで出て行くときに決めていたんだ。もし、戻れたら伝えよう。きっと言おうって」
急ごうとする言葉を懸命にとどめながら語るものの、胸を焦がすもどかしさが自分を
意識が加速してゆく。
動く口も、身振りも、全てが緩慢に感じる緊張の中で優人はふいに思った。
たとえこの先テレパシーが当たり前のものになったのだとしても、きっと人は言葉を無くさない。言葉でのコミュニケーションを持ち続けるのだろう、と。
(きっと、そうなんだ。人間は、想いを言葉にのせて伝える生き物だから……だから、あきらめる前に僕は、こうしなけりゃいけなかったんだ)
だから優人は言葉をつむぐ。伝えるために、自身の思いをあらわすために。
「ミユキ。僕は君のことが―――」
優人は、語り続ける。
十
ソードフィッシュの艦橋へ、二日ぶりにライトニングが姿を現した。
左の肋骨4本にヒビが入っているとは思えないほど、その動きはよどみなく、変わらぬ凛とした表情にクルー達が胸をなでおろす。
「グレイティガーが木星圏へ向け発進したようです」
「そうか」
無重力の宙を泳いで艦長席へと腰を下ろした傍らで、ファイルを片手にローレルが口を開く。そのローレルを一瞥し、ライトニングは思案げに指揮杖をもてあそびながら問うた。
「トリニティ・ウィーセルは?」
「グレイティガーと接触後、再び行方をくらましました」
「さすがはカジバ博士。コールドアイのステルス装甲を設計しただけのことはある」
「いかがなさいますか?」
ローレルの問いに、ライトニングは不敵に口端を吊り上げて指揮杖を両脚の間に突き立てた。金属を木が叩く軽い響きに続いて、物音に振り返る部下たちの反応を愉快げに見回しながら口火を切る。
「当然、任務を遂行する。と、いいたいところだが―――次の目的地はここだ。特務の白無垢にも飽きたしな。皆も青い軍服が恋しかろう」
指揮杖を挙げ、冗談混じりにそこへ仕込まれたレーザーポインターで指し示したのは、眼前のタクティクスモニターテーブルに表示された航宙図の、現在位置からは中央側へ戻る方向にある一点だ。
「”CALIBER”……ですか? まさか我々だけで、あの要塞を落とせと?」
耳を疑いながら返すローレルの言葉に、クルーたちからもどよめきが上がる。
”CALIBER”要塞。木星軍が、中央との航路断絶の拠点として制圧した巨大軍事基地である。元々は中央がフロンティア監視の名目で資源採掘用の小惑星を基盤に建設したものだが、初期の侵攻において木星軍が行なったブラッディ・ティアーズによる電撃作戦の前にあっけなく陥落し、以後は中央への最前線基地として機能している重要拠点である。
「無茶です。いくらマイセルフがあるとはいっても、あの戦力に疲弊した戦艦一隻でどう立ち向かえというのです? 艦艇の数は言うに及ばず、ブラッディ・ティアーズだけでも概算200はくだらない戦力なのですよ!?」
だが、色を失って詰め寄るローレルや、口には出さないものの彼女と同じ意見だという眼差しを向けてくるクルーたちに、ライトニングは「あわてるな」と軽く右手を挙げ、そこに持った一枚の電信を振ってみせた。
「ついさっき届いた暗号文をプリントアウトしたものだ。内容は、今から約600時間後に行なわれる”CALIBER”攻略作戦への参加を要請するもの。勿論、特務についている我らは特例で無視をきめこむこともできる。が―――」
言葉を切り、やや芝居がかった仕草で手元のタッチパネルを操作し、タクティクスモニターテーブルの画面を、整備場で修理を受けるコールドアイへと切り替える。
「諸君には、あえて戦場を経験してもらう。いくら技術的な錬度が高かろうと、これから先、任務で必要となるのは経験にもとづく勘なのだ。抽象的ですまないが、こればかりは戦場の空気を吸わなければ培われるものではないからな」
上官の意図を察し、部下の間に走る緊張の糸が引き締められてゆく。
「異論のある者、命を惜しむ者は残念だがあきらめろ。この幻想機を見てもわかる通り、戦場に安全席などは無い」
言い放つライトニングにしかしクルーたちはみな苦笑をもらし、次々に敬礼を返してゆく。
「少佐。今更そんな事をいう臆病者はこの艦におりませんわ」
「上等だ」
同様に敬礼を返し、言ってのけるローレルにライトニングは勢いよく席を立ち、指揮杖を振りかざした。
「進路転進。目標、木星圏が軍事拠点”CALIBER”!」
「はっ」
動き出したソードフィッシュの振動を心地よく感じながら、ライトニングは深々とシートに腰を下ろした。ヒビの入った肋骨が引きつり、走った痛みで一瞬だけ眉を動かすものの、すぐにそれを忘れて思索へ没頭してゆく。
(ようやく始まるな。俺の―――いや、俺たちの戦争が……)
進路の先をにらみすえるライトニングの脳裏では、すでに来たる戦いの顛末が手に取るように浮かんでいた。
* * * * *
「俺、何やってんだ?」
ソードフィッシュの格納庫―――中破したコールドアイの修復作業で蜂の巣をつついたかのような喧騒を背に、9号機を見上げるアンディは
加熱により劣化した人口筋肉と焼けた配線の交換はすでに終了し、自己修復機能を持つ装甲の機能を促進させる白い粘土状の補修材が各所を覆っている。
「何のためにここへ来たんだ。負ける為か? 殺されにいく為か? 違うだろうが」
フューリーの一撃で意識を失った後のことはローレルから聞いている。そして暴走したフューリーを食い止めたのが、ザンサスに組み込まれていたコクピットユニットを得たマイセルフ1号機―――テンザネスだということも。
「今度会うときは、マジで殺し合いだな。優人」
いまさら躊躇するつもりはない。覚悟ならとうに出来ている。不安があるとすれば、アンディは未だエンパスシステムを発動する術を知らないことか。
と―――。
硬化したカバーを押し破り、突如として9号機胸郭のコクピットハッチが開いた。
反射的に飛びのいて、パラパラと降り注ぐ破片をかわした頭上のコクピットから明かりが漏れ始める。同時に、三つ目の容貌を形作る、三つの十字型センサースリットに光点が灯った。
「来いっていうのか?」
いぶかしみながら、床を蹴って無重力の宙を泳ぐ。そうしてアンディがハッチに手をかけコクピットへ滑り込むと、シートに座る間すら待ちきれないと言わんばかりにハッチが閉じた。固定具を閉めてもいないのにシステムが勝手に立ち上がり、ヘッドアップディスプレイのメッセージパネルがメール受信のメッセージを表示する。
「誰だ?」
ファンクショントリガーを操作し、ヘッドアップディスプレイ上で開いた差出人不明のメールには、ただ一言”デス・カード”。と、だけ記されている。
「デス・カード?」
ポツリ、呟いた途端、歓喜するように計器という計器が一斉にまたたきだした。
「な、なんだぁ?」
あまりにも奇妙な現象に不気味ささえ覚え、見回した先で橙色の光が灯る。
ヘッドアップディスプレイ右の球体型三次元レーダーと対に、左へ配置された球型の機体ステータスパネルが橙色の光で満たされていた。その中に、緑色の光で描かれた9号機が浮かび上がる。
その上に、小さく文字が記されていた。『マイセルフⅨ”デス・カード”』、と。
まさかという思いが頭をよぎる。
「これがおまえの名前だっていうのか? デス・カードが、おまえの名前だっていうのか!?」
アンディの疑問へ応えるように、右アームレストで光が上がった。レバーの基部しかなかったスライダックに、青い光で描かれたホログラムのレバーが現れていたのだ。思わず伸ばした右手が触れる寸前で、レバーはかき消える。使うべきは今ではないと言うように。
「そうだな。そいつは、またアイツと会ったときのお楽しみだもんな」
口端を吊り上げ、
「わかってるじゃねえか。
自虐的にカードの暗示である”離別”をそらんじ、天井をにらみ上げる。それを透かして思うのは悪鬼のごときデス・カードの顔だ。
「けどなッ。後悔するんじゃねえぞ。俺は俺のためだけに生きる。これまでも、これからもだ。俺が目的を果たすまで、おまえにはトコトン付き合ってもらうからな。それだけは覚悟しやがれ!」
無数の蛍光に照らされる中、挑むように言葉を投げかけ、こみ上げる笑いに肩を震わせながらアンディは、いつまでも虚空をにらみ続けるのだった。
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