なか火:鈴の音の話
幾分まえから何処からともなく鈴の音が聞こえるようになった。
家人に聞いてもそんな音は耳にした事がないと言い、猫か何かの類であろうかと思えば近所で猫を飼っている所はないと気味悪がられる。
昭和になってからというもの不思議な事、不明瞭な事が少なくなってしまった為か何か不可解があると人はいたずらに騒ぎ立てる。やれ幽霊だの妖怪だのと。全くもって馬鹿馬鹿しい。
『お化けと今度にゃ会ったことがねえ』という言葉にあるように、私自身幽霊というやつには産まれてこのかたお目に掛かった事がない。もっとも、さほどお目に掛かりたいとも思わないけれど。
音のする場所や時間はその時々によって違う。倉庫であったり自室であったり、昼間に聴こえたかと思えば夜中の2時過ぎという事もあった。不規則なので余計に気味が悪い。
リリリリ
チリリリ
と、何とも言えない音がそっと耳の近くで鳴っていく。窓の外のような部屋の中のようなはたまた天井裏のような、文字通り何処からともなく聞こえてくるのだ。
そしていよいよ私だけでなく家に出入りする者も何人かがこの音を耳にするようになり、ついに皆が怯え始めた。このままだといずれ家の外へこの事が漏れて商売に差し支える。小さな商店とは言えど、一家が路頭に迷ってしまっては困る。兎に角なんとかしなければ、ということで原因を探ってみる事にした。
しかしどこから手を付けて良いものやら。私は探偵などではなく一介の呉服屋である。皆目見当もつかない。
何にしても我が家で起きている事象なので先代の主である母に心当たりがないか聞いてみる事にした。ちなみに父は、私が産まれてまもなく他界している。そんなワケで母はその後私が成人するまでの間、女手一つで店を切り盛りし繁盛させてきた。数人だが使用人も使っている。並大抵の婦人では、ここまで来れなかったろう。肝の据わっているところで母の住まう別宅へ出向き、直球に聞いてみる事にした。
「母さん。最近家に奇妙なこと起きているんです。今のところ直接害はないのですが、皆怯えて困っております。」
「奇妙なこと?はて、なんですか藪から棒に。どんなことです。」
母はさも面倒臭そうに答える。
「はあ。それがですね。猫もいないのに其処彼処から鈴の音がするんです。」
それを聞くや否や母は私を叱りつけた。
「なんですお前。大の大人が鈴の音だなんて。そんなことで情けない。」
「私ではなく皆が怯えているのです。」
「だったら尚更お前がなんとかしなさい。店は万事お前に任せているんですよ。」
「はあ。」
そう言われては仕方ないと、諦めて帰ろうとしたところ突然母に呼び止められた。
「お待ちなさい。お前、鈴の音、と言ったかね。」
「そうですが。」
母はしばらく思案顔でいたと思ったら、ポンッと手を叩いた。
「そりゃあきっと、お母様に違いないよ。」
「お母様っていうと、お祖母様のことですか?」
父の母にあたる祖母は父の亡くなった後5年程で後を追っている。元々身体の弱い家系だったんだろうと母はよくボヤいていた。私はあまり記憶が無い。
「そう言えば生きていた頃、必ず根付けに鈴を付けていらっしゃったわ。今はっきりと思い出しました。」
そう言うのである。
何だか解らないから気味が悪かったものの、幽霊とは言え血縁者なら話は別になる。
家人や使用人たちにも
「アレは先先代のお祖母様だから万事失礼のないようにちゃんとご挨拶しなさい。」
そう言い聞かせた。それ以来、私の所にも何度か鈴の音がやってきたがその度に
「ご無沙汰しておりますお祖母様。孫の○○でござます。何か御用がございましたら何でも仰って下さい。」
と手をついて挨拶をすることにしてみた。家人や使用人たちにも揃って同じようにさせた。然るのちそんなことを続けていたら、いつからか音は聞こえなくなったのである。
ははあ。これはまさしく先先代であるお祖母様が私たちにこの店の人間としてたるんだ所があるぞと。そう報せる為にわざわざお出ましになってくれたんだなと、勝手に合点をいかせたのであった。
そうして音が完全にしなくなりしばらくしたある日のこと。
父の妹である叔母が約10年ぶりに嫁ぎ先から遊びに来た。叔母は父や祖母と違い丈夫なたちで、時たま母に
「あの人だけ養子ではなかろうか。」
と陰口を叩かれる程であった。そして叔母もまた、母に劣らず豪胆な性格の方である。そんな叔母に、例の鈴の音と祖母の話をしてみた。すると叔母はケラケラと笑いながらこう言った。
「嫌ですよ義姉さんたら。まだ頭の方はしっかりしてるとばっかり思ってたのに。うふふ。」
「と、言いますと?」
「亡くなった母は鈴の根付なんて付けませんでしたよ。とにかく、ああいった音の鳴る手合いのものは嫌いだったんですから。義姉さんもご存知のはずよ。」
と言うのである。どう見ても叔母が嘘をついているようには見えない。
次の日、私はまた母を訪ね叔母の言ったことをなるたけそのまま伝えた。
すると母は
「あら。そうだったかしらね。よく覚えていませんよそんなこと。」
と軽々しく言うのである。
「そんな、それじゃあ一体あの音はなんなんです。」
と私が言えば
「知りませんよ。そんなこと嘆いているヒマがあったらとっとと店に戻ってお得意の一つでもこさえて来なさい。なんですか情けない。」
知らん顔である。
こうなるとまた途端に薄気味悪くなってくるから不思議である。そうは言っても家人や使用人たちがまた怖がってしまうので今更本当のことも言えない。仕方がないのでこの事は私の胸にしまっておくことにした。
今でも時折、ずいぶんと弱々しくだが鈴の音が聞こえてくる。
チリリリ
リリリ
と耳元で鳴っていく。一年に一度、聞こえるか否かではあるのだが。
祖母でないなら一体アレは、なんなのだろうか。はなはだ不可解である。
下町のとある老舗呉服店の主人の話である。
了
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