二章 ④『ボタンばあちゃん動く』
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「じゃ、さつきちゃんの準備もできたことだし、あたしたちも若君さんの所へ行きましょうかね」
芳子ばあちゃんがスッと立ち上がった。
「はい、おかあさん」
母さんもそう答えて割烹着を脱いだ。よく見ると、二人ともすごく綺麗な着物を着ていた。もちろん着こなしもカンペキだ。
それはともかく、一人じゃなくてホッとした。これで三人そろって若君のところへ行くなんて、なんか『大奥』みたいで変な感じだけど、まぁ細かい事は気にしない。
あれ?でも食事を運ばなくていいのかな?
立ち上がった二人はそのまま居間を出ていった。あたしもすぐに追いかける。あたしはてっきり三人で足付きのお盆に料理を載せて、ソソソと運ぶのかと思っていた。そして若君のすぐ横に座って、おひつからご飯をよそったり、お吸い物をついだりとか、そういう事をするのかと思っていた。少なくとも時代劇ではそうだ。
でも芳子ばあちゃんも母さんも手ぶらのままだった。なんかわけが分からないけど、ここは大人に任せておけばいいのだろう。
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芳子ばあちゃんを先頭に、庭に面した廊下を歩いてゆく。あたしの家は昔の武家屋敷みたいな造りで、真ん中に大きな中庭があって、その中庭を板張りの長い廊下がグルリと取り囲んでいる。庭は大きいから、廊下もかなり長い。
そこを着物姿の女の一団が一列になって、衣擦れの音をススッと響かせながら歩いてゆく。いつの間にか月が昇り、庭全体を青くぼんやりと照らし出していた。
「さ、ここですよ」と芳子ばあちゃん。
そこは庭の南端にある一番奥の客間だった。その部屋はあたしの家で一番広い和室で、庭を見渡せる一番眺めのいい部屋で、これまでどんな来客にも使われたことのない特別な部屋だった。そこは内羽家にとって『開かずの間』みたいな部屋で、そのことだけでも老人たちの熱烈歓迎ぶりが分かるというものだった。
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「失礼致します。内羽家の芳子、かえで、さつき、三名参りました」
するとふすまの向こうから、若君の大きな声が聞こえてきた。
「待ちくたびれたぞ、
やっぱり命令口調。しかも殿様口調。そんなにエラそうにしなくてもいいのに。
「では、失礼いたします」
芳子ばあちゃんはふすまを開けた。
部屋の中は薄暗かった。電気もついてなくて、蝋燭のたよりない明かりだけが、部屋の奥の方で揺れている。いくら月が明るくても部屋の奥までは届かないし、ましてこの客間は何畳あるかも分からないくらい広い部屋だった。
「またしても、ずいぶんと主君を待たせてくれたものよ」
若君は部屋の一番奥、一段高くなった上座にあぐらをかいて座っていた。今夜も時代劇の殿様のような着物を着ている。右手で頬杖をつき、少し不機嫌そうな様子だ。ちなみに刀は背後の台に飾るように置いてある。
「ま、まことに申し訳ございませんっ!早く帰るよう言っておいたのですが…」
謝ったのは若君の前に座るボタンばあちゃん。そういえば今朝、確かにそんなこと言っていた。忘れてたわけじゃないけど。
それからボタンばあちゃんは、あたしたちをせかすように、腰の辺りでササッと手招きした。
あたしたちは畳の上を急いで歩き、ボタンばあちゃんの隣に次々と正座した。これで内羽家の四人の女が年齢順に若君の前に並ぶことになった。
はてさて、いったいなにが始まるのやら……
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「若君様、これにて内羽の女、全て揃いましてございます」
ボタンばあちゃんがうやうやしく告げた。
「うむ。その血が絶えなかったこと、うれしく思うぞ、よくやった」
若君は重々しくそう答えた。それから順番にあたしたちの顔を眺めていった。ボタンばあちゃん、芳子ばあちゃん、母さん、そしてあたし。
と、若君の目があたしで止まった。そのまま動かない。じっと見てる。
あたしは急に頬の辺りが暑くなってきた。おでこもそうだし、とにかく首から上全部がのぼせてきてしまった。好き嫌いの感情は別としても、この若君という人はとにかくかっこよかったのだ。じっと見つめられるとやっぱり照れる。あたしは思わず目線をそらしてうつむいてしまった。
「ささ、若君、さっそくお食事をお召し上がりくださいまし」
ボタンばあちゃんがそう言った。
「おお、そうじゃな」
でも食事の用意はどこにもなかった。
しかも誰かが運んでくる気配も無かった。
最近はなんかこんな展開ばかりだ。だが今回ばかりは妙な緊張感が漂っていた。今、ここで、何かが始まろうとしている、そんな予感がひしひしと……と、思ったら、ボタンばあちゃんがいきなり動き出した!
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