自律神経失調症になった私がテニミュに救われた話

髙橋なつめ

この話のみで完結です。

ミュージカル「テニスの王子様」、通称テニミュという作品の知名度を、私はよくわかっていない。2.5次元ミュージカルの金字塔であるとか、そういうことは最近よく聞くようになったけれど、だからといって全員が全員知っているモノではないだろう、と思っている。

今から書くのは、私の経験、と呼ぶほどたいしたものではないけれど、そのような感じの記録である。

私は、テニミュに救われた。




話は数年前、中学3年生。

私は私立の中高一貫校に通い、それなりに楽しい日々を送っていた。

ただ、中学1年、2年は進学クラスにいたため、ライバル意識とか、テスト前の異様な緊張感とか、そういうものに悩まされていた。

けれど、成績が落ちたおかげで(おかげというのもおかしいけれど)3年生になるときに普通クラスに変わることができた。普通クラスは私の性格と合っていて、やっと悩みもなくなった、と思った。

その半年後、夏。

私は、自律神経失調症と診断された。

夜眠れない、朝起きることができない、ベッドから体が離れない、体がだるい、食欲がない、人が怖い、等々。

普通に見ればサボりや仮病に見えたと思うが、幸い、家族も担任の先生もいい人で、すぐに理解しようとしてくれた。

しかし、逆にそれがつらくて申し訳なくて、悩み続けた。感情が高ぶって机に頭を打ち付け続けたときもあったし、ひたすら壁を殴ったときもあった。痛みが安心に結びついて、リストカットをする人の気持ちがすこしだけわかったような気がした。


おいつめられておいつめられて、外出もできなくなって、かろうじて学校に休み休み通っていた、秋。

私は、テニミュの記事を見つけた。週刊少年ジャンプの、正直、そんなに目立たないページで。

テニミュ自体はほんの少し知っていて、けれどそれは動画の中の世界だと思っていたから、見に行けるとも思っていなかった。

人が怖くて、人混みが苦手になって、それなのに私は、すぐに母にお願いをした。これを見に行きたい、それに二つ返事で了承してくれた母には、感謝しかない。

無事チケットも当たって、テニミュまでの日を毎日数えていた。あんなに嫌だった外出が、なぜかこのときはわくわくしたものに感じていた。


そんなこんなで冬、テニミュ当日。

慣れない電車のなかでずっと大音量で音楽を聞きながら、姉と一緒に会場へ向かった。

会場に入って、幕が下がっている舞台に感動して、しばらくすると、テニスシューズの音が聞こえた。それが開演の合図で、幕が、とうとう上がった。

はじまってすぐ、私は引っ張り込まれるような感覚に陥った。目の前で歌い、踊り、息をするキャラクターたちの熱気にあてられたのか、他の何かなのか。あんなに人が怖かったのに、それはテレビに映る俳優さんでも一緒だったのに、なぜかテニミュの彼らには恐怖を感じず、むしろ安心感を感じた。

まっすぐに、熱く、試合をして、感情をぶつけて、歌って、踊って、そんな彼らの情熱がたたきつけられたように、私は久しぶりに、本気で何かに熱狂した。今まで雑音に近くなってしまっていた人の声がこんなに心地いいと思わなくて、叫び声が大声が、こんなに心に響いたのは久しぶりだった。

見ていたとき、突然涙があふれた、決して泣くようなシーンではないのに。涙でぼやけるキャラクターを見ながら、幸せだ、と思った。それから唐突に、生きよう、と思った。

こんな情熱を感じさせてくれるものがあるのなら、私の怖いものをすべて優しいものに変えてくれるものがあるのなら、私は、テニミュのために生きたいと思った。テニミュの舞台上から発せられるぬくもりのようなもののためなら、私は頑張れる気がした。

大げさだと、言われるかもしれない。けれど、それぐらい、テニミュは光で、ぬくもりで、優しさで、希望だったのだ。世間から消えてしまいたい、と思っていた私を、現実に、世間につなぎとめてくれたのだ。

それから私は、年に二回、テニミュを見に行くようになった。自律神経失調症は相変わらず治っていなくて、今でもときどき追いつめられるけれど、それでも、テニミュを見に行けば、私はまた、笑顔で現実と向き合えるのだ。

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自律神経失調症になった私がテニミュに救われた話 髙橋なつめ @Natsume_t

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