第2話神殿へ行こう

「願いを叶える指輪?」

ユリとシズが顔を見合わせたのは少年からいくつか話を聞き、水の神殿にあるという指輪の話に差し掛かった時だった。

「はい、あそこの指輪にそういう言い伝えがあります」

ユリの頭にすぐ浮かんだのは至高の御方が所有するという超々レアアイテム、流れ星の指輪シューティングスターだ。シズも同じだろう。もしもあれか類似したアイテムがこの都市に存在するならいくら払ってでも手に入れるべきだ。しかし、あまりにも信憑性の低い話だった。

「…………胡散臭い」

「こら、シズ」

ユリは窘めたが彼女自身も単なる御伽噺だろうと思った。そんな超希少アイテムが一般に公開されるはずがないし、隠蔽魔法でそんな強力な魔法を隠せるかという疑問もある。

「いいですよ。僕も祈ったことがありますが、まだ叶っていませんから」

少年は笑った。

(アインズ様はご存知なのかしら?)

ユリは考える。そしてすぐに知らないはずだと結論する。知っていれば最初にそこを調べるように指示を出したはずだから。2人がモモンとナーベとして帝都を見学した期間は短く、しかも中央市場や北市場に重点を置いていた。二人の耳にこの話が届いていなくてもおかしくはない。

「…………それは誰かが魔法で鑑定しないの?」

ユリに浮かんだ疑問をシズが代弁してくれた。

「神殿が禁止してるんです。神を疑ってはいけないって」

うまい理屈ね、とユリは思う。

「その場所を教えていただけますか?」

おそらく無駄骨に終わるだろうが、万に一つの可能性を考えて確認しに行くことにした。



「…………うわあ」

シズのつぶやきを横で聞くユリも同じことを言いたかった。水の神殿には長い行列ができていた。長い長い行列が。多くは観光客なのだろうか。傷病人らしき人々もいくらか混ざっている。彼らは自分の回復を祈るのだろうか。それは神官の仕事なのだから指輪に願うのは奇妙だが、本人たちの勝手かとユリは思った。

「これに並ぶのは気が引けるわね。指輪を見たいだけなのに」

行列は非常に長く、なかなか進んでいない。今から並べばどれだけ時間がかかるかわからず、おそらくはガセであろう指輪をそこまで時間をかけて見るべきかユリは悩んだ。

「見るだけならば方法がありますよ」

その声にユリが振り向くとどこかの家の使用人らしい服装の男が立っていた。白い服を着た幼い少女が彼の手を握っている。少女は笑えば天使のようだと言われる年齢だが、どういうわけかその顔には心労が濃い。

「あちらに神官がいますでしょう?彼に銀貨5枚以上の寄付をすれば神殿を見学させてもらえます。あの指輪を見たいと言えば見せてもらえると思いますよ」

「そうなのですか?」

思わぬ解決法にユリは驚く。

「はい。立ち聞きするつもりはなかったのですが、話が聞こえてしまいましたもので。ご不快に思われましたら申し訳ありません」

「いいえ、大変助かりました」

ユリは頭を下げ、シズもペコリと続く。その程度の出費なら許容範囲だ。

男は微笑み、少女をつれて列に並んでゆく。良い身なりだが、少女の表情を見る限り願いはかなり深刻なものだろうと彼女は思った。

「…………姉様、行こう」

「ええ」

そう言って神殿に入ろうとしたユリだが、ピタリと足を止めた。

「…………姉様?」

「シズ、悪いけど一人で行ってきてくれる?ここは神殿だから念のためにね」

ユリは小声でそう言い、シズが理解するのを待つ。

「…………あ」

シズもわかったようだ。ユリはアンデッドであり、探知系魔法を阻害するマジックアイテムを装備することで正体が露見しないようにしている。しかし、指輪は種族特性や弱点を消すわけではない。もしも神殿内でアンデッドに有害な魔法が発動していれば面倒なことになる。

「…………わかった。見てくる」

シズが神殿に入り、男に言われた神官に声をかけるのをユリは見守る。いくらかやり取りがあり、シズが寄付を払うと奥へ導かれた。万が一のことが起きた場合、彼女にもシャドウデーモンが控えているし、転移用のアイテムを持っているから問題ないだろうとユリは考える。

行列に並んだ者たちがシズを目で追う。それは容姿のためか、寄付を払える身分のためか。ユリは神殿を出入りする人々を観察する。やはり神殿なので信者らしい人々が多いが、傷病人やその家族らしい人々もちらほらと見える。

「はあ……」

ユリはため息を漏らした。呼吸を必要としないアンデッドでもそれくらいは出る。神殿から盲いた子供が杖をついて出てくるのを見たからだ。人間の習得できる魔法はほとんどが第3位階までであり、あれを治せる魔法がないか治療費が払えないのだろう。哀れなことだと彼女は思う。自分の妹、ルプスレギナなら一瞬で治せるのに。

しかし、そんなことは起きないと彼女はわかっている。命令されるなら別として、あの妹が人間を治療したいなどと思うはずがない。治ると言って喜ばせ、「やっぱり無理っすわー」と絶望の底へ突き落とすようなことを言うだろう。

「はあ……」

またため息。

そこで彼女は一つのアイデアが浮かんだ。魔導国が世界を征服した後、神殿で治せない患者をこちらで治したらどうか。神殿でも治せない怪我や病気を治せば人間は魔導国に敬服し、忠誠を誓うのではないか。

その思い付きを彼女はすぐ引っ込める。そう上手くいくはずがない。アンデッドを憎む神殿はそれを敵対行動と捉え、戦いを挑んでくるかもしれない。他にも無数の問題が出てくるだろう。そもそもナザリックに貢献できるほど優秀な人材ならともかく普通の人間を治療しても利益がない。

もっとナザリックに利益があり、人間達も幸福になれる方法はないものかとユリが考えていると背後の影に別の影から何かが移り込んだ。あの銀貨泥棒を追わせたシャドウデーモンだ。銀貨を回収してきたのだろうと彼女は思ったが、それはゆるりと伸びてひそひそと耳打ちした。

「……そう、わかったわ」

彼女は銀貨の行き先を知って眉をひそめる。

ちょうどその時、神殿からシズが出てきた。

「…………姉様、行かなくて正解だった」

「え?」

「…………神殿の奥の部屋が浄化されてた」

「ああ、そういうこと」

アンデッドにとって聖なる力を帯びた水や空気は酸のように作用する。ユリが死ぬことはありえないが面倒なことになっただろう。やはり神殿とは相性が悪いと彼女は思う。

「行かないで良かったわ。ということは、指輪はやっぱり?」

「…………ただの指輪だった」

「でしょうね」

超位魔法を宿すマジックアイテムがこんなところに置かれているわけがない。わかっていたことだが、彼女は少し落胆する。

「じゃあ行きましょう。銀貨の場所がわかったわ。少し面倒な所にあるけど取り戻さないと」

「…………うん」

ユリは去り際にあの親切な使用人と少女に目をやる。行列はほとんど進んでいない。そしてその先に待っているのは魔法などかかっていないただの指輪。哀れなことだ。先ほどのお礼に何かしてあげようかという考えが浮かんだ自分を戒める。これで面倒事を背負い込んだらセバス様の二の舞だと。

二人はその場を立ち去った。



一人の男が建物の屋上で酒を飲んでいた。

空から一匹のクアランベラトが彼の肩に舞い降りる。

「おお、よしよし」

彼はそのクチバシから収穫を受け取る。

「なんだ……」

落胆の声。鳥が持ってきたのは金色のスプーンだった。本物の金なら素晴らしいが色はくすんでおり黄銅のメッキだとわかる。ほとんど価値はない。

彼はそれをポケットへ入れた。今日の収穫物はいくつかの指輪、ネックレス、食器、そして銀貨だった。

「もう一回行ってこい」

彼はそう言って鳥を飛ばした。

男の名前はドリー。職業はドルイドであり、1ヶ月ほど前まではグリンガムというワーカーが率いるパーティの一員であった。仕事に行ったリーダー率いる仲間が全滅したため、静養していた残りのメンバーはすぐに解散した。元々、性格に問題のあるメンバーばかりで、強い指揮力のあるグリンガムが死んだ今ではパーティの維持は不可能だとお互いに認めたためだ。

ドリーもまた大部分のワーカーと同じく将来設計ができず、普通ならドルイドとしていくらでも働き口があるにも関わらずまともに働いていない。酒と女に溺れ、博打による借金を抱えていた。

「今日は上手くいかないなあ」

彼は愚痴を言う。

魔法の動物種・魅了チャーム・アニマルを使って鳥を操り、高級な装飾品や金貨を盗ませ、自分の懐に入れる。盗まれた者は動物の仕業だから諦めるだろう。この計画を思いついた時は自分を天才だと思ったが、すぐに欠陥に気づいた。鳥は高度な知性がなく、どこに飛んで行き何を盗むか具体的な命令はできない。仮にできたとしても中央市場に高級商品が並ぶはずがないし、そこで金貨を使うような身分の者もまずいない。かといって北市場の品は屈強な戦士や魔術師がいるので成功率が低い。割のよい犯罪ではない。

「宝石をつけた女でもいないか……」

彼は建物から路上を眺める。高貴な身分の者は馬車で移動するとわかっているが、何気なく口にしたことだった。

そこへ後ろから美しい声がした。

「いるわよ」

「え?ぎゃあ!」

振り向く前に後頭部に激痛が走った。

視界が一瞬白くなり、次に真っ暗になる。

「うああ……あ?」

ドリーは振り返ったが、視界は黒いままだ。袋でも被せられたのかと頭に触るが、何もなかった。

「え?え?」

「貴方はもう何も見えないわ」

美しい声がまた聞こえた。

「さて、盗んだ銀貨を返してもらえる?何のことかはわかるでしょう?」

「うああ……わ、わかった!」

ドリーはポケットから手探りで銀貨を出すと宙に差し出した。それが手から離れるのがわかった。

「さて、彼をどうする?」

美しい声が誰かに尋ねた。

「…………殺すべき」

別の美しい声が聞こえた。それには激しい憤怒と殺意が篭っていた。

「待ってくれ!金は全部やる!だから見逃してくれ!」

彼は懐から財布を出して前に置くと、跪いて額を床にこすりつけた。

「もう絶対にしない!頼む!許してくれ!」

「こう言ってるけど、どうする?」

「…………殺すべき」

先ほどとまったく同じ雰囲気の声。

「そうね。都合のよい時だけ善人には戻れないわ」

もう一人も同意した。

「貴方の盗んだお金が誰かの大切な治療費だったら、と考えたことはある?自分の軽い出来心で誰かがもの凄く苦しむとか、そういう可能性を考えたことがないでしょう?」

「ひいいいいい!頼む!頼むから!」

ドリーは震えて懇願した。この計画には少しの危険があるとは思っていた。冒険者や魔術師、あるいは裏社会の誰かの所持品でも盗めば危ないと。しかし、それでも鳥が殺されるだけで、まさか自分を発見する者などいないと思っていた。しかし、いたのだ。目の前に二人。美しい声を持つ何者かが。

「貴方、本当に反省している?」

最初に聞こえたほうの声が優しく言った。

「もちろんだ!」

「今だけ反省してまた同じ事を繰り返すつもりじゃない?」

「もうしない!神に誓う!」

彼は自然神を信仰しているが、善神や平和の神を信仰しているわけではない。しかし、今だけは真剣に彼らに誓った。神様、もう悪いことはしませんと。

はあ、というため息が聞こえた。

「どうする?」

「…………殺すべき」

(どうしたらこいつは許してくれるんだ!!)

ドリーは涙を流し始めた。

都合のいい時だけ善人には戻れない。その言葉がよみがえる。

「ねえ、一度だけチャンスをあげましょう?もう彼の目は見えない。それを代償として真面目に生きていく気はある?」

「え?」

治してくれないのか?

彼の口からその言葉が出かかった。

「何の代償もなく解放されると思ったの?」

優しい声にも冷たいものが混ざった。

「私も彼女も貴方を殺すことに些かの躊躇もないわ。やっぱり反省してないのね。それじゃ、さようなら」

殺意が二つに増えた。

「ひいいい!わかった!このまま生きていく!だから命だけは!」

男はガタガタと体を震わせて慈悲を請う。

「……だそうよ?どうする?私は一度だけチャンスをあげようと思うけど」

「…………姉様がそう決めたなら」

「ありがとう」

ドリーの心に光明が差す。

「貴方が再び悪事を行った時、私たちはまたやってくる。いいわね?」

「はい!」

二つの気配が消えた後もドリーは平伏し続けた。

やがて一匹のクアランベラトがその肩に止まり、「かあ」と鳴いた。

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