第6話 エレヒへ
日没後、雨脚は更に激しさを増し、風も強まっていった。地面は雨粒に叩かれ続け、白く沸き立っている。
夕方過ぎに、大雨と強風の注意報は警報に変わった。島の近海で、低気圧は台風並みに発達するらしい。
部活の生徒や風紀委員、教員ですら、そんな予報を確認するまでもなく、日没前に帰って行った。学校に残っていたのは、浩平の付き添いで帰りそびれた生徒会の面々と、宿直の教師や用務員だけだった。
人気の無い学校の玄関にエリドゥは立っている。特注のバンカラ学生服を着て、その上からマンモス的な巨獣の毛皮を羽織り、家の屋根みたいな大きさの傘を差している。
エリドゥの傍らには、ランドセルが置いてあった。身長5メートルに迫まるエリドゥの隣にあるからこそ、ランドセルに見えるが、ただ置いてあっただけであれば、それはランドセルというよりも、物置に見えただろう。エリドゥ用の自動車大のランドセルである。
「エリドゥ、いいよ。出発しておくれ」
どこからか、アジスの声がする。合図を受けたエリドゥは、マントを外し、ランドセルを背負った。ランドセルが大きいので、ランドセルに背負われる小学一年生みたいな格好になっている。外したマントを上から羽織り直したエリドゥは、傘を差し歩きだした。
校門前のロータリーを大股で横断し、すぐに道を離れ、学園の敷地に広がる森の方を向く。エリドゥの目の前には木が立ち並んでいる。エリドゥは傘を閉じ、ランドセルの横のホルダーに引っ掻け、木々の中に分け入ってゆく。
両手を使い木を縫うように走るエリドゥ。走りながら、時折
奥に入るほど、木々は大きくなり、エリドゥの背丈を越える。
明かりのない夜の森は、墨を流したような暗闇で、葉を叩く雨音と、吹き
「??」
何かの気配を察し、エリドゥは急に立ち止まる。
辺りを見回し、鼻をヒクヒクと動かす。
「これはこれは、エリドゥ将軍。下校中ですかな?」
エリドゥのすぐ横にある、真っ直ぐ伸びる大きな木に寄りかかるようにして、一人の男が立っていた。学生服の上からロングのトレンチコートを着て、ツバ広の黒い中折れ帽を目深にかぶっている。
嵐の夜に灯りも点けずたたずむ様は、樹海で死んだ幽霊のようだった。
帽子のせいで顔は見えない。
「お急ぎのようですね。まあ、この天気ですしねぇ。私もここで雨宿りしている次第でして」
「かるるるるるるるる…」
「まあ、そんな怖い顔をしないでくださいよ。今は私も善良なるエレヒの民なのだから…」
「ぐるるるる、」
「え? はい、すいません、雨宿りと云うのは方便でして、あなたを待ち伏せていたのですよ。いやいや! 言葉のアヤ! 冗談ですとも! 我が主『モレヤ』様から言伝てをお預かりしておりまして、それをお伝えしようと、貴方の、その、趣ある丸太小屋を訪問したところ、お留守でしたので、アジス皇子のお宅へ向かっていたところです」
「……」
幽霊のような男を見下ろしていたエリドゥは、視線をそらし、男を置いて先に進もうとする。
「エリドゥ将軍! エリドゥ将軍! そう、邪険にしないでください。星狼廃帝国アルビレオ観測所より、先程『蛇神』が太陽系内に侵入したと、知らせがありました」
「!!!」
「さて、さて、その蛇神は、我らの帝国を滅した「ヤトノカミ」かどうか……。将軍! ナムジン様に執り成しを。マーナガルムに
エリドゥは学生服の詰め襟についている校章に触れる。『キィィィーン』と、スピーカーに電源が入ったような音がする。
「元
翻訳機を通して、エリドゥは吠えるようにそう言った。今にも牙を突き立てるように、鼻面にシワを寄せて。
「おお!
シグノミヤと呼ばれた男は後退り両の掌をエリドゥに向けて振る。
「約定を違えてまで、お声をお掛けしたのは、私共とて、この地での日々を守りたいがため……。出すぎた真似でしたかな?」
「……モレヤには、ワシが感謝していたと伝えてくれ。しかし、お主らにはマーナガルムの鍵は渡さぬ」
「左様ですか……。お心変わりされましたら、その時はご一報を。蛇狩りには、是非とも我ら星狼の群を加えていただけたら幸いです…」
シグノミヤは深々と礼をすると、森の奥へと去っていった。
エリドゥは立ち尽くし、シグノミヤの消えた方を暫く眺めていた。
「エリドゥ…、誰と話していたの?」
エリドゥの背中、ランドセルの辺りからアジスの声がする。
エリドゥはポケットからカンテラを取出し、明かりを点けると、自分の角に引っ掛けた。そして、自分の手を背中に回し、ランドセルまで持って行く。すると、その手を伝って、アジスがヨジヨジとエリドゥの肩まで登ってくる。
「子供らはどうしておる?」エリドゥは肩に座ったアジスに尋ねる。
「……エリドゥ、どうしたの? 珍しいね。地上で翻訳機を使うなんて。それに、とても怖い顔をしているよ」
「うむ? そうか?」
アジスはエリドゥの肩から首元に移りエリドゥ頭に両手で抱き付く。
「そんな顔しないで…」
「アジス、濡れるだろう。まだ『籠』に入っていなさい」
エリドゥは掌で屋根を作り、アジスの上に翳す。
「三人が、川の字で寝ちゃって……、あれ?三の字かも……。僕の居場所が無いんだ……」
エリドゥが『籠』と呼んだのは、エリドゥが背負っているランドセル。それは、中に小さな部屋がある
浩平、シタテル、天音は、その中に入ってエリドゥに運ばれていたのだ。
「そうか、それは都合が良いかもな……」
「? 都合?」
「アジス。宿舎まで戻る時間はない。すぐに鎮守府より呼び出しがあるだろう。このままシャトルポートへ向かう」
「!! もしかして!」
アジスの瞳が輝く。
「アジスよ……、」
「連れてって!」
「だめじゃ…」
「連れてって!!」
「いかん」
「エリドゥーねー、エリドゥーったらぁー」
エリドゥの口の中に頭を突っ込み、大きな舌を「えいえい」と引っ張りながらアジスがねだり声をあげる。
「イカン、イカン、イカン! イカン! イカン!! イカーン!!!」
アジスの顔にエリドゥの唾が容赦なく降り注ぐ。
「…………だめ?」
「兎に角、まずはナムジンの元に行こう……、ああっ、迎えが来たようじゃ!」
エリドゥとアジスが見上げると、風で大揺れの木々の枝葉の間に、上空厚く垂れ込める雲の一部が光り、その光が森の上を横切って行くのが見えた。
「急ごう。アジス。掴まっておれ!」
エリドゥは再び走り出した。光が通り過ぎていった方角へと。
少し遡ってここは『キャンピングえりりん』(天音命名)内部。
「いやー、まさか僕自身が「これ」のお世話になるとは……。エリドゥから注文を受けたときは、何かの冗談だと思ったのに…」
そんなことを言いながら、アジスは浩平と自分の鞄を持って入ってきた。
「浩平君、大丈夫?」
真っ赤な顔で横たわる浩平を見て、心配げにアジスが声をかける。
「…………」
「彼女いない歴=年齢の浩平に、副会長と密着は刺激が強すぎかしらね。副会長、場所代わりますか?」
「いいえ、天音さん、ここに居させてください。狭いのでしたら…」
そう言うと、シタテルは浩平の頭をそっと起こし、膝枕をした。アジスは、少し広がった天音の足と足の間のスペースに収まった。
「エリドゥ、いいよ。出発しておくれ」
アジスは窓を開き、エリドゥに声をかける。
『キャンピングえりりん』の内部は床も壁も天井もふかふかのクッションのようなもので覆われている。窓が付いているが、エリドゥがマントを羽織ったので外は見えない。満員電車のようなすし詰め状態だが息苦しさはない。
「エレヒ宇宙工厰謹製さ。慣性制御、空調設備、気密性能、宇宙船と同じ技術で作ってあるから、宇宙空間だって日本海溝の底だって平気だよ。その他にも発電能力、通信能力、浄水能力を備え……、」
「会長、お腹へったー」
アジスが自慢気にうんちくをたれ始めたのを無視し、天音はアジスの学生服の裾を引っ張る。
「……、ちょっと待ってね」
アジスは自分の鞄に手を突っ込みゴソゴソ中をまさぐる。
「あった、これ、食べていいよ」
鞄から、紙箱包装のお菓子を取り出す。
「ああ、はいはい、会長の大好物、ロリアン製菓の『レンバス』ちゃんね」
何が出てくるか、おおよそ予想のついていた天音は、やっぱり予想通りの物が出てきたので、やや御座なりな返事をした。
「森の奥方印!」
アジスは天音のうんざり顔に気づかずにこにこ顔で封を開ける。ちなみにパッケージには、髭親父が『うまし!』と言っている絵と、素敵なご婦人の絵が描いてある。
「美味しいけど、とことん甘いのよねぇ。せっかくですけど、もっとご飯的なものは無いの?」
「もう7時ですものね」
シタテルは電話の時計を確認する。
「一応、食べるものも積んであるけど、せっかくなんだしお家で食べよう。すぐに着くからちょっと待っててね」
「うん、じゃああたしも寝る。着いたら起こしてね」
そう言うと天音は浩平の横に寝転んだ。
「天音君。天音君も僕の家に泊まるで良いんだよね?」
今更ながらアジスが問う。
「えりりんも泊まるんでしょ。じゃあ、あたしも」
「ご家族に連絡は?」
「さっき電話しました。お父さんったら私置いて先に帰っちゃったんだから。もう家に着いてたわ」
天音の父親は星陵高校の教師である。
「まあ、兎に角。なんか寝ている浩平見てたら、あたしも眠たくなってきたわ……おやすみなさーい」
「あの、あの、天音さん、その、そんなにくっついたら、お風邪が移ってしまいませんか?」
シタテル浩平を引き寄せて、天音から遠ざけようとする。
「……今更…いいですよ」
天音は寝てしまったらしい。シタテルの眉がピクピクと動く。
「……ちょっとお兄様。そこを避けてください」
アジスを立たせたシタテルは、浩平を部屋の隅に押し込むと、天音と浩平の間に寝転んだ。
「シタテル、僕はどこに座ればいいの?」
三人がみっしりと寝転んだ部屋は、足の踏み場が無くなった。
「着いたら起こしてくださいお兄様」
そう言うとシタテルは目をつむった。
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