第314話 頂点は孤独である

 渋々出て行った曹安眠であったが、帰って来た時の彼の顔はデレデレであった。


「連れて来まちた。」


 彼の後ろには、胡弓を弾いていた女性がいた。


 曹安眠がデレデレになるのも分かる。


『立てば芍薬 、座れば牡丹 、歩く姿は百合の花』


 彼が連れて来た女性は、美しくもどこか儚い、妖艶なる女であった。


「・・・誠に大義であった。お前達は、皆、下がってよい。」


 曹安眠以下、兵たちは下がり、そこには男女の二人が取り残された。


「さてと。・・・もっと前へ進みなさい。私が曹孟徳だ。」


「・・・・・・進むのを断りますと?」


「死ぬしかないな。」


「・・・・・・」


「冗談だ。怖がることはない。少し尋ねたいことがあるのだ。・・・さあ、歩を前へ進めたまえ。」


 女性は深い睫毛まつげを伏せ、俯いたまま、曹操の心を図りながら歩を進めた。


「名と性を教えて貰おうか?」


「亡き張済ちょうさい(張繍の叔父)の妻で、鄒氏すうしといいまする。」


「亡き張済の妻・・・未亡人か。」


「はい。」


 彼女はかすかに答えた。


「私のことを知っているかね?」


「名はかねてより伺っておりますが、会うのは初めてでございます。」


「うむ。・・・胡弓を弾いておったが、胡弓がお好きか?」


「いいえ、特には。」


「では何故弾いておった?」


「・・・さびしいからです。」


「ほほう。さびしさ故か。・・・では私と同じであるな。」


「えっ?」


 曹操の言葉に鄒氏は目を開き、面を上げた。


「頂点に立つ者はいつも孤独だ。冷たい椅子の上で、冷めた心で、冷静に物事を対処しなければならない。熱くなることはあっても基本はそうだ。心はいつも冷めている。温めてもらわねば、動くことさえままならない。」


「人の心は人が温めてくれるモノだ。『親』であったり『子』であったり『友』であったり『仲間』であったり・・・ともかく人の心を癒し、温めてくれるのは人である。そして、男である私を最も強く温めてくれるのは『女』である。」


「しかし、今は遠征の身。私が愛し、私を愛してくれている女は遠くにいる。心を温めてくれる者がおらぬ。それゆえ私はさびしいのだ。冷めた心と孤独に向き合う身がさびしいのだ。」


「・・・鄒氏よ。もしそなたがよければ、私が此処にいる間、傍にいて、胡弓の音で私の心を温めてはくれぬか?共に孤独の身であるのだから。」


 曹操の長台詞を聞いた鄒氏は、無言のままに部屋の隅に置いてあった胡弓を手に取ると、椅子に座り美しき音色を奏で始めた。

 その様子を曹操は細い眼で見つめ、


「返事は『YES』と取らしてもらう。・・・鄒氏よ。感謝いたす。」


 と言って、胡弓の音を聞きながら、部屋の外の廊下より朧月を眺めたのであった。

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