第9話

 昼過ぎ。待ち合わせ場所に俺は30分も早く着いてしまった。浮かれと緊張でどうにかなりそうだ。休日にユウキ先輩と会った事などもちろんない。内容は映画を観て晩御飯を食べるくらいなシンプルなものだが、自分の想い人とそんな時間を過ごせるだなんて考えたら嬉しさと緊張がとまらない。

 そんな何とも言えない気持ちを抱え、じれったく時間を待つ。

今日は確実にベタ子もついて来ている。しかし外に居る時、ベタ子は一切声を掛けて来ない。多分この瞬間もベタ子に見られているはずだが、せめて今ぐらい喋って気を紛らわせたい所だが、あくまでベタ子は幽霊だから、ベタ子との会話は周りには空に向かって喋っているやばい奴にしか映らないからそうもいかない。

 そんなこんなで待ち合わせの時間五分前になった頃、ユウキ先輩は颯爽と登場した。


「ごめん、待たせちゃった。早いね」


 うわっと思わず声をあげそうになった。

 私服姿のユウキ先輩。白のTシャツに軽めのデニムジャケット。七分丈の黒のスキニーパンツというスッキリとしつつスタイリッシュ感のある出で立ちはモデルさながらだった。


「先輩……モデルみたいですね」

「そんなおだてちゃって。でもありがと」


 やばい。こんな美人の横を俺が歩いて大丈夫なのか。途端に気持ちが萎縮していきそうになるが、せっかくのデートだ。楽しい時間を過ごしたい。


「じゃあ、行きましょうか」





「いやーなんか、まさかでしたね」

「うん、あのオチをどう捉えるかだけど。衝撃的ではあったね。でもどこかで見た事あるような感じだったよね」

「確かに」


 映画を観終わった後、あらかじめ調べておいた雰囲気の良さそうなレストランに入って食事をした。

 映画自体当たりだったかと言われたら、微妙な所だった。狭い部屋に監禁されている男が目覚めてから、無機質なスピーカーから流れる謎の音声に従いながら指示をこなしていく。その指示がどれも肉体的苦痛を伴うものだが、結論としてそれを仕組んだのは全て多重人格であるもう一人の自分自身で、繰り広げられた光景は全て男の意識の中の話で、凶悪な人格がまともな人格を痛めつけ消滅させようとする、というものだった。


「あ、おいしい。何ここ、よく来るの?」

「いえ、今日の為に調べました」

「正直に言っちゃうんだ。そこはさらっと、ってみなと君そういうタイプじゃないか」


 映画は微妙だったが、選んだ店は当たりだった。ただでさえおいしい料理はユウキ先輩と一緒に過ごす事で割増しに感じられた。


「デート、実は久々なんだ」

「ほんとですか?」

「うん。やっぱり恋愛は捨てた女に見えてたみたいだし、私もしばらくそんな感じだったしね」

「なんか、久々が俺で申し訳ないです」

「なんで謝るのよ。私嬉しいんだから、ほんとに」


 対面に座る先輩は本当に綺麗だった。いつまでも見てられるし、見ていたいと思うほど素敵だった。

 時期を間違えていれば、こんな時間は過ごせなかったもしれない。そういう意味では、ベタ子には感謝しなければいけない。ベタ子があのタイミングで現れて、そして背中を押してくれたから、ここまで来れた。結果はどうあれ、家に戻ったら、ありがとうは言おう。



「あーおいしかった」


 すっかり日が落ち、夜空の下を二人で歩く。今日ユウキ先輩に伝えたプランはこれで終わりだ。だが、俺にはもう一つ大事なプランがあった。そしてそれこそが今日一番のメインだった。

時間は夜の8時をまわった頃。もう少しだけ、俺は先輩と一緒の時間が欲しかった。


「まだ、時間ありますか?」

「ん? 8時か。そだね、まだ大丈夫だよ」

「ちょっと、涼んでいきませんか」

「うん、いいよ」


 少し歩けば、港の傍で夜風も涼しく夜景が綺麗な場所がある。俺はそこで、彼女に想いを伝えるつもりだった。

 ほどなくして、港に着いた。心地の良い風が吹き抜ける。雰囲気は悪くない。俺と先輩は近くにあったベンチに座った。


「いい場所だね」

「はい」


 喧噪から少し離れただけで、世界はとても静かになった。世界に自分とユウキ先輩の二人しかいないような空間が出来上がった。


「ありがとう」

「え?」


 さて、どう切り出すかと思っていた矢先、先輩の方から声をかけられた。


「今日。誘ってくれて」

「あ……いえ、こちらこそ、です。映画はちょっとあれでしたけど、楽しかったです」

「うん、私も」


 駄目だ。途端に歯切れが悪くなる。心臓が打ち鳴らす鼓動が早くなっていく。


「みなと君には、本当に感謝してるよ。いろいろと」


 先輩の視線は夜の方を向いたままだ。でもその横顔にはほんのり笑顔があった。


 ――言わなきゃ。ちゃんと自分から言葉で。


 俺は焦りながら、今日最後のプランに手を掛けた。


「ユウキ先輩」


 ここまで来れると思ってなかった。それだけでも十分だったが、ここまで来たのは伝えたい事があったからだ。それを伝えずまま終わるわけにはいかない。

 洒落た事なんて出来ないし、言えない。でも、伝えるぐらいは出来る。

 俺は、ずっと抱え込んできた気持ちを、やっと口にした。


「実は、ずっと前から好きでした。綺麗で優しい先輩がすごく好きでした。でも、どうせ俺の想いなんて届くわけないと思って、諦めてました。仕事の会話だけでも十分でした。片想いのまま終わっていいと思ってました。でもそれでいいのかって、最近になって思うようになりました」


 怖くて、先輩の顔は見れなかった。うつむいた視線のまま、ただ必死に俺は言葉を紡いだ。


「先輩と初めて二人で飲みに行った日、本当に嬉しかったです。そして、驚きました。先輩の抱えてるものを初めて知りました。あの時、俺はもっと先輩の力になりたい、支えたいって思いました」


 先輩は黙って俺の言葉を聴いていた。俺は言葉を続けた。


「俺なんかが、先輩の為に出来る事なんて知れてるかもしれません。おこがましいかもしれません。でも、もし、俺の気持ちが届くなら、俺は先輩を傍で支えたいです。仕事だけじゃなく、男として」


 俺は、全ての気持ちを吐き出した。

 後は、待つだけだ。先輩の答えを。だが、すぐに言葉は返ってこなかった。怖くて顔はあげられなかった。ただ待つばかりだった。沈黙は俺の心を容赦なく圧迫した。処刑を待つような気分だった。

 そしてしばらくして、先輩の声が下りてきた。


「なんだ、一緒だったんだ」

「へ?」


 俺は思わず顔をあげた。先輩の表情は柔らかかった。


「片想い」


 意味が分からず、頭の中が鈍くなっていく。

 一緒。片想い。


「みなと君のずっとと、私の片想いの長さは違うかもしれないけど、私も君の事、好きだよ」


 ――好きだよ?


 何かが自分の中で爆発しそうだった。抑えようにも抑えられない衝動じみたものがぐつぐつと胃の辺りで沸騰するような感覚だった。


「男としてだなんて、ちょっとどきっとした」

「え……あ……」


 ――おいおい、これってまさか……


「改めて、これからもよろしくね。みなと君」

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