あした天気になあれ

軽松汚(かるまつよごれ)

奴隷

第1話

「お願いです。この子をもう楽にしてあげてください。」


 管につながれた少年を抱きしめながら、母親が悲痛な叫びを上げる。医師はその声に冷たく答える。「それは法律で禁止されています。」と。役人の池島慶介、僕はその光景をぼんやりと眺めているだけだ。


―…なんで事前に死亡志願書を取っておかなかったんだ。


そんなことを考えながら。

 死亡志願書にサインさえしておけば、国家は安楽死を認めてくれる。たとえ本人がサインせずとも、代理人を立てれば、死亡志願は本人の意思として処理される。その書類にサインしないまま、本人の意思を確認しないまま少年は意識を失った。医師の見立てでは、もう目を覚ますことはないらしい。病やけがで死ぬことの無いこの国で一番不幸な人間が、今僕の目の前に居る。タイミングを見計らい、声をかけた。

「青川さん、彼はもう目を覚ましません。もし、お世話をすることが困難なのであれば、ご説明しました諸々の申請をお願いいたします。」

慣れた言葉だ。もうこの言葉をかけることに申し訳なさも、心苦しさも感じなくなった。「失礼します。」と深々と頭を下げてから、病室を抜け出した。

 新人の頃はこの言葉を言うために数日間悩んでいたものだ。この国が始めた「国民生命救済法」の「命を大切にする」などという大義名分に疑問も感じていた。簡単に死ななくなれば、人は命を大切にするようになるだろう、死の意味を考えるだろう、などというお上の短絡的な考えだ。今でも、この法律は成功だったとは到底思えない。自殺者は後を絶たないし、死亡志願書の提出も多い。命に絶望した国民は懸命に生きようとしなくなった。終わりの無い命など、無価値なのだ。

 今日も僕はこの無価値な命を抱えながら、いつもの仕事をこなす。この無意味な法律のための仕事をこなしている。今日生まれたばかりの赤ん坊に「死亡志願書案内」を届けに行くのだ。喜びの絶頂であろう夫婦にいきなり水を差しに行く。僕は何のために生きているのだろうか。人に死を勧めるために生きているのだろうか。


 案内を配達し終えて、職場に戻ると、いつものような生気の無い顔がそこらをうろついている。もう見飽きてしまったけれど、不思議とやめる気も起こらない。報告書を作成するため、パソコンに電源を入れる。やたらとパソコンの挙動が遅いのもいつものことだ。

「池島、これ。お前の管轄地域から死亡志願。」

「ありがとうございます。」

「なんか若い子だったぞ。」

本人の個人情報が詰まった大切な書類を雑に手渡されるのもいつものことだ。封筒を開けて、中身を確認する。

「…山崎誠一…。16?…また未成年の志願…。」

「動機と死亡方法は?」

「動機は親の虐待に耐えかねた…方法は練炭。」

「うわ……ご愁傷様…。」

死亡方法は志願者の意志にゆだねられる。練炭を選択する者は少なくはないが、この方法は後処理が大変だ。各方面に協力を仰がねばならないし、死亡後の面会ができないことを親族に説明する必要がある。数日間は通常業務に戻れそうにない。

「ご本人はもう帰宅されました?」

「あー…どうだったかな…受付に聞いてみてくれ。」

「はい。」

せっかく動き始めたパソコンの電源を落とし、必要書類を手にとって受付に走る。いつもの女性がにこやかに対応してくれた。山崎はまだいるようだ。

「あの子です。」

指さされた先を見ると、虚ろな目をした少年が椅子に腰かけていた。制服を着ている。学校に行かず、ここへ直接来たのだろうか。右目の周囲と額に痣が見える。あれが虐待の痕だろうか。受付にお礼を言って、彼の元へ駆け寄った。

「君が山崎誠一君?」

僕の問いかけに、彼は力なく頷いた。まだあどけなさが残る顔は、痛々しい傷だらけだ。彼の目に「生きる気力」とやらは感じられない。志願書を提出しにくるくらいなのだから当然だろう。

「とりあえず、談話室へ案内します。こっちへ。」

立ち上がり、僕の後ろをついてくる彼は足を引きずっている。怪我をしているようだ。今更治療を勧めても仕方がないので、気づいていないふりをして談話室へ彼を迎え入れた。死亡志願者の最後の意志確認のためだ。この面会が問題なく終了すれば、手続きは終わり、撤回はできなくなる。この確認を終え次第、死亡意志に揺らぎがあった場合、病院に連れていけばよいだろうと考えた。

 椅子に腰かけた彼は、相変わらず暗い顔をしている。死ぬ間際に明るい顔をする人間など、そうそういないので当然だが。午前中に死ぬことも自分で選べない人間を見てきたためか、彼が恵まれているようにも感じてしまう。

「まず…死亡志願書を提出されたのはあなたで間違いありませんか?」

彼は、こくん、と頷いた。

「確認のため、身分証明証をここで再度お見せいただけますか?」

ポケットから長財布を取り出し、学生証を僕に手渡してきた。その手は震えていた。何に震えているのかは、分からない。

「では、氏名と年齢、生年月日を言ってください。」

「……山崎誠一…。2000年、5月4日生まれです…。」

「ご本人ですね。」

学生証を彼に返し、いつも通りに書類を彼に見せつつ、説明をする。

「この談話室での意志確認をもって、あなたの死亡意志を確定いたします。確定しましたら、いかなることがあっても誰にも撤回はできません。よろしいですか?」

「…はい」

「この死亡志願は、国民生命救済法に則り、本人の意思によってのみ効果を持ち、行使されます。よってご家族の同意は必要ありませんが、あなたの死亡後、我々はあなたに関するすべての申請を棄却いたします。よろしいですか?」

「…はい」

「はい。それでは、面談に入ります。」

質問内容が記載された書類を手に取る。相変わらず、このやり取りに何の意味があるのか分からない。本人に「死にたい」という明確な意思があるのだから、国の力で終わらせてやればいい。もし、冗談で提出するならば、命を軽視した行動なのだから「命を大切にする」などという大義名分に則って終わらせればいい。こんなことを思っている本心を隠し、やる気の無い顔を外に出さぬよう、顔の筋肉を叱咤する。

「虐待に関して、児童相談所などにご相談は?」

「しました。けど…結局家に返されて……。」

「もう、限界…ということですか…。」

「……死ね、って言われて、もう、いいかなあって…。」

力なく笑う彼は、あまりにもかわいそうで。しかし、むやみに慰めるわけにはいかない。規則とはいえ「そうですか」と冷たく返している自分が、どこか情けない。

 彼によると目の周囲の傷も、額の傷も両親によるものだそうだ。幼少期から長く虐待を受け、公的機関を頼るも、両親は虐待をやめず、結局最後に頼るのをやめてしまったそうだ。そして、ここへ行きついた。彼は言った。高校1年生で「国民生命救済法」の「死亡志願制度」について学び、両親の手から逃れられる最後の手段だと思った、と。数十分だろうか、彼とやり取りを交わしたが、彼の意志は固いと判断できた。

「いま、少しでもためらいがあるなら、言ってください。」

「……ためらい……」

「死ぬことにためらいはありませんか?」

僕の最後の問いかけに、彼は頷いた。これで、死亡志願は確定だ。

「では、これで死亡志願を確定します。ご冥福をお祈りします。」

頭を下げ、心にもないことを言う。いつものことだ。これほど若い死亡志願者は僕のキャリアの中では初めてだったが。そのとき、顔を上げた僕に少年は初めてはっきりとした声で呼びかけてきた。

「……あの」

「えっ、はい、何か?」

まさか、今さら揺らいだなどと言わないだろうな、と一瞬身をこわばらせる。

「お願いがあるんですけど」と続け、僕の心配とは裏腹に、彼は驚くべきことを言い放った。今までにない、驚きだった。

「僕が死ぬ時、両親の目の前で殺してください」

「えっ…」

僕の心配とは、別のベクトルの驚きだった。

「死に方って、選べるんですよね」

「……ああ、まあ…」

「両親の目の前で殺してください。あの人たちを、自分たちのせいで死んでしまった、って後悔で永遠に苦しませてやりたいんです」


僕を見る彼の目は、もうヒトとは思えないような、無機質でいて怒りを秘めたような、そんな目だった。無表情に語った彼に、僕が返せる言葉は一つしかない。


「わかりました」


最期の瞬間は自分で決めること、それがこの国のルールだから。





 








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あした天気になあれ 軽松汚(かるまつよごれ) @gorigori12

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