異能伝
@yanagidaisuke
第1話
ある時、誰かが言った。
――人間は常に何かが欠落している。
初めは確かにあったのに、時間と共に消えていくもの物がある。
それが何かは人によって異なる―。
若さかもしれないし、小さな時の記憶かもしれない。はたまた、歳と共に衰える視力や、人間としてのモラルかもしれない。
しかし、それらは全て生まれてからの話。
この世には生まれた時から、いや、生まれる前から何かが欠けた者がいる。欠落している者がいる。何が欠落しているかはその本人にも定かではない――
しかし彼らは、彼女らは、確かにこの世に存在している。自らがこの世の理から外れていると知りながら、自分がこの世の物ではないと知りながら、今も、強く儚く、生きている。
***
「我々は死の果てに安らぎが無い事を知っている。そして生の戦いの彼方にこそ自らの解放があることを知っている」
青年はソファーに座り、手にした本を朗読――部分的ではあるが――していた。三月も終わりつつあるこの頃。日に日に増してくる春の陽気などは、読書を楽しむのにもってこいだ。
読んでいる本は人権問題を取り上げた有名な本で、町の図書館で見つけたのを借りてきたものだ。内容は、可もなく不可もなく、普通と言ったところだろう。しかし一点において、「権利とは与えられる物ではなく、戦って勝ち取るものだ」と記していた事は十分評価に値すると思う。
彼は、最近のこの手の本には「友達を大切にしましょう」とか「いじめは良くない事です」と言うふうに、全て加害者または傍観者の目線に立った言葉しか書かれていない。被害者の目線に立った意見が一つもないのは少し残念に感じていた。
その点からするとこの本はなかなかの傑作だと言える。被害者を助けるのは当たり前だが、今までの様に被害者の周りを変えていくのではなく、被害者自身が変わろうとしなければ決して根本的解決にはならない事をこの本は示している。
「被害者自身が変わる事かぁ」
そんな事を呟いていると、どこからか心地よいオルゴールの音色が聞こえてきた。
時計を見ると、その針が午後の3時を告げ、中に仕組まれた機械からは、どこかウキウキさせるようなメロディが聞こえてくる。
午後の3時。即ち、お茶の時間だ。一般的に3時のおやつと言えば何を想像するだろうか。ケーキやスコーンと言った洋菓子や、最中(もなか)や饅頭(まんじゅう)と言った和菓子も捨てがたい。しかし残念ながら、目の前にあるテーブルにはお菓子どころか煎餅の一つも置いていない。これでは午後のティータイムが台無し――煎餅でティータイムが成立するかはしらない――になってしまう。
ところで、イギリスでは3時から5時の間にお茶を飲む習慣があると聞くが、これと日本の3時のおやつは特に関係は無いらしく、3時のおやつとはとあるお菓子会社のCMにあるキャッチコピーから来ているらしい。
「……はぁ」
読み終えたわけではないが、本を閉じて自分の前にあるローテーブルに置く。ソファーから立ち上がり、今いる応接室から一つドアの向こうにある給湯室へと向かう。
立ったことで青年の容姿がよくわかる様になった。
背は高く、170後半と言ったところだろう。体格は全体的に普通。服は水色のシャツに黒のズボンと言ったところで、これまた普通だ。髪は黒に近い灰色をしており、そのせいで見様によっては少し老けているかもしれない。
給湯室に入ると、すぐ横にある戸棚を開け、高い所にある袋を一つ取り出す。その袋には、山の絵と「キリマンジャロ」と書かれた英語が見える。
これからコーヒーを作るのだ。
まずはお湯を沸かし、その間にドリッパーにフィルターとコーヒーの粉をセットする。お湯が沸いたら、少しだけお湯を注いで粉に水分が染み渡るようにする。それからお湯を注ぐ。まずは多めに、次にその半分ほど注いで、最後に少し。小さな螺旋を描くように優しく注ぎ、ちょうど二人分になるようにお湯の量を調整する。
できたコーヒーから独特の香りが漂ってくる。
フワッとした上品な香りは人を癒し、青年の疲れを取ってくれるに違いない。
キッチンからコーヒーを手に戻り、再びソファーに腰掛けて本を読み始める。
コーヒーをすぐには飲まず、テーブルの上に放置したままだ。
冷ましているのだろうか? コーヒーは熱いうちに飲むのが一番おいしいのだが、それをわかって冷ましているのなら、青年はかなり猫舌だ。
しかし、それは間違いだったようで、青年が作ったコーヒーの内、一杯は別の人物によって飲まれることになる。
「どうせなら、そのまま私のとこまで持って来てくれると助かるんだけどね」
青年から見て右側にある、事務机の方から声がした。そこにある事務椅子にもたれている女性からの言葉であった。
美しい、と言うよりかはカッコいいといったオーラをまとったその人物は、コーヒーを取るため青年の前にやって来た。
「そんなのだからモテないのよ、君は」
そして、青年に対して謝辞ではなく、文句を言う。にもかかわらず、その顔は何か楽しんでいるふうだ。
「先に言っておきますが先生、あなたは私の師であり尊敬もしています。しかし、私はあなたの使用人ではありませんよ」
「はぁ、君もコーヒーくらい自ら淹れられる大きな器を持ちたまえよ。第一君は師匠に対して、もう少し敬意と言うものはないのかな? まったく最近の若者は困ったものだよ。それより、モテない発言はスルーかい? 面白くないな」
そう言って彼女はコーヒーを口に入れた。
「言ったでしょう、尊敬はしていると」
「それならもう少し優しくしてくれても良いと思うんだけどな」
「コーヒーくらいは自分で淹れてください。僕の読書の邪魔をしないで頂きたい」
どうやらはじめからコーヒーはこの先生と呼ばれる女性のために淹れられた物だったらしい。
「自分だってコーヒー飲むんじゃないか、いっしょだよ。てか、今はコーヒーよりかは紅茶の気分なんだけどね」
「これは先生の分を淹れたついでです。まったく、難癖つけなきゃ大人しくしてられないんですか?」
そう言われると、彼女は目線を逸らしてコーヒーを飲み始める。まだ汚れもついていない真っ白なカップに入れられているためか、中の液体の黒さが際立ち、普通よりも苦そうに見える。
「……ん! これ、いつもの3倍くらい苦いんだけど、砂糖とミルク入れてないの?」
どうやら本当に苦かったようだ。文句は言うものの、そのままグイグイと飲み続ける姿を見て、彼は、はぁ、と彼は溜息をついた。
そして、目の前のコーヒーを口にする。
「……ぅん! ごほ、ごほ!」 思わずむせてしまった。
……あまりの苦さに、彼は大いに後悔した。腹いせに作った特製コーヒー(砂糖とミルクなし)が、彼の想像の5倍くらい苦かったのだ。
やはり、復讐なんて慣れない事をするもんじゃない。
とりあえず、コーヒーを飲むのは後にして、彼は彼女がここに来た理由を聞くことにした。
「先生、最近毎日のように私の事務所に来るのは構いませんが、というかそろそろ構いますが、ご自分の仕事はどうしたんですか? ……まさか、ほっぽって来たわけではないでしょうね」
「私の仕事はたいしたことないのよ。毎日適当にしていれば、事は勝手に片付くものなの」
そう言って彼女は、苦い苦いコーヒーを飲みほした。テーブルの上にカップを戻し、青年の向かい側にあるソファーに腰掛ける。
先ほどとは違って真剣な顔をしている。
「そうは言っても、たまに骨のある案件が舞い込んで来てね。正直、少し困ってるんだ」
そう言って彼女は二つの封筒を青年に差し出した。一つ目の封筒の中を見ると、ある事件の簡単な調査記録が入っていた。
内容は彼らが住んでいるこの町「相見(あいみ)市(し)」で最近起きている連続殺人事件についてだった。
「以前に話してくれましたね、近々大きな仕事が舞い込んで来ると。まさかこの事なんですか?」
「察しが良くて助かるわ。如何にも、その通りよ」
青年は「はぁ」と一つ溜息をついた。
「仕事を下さるのはありがたいですが、これは先生のとこに来た依頼なのでしょう? だったら先生がこなすべきなのではないのですか」
とりあえずここは正論を吐いて見せ、師の出方を見る。
「まあそう言わないでよ。私はこの他にも色々と仕事を抱えていて何かと忙しいのでね。だからと言って、この案件は引き受けないわけにはいかない。まず普通では起こりえない事件だからね。まあ、私の助手をしていた時を思い出して頑張ってちょうだい」
じゃあそう言うことで! コーヒー、美味しかったよ。
そう言って、先生と呼ばれる女性は紺色のロングコートを羽織り、ここ「桐生(きりゅう)探偵事務」を後にした。
しかし、あのコーヒーを美味しいとは……。
今度はきちんと作らなければならない、そう思う桐生だった。
残された方、桐生探偵事務所所長の桐生渚(なぎさ)は、この無理やり仕事を押し付けられた状況に対して正直なところ安堵していた。
「ふぅー、これで何とか今月と来月はもつかな」
実はここ最近、この探偵事務所には全くと言っていいほどに依頼が来ていない。そのため、金の工面にかなり困っていた所なのだ。
彼の名前は桐生渚。職業は探偵だ。探偵と言っても別に殺人事件を解決しているわけではない。彼の主な仕事は基本的な探偵がする、人探しや浮気調査だ。犯罪調査(ストーカー調査やいじめ調査、DV調査など)もときどき請け負うが最近はあまり行っていない。
「しかし、先生の持ってくる話は毎回割に合わないんだよな」
そう言って渋々と、二つ目の封筒の中を見る。
中には事件の詳細が書かれた書類と合わせて現場写真が何枚か入っていた。まず目に入ったのは一枚の現場写真だ。
写真には血にまみれて変色し真っ黒に染まった服と、それを着せられたこれまた黒くて丸い肉塊が写っていた。
いや、そうではない。よく見ると、それはただの肉塊では無く、とてつもない力によってクシャクシャに押しつぶされたかの様に全く原型を留めていない、人間の死体だった。
「ありえないだろ……これは」
桐生は少し写真を遠ざけるようにして、それを見続ける。
正直なところ、人間と判別できる要素はその死体にはほとんど残っていなかった。“死体”と言うよりかは“肉塊”と言った方が適しているとさえ思える。腕や脚の一部がかすかに見てとれるためこれが死体であると認識できる。しかしそれは、一見して胴体から生えているという感じでは無く、大きな肉の塊に人の手足を突き刺している様に感じた。もちろん、その手足も雑巾の様に惨たらしくねじられているため、ぱっと見ただけではそれが手足だとは到底判らないだろう。
「まったく、いきなりでこれはきついな」
桐生は、死体がある時間に助手時代に何度か出くわした事があるのだが、ここまでひどいのは初めてだった。
まだ写真は何枚か残っている。おそらく、今の死体を他の角度から撮った写真や、他の現場にあった死体だろう。
見慣れていると言っても、あんな物を連続で見るのはごめんだ。
そう思って、彼は書類に手を伸ばした。
一枚目にはこの事件の名称「相見市連続殺人事件」と大きく書かれており、そのページの右下には「相見警察署」と書いてあるのが見えた。
彼はその文字をペンで黒く塗りつぶしてから資料を読み始める。全部で殺人は三つある。
第一の事件は、町の中心部から大きく外れた寂れた商店街の路地裏。第一発見者は朝方の6時頃にランニングをしていた男性。その発見は実に気味の悪い物だった。
商店街を走っている時に僅かな異臭を感じた。その直後に口の周りを真っ赤にして血をポタポタと地面に落としている野良犬が路地から飛び出してきた。初めは野良犬が怪我をしていると思ったが、近づくとそれが違うとわかった。犬の口から血が落ちているのは確かだが、それは犬の口に溢れんばかりの血肉が銜えられていたからだ。それを見た男性はギョッとしてその場に立ち尽くしてしまった。そして、犬はそのまま何事も無かったかのようにどこかにいっていしまい、男性だけがその場に残された。犬が出てきた路地の奥を見てみると、辺りの壁には血が飛び散っており、その真ん中に大きな力で無理やり丸められたような巨大な肉塊が、もとい死体が転がっていた。
第二・第三の事件は町の中心部で起こった。一件目の事件とほとんど同じで、見るに堪えない状態だったと言う。しかし、それはまだ、それを人として見えていると言うことに違いない。
ある新米刑事は、この遺体をみて何も感じなかったそうだ。ただ「でかい肉が落ちてるな」と思ったらしい。
発見者は両方とも警察官だった。一つ目の事件発生で警戒を強め、警官の巡回を多くしていた矢先、警察官が発見したとの事だ。
立て続けに殺人が起きたことにより、警察やマスコミ関係者は現在大騒ぎになっていると聞く。
三件とも、所持品を奪われており、身元の確認は困難を極めている。
そんな中、指の指紋も取るのが難しい程に壊された死体から、何とか原型が残っている部分を取り出し、警察の犯罪者データベースと照合した結果、三人のうち一人がデータベースと一致した。
過去に一度、傷害罪で捕まり、執行猶予の付いている二十代の男だった。現在は無職で、仲間のつるんでカツアゲをする所を何人かの一般人に目撃されている。残る二人も、男であることは判明したのだが、犯罪歴は無く、依然身元不明のままだ。
警察ではこの事件を新手の猟奇的殺人者による犯行と見て捜査し始める。
この事件は三件とも死体が血まみれになって丸められているのが特徴だ。
死体は場合によっては四肢を裂かれ、皮をはぎ取られ、臓物が地にぶち撒かれ、骨と言う骨をへし折られて丸められている。とても見えた状態ではない。
――人間がこんなむごい事を平然とできる物なのか。被疑者は人ではなく、化け物だ
捜査に当たった刑事が死体を目にした時、口にした言葉だ。
人間がこんな事件を起こせるわけがない。その考えは概ね正しい。
根本的に考えて、人間の力だけで人をこんなにも滅茶苦茶にできるわけがない。となると、考えられるのは何らかの機械を使ったかであるが、人の体を丸くするだけに特化した機械なんて存在するわけがない。何らかの機械を応用しているとしても、人を解体できる様な大型機械ならば所有者も少ないからして、すぐに足が着くはずだ。
この考えは案の定書類にも書かれていた。
しかし同時にこの書類には「現時点で捜査線上に上がる様な人物は存在していない」と書かれている。
血にまみれた現場の状況から、犯人は別の場所で死体を壊したのではなく、その路地裏で犯行に及んだとみて間違いない。第一の事件現場周囲には、人が住んでいなかったが、第二・第三の現場は町の中心部だ。人一人をどうにかできてしまうほどの機械を持ち込んでいたら誰かが見ているに違いない。それにも関わらず、目撃者は一切見つかっていないとくれば機械を使っての犯行ではないと見た方がいいだろう。
この事件の発生は二週間ほど前。もし犯人が何らかの大型機械を凶器として使用しているのであれば、警察はとっくに犯人を絞り込んでいるだろう。
正直、これはかなりの難問だ。
この書類だけで犯人を見つけるのはまず不可能。せめて警察が被疑者を何人か上げていてくれさえくれれば何とかならんでもないのだが。
「先生はまた無理難題を押し付けてきたな……はぁ」
被疑者の特定も全く進んでおらず、殺害の動機も判っていない。犯行に使われた凶器も未だ不明の上に、犯行に関係している共通点の様な物も今の所、見つかっていない。
ああ、共通点なら一つあるか。
死体から人の形を奪い滅茶苦茶にする殺人鬼。これだけが判っている点で、これ以外は全く分からない。
「わからない事だらけ、むしろ判っている事の方が少ないってことか。さて何から手をつけた物か」
彼は書類を置き、窓の外を眺めた。
ここ、桐生渚探偵事務所は町の中心部からやや離れた人通りの少ない場所にある。その場所にある六階建ての建物を一棟まるまる借りきって事務所を運営しているのだ。一階は駐車場になっていて、車とバイクが一台ずつある。二階・三階・四階には何もなく、五階に事務所が存在する。六階は居住区として使用しているのだが、一日のほとんどを事務所で過ごしているため物が少ない。屋上に出ることもできるが、建物が古い物なため、周りの鉄柵はかなり錆びついている。
今いるのは事務所。つまり五階だ。そこから見る眺めは別段どうと言う事はない。周りに大きな建物も無いから、そこそこ遠くまで見渡せるし、上を見てもコンクリートの塊に空を覆われているわけではないので青い空がハッキリと見ることができる。言ってしまえば何もないという事だ。
だからこそ、見る意味がある。
人間いろいろあって、頭の中いっぱいになった時は何にも考えずにボーっとするのが一番だ
これは彼の自論だ。
彼はそれから五分ほど外を見続けて、とりあえずソファーに横になって眠った。
どうせ何もしないのなら、睡眠取って英気を養うのが良い
これも彼の自論だ。
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