第2話
ガーネットちゃんは言う。
曰く、俺――改め魔王は昨日、長い封印から放たれ目覚めたのだと。その辺の説明は女神から聞き及んだところ、そういう設定だと納得する外あるまい。所謂ファンタジーアニメ、ないしゲームの魔王という認識でいいらしい。
そうだとしたら、悪いことをした。きっと彼女とて崇拝する魔王の復活を待ち望み、漸く訪れた瞬間だったのだ。魔王の秘書? 側近? として、最も魔王の復活に尽力を尽くし、そしてその見返りがあの扱いである。俺はあの場でああせざるを得なかったが、ガーネットちゃんからしてみれば、最愛の人にぞんざいに扱われたのと変わらない。否、最愛の人だなんて自惚れるつもりなないが、その揺るぎない忠誠をそう勘違いしてしまうのは俺には仕方のないことである。
恋は盲目とは、よく言ったものだ。
そんなこんなで、今日は魔王を崇拝する者どもが集い、復活を告げる日なのだそうだ。昨日の今日、というか、前世からの今日なわけでいろんな事実を受け止めきれないが、大分落ち着いてきた。今でもガーネットちゃんが隣にいると胸の高鳴りが止まらない。
立っていると俺の方が少し、背が高いようで、ざっくりと開かれたドレスから見える肉の谷間が嫌でも目についてしまう。嫌ということもないのでついついありがたく凝視していると、そのたびに「魔王様?」と小首を傾げられるのだ。その仕草がまた上品で、何かもう俺とは不釣合な美しさだった。未だかつてこんなみっともない魔王が居たことか。少なくとも、俺の精神が宿る前の魔王、封印されるまでの魔王はもう少しくらいしっかりした人格だったのだろう。でなければ、この忠誠が俺に向くことはありえない。
その忠誠がまやかしだと、俺だけが知っている。だからこそ尚更、裏切ることもできない。
ガーネットちゃんを騙しているようで、少々心苦しかった。
「――さて魔王様、こちらに起こしください。この扉の先に、魔王様に忠誠を誓う者共が集っております。復活を、そのお口から聞けることを、彼らは望んでいるのです」
「あ、ああ。そうだな」
熱のこもった弁に、惚けた内心を誤魔化すような取ってつけた威厳で頷く。
人前に立つのは苦手だ。けれど、既にあらゆる者から慕われているこの体なら、多少は開き直れそうだ。
この体に精神が定着しつつあるのか、内にある力というものを感じる。徐々に馴染み、その力からくる自信が俺を後押ししている。
扉の向こう側から既にざわめく観衆の声が耳に届いてきている。
ガーネットちゃんがその扉を押し開け、何も言わず頭を下げて傍らに佇んだ。扉が開き、外の者が一斉に息を呑み込んだのがわかる。一瞬静まり返り、数秒もかからないうちにまたざわめき出した。誰もが、この魔王の登場を待ち望んでいるのだ。前世の俺ならここで逃げ出したのかもしれないが、存外期待されるのも悪くない。
脚を進めることに、躊躇いはなかった。
暫時、静寂が空間を飲み込んだ。数秒を経てどもざわめきは返らない。
目に焼き付けようと、その姿を刮目し、声を殺しているのだろう。この魔王の、絶対的支配力を理解する。ここに居る全ての者が、魔王に絶対的な忠誠を誓っているのだ。理屈じゃない、本能で理解する。
魔王の、謂わば魔王の軍勢の、数百数千に及ぶ多種多様の異形の種が、一同に頭を垂れる圧巻を見たことがあるか。骨の騎士が、竜の戦士が、人の形をした何かが、俺に頭を下げている。
呆気にとられる俺の背後に静かに側近が佇み、何を口にするでもなく、例にならって瞳を伏せた。
ああそうかと、俺はようやく気付いた。彼らは皆同様に、俺の言葉を待っているのだ。
長い封印からの目覚めの一言を、長く聞くことのできなかった主君の声を、頭を垂れた、脳天に突き刺さる言葉を待ち望んでいる。
ならばその忠誠に敬意を示し、答えぬわけにはいかなかった。
「――聞け、皆の者。この魔王が、帰ってきた!」
声を張り上げる。俺の声は、数百数千の者共の頭上に響きわたる。前世の記憶で考えても、実に久方ぶりに腹の底から声を出した。自分の存在をここに証明するような両手を広げる身振りも加え、開放感を味わう。
この軍勢を携えた上で、一切の無音の中に投じる名乗りが、静寂を突き破る感覚が堪らなく心地いい。
感動に打ち震え声を押し殺す音が、口々に聞こえてきた。気づけば傍らの彼女も、その瞳に熱い何かを浮かべているような、細めた瞼で俺を見ていた。
尊敬と忠誠の眼差し、尊敬と忠誠故の静寂。徐々に、徐々に、拡散していく。始まりは一人、ないし二人、あるいは最初から十数人が、爆発する思いを拳に乗せて突き上げる。意味の無い、叫びだ。だが思いは充分に伝わってきた。この数千の軍勢のどこかから雄叫びの環が広がり、徐々に埋め尽くしていくのだ。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
骨の騎士、竜の戦士、人の形をした人ではない何か、人の形すらしていない人以外の何かまで、一同に拳を突き上げる様は、ただ頭を下げるだけの静寂以上に圧巻で、轟音を成り散らす。
その全てが、この魔王に捧げられた歓声だ。激しい歓声が生み出す純粋な圧力を身に受ける。
重たく、それでいて心強い。散けることのない思いが、質量のない重さを生み出したのだ。
前世のぼっちだった記憶ながらに、初めて受けた歓声。最初にして最大の、その大きさのまま一心に寄せられる忠誠。なんと素晴らしき響きか。心地よいという表現に収まらない、官能まで疼くような、未だ鳴り止まぬ歓声の中に興奮の極みを覚えた。
それが前世でぼっちだった反動かどうかは、いささか定かではない。
そうだとしたら、思わぬ性癖の開眼に魔王の将来が危ぶまれる。
それにしても俺ノリノリだなあなんて、この歓声の中に無粋なことを考えた。
せめて初恋の彼女が目に付く前に、今後そんなことを考えるのはよしておこうと、俺は俺という記憶を押し殺すのだ。
もとより前世に未練など皆無である。
彼、彼女らが忠誠に誓うのなら、この魔王もまた初恋に誓って、俺も魔王らしくあろうと心に決める。
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