晴レ時々狐

晴レ時々狐

 私がこの少女と出会ったのが、ついさっき。

 夏日らしい雲一つない晴天が広がる昼下がりのことである。

 早朝から机に向かって、夏休みの課題とにらめっこしていたが、やるせない気持ちで頭の中がいっぱいになって、いよいよもって集中できない。そんな気分を変えようと、家の近くをあてどなく歩いていたときだった。

 モダンなタイルレンガ調の壁に覆われた四階建ての建物がいくつも建ち並ぶ新興団地。その間を通る、ちょっとした並木道といった風景の中にぽつんと、小さな人影が佇んでいるのが目に入った。

 歳は多分、十歳くらいの少女で、黒地で裾の長いワンピースを着ていて、顔をすっぽりと覆う狐の面をかぶっている。近くに家族と思しき人影も見当たらないし、どうにも迷子なんじゃないかという気がして……ふいにその姿が、少し前の自分と重なって見えた。

 父の転勤でこの団地に越してきたのが昨年の春先だった。あの頃の私も何度か道に迷って、そのたびに近所の人達が助けてくれた。皆の優しさに支えられて今の自分がいるんだと思うと、何だかこの子のことが放っておけなくなって、

「こ、こんにちは」

 と、目線を低くして、声を掛けてみた。すると少女は一瞬、きょとんとしていたが、そのあと慌てて面を深く被りなおしていた。

 どうやら少し警戒させてしまったらしい。どうしたらいいのやら、とおろおろしていると、少女は不思議そうに首を傾げていた。

「ええと、その……もしかして君、迷子なのかな?」

 と聞くと、少女は無言で頷き返した。私は続けて、

「お家はこの近くなの?」

 少女はもう一度頷き返した。

「じゃあ、お姉さんも一緒にお家探してあげるね」

 私がそう言って右手を差し出すと、少女は軽く握り返してきた。

「行こっか」

 少女は小さくうなずいて、ゆっくりと手を引いて歩き出した。

 少女は一言もしゃべらず、黙々と歩いていく。こうも会話が続かないと少し気まずい。そんなことを思いながら、しばらく歩いていたら、少女が急に、何の前触れもなく立ち止まった。

 私は少し驚いて、

「どうかしたの?」

 と聞いた。少女は建物の一角を指さした。目を向けると、そこには朱塗りの鳥居が建っているのが見えた。しかし鳥居の輪郭はゆらゆらと揺らめいていて、奥にある外階段が透けている。まるで蜃気楼でもみているような……。

 私は思わず目をこすった。この暑さで私の頭がおかしくなっているのかもしれない。おそるおそるもう一度見たが、やはりそこには、鳥居が建っているように見える。

「これは何なの?」

 と呟いた。私はこのとき、この子に何か問おうとしたのではなく、あくまで独り言のつもりだった。が、少女は私の考えとは裏腹に何か知っているようで――ふっ、と微笑を漏らすと、繋いでいた手をするりとほどいて、鳥居の方に向かって駆けていった。

「ちょっと待って――」

 思わず呼び止めたが、少女は耳を傾ける様子もなく、鳥居をくぐろうかというあたりで、鳥居もろとも、散じるように消えてしまった。


 その場でぼうっと、立ちすくんでいると、後ろから穏やかな声で、

「あら、未咲ちゃんじゃない。どうかしたの」

 と声を掛けられた。振り向くと、近所のおばあちゃんだった。とても物知りで、私のことを実の孫のように可愛がってくれる人だ。

「いえ、この辺りに神社とかあったりしたのかなあ、って……」

 鳥居があった外階段のあたりを見ながら、私は聞いた。

「ええ、そうね、今は団地になってしまったけれど、杉のいぐねに囲まれた小さな御社があったんですよ」

 と言って、おばあちゃんは、その頃を思い出しているかのように目を細めた。私は黙ってうなずいた。

「もともとこの辺りは田圃で、稲作が盛んに行われていましたから、五穀豊穣の神様をお祀りしていたんです」

「それって、どんな神様だったの?」

 と聞くと、おばあちゃんは少し考えてから、

「倉稲魂命という姫神様です。お稲荷さんといった方が分かりますか」

 狐面を被っていたあの少女の姿が私の頭をよぎった。

「その御社はどうなったの?」

「団地の造成で田圃を埋め立てる際に、別の神社の敷地に遷されることになったんだけど、建設業者の社長さんがとても信心深い方で『長い間、この地区を見守ってこられた神様をむげにはできない』と仰られたそうです。それで元の場所に程近い建物の屋上に再建されたらしいのですが、私も自分の目で確かめた訳ではないので詳しくは分かりませんが――」

 と、おばあちゃんが教えてくれた。その御社はきっとこの屋上にあるはずだ、とピンときて、

「ありがとう、おばあちゃん。私、用事思い出したから」

 そう言って、目の前の外階段に向かった。

「このところ暑いから気を付けなさいね」

 と、いつもの優しい声でおばあちゃんは見送ってくれた。

「うん。おばあちゃんこそ、気を付けてね」

 と、手を振って返した。


 おばあちゃんと別れて、建物の脇にある外階段を勢いよく駆けのぼって、屋上へ行く。私は呼吸を整えつつ、自分の胸元くらいの高さがある門扉を押し開けた。

 その屋上の、一段高くなった一角に、小さな鳥居と御社が東を面して建っていた。その一角を囲うように女竹が植えられていて、細長い葉を茂らせていた。そして、御社の左側だけに白い狐が鎮座しているのに気が付いた。そういえば、ついさっきまで一緒だったあの少女が被っていたのが白狐の面だったことを思い出して――。

 

 そうか、あの子はここの眷属だったのかと理解した。

 随分と前に祖母から聞いた、これが狐につままれた感じというものなのか。

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晴レ時々狐 @kkishinn

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