拡張幻想世界のパンプキンナイト

高橋右手

第一章 ~ひとりぼっちのカボチャ頭~

「すげーな、大神! その武器、どうやって手に入れたんだ!」


 ゲームがあったからぼくはみんなと遊べた。


「なんでそこまでゲームにマジにならなきゃいけないんだよ……、お前らにはもうついてけねえよ」


 ゲームがぼくから友達を遠ざけた。


「勇者オルカムは一人で十分。悪いけど、君はここでゲームオーバーだ」


 ゲームがぼくを独りにした。


「こんなゲーム……なくなってしまえば良いんだ!」


 それでも、ぼくはゲームを続けた。


 ぼくにはゲームしかないから。


 大神八雲を乗せた満員電車はじわりとブレーキをかけると、濱月駅のプラットフォームにゆっくりと滑りこんでいった。電車が止まるのに合わせ、慣性から開放された乗客たちの身体がわずかに揺れ、笹の葉のように軽く触れ合う。通勤通学の息苦しさに気怠げだった車内がにわかに殺気立ち、ドアの方を睨みつけた。このターミナル駅でほとんどの乗客が降車し、それと同数以上の新たな人間が乗ってくる。少しでもタイミングを見すれば、ぶつかり合う人波に飲まれ次の駅まで運ばれてしまう。

 電車のドアが開き人々の放出が始まった。車内の中ほどの椅子前に位置取っていた八雲は、流れの最後尾についてドアへと向かっていった。確かにドアの直ぐ側なら確実に降車できるが、人口密度が高く押し合いへし合いで疲れてしまう。それより、乗り過ごしの危険はあっても比較的に余裕のある車内の中ほどのほうが良い。運良くつり革を掴むことができれば、片手でゲームだって出来る。それが入学から二ヶ月ほどの通学を経て、八雲が出した結論だった。

 人波に隠れるようにして八雲がドアのところまで到達すると、発車準備を告げる警笛が鳴り響いた。それを許しと受け取ったプラットフォームの人々がドアから車内へと殺到する。右から、左から、身体を押され八雲の身体は車内へと逆戻りしそうになってしまう。

「す、すみません、降ろして、下さい……」

 シャウトには程遠い声しかでない。当然、効果はなかった。こうなってはもう無理矢理にでも進むしか無い。固い鞄に脇腹を打たれ、ハイヒールに足を踏まれながらも、八雲はどうにか車外へと出ることに成功した。

 どうやら通学電車の位置取りについては、まだ攻略の余地があるようだ。

 発車ベルが鳴り終わり、ドアを閉めた電車が動き出す。インバーター音に重なるようにして、周囲で幾つものメロディが聞こえてきた。八雲のポケットの中でも小刻みに振動していた。

 携帯端末(エクスフォン)を取り出し、すぐに通知を確認する。地震速報ではなかった。XFW(エクステンデッド・ファンタジー・ワールド)のゲリラクエストの通知だった。タップしてゲームを呼び出すと、自動的に駅周辺の地図に切り替わる。イベントが行われる駅前のポータルが点滅し、カウントダウンが始まっていた。

 画面から顔を上げた八雲は早足に歩き出す。悔しそうに電車を待つサラリーマンを横目に、乗り換えではなく駅前口へと続く階段へ向かった。八雲と同じように携帯を手にした中高生も多いけれど、何かを吹っ切った顔の大人もいた。

 改札を出て駅ビルを抜けると、左右にデパートや他路線の駅ビルが弧を描いて広がっている。弧の内側がターミナルになっていて、バスがひっきりなしに出入りしタクシーが列をなしている。通勤時間にふさわしい混み合いを見せていた。

 メインフィールドにログインすると、カウントダウンは60秒を切っていた。駅前ポータルの範囲に入ったことで、クエストが受付可能(アクティブ)になっている。さっそく端末画面に表示されたメニューからクエストを受注し、詳細を表示した。

 討伐クエスト。アイテム使用回数制限あり。固定報酬は火竜の鉄鱗×1、竜の小爪×3、竜苔×5、そしてレア度20以上の装備×1だ。錬金に使う竜苔を切らしていたので丁度いい。

 一人称視点に切り替えエクスフォンのカメラを起動する。特に必要のない行動だけれど、イベント演出を見るのは好きだ。これから冒険や戦いが始まるという気分が盛り上がる。

 カメラをバスターミナルの上方に向けると、空中に浮かぶ蒼白い粒子の渦を捉えることが出来た。これが次元の歪み《ポータル》だ。通常なら銀河のようにゆっくりと自転しているそれが、不安定に粒子をまき散らしながら膨張していた。

 カウントダウンが10秒を切り、ポータルの直径はバスターミナル上空を覆う程になっていた。50人を超えるクエスト参加者が固唾を呑んで見守る中、カウント0が訪れる。蒼白い光の粒子が急速に広がり、画面内の全てを飲み込んでいった。

 粒子が滲むようにして消えると、そこは乾いた赤土が広がり大小の岩が点在する盆地になっていた。現実世界を走るバスやタクシーは跡形もなくなり、建物としてサーバーに登録されている周囲のビルが切り立った崖に、歩道橋が足場へと置き換わっていた。

 戦闘中は視界を広く取りたいので端末を横持ちにして、さらに三人称視点に切り替えた。片手の縦持ちでセミオート戦闘の方が楽だけれど、それが通用するのは低レベルのダンジョンか純粋な謎解きクエストだけだ。

 画面を切り替えたことで操作キャラであるヤクモの姿が見えるようになった。今の装備は蒼天の鎧兜に迅雷の斧槍、そしてアクセサリーに初級魔法学ノートだ。パラメーター的には平凡だが、どんな敵や状況下でも斧槍の汎用性をそこそこ活かせる組み合わせになっている。

 巨大な影が差し、叩きつける突風が赤茶けた砂塵を巻き上げた。姑息な目潰しや風魔法の余波ではない。空間そのものを撹拌するかのような羽ばたきだ。近くにいた女ダークエルフ(男性サラリーマン)が先制攻撃とばかりに矢を放つが、演出中の無敵でダメージは通らない。

 砂塵を空気ごと押しつぶすようにして、赤い巨体が地面に降り立った。硬い地面が砕けるほどの荷重は地面を伝わる衝撃波となり、集まったPC(プレイヤーキャラクター)たちを蹌踉めかせた。ダメージこそないが、硬直時間が発生する。

 討伐対象は大型の赤竜だ。自動車ぐらなら一掴みにしてしまう強靭な四肢を持っている。背中に生えた一対の翼は、全てを絶望で包み込むマントのようだ。25メートル以上あるだろう体躯は、その尻尾までも強力な兵器だ。腕のひと薙ぎ、尻尾のひと振りで生命を奪う絶対者たる風格が、その全身から漂っていた。

 四本の巨大な足で大地を掴むように構えた赤竜は、白煙に烟る顎を開き、獅子と蛇の鳴き声を合わせ幾重にも反響させたような咆哮を駅前に響かせた。端末のスピーカーではなく、ビル壁面に設置された広告モニターから発せられたものだ。もちろん、ゲーム映像も流されていてXFWをプレイしていな人でも、イベントを楽しむことが出来る。

 注意を画面に戻すと、フィールドに点在する岩が、赤竜の咆哮に応えるようにもぞもぞと動き出していた。岩の表面が熱を持ち赤くなり、亀が甲羅から出てくるようにゴツゴツとした手足が現れた。火属性の岩蜥蜴だ。体長1メートルほどの小型種だが、その防御力は非常に高い。

 赤竜は動けないPCを悠然と睥睨していた。脆弱な人間など歯牙にもかけない、眷属で十分だとその金色の瞳が語っている。

 その威嚇に応えるように、色とりどりの吹き出しがPCたちの頭上で乱舞する。

『よろしく!』『行くぜッ!』『ひぁ~、ドラゴン怖い』『ヒーラー極振りです、誰か守って!』『右から行く』『強化陣設置します! アタッカーさん利用して下さい』『お手柔らかに~』『タンクします、回復とバフお願いします』

 各々が吹き出しの形を変えたり、イラストやスタンプを添えたり、SEを付けたりしている中で、ヤクモだけはデフォルトの白四角の吹き出しに『よろしくお願いします』というシンプルな文字だけの定型文だった。

 硬直が解除されるいなや、画面内の敵味方のキャラクターが一斉に動き出す。大剣を振り上げ赤竜に突っ込んでいく恐れ知らずの戦士(小学生)、射撃場所を確保するために回りこんでいく女エルフ(隣にいた男性サラリーマン)、攻撃力アップの魔法陣を張っている老魔法使い(OL)、その魔法陣の上を通過していく侍&カエル剣士&機械兵たち(友人だろう男子高校生)、大盾を構え岩蜥蜴を警戒しながらゆっくりと前進する女重装兵(お婆さん)、そんな彼らを見送るように大きな呪文の詠唱に入った熊頭の魔法使い(厳ついサングラスの大男)。バスターミナルの反対側では猫耳レンジャー(女子高生)が罠を仕掛け、褐色肌の踊り子(おばさん)が周囲のキャラクターのステータスを上昇させるブレイブダンスを踊っているのも見て取れた。

『やられました。復活お願いします』

 真っ先に突撃した戦士(小学生)が赤竜の踏みつけ攻撃でもう昇天していた。その頭上にはリスタート待ちのカウントダウンが1分と表示されている。カウントがゼロになった後で瀕死状態だが復活できる。この待ち時間は倒されるごとに3分、5分、10分と増えていくが、回復アイテムや魔法、スキルで減らすことが出来る。

『待ってろ! いま助けに行くぞ!』

 そう言って駆け寄ろうとした女ヒーラー(休憩中のタクシー運転手)が、岩蜥蜴に突進を食らい転倒したところを赤竜の尻尾が叩き潰した。

『すみません、こっちも救助お願いします』

 吹き出しの端には助けを求める情けない顔のスタンプが押されていた。ダメージソースや回復役を失いたくないけれど、戦力を赤竜の圧倒的な攻撃力を前にして他のプレイヤー達も躊躇していた。

(これはちょっと厳しめかも)

 各人が職業(ジョブ)特性に応じた行動をとっている。しかし、それはあくまで個々の動きでありダメージ効率は良くない。

 画面端をタップして現在の時刻を確認する。7時35分だった。10分以内に倒さなければ、電車に乗れず遅刻が確定してしまう。

(うん、少し無理しよう)

 液晶保護フィルムの上から、ズラすようにして左の親指をわずかに動かす。超高感度タッチパネルはその小さな動きでも正確に認識し、画面内のヤクモを機敏に前進させる。周囲のキャラより明らかに移動速度が早いのは、速度増大魔法(ランアップ)の効果だ。

 クエスト開始から今までただ突っ立って、戦況を観察していたわけではない。右手の人差指で画面上に詠唱ルーンを描き続け、5つの補助魔法をかけていたのだ。

『デススパイクの詠唱中です。誰か助けてください!』

 視界の端に飛び込んできた黄色い吹出しを追うと、岩蜥蜴たちから逃げるドワーフの魔法使いがいた。詠唱力に優れる魔法使いでも、強度の高い魔法を使う時は速度低下や移動不可などの制限を受けてしまう。

 瞬時に判断したがヤクモは画面を右人差し指でタップすると、ターゲットを岩蜥蜴に変更する。岩蜥蜴は三匹いた。

「もう、こっち来ないでよーー!」

 女子高生がリアルに悲鳴を上げていた。迫り来る先頭の岩蜥蜴が攻撃モーションを見せようとしていた。ヤクモは親指で画面下部に表示されているスキルパネルから《螺旋駆け》をタップする。

 ヤクモは渦巻く緑風のエフェクトを身に纏うと、弾かれた弾丸のように岩蜥蜴へ向かって突撃した。迅雷の斧槍の先端が岩蜥蜴の背中に多段ヒットし、金属が弾かれる固い音が立て続けに聞こえた。表示されるダメージは一桁だけだ。もちろん、岩蜥蜴の硬い皮膚に刺突と斬撃ダメージが通らないことは知っている。簡易ダッシュ代わりだ。

「後ろ危ないっ!」

 ドワーフの魔法使い(女子高生)が緊迫した声で注意を飛ばした。間合いに入った二匹の岩蜥蜴が、逆立てた背中の鱗を礫の如く発射した。派生攻撃を出していなかったヤクモは緑風のエフェクトの終わり際に、タイミングよくスキル《風車斬り》を発動する。硬直をキャンセルしたヤクモは斧槍を回転させ、そのガードポイントで飛び道具判定の鱗を全て弾き飛ばした。さらに追加入力で斧槍の振り上げを発動。やはりかすりダメージしか与えられないけれど、衝撃波のエフェクトと共に三匹の岩蜥蜴たちが空中へと浮き上がる。狙った通りの打ち上げ効果だ。

 ヤクモはわずかに右に位置を調整する。頭上では岩蜥蜴たちが黄ばんだ柔腹を見せていた。その無防備な腹部に向かってスキル《百段突き》を発動した。

 ガトリングガンの如き突きの嵐が、三匹の岩蜥蜴を襲う。強固な岩肌の無い腹部に槍が突き刺さり、湿り気満載の小気味いいヒット音と共に三匹の岩蜥蜴を跳ね上げる。ダメージ表示は常に三桁で、赤字のクリティカルは千を超えていた。

 ヤクモは99ヒットから一瞬溜めを見せ、100ヒット目はフィニッシュスラストだ。巨大な円錐状のエフェクトが岩蜥蜴たちを突き上げ、一万ダメージを叩き出した。この爽快感は岩蜥蜴の弱点補正の倍率が異常に高いおかげだ。

 三匹の岩蜥蜴は地面に触れる前に光の粒子となり消滅していった。残された光の粒子がヤクモや周囲のPCに集まる。画面端に経験値とドロップアイテムのログが表示された。

『ありがとうございます! お陰様でデススパイクいきまぁあああす!』

 魔法使いの足元の魔法陣がオーロラを思わせる碧色の発動光を放ち、低い音とともに巨大な氷の刺が現れた。高さ1メートルを越える氷の刺は一本ではない。獲物を捉えたか魚雷が波濤をたてるように、乱立する無数の棘が赤竜に向かっていく。その線上にいた岩蜥蜴が巻き沿いを食らい死の円錐の餌食となっていた。

『うわぁっ』

 赤竜に張り付いてダメージを与えていたPCたちが迫る氷の刺に気づき、追い立てられるようにして緊急回避で転がったり、横に跳んだりした。その隙間を押しのけたデススパイクは、赤竜の右前足を直撃する。

 不意を突かれた赤竜は三万超えの大ダメージにふさわしい咆哮を上げる。さらに氷結効果で右前足が氷に包まれ、動きが制限されていた。

『ナイス!』『よしっ、行くぞ!』『ありがとう!』『チャンスタイム突入!』

 それまで引っ掻きや踏みつけ攻撃に苦慮していた近接装備のPCたちが封じられた右前足に殺到する。ここぞとばかりに、隙の大きなスキルを発動した。万超えのダメージの連続に赤竜は怯んだかのように首をもたげる。足元に張り付き一心不乱に攻撃を続けるPC達には、その口元から漏れる白煙が見えていない。

『ブレスのモーションですっ!』

 遠距離から雷の矢を放っていたレンジャーから、大きな吹き出しで忠告が飛ぶけれど、熱中する戦士たちには届いていなかった。

(この人数の近接職を失ったら絶対に遅刻しちゃうな)

 八雲はスキルパネルから飛び出ているタブの一つを、弾くように上へフリックする。パネルがくるっと回転し、画面の中では光りに包まれたヤクモの装備が蒼から漆黒へと変わった。目の下まですっぽりと覆う闇雲の帽子に、口元まで届く長い立衿が特徴的な月食の衣、そして黒い霧を漂わせるシャドウロッドだ。

 装備に応じて一新されたスキルパネルの中から、四角い豆腐みたいなアイコンをタップする。魔法陣のエフェクトが発生し強制歩き状態となった。補助魔法の効果も残っているので、見た目は早歩きだ。

「魔法剣士? 珍しいね」

 携帯端末を片手に缶コーヒーを傾けていた休憩中のコンビニ店員が声を漏らした。突然の声掛けに身体をビクつかせ短縮ルーンを間違ってしまう。その僅かなミスを見逃さないかのように、赤竜は首を振り下ろしブレスを放った。重量感すら感じられる灼熱の炎が赤竜の右前足に広がる。赤竜の動きを遮っていた氷の軛は瞬く間に溶け、さらにその炎は群がっていたPCにも襲いかかる。

『マジかッ!』『ぎゃぁっ!』『そんなの、見えねえってッ!』

 大ぶりな攻撃モーション中のPCは為す術なく炎に飲み込まれてしまう。ブレスの多段ダメージはあっという間に彼らのHP(ヒットポイント)を消し炭へと変えた。それでも凄まじい炎の勢いは留まるところを知らず、幸運にも初撃を逃れたPC達にも襲いかかる。攻撃を捨てて逃げようと反転するが、キャラクターのダッシュより炎の速度の方が断然速い。

 逃げ惑うPCたちを飲み込む寸前、ヤクモの詠唱が完了した。画面をフリックして、逃げ惑うPCたちの足元に光の線を描く。土属性を表す茶色の発動光がヤクモを包み、同時に灼熱のブレスを遮るように巨大な岩壁が地面から突出した。石壁はその背後にPCたちを隠し、さらに一部のPCを突き上げ空中に逃した。しかし、本職の魔法使いほど《ストーンウォール》の範囲は広くない。庇いきれなかった幾人もがブレスの餌食になってしまった。

『無念でござる~』

 助けられなかった犬型獣人の侍(スラっとした美人)が目前の地面に倒れ伏し、煙管をふかすポーズでリスタ待ちをしている。赤竜のブレスは扇状にフィールドをなぎ払い、付近にいた10人以上のPCを屠っていた。さらに吐出された炎はナパーム弾のように、その場に残り続けている。耐火装備に変更して強引に炎のスリップダメージを越えていく重戦士もいるけれど、大半のアタッカーたちは足止めを食っていた。

 マナポーションを使用したヤクモも足を止めていた。画面の端にカウントが出現する。MPを全快させるためにレア度3のアイテムを使ってしまったから、180秒とかなり長めだ。このカウントが0になるまで、回復アイテムは使用できない。電車の乗り換え時間と合わせると丁度いい目安だった。

 身動きの取れない戦士たちを尻目に、赤竜は攻撃魔法や矢を放つ方向へ狙いを変えていた。その視線の先では、遠距離職のPCたちが強化陣でダメージ効率を底上げするために一塊になっていた。近接職の護衛もいるが、押し寄せる岩蜥蜴の相手で手一杯だった。

 赤竜は自由になった四肢で地面を蹴立てると、そのまま二枚の翼で風を切り宙を駆ける。普通のPCが走って逃げられる速度ではない。狩人や魔法使いたちは必死になって攻撃を乱打した。ダメージこそ与えているが、攻撃強度が足りず、赤竜を地面に落とすことはできない。

 ヤクモはすでに装備を切り替えていた。一枚の鉄板から打ち出した無骨な鉄兜に目元すべてを覆い隠す大型ゴーグル、低防御力の代わりにクリティカル補正の高い野戦服、そして両手で保持する七五式玄武銃が光の輪を収縮させる溜めエフェクトを放っていた。

 端末画面の中だけでなく、リアルの八雲も赤竜に向かって小走りになっていた。PCを操作可能な範囲が半径50メートルなので、混みあう駅前ターミナルを横断する必要があった。ゲームの中では岩蜥蜴を華麗に回避しているのに、現実世界では背広のサラリーマンにぶつかり蹌踉めいてしまう。それでも固く握った携帯端末は手から離れず、ゲームを操作する指先は揺らがない。

『ひえぇえ~~~、誰か助けて~~』

 画面の頭上からギザ縁の吹き出しが降ってきた。高速で飛び過ぎた赤竜が、ヒーラーの1人を鉤爪で捕まえ天高く攫っていったのだ。ジャンプ系スキルや風の魔法で救出できるが、今のヤクモの装備ではそのどちらも使うことはできない。

 エイムモードの一人称視点に切り替えると、赤竜が掴んだヒーラーを空中に放り出すところがはっきりと見えた。じたばたと足掻くヒーラーが画面下方へと消えていくが、八雲は赤竜から狙いを外さない。撃てば命中するだろうが、溜めが完了していないし、距離がありすぎて大ダメージを与えることはできない。落下したヒーラーのプレイヤーが近くにいたようで、断末魔が聞こえた。

 赤竜は水平方向に180度回転し首の方向を変えると、速度エネルギーを失わずに急降下する。航空機のスプリットSさながらのマニューバだ。その動きは素早く、並みのPCたちでは対処が難しい物だ。しかし、八雲にとっては獲物が自ら間合いに飛び込んでくる好機だった。

 ターゲットスコープ中央に赤竜の頭部を捉える。速度を考慮して微調整。魔法銃の溜めが完了するけれど、まだトリガーは引かない。降下してきた赤竜が首を上げ、移動ベクトルを水平方向に曲げる。凶暴な顎が開き、残虐さを具現化したような牙が逃げ遅れた吟遊詩人を一飲みにしようとする。八雲はその攻撃モーションを待っていた。

 スキル発動から押し続けていた右の親指を開放する。MPゲージが半分までゴリッと一気に減り、最大までチャージした《エンジェルバレット》が発動した。

 極限まで研ぎ澄まされた針のような一筋の閃光が迸る。光のリングのエフェクトを三度くぐり抜けた弾丸は、光の強さを増し赤竜の開け放たれた口腔に飛び込んだ。ヒット判定を得た弾丸は、まるで小さな太陽が現れたかのように一段と輝きを増し、大爆発を起こした。弾丸を食らった赤竜の顔面は口の中から吹き出した羽状の攻撃エフェクトに覆われる。耐久力と強靭さを併せ持つ赤竜とはいえ、この不意の一撃には耐えられず悲鳴とともに地面へと落下を始めた。カウンターヒットになった攻撃はダメージが125%、さらに攻撃強度も一段階アップされる。その結果、赤竜の攻撃モーションはキャンセルされ、さらに飛行状態が解除されたのだ。

 地面に激突した赤竜を思わぬ不運が襲う。落下地点に仕掛けられていた指向性爆薬の罠が起動し、間欠泉のごとく吹き出した火柱が赤竜の羽を貫いた。爆炎の衝撃に体勢を崩された赤竜はその場を離れようとするが、地面に着いた後ろ足がずぶずぶと沈み込んでいた。連鎖した泥沼の罠に囚われたのだ。

『よしっ、捕まえたぞ!』『誰か回復お願いします』『全力全開!!』『飛べなきゃこっちのもんだな』『強化陣貼り直します』

 急降下攻撃に追い散らされていたPCたちが踵を返し、体勢を崩した赤竜に攻撃を始めた。狩人の《ペネトレイトアロー》や、魔法使いの《サンダーボルト》など発動が早く、貫通性の高いスキルや呪文が、泥沼に足を取られてもがく赤竜に突き刺さる。忌々しげに首を振った赤竜が飛び上がろうとするが、その翼は掠れた音を鳴らすだけだった。

 ヤクモもさらに効率よく赤竜にダメージを与えるべく、懸命に走り続けていた。同じ遠距離攻撃の弓矢などとは違い、魔法銃スキル後は長めのクールタイムが存在し移動以外の行動を取ることができない。通常攻撃の速写性やエイムの使いやすさ、高威力スキルなど便利なところもあるが、それ相応のデメリットもきちんと用意されている。

 先ほどのブレスを免れたアタッカーたちも近づいてきていた。リスタしたPCたちも回復が終わればすぐに合流できるだろう。

 押し寄せる人波と途切れることのない遠距離攻撃の驟雨に赤竜の瞳が怒りに染まり、突き出した二本の角が赤々とした輝きを放ち始めた。赤竜は自由の利く前足で踏ん張ると、身体を波打たせ咆哮を放った。

『ギャァっ』『うるさい!』『無駄な足掻きやめてよ』『学校遅れちゃう!』『あっ、動けない』

 耳を劈く大音声にPCたちの攻撃が強制キャンセルされ、硬直の追加効果が発生した。赤竜はそのまま、首をもたげながら息を吸い込み、胸を膨らませる。小さき敵対者達の隙を最大限に利用すべく、ブレスのモーションをとり始めたのだ。

 硬直は距離に反比例するので、斜めから近づいていたヤクモの行動不能時間は短い。しかし、赤竜の正面に陣取っていたPCたちは、まだ硬直が解けず無防備な立ち姿を晒していた。

(あ、これ間に合わないやつだ)

 そう判断した八雲は硬直が切れると同時に、スキルパネルのタブをフリックして装備をチェンジした。魔法使いではなかった。それまでの細身から一転、相撲取りのように横幅のあるシルエットへと変わった。その重量感とくすんだ銀色が特徴的なハベルイの全身鎧だ。右手に赤獅子の大斧を持ち、右手には鉄板を何枚も重ね表面に魔石を埋め込んだ大型マジックチョバムシールドを握っている。

 赤竜の角が一層の光を放ち、ついには炎を纏い轟々と燃え上がる。累積ダメージが定量を超えステータスアップ状態になっているのだ。その大きく開いた顎の奥から赫々たる炎の影が見えてしまった。

 完全に足を止めたヤクモはスキル《巨象の構え》を発動した。その直後、赤竜は全身で大地に覆いかぶさるように前のめりになると灼熱のブレスを放つ。うねる炎は地獄の釜を開けてしまったかのように辺り一面を飲み込んだ。先ほどとは比べ物にならない激しさに比例し、ダメージも酷いものだった。多段ヒットの判定を待つまでもなく、炎に巻かれたPCはその1ヒット目でHPを根こそぎ持っていかれていた。

『そんな~』『ふっざけんな!』『熱すぎるっての!』『ちょっとダメージ高すぎっ!』『ぎゃぁあ、また死んだ~』

 そんな炎の真っ只中にあって、重厚な盾が灰色の光を放ちヤクモを守っていた。《巨象の構え》は移動できない代わりに、盾の性能を倍加する効果がある。もともと防御力の高いチョバムシールドに、さらに氷結魔石の効果が乗ってブレスのダメージを大幅に軽減していた。それでも削りダメージは深刻で、HPゲージがドリルにでも削られるようにガリガリと減っていた。

 灼熱の火炎に一掃され焦土と化した地面には、PCたちが思い思いのリスタ待ちポーズで転がっていた。すでに二落ちしてリスタートタイムが三分になっている者もいる。リスタ時はHPとMPが10%なので、ポーション制限と相まって戦線復帰は時間がかかってしまう。

 ブレスを耐え切ったヤクモだったが、小指の先ほどに減ったHPゲージが真っ赤になっていた。周りをざっと見ても、すぐ戦力になるのは20人もいない。こうなってしまっていては、安定行動では制限時間内にカタを付けることはできない。

(しょうがないな、無茶しよう)

 ほんの少しだけ端末を握る手に力を入れた八雲は、スキルパネル右端にあるとっておきのタブを引っ張りだす。包み込む光の中でヤクモの横綱のようだった鎧のシルエットが元に戻っていくが、頭だけはチグハグに大きくなっていた。

 武器からしてシンプルな装備セットだった。星くずの剣は特定のイベントをこなせば報酬で確実に貰えるので、性能の割にはレア度は低い。宵闇のマントは素材集めこそ難しいが、これも時間をかければ作ることが出来る。メイン防具の布の服にいたっては、ショップで購入可能だ。もちろん鍛冶と錬金で最大まで強化してあるが、どれも中級者以下の装備でしかない。希少な装備は窮鼠の腕輪ぐらいだろうが、これだってレア度10代の中では簡単に入手できる。

 ただ一点、異様なのはその頭装備がカボチャな事だった。ぼってりとして重量感のあるオレンジ色のカボチャだ。もしカボチャコンクールに出したら金賞間違いなしというぐらい見事なカボチャだ。顔の部分は三角形の目鼻とギザギザの口が、包丁でざっくり切り抜かれている。虚空のような黒で満たされたその内側には、小さな光がぼんやりと灯っていた。それはハロウィンの――。

『カボチャ頭だ!』『あの装備の使い分け、もしかしてパンプキンナイト?』『ってことは、あいつパンプキンナイトのジャックか!?』『うわさ通りの自己中野郎、俺達を見捨てやがったな!』

 一つの吹き出しに呼応し動揺の波が広がっていた。最近のジャックは評判が悪いので、他プレイヤーが驚くのは仕方ないだろう。それについては大きな誤解なのだけれど、弁解している時間は無い。出来るとすれば行動で示すことだけだ。

 リスタ待ちのPCの脇を駆け抜けたヤクモは、ついに正面から赤竜と対峙する。一度目のブレスを防ぎ口腔に大ダメージの弾丸を叩き込んだヤクモを、赤竜は仇敵に巡り会えたかのように睨みつけた。縦に割れた金色の瞳は絶対者たる威圧感と挟持を感じる。脆弱な人間などに負けることなどありえないとでも叫ぶように、赤竜はヤクモに飛びかかってきた。泥沼の罠はすでに効果が切れていたのだ。

 八雲の指先が端末画面の上を華麗に滑る。竜種の物理属性攻撃は熟知している。ヤクモは回避の無敵時間を使って赤竜の右爪を交わすが、これで終わりではない。回避後の硬直に重なるように赤竜が、鋭牙で噛み付いてきた。ヤクモはタイミングを計りハイジャンプをする。赤竜の顎が引火性の粘液をまき散らし虚空を噛んだ。

『なんだ今の!』『なんで躱せるんだよ!』『噂通りのくそチート野郎だな!』

 チートではなくテクニックだ。宵闇のマントの効果で発生するジャンプ移行フレーム中の無敵時間を利用して攻撃をすり抜けたのだ。もちろん、小手先の技を披露したいからこんな危険を犯したわけではない。

 飛び上がったヤクモの足元には、赤竜の頭部から首にかけてが露わになっていた。二度目のブレスを放った赤竜は、冷却のためか、たんに興奮によるものか、首の鱗が鬣のように逆立てていた。普段は重なっている鱗の境目が今ははっきりと確認できる。その逆立つ鱗の裏側、普段なら隠されているその場所に他とは明らかに形の違う、赤く輝く一枚の鱗があった。八雲は左の人差し指でターゲットをその鱗に変更し、同時にスキルを選択した。

 敵を見失った赤竜が慌てたように首を上げるが、もう遅い。すでにヤクモは両手持ちの攻撃モーションに入っていた。スキル《彗星剣》、降下しながら力いっぱい振り下ろす剣の軌跡が噴水のごとく星くずをまき散らし、その切っ先が赫々たる竜鱗を打ち砕いた。

『やったのか?!』『おお、マジ!』『すげぇええ!』

 金属のパイプをねじ切ったような赤竜の絶叫が轟く。敵を威圧する凄みでも獲物を前にした歓喜でも無い、ただただ痛みに苦悶する悲鳴だった。息の全てを吐き出した赤竜は巨体を支えていた四肢を崩すと、弱々しく地面に倒れ込んだ。その衝撃に巻き込まれたヤクモは、遠く弾き飛ばされ受身もとれずに落下判定のダメージを食らってしまう。通常ならスキル発動条件のHP調整に使うような超低ダメージだが、今の装備は窮鼠の腕輪+パンプキンヘッドだ。防御力低下と倍率補正が加わり、残り僅かだったHPゲージが完全に削り取られてしまった。そのまま地面に転がり1分間のリスタ待ちペナルティだ。

『よっしゃあああっ!』『お前が倒れるまで殴るのを止めない!』『行くぜ!』『ファイアーストリーム使うんで、スキルあわせおねがいします!』『了解、十文字斬り使います』『レインアローいきます』『氷魔法あったらよろしくっ!』

 千載一遇の好機にPCたちが地面に倒れ伏した赤竜に殺到する。時刻は7時43分を回っていた。ここで決めなければ会社や学校を遅刻する人が多いのだろう。誰もが最大級のダメージを与えようと、個人スキルだけではなく合体スキルの使用も試みていた。

 《夢幻闘舞》で分身したマッチョな格闘家が絶え間なくコンボダメージを与え続け、侍&カエル剣士&機械兵が《トリプルアタック》を繰り出し赤竜の右爪を粉砕した。《十文字焼き斬り》だけでなく、《セイントボディプレス》なんて珍しい合体スキルも発動している。近接職に負けじと、悪魔っ娘の設置したごつい魔砲ユニットが丸々と太った黒い爆弾をバカスカ吐き出し、その爆発で鱗が剥げた場所に弓使いの《次元縫い》が突き刺さる。赤竜が苦しげに一呼吸する間に完成した風系上位魔法サイクロンエッジ氷結系上位魔法絶対零度があわさり、壊滅的な嵐となって全てを飲み込んだ。

 カジノのジャックポットが当たったみたいなダメージの大盤振る舞いを八雲は眺めていた。ヒーラーも攻撃に参加しているので、リスタ時間を短縮して復活させてくれるPCは周りにいなかった。そもそもリスタされてもMPが尽きているので通常攻撃ぐらいしかできない役立たずだ。捨て置かれた方が精神的に楽だった。

 ヤクモの頭上のカウントが残り20秒とならないうちに、その時はやってきた。

 苛烈なスキル攻撃の嵐に屈した赤竜が、身体を震わせ絞りだすように絶命の吐息を漏らす。魔法やスキルの残滓が舞い踊る中、画面上にクエスト達成の文字が現れ、盛大なファンファーレが流れ始めた。恐ろしい赤竜が立ち上がることはもう無い。

『お疲れ様です!』『乙です』『ヒーラー様、回復ありがとうございました!』『おつか~』『よっしゃ、これで遅刻回避!』

 ヤクモは棒立ちだったが、他のPCたちはその場でジャンプしたり、手を振ったり、ダンスしたりとそれぞれが設定してある勝利ポーズをとっていた。

 ウィンドウがポップアップする形でリザルトが表示される。経験値とお金(ゴールド)、そして各種アイテムだ。固定報酬がザクザクと道具袋に放り込まれ、次にランダム報酬が加わる。赤竜の鱗などの中に、レアドロップである炎真角が含まれていた。素材系には恵まれたが、報酬の装備抽選はレア度21の竜爪の首飾りだった。イベントで竜種を倒した時にもっとも手に入りやすい装備で、倉庫には二つストックがある。実質的なハズレだった。

『炎神スキル付き竜紋の杖出たぁああああ!!!!』『マジか!』『おめでとう!』『いいな~』『おめ!』『くっそ~、俺なんか竜爪の首飾りだぞ』

 レア装備を手にれたセクシー魔法使いの雄たけびに、他のPCたちが羨望の眼差しと祝福の言葉を送っていた。

 赤竜の討伐記念にスクリーンショットを呼びかけるプレイヤーや、手に入れた装備を早速装備するプレイヤーもいる。その一方で報酬の受け取りが終わると、速やかに端末をポケットや鞄に仕舞いこみ、激戦などなかったかのように日常に戻っていくプレイヤーもいた。八雲もすでに踵を返していた。その背後から今のクエストに参加したのだろうプレイヤーたちの声が聞こえてくる。

「なあ、今のイベントってジャックが参加してたみたいなんだろ。ちょっと探してみようぜ」

「懸賞金って100万超えてるんだっけ? それだけ手に入ったら美味しいよな」

 足早になった八雲は出勤通学で混み合う駅ビルの雑踏へと紛れていった。


 西暦2045年、世界は一企業によって支配されていた。少々大げさすぎる言い回しだけれど、あながち間違っているというわけでもない。

 その侵略の一歩目は次世代型携帯端末エクスフォンだった。こいつがそれまでのスマートフォンやらと一線を画していた。ひとつは遠隔充電機能、専用の充電器を部屋に置いておくだけで勝手に充電してくれる。街中にもこの送信機は溢れていて、コンビニで一休みしているだけでも通話1分ぐらいなら余裕で充電してくれる。就寝前の煩わしい充電の儀式や、出先で電池切れという悪夢から人類は開放されたのだ。

 もちろん、遠隔充電だけで既存の端末シェアを奪えたわけではない。もう一つ圧倒的な優位性を示したのだ。

 エクスフォンの通信費は0円だ。一年間タダとか、学生の間だけタダとか、何の役にも立たないアプリに月々の代金がかかるとかでもなく、通話やデータ通信に費用は一切かからないのだ。タダだからと言って、電磁波攻撃を常に食らっているような不安定で速度の遅い回線ではない。端末ごとに常時500Mbps以上を確保しているし、人口カバー率は99.99%でバスが1日1本しかないような田舎でも問題なく繋がる。

 さらに端末の代金まで安い。一万円程度で満足な性能のものが買える。端末自体の製造元は全世界中にあるけれど、そのコア技術と無料通信網のライセンスを与えているのはたったの一社だ。

 その圧倒的支配者、ラスボスこそAG(アグリアース)社だ。もともとは基幹ネットワークのサーバ構築と管理を行っていたシステム屋だが、全世界多発ネットワークダウン《無言の1日(サイレント・デイ)》後に急成長した。絶対安全&超高速を掲げ、世界中に制御ソフトの《ONIX》を搭載したサーバを売り込んだ。大きなものは国に中央管理システムや、大学の研究所、証券取引所の取引サーバなど。小さなものはコンビニの端末、タバコ屋に並ぶ自販機、そして各家庭に普及している個人サーバ。AG社のサーバーはありとあらゆる場所に使われることになった。

 サーバはその性能を遺憾なく発揮して、エアコンの管理や冷蔵庫の食材管理に励んだ。それこそインフルエンザの発症率が下がり、人類社会全体の節電効率の改善が見られたほどだ。もちろん、それでも高性能サーバのリソースは有り余っていた。なにせ世界中に何億、何十億台という個人利用のサーバがあるのだ。SETIやら難病のタンパク質解析プロジェクトに貢献してもまだまだ満足できなかった。

 時は満ちたとばかりに、AG社はサーバの大規模アップデートを行った。その中核が《XTEND NETWORK》、通称エクスネットの導入だった。サーバに標準装備されていた無線装置はその本当の力を発揮した。余剰リソースを使い遠隔充電システムと高速通信網を作り上げたのだ。多くの企業がこの通信網のオープンな利用に名乗り出た。世界的なコンビニや飲食チェーン、スーパーなどはそれだけで店舗ごとの集客率アップに繋がった。やがてオープン化の流れは公と個人にも及び、瞬く間にエクスネットは世界のインフラに組み込まれていった。

 このエクスネットを最大限に利用することができる端末として発表されたのが、《エクスフォン》だった。

 こんなふうに言ってしまうと、まるでAG社は悪の企業だが、実際はそんなことはない。支配すれども統治せずといった様子で、アクセス権の発行とその利用に関しては何の制限も設けてはいない。小さな子供から社会人、弁護士にテロリストとあらゆる人々が利用している。今晩のメニューを探せるし、エッチな動画だって見放題だ。アダルト関連は支払形態の簡易化で増益になっているらしい。軍事産業の新兵器の流出写真や、メキシコ上空を飛ぶUFOの動画、法に触れる商品の売買情報などなど、真偽は兎も角として探せばいくらでも出てくるだろう。政治思想に関する制限や、株式の不正操作、言論弾圧や表現規制などが行われているという話も聞かない。むしろ情報統制の厳しかったいくつかの国は、《XTENDネットワーク》が広まったことで、デスクに頭を打ちつけているほどだ。人間を不要としたAIが人類浄化作戦に乗り出す気配も今のところはないので安心だ。

 インフラを制圧したAG社の地球侵略計画は今も進行中で、次に狙っているのが通貨だ。

 その最終兵器がXFW(エクステンデッド・ファンタジー・ワールド)。昨年の冬にAG社のゲーム部門から提供され、若者を中心に全世界規模で大ヒットしている多人数RPGだ。

 西洋ファンタジーをベースにしながらも、侍やスチームパンクなど様々なデザインを取り込んだごった煮のよくある世界観だ。ゲーム内容も至って単純、クエストの謎を解いたり、モンスターを倒したり、ダンジョンに潜たりしてアイテムを手に入れて、自分のキャラクターを強化する。そしてさらなる強敵や手強いクエストに挑むという、典型的なハックアンドスラッシュタイプのゲームだ。基本操作はアクション寄りだけれど、職業によってはゲーム性が大きく変わるのが特徴だ。例えばガンナー系ならFPSのように戦えるし、サマナー系なら召喚したユニットをRTSのように操れる。さらに踊り子や楽師はスキルの威力を上げるのに、リズムゲーム的な操作が求められる。そういった意味では自由度の高いといえるが、逆に言えばその専門のゲームをプレイすれば済む話だ。XFWが人気なのには別の理由がある。

 XFWの最大の特徴は実際の地理を利用していることにある。アグリアース社が提供する地図情報サービス《ガーデンアース》を元にマップは作られているので、現実世界の町並みを自分のPCと一緒に旅ができる。例えば、道の角から現れたスライムと激闘を繰り広げたりだ。オートモードにしておけば、効率は悪いけれどPCが勝手に戦って、経験値やアイテムを貯められる。とはいえ、時々強いモンスターに遭遇して知らない間にPCが倒れていたりもする。

 もちろん、ただ歩いて数値を増やすだけでは万歩計と変わらない。退屈な現代人は血沸き肉踊る大冒険を求めているのだ。

 駅やショッピングモールなど公共の場にあるエクスフォンの大規模アクセスポイントが、そのままゲーム内で《ポータル》と呼ばれる場所になっている。ポータルでクエストを受注すると、現実の町並みが切り取られゲーム内でファンタジックなダンジョンに変換される。例えばショッピングモールが粉塵の舞う古代遺跡になったり、森林公園が凍てつく大雪原になったりと様々だ。公式の大規模イベントでは街一や山一つがダンジョンになった事もある。そこを冒険することによって、より強い武器やレアアイテム、素材を入手することが出来るのだ。

 AR(オーグメンテッド・リアリティ)の進化系でXR(エクステンデッド・リアリティ)なんて呼ばれている。

 そしてなんとも素晴らしいことに、この魅力的なゲームXFWも無料で提供されている。なぜそんなことが出来るのか? 文字通り現実とリンクしているってことがミソだ。個人や店舗所有の小規模アクセスポイントも利用料を払うことでポータル化できる。ポータルには集客効果が見込めるし、ゲーム内広告を常駐させられる。

 またAG社と提携している企業のショップで買い物をすると、その金額に応じてゲーム内ポイントが加算される。ポイントはゲーム内通貨とは別扱いで、レアアイテムと交換できたりする。XFWプレイヤーは積極的に提携ショップを利用するわけだ。他にも大規模なコラボイベントが開かれれば、数十万から数百万の人間が参加する。その広告効果は絶大だ。

 これだけ広く人気があると、RMT(リアルマネートレード)で儲けている人もいる。公式に禁止されてはいないので、海外では一財産つくったなんて話もあるけれど、日本ではRMTプレイヤーはけっこう嫌われている。いつの日かXFW内の通貨が、そのまま電子マネーとして使える日が来るなんて予想を発表した経済学者がいるくらいだ。

 インフラに通貨、さらにはXFWを通じてライフスタイルさえもAG社は支配しようとしている。妄想を差し引いても、皆このゲームに魅了されているのだ。

 そんなシステマチックな世界征服が完了していても、日本の高校生の生活はそれほど変わらない。第二次世界大戦の終結から100年も経っているのだから、義務教育ぐらい大改革が起こっていても良さそうだ。とはいえ、戦争の100年前もだいたい同じ。

 若者は学校という大きな箱へ行って、あいも変わらず勉強をするだけだ。


 息を乱した八雲が教室の前に着いたのは、朝一番のチャイムが鳴る八分前のことだ。ちょうど遅刻ギリギリ組と部活終わりの生徒たち、それに他クラスの生徒が行き交っていて、教室の狭い扉がちょっとした渋滞を起こしていた。八雲はその混雑が解消されるのを、廊下で待ってから、そっと教室の中へ入った。

 窓側から二列目の最後尾は八雲の席だけれど、その机がクラスメイトの尻に占拠されていた。まだ名前を覚えていない彼は、前の席の橋本くんへ熱心に音楽の話をしていた。もうちょっと近づいてその横顔に視線を送ってみたけれど、彼はこちらに気づかない。視界に入りやすいだろう橋本くんの方に目線を変えてみたけれど、やはり気づいてもらえない。二人の会話を遮って強引に席に座ることはできないし、退いて声をかける勇気もない。八雲は一歩後ろに下がると、教室の後ろにある自分のロッカーの扉を開け閉めして時間を潰した。

 しばらくすると、橋本くんの友達は他のクラスメイトたちが席に座り始めたの気づいて占拠していた席を開放した。その席を待っていた八雲の事を彼は最後まで気付かなかった。

 ようやく席についた八雲は生温かくなっている机を軽く手で払うと、ロッカーから持ってきた教科書やペンケースを机に入れた。家で宿題をするときは電子版の方を使うなので、実物の教科書とノートはいつも教室に置きっぱなしだ。体育が無い日は学校に手ぶらで来ている男子生徒は結構いる。女子生徒は色々と身だしなみ道具が必要なようで、ほとんどが大なり小なり鞄を持ってきている。

「めずらし~、いつも早いのに今日は遅刻ギリギリって、電車の遅延でもあった?」

 橋本くんがまた唐突に喋りだしたので、八雲は驚いて顔を上げた。まさか自分に話しかけているのかと思ったけれど、違った。斜め前の席(橋本くんの隣の席)に座った田所くんに話しかけたのだった。

「いんや、違う違う。乗り換えの駅でエクワのイベント始まってさ。朝からレッドドラゴンぶっ倒してきた」

 席についた田所くんはエクスフォンを鞄にしまい込みながら答えた。そういえばイベント中に同じ王英高校の制服を見かけたような気がするけれど、それが田所くんだったか定かではない。

「へー、レイドイベントか。なんかイイもん拾えた?」

「竜骨の大剣ゲットした。しかも火属性の波動つき」

「マジか! 大当たりだろ、それ! くっそー、そんなラッキーなら遅刻しちまえば良かったんだ」

 大げさに羨ましがってみせる橋本くん。彼は本当によく喋る人だ。1日の会話量は常人の三倍ぐらいかもしれない。プリントを回してくる時に、こちらにも話しかけてくれたりするぐらいだ。そのたびに八雲は上手い返しができず、「あっ」とか「うっ」とか、短い言葉で会話を詰まらせてしまう。心苦しく思っているけれど、他人に話しかけられるのは苦手だった。

「いやさ、本当は遅刻覚悟してクエストに参加したんだけど、上手い奴がいてなんとか電車に間に合ったんだ」

「有名人?」

「《通り魔ジャック》だったらしい」

「マジで?!」

 かぶせ気味に放たれた橋本くんの咆哮攻撃(シャウト)に、八雲は二重の意味で身体をビクつかせた。

「そういう風に話してる人がいたんだ。実際、俺もそいつのカボチャ頭は見たぞ」

「どんなだった? 噂通り超つえーの? 一人でレッドドラゴン倒しちゃった感じ?」

 興奮した橋本くんは身を乗り出した拍子に、机の上に置きっぱなしだった財布を落としてしまう。親切な田所くんはその鞄を拾い上げながら、質問に答えた。

「見たのは最後のとこだけだけど。カボチャ頭が一人でレッドドラゴンの逆鱗ぶっ壊して、そんで、死んでた」

「死んでた? ジャックが?」

「吹っ飛ばされて落下死」

「ぶはっ! 落下死ってマジかよ!」

「マジだよ、メッチャ笑ったは」

「いやいや、そこは笑わずに尊い犠牲に手を合わせとけって。そのお陰で遅刻せずにすんだんだろ?」

「いや、そうなんだけどさ、あっ、こんだけ強いプレイヤーでもあっさり死ぬんだって思ったらダメだったは」

 あのシーンを思い出したのか、田所くんが頬を緩ませる。八雲は恥ずかしさに耐え切れず、突っ伏して吹き出しそうな顔面を机に押し付けた。

「でも、いいよな~。俺の通学中にもレイドイベント起きそうな場所が欲しいよ。さすがに酒屋のヤママサじゃ、レッドドラゴンは現れてくれないもん」

「いやいや、家から学校が近いほうが絶対にいいって。通勤電車とかメッチャ混んでるからな。俺も最初は良かったけど、一週間で飽きたね。チャリ通が羨ましいよ」

「まあチャリ通は楽だけどさ、それでも電車通学は憧れるって」

 スピーカーからチャイムが流れ始めたけれど、橋本くんはまだしゃべり続けている。

「定期があればエクワも有利だし、学校終わったらそのまま遊びにいけるし、もしかしたら同じ電車の女の子が一目惚れしてくれるかもしれないし――」

「はい、席ついて。ホームルーム始めるよ」

 橋本くんが電車通学への夢を切実に語っていると、教室の正面ドアから担任の藤島綾子先生が入ってきた。

「静かに。お喋り男はモテないよ」

 藤島先生の切れ長の目で睨まれた橋本くんが、バツの悪そうな笑みを浮かべた。色事に疎い八雲でも分かるぐらい藤島先生は大人の女性の魅力で溢れている。注意された橋本くんだったけれど、赤くなった耳が少し嬉しそうに見えた。

「葛西は今日も休みで……、如月はまた遅刻か?」

 出欠確認を終えて教室を見回した藤島先生がタブレットに入力しようとした時だ。後方にあるドアが開いて、女生徒が入ってきた。

「もうチャイム鳴り終わったぞ、如月」

 手を止めた藤島先生が呆れ気味に咎めた。

「すみませーん、早朝の撮影がちょっと長引いちゃって」

 如月さんはあくびを噛み殺すような気怠げな声で答えた。

 今まで藤島先生にだけ注がれていたクラスメイトたちの視線の半分が、彼女の方へ向けられた。まるで戦力図が赤と青で塗り分けられたかのようだ。

 それほど如月芹佳さんは目を引く女の子だった。スラリと伸びた足に高い腰の位置、長い髪はベールのように広がっていて魔力が高そうだ。ぱっちりとした瞳は星でも宿っていそうなぐらいキラキラしている。意志の強そうなツンとした鼻筋の角度はきっと神様の秘密の数字が隠されているに違いない。桜の花びらのような唇は、吸血鬼のように誰かの血を吸っていそうな怪しげな魅力があった。少し大きめのカーディガンを着ていても、そのプロモーションの良さは隠せていない。ゲーム開始直後のキャラクターメイクで再現するには、15年かかっても無理そうだ。

「仕事で遅刻する時は、事前に学校へ連絡をだせと言ってあるだろ」

 如月さんは学校に許可をとってモデルの仕事をしている。よく知らないけれど、橋本くんや他のクラスメイトが彼女のことをそう話していた。これだけ綺麗ならきっと人気モデルで忙しいのだろう。

「えっと、急に決まったんで連絡忘れてましたー」

 如月さんは悪びれた態度は一欠片もなく答えると、猫のような悠々たる歩みで教室の後ろを横切って行く。

「気をつけろよ。小さな不信の積み重ねが、いつか決定的な破滅を導くぞ」

「はーい、気をつけまーす」

 キリギリスだってもっと真面目に返事をするだろう適当な返事だった。如月さんの席は窓際の最後尾、つまり八雲の左隣の席なので、すぐ後ろを通り過ぎて行った。ふわりと何かいい匂いがした。如月さんは机の上に鞄をどすん置くと、中をゴソゴソと探りはじめた。

 藤島先生はタブレットを一瞥すると、別の話題に切り替えた。

「ここから少し離れているが、野良犬が人を襲う事件が相次いだそうだ。保健所の職員が探しまわっているがまだ見つかっていない」

 学校からの一斉メールで送られてきた注意喚起だった。行事などの連絡メールは全校生徒が受信必須だけれど、読んでいない人やフィルタで弾いたりしている人もいるらしい。だから、ホームルームでの連絡は高校生になっても変わらず存在していた。

「もし校内や周辺で飼い主のいない犬を見つけても、変なちょっかいを出すなよ。狂犬病ということはないだろうが、噛まれたら破傷風になるかもしれん。すぐに警察に連絡しろ。以上だ、今日も一日勉学に励め」

 藤島先生はタブレットのカバーを閉じると、颯爽と教室を出て行った。教室内にそよ風が吹き抜けたように、緊張感が緩む。クラスメイトたちは1限が始まるまでの少しの時間を利用して、教科書の準備をしたり、寸暇を惜しんでお喋りをしていた。

「ねえ、ちょっと」

 爽やかさの中にほんのりと甘みのある声が、八雲の左耳に届いた。驚いた八雲は教科書を捲っていた手を離してしまう。

「ハッ! は、いっ……」

 八雲は驚いて息をつまらせた。固まった手元では、あまり折り目のついていない教科書がひとりでに閉じていく。雨ざらしで錆びついたロボットみたいに、頭をギリギリと左に向けると話しかけて来たのは、当然だけれど如月さんだった。

 何かの間違いかと思ったけれど、如月さんの長い睫毛がぱちりと動き宝石みたいな瞳がこちらを見ていた。

「智代、今日も休み?」

 如月さんの口から女性の名前がいきなり飛び出して、八雲は酷く慌てた。頭の中が真っ白になりかけたけれど、現状からどうにか『智代』が葛西さんの名前だと思い当たる。入学してすぐの座席が名前順だったので、なんとか記憶に残っていたのだ。

「休み、だと思います……」

 八雲は如月さんの視線から逃れながら小さな声で答えた。こんな至近距離で目を合わせていたら、MPを吸い取られるか、魅了状態にされてしまいそうだ。そうやって、目を合わせないように視線を下げると今度は別の問題が発生した。如月さんは着ているシャツの首もとを開けていて、さらにリボンタイを緩めているせいで、鎖骨の稜線が見えてしまっていた。彼女の顔を見続ける度胸なんてないし、かと言ってこれ以上視線を下げたら胸元に目が行ってしまう。こうなったら、如月さんの方から身体の向きを変えてもらうしかないのだけれど、上手くはいかなかった。

「先生はなんか言ってた?」

 何故か如月さんは重ねて質問を続けた。こちらからの情報伝達に何かミスがあったのかと、八雲は混乱した。野犬のことが頭をチラついたけれど、それは如月さんも聞いていた。そもそも文脈から考えて、質問は葛西さんについてだ。

「と、特に何も……なかったと、思います……」

 思い出すことなんて無いのに、八雲は何かを思い出すように首を少し捻って視線をあさっての方向へ向けた。

「そっか……うん、分かった。あんがとねー」

 如月さんは鞄からエクスフォンを取り出すと、ささっと何かを打ち込み始めた。二人は仲が良いみたいだから、葛西さんにお見舞いのメールでも送るのだろう。横目で見ているのも失礼なので、八雲は授業の準備に戻った。

 しばらくして、国語の大河原先生がやってきた。名前は強そうだけれど、優しげな風貌のお爺ちゃんだ。少し文字が小さいけれど、声は聞き取りやすいし、授業も分かりやすいので八雲が好きな先生だった。

 授業が始まってからも如月さんはエクスフォンを教科書で隠し、画面を見つめていた。しかし、5分もしないうちにうつらうつらと船を漕ぎ始めて、ついには机に突っ伏して寝てしまった。早朝のモデル撮影というのは、きっと大変なことなのだろう。大河原先生も如月さんの寝姿に気づいていたけれど、特に気にした様子もなく授業を続けた。


 始まり(オープニング)があれば、終わり(エンディング)もあるけれど、途中で一区切り(セーブ)するのもありだ。というわけで昼休みの時間がやってきた。

「えー、それでは次回までに問題17から20まで解いておいて下さい」

 チャイムが鳴り授業が終わるとすぐに、左隣で席を立つ気配があった。午前中の授業時間のほとんどを睡眠か先生に隠れてエクスフォンを使うことに費やした如月さんは急ぎ足で教室を出て行った。きっと早朝の仕事と睡眠で空腹度が0になっているのだろう。

 今日は八雲も購買か食堂まで行って食料を調達しなければならない。普段はコンビニで昼食を買ってくるのだけれど、赤竜を狩っていたためその時間はなかった。食堂の雰囲気は苦手だし少々都合がわるいから、購買で食べ物と飲み物を買うことに決めていた。すぐに出発しないのは混雑を避けるためだ。トリプルサンドや山賊おにぎりなどの人気商品は手に入らないだろうけれど、押し合いへし合いするのは嫌だった。

 ゆっくりと教科書を片付けたりしていると、お弁当派のクラスメイトはすでに食事を始めていた。田所くんも橋本くんの前の席にやってきて、二人で楽しげにお弁当を広げている。

「そういえばさ、如月さんって最近遅刻と早退が多いよな」

 ちらりと後ろの席に視線を向けた田所くんが、思い出したように言った。

「モデルの仕事が忙しいんでしょ? EQ(エバーキュート)のサイトトップ飾ったとか女子が言ってたね」

 さすが誰とでも気さくに話せる橋本くんだ。彼が前の席じゃなかったら、クラスメイトの事なんて何一つわからないままだ。

「確かに忙しいんだろうけどさ、そんな朝早くから撮影なんてやるか? 俺は恋人なんじゃないかと疑ってる」

 田所くんは少し声のトーンを落として言った。

「えっ? 如月って付き合ってる奴いるの! ショックー」

 ぽろっとご飯の上に落した玉子焼きを橋本くんは箸で突き刺した。

「いや、知らねえけどさ、他のイケメンモデルとか芸能人とかさ、業界人的なのと出会うチャンスもあるだろ。如月さんが大人っぽいのって、そういう付き合いがあるからじゃない」

 田所くんの齧ったコンビニのおにぎりから、海苔の欠片が落ちてヒラヒラと舞った。

「俺の夢を壊さいないでくれよ~」

「夢見てどうすんだよ。如月さんがお前と付き合うわけねえだろ」

 田所くんの乾いた笑いがテーブルにくっついた海苔を吹き飛ばした。

「わっかんねえぞ。彼女が悪漢に襲われているところを助けて、ひと目惚れなんてことがあるかもしれないだろ。若者の可能性はゼロじゃないんだ!」

 橋本くんは力説しているけれど、田所くんはシラけた様子で二個目のおにぎりの包装を開けていた。

「そんなシチュエーションは未来永劫やってこねえよ。つーか、すでにクラスメイトなんだから『ひと目』じゃないだろ」

「なら友達からってことで」

 完膚なきまでに否定されてもなお、橋本くんは食い下がる。田所くんに何を言っても、如月さん本人には何も伝わらないと思うけれど、橋本くんは必至なようだった。

「友達ねー、如月さんって上級生とかから告白されたって噂は聞くけど、同級生とはあんまり絡んでないよな。葛西さんぐらいじゃね?」

「あの二人って同じ中学だっけ。葛西さんはおとなしい感じで、如月さんとは全然違うタイプっぽいのに、仲良いよね」

「裏では二人してすっげー遊んでるかもよ。そういえば、葛西さんが男の人達と歩いてるの繁華街で見かけたって『噂』もあるしな、そういう意味なら、お前にもチャンスあるんじゃね」

「まあ、そういう感じでも俺は全然OKだな。如月さんって経験豊富そうだし――」

 少し気分が悪くなった八雲はエクスフォンを手にして静かに席を立った。橋本くんと田所くんはまだ何やら話し続けていたけれど、これ以上は無責任な噂話を聞きたくなかった。

(変な噂は嫌だな……)

 八雲は人混みを我慢して購買へ向かうことにした。

 生徒たちが廊下を行き交う雑然としたベクトルで満ちる廊下を八雲は一人で歩いていく。歩きエクスフォンは校則で禁止されているので手持ち無沙汰だ。校内ネットでXFWのサービスは提供されていないけれど、他のダウンロードタイプのゲームなら普通にプレイできる。ゲームさえプレイしていれば、他のややこしい感情は全部自分の外に置いておける。

 食堂の脇にある購買は当然のように黒山の人だかりができていた。ピーク時はすでに過ぎているけれど、攻城戦で敵陣の門扉を落とす際にプレイヤーが殺到するぐらいの混雑度だ。発生無敵の吹き飛ばし範囲攻撃を持っていないので、おとなしくこの戦場に身を投じなければならなかった。

 人垣の薄そうな場所を選んで、八雲は制服の群れに突撃した。一度目は恰幅の良い男子の背中に弾き返され、二度目でなんとか群衆に混ざることができた。左右からの圧力は相当なものだったけれど、その隙間(シャイニングロード)を見つけて食料が並ぶ籠を目指した。女子生徒に足を踏まれて転びそうになったところを、割り込んできた男子生徒に脇腹を肘で打たれた。悶絶しながらもようやく、購買のおばさん店員たちが並ぶカウンター前にたどり着いた。一刻も早くこの場を脱出しなければ、スリップダメージで倒れてしまう。吟味している時間なんてないと、手近にあった包装を二つ手にしておばさん店員に突き出す。鑑定スキルがマックスのおばさんは一瞬で商品を判断し、手持ちの端末をピピっと二度タッチする。八雲は突き出されたセンサーにエクスフォンをかざし支払いを済ませた。すぐさまカウンターの前から、ズルズルと身体を横へ滑らせなんとか人混みを脱出する。ようやく手の中の包装を確認すると、コロッケパンとハムチーズコロッケパンだった。コロッケパンはコッペパン型で、ハムチーズコロッケパンはバーガー型という紛らわしい仕様のせいで発生した悲劇だ。ラスクとチョコレートラスクのサクサクコンボではなかっただけ良しとするしかない。

 少し離れたところに並ぶ自販機の方は空いていた。普段ならパックのみかんジュースを買うところだけれど、炭水化物のオンパレードに今日は自販機で500ミリのお茶を買った。

 八雲は教室に戻らず、昇降口で靴に履き替え校舎から出てく。優にサッカーコート三面分はある広い校庭を横目に、校舎の裏手へ足をのばした。

 王英高校は今年で創立84年を迎える、そこそこ伝統のある普通科高校だ。全校生徒数は432人ほどで、そのうちネット授業生は60人ほどだ。通学生徒だけで約370人というのは、この少子超高齢化時代においては多い方だろう。とはいえ、入学パンフレットによれば、大昔の王英高校は1200人もの通学生徒を抱え、マンモス校なんて呼ばれていたらしい。立て替える前の校舎の模型が図書室に置いてあるけれど、四階建ての建物に窓がずらりと並ぶ姿は、教育施設というより巨大な工場か何かのようだ。20年ほど前に大改築が行われ、三分の一が真新しい校舎に立て替えられ、三分の一が倉庫や部室棟として残され、残りが更地に戻された。

 校舎は縮小されたのに、敷地自体はそのままなので王英高校は土地が余りまくっている。用務員さんたちも頑張っているのだけれど、手が回らない場所もある。八雲が向かったのも敷地の端っこにある、忘れられた庭園だった。

 庭園といっても雑草が好き放題伸びた煉瓦の囲いがあって、水が枯れ茶色く汚れた噴水があるだけのうらびれた場所だ。来歴が気になって、図書館でこの庭園のことを調べたら、創立10周年記念に卒業生の寄付で作られたらしい。月日は流れ、その人たちの思い出の残滓はもう残っていない。

 わざわざこんな場所に向かっているのは、学校外のアクセスポイントに接続するためだ。もちろん構内でもエクスネットは使えるけれど、XFWのサービスは提供されていない。学校内には生徒が仕掛けた他の接続場所もあるようだけれど、八雲はその場所もアクセス方法も知らなかった。

 八雲が木陰の道を抜け庭園に近づくと、石造りのベンチの方から人の気配があった。不良か不審者のどちらかと思った八雲は、枯れた噴水を回り込んだ。

(せっかく見つけたアクセスポイントが……)

 もし不良のたまり場になっているのなら、一見穏やかなセーブポイントが、実は学校一の危険地帯といことになる。今まで誰とも遭遇しなかったのは幸運だったのだろう。たとえ不良たちが普段は放課後しか利用しないとしても、今日のようなイレギュラーな遭遇があり得る。

 それでも諦めきれない八雲は、ステルスゲームのように噴水の陰に隠れてベンチの様子を伺った。

(ぼくは心穏やかにゲームがしたいだけなのに……えっ?)

 覗き見た後ろ姿は女生徒が一人だった。何か見覚えがあるような気がする。

「なんでメール返してくれないの!」

 誰かと電話をしているのだろう怒った声が聞こえる。

(この声って)

 八雲は発見される危険を冒しながらも、噴水の後ろから身を乗り出し声の主の横顔を確認した。

「……風邪なんて嘘ついて学校休むなんて、智代らしくないじゃん!」

 思った通り如月さんだった。眉を上げた険しい表情でエクスフォンを握っている。さっきまで居眠りしていたとは思えないほど見開かれた瞳はとても辛そうだった。

「ずっと電話してたのに全然出ないし、出たら出たで様子が変だし。理由があるなら話してよ!」

 ちらっと名前が聞こえたけれど電話の相手は葛西さんのようだ。切迫した様子がひしひしと伝わってくる。とてもではないけれど、挨拶したりできる雰囲気ではない。

「……えっ? な、なに言ってんの…………関係ないとか、意味分かんないし! ホントにどうしちゃったの!」

 言葉から想像すると如月さんが一方的に葛西さんを責めているような印象を受ける。

「やっぱりあいつのせいなの? あいつの話するようになってから智代おかしいって! ……あっ、待って、切らないでっ!」

 電話を来られた如月さんは放心したように固まっていたけれど、すぐに自分を取り戻すと苦々しげに奥歯を噛みしめる。今にもエクスフォンを地面に叩きつけそうに見えた。

「……のせいよ……絶対に……」

 如月さんは自分に言い聞かせるように呟くと、踵を返し校舎の方に向かって歩き出した。その方向で近づかれると発見されてしまう。八雲は慌てて噴水をさらに回り込み屈んで身を隠した。

 ローファーが石畳を鳴らす音が遠ざかっていく。鉢合わせにならず八雲は、ほっと胸を撫で下ろした。

(けんかしてるのかな?)

 如月さんがあんな風に感情を露わにするのは、少し意外だった。それだけ葛西さんは気心の知れた大切な友達なのだろう。

(仲直りできると良いな……)

 八雲は購買で買った品物が入ったビニール袋を抱えてベンチに座った。勝手に心配することぐらいしかできないけれど、少し胸が痛んだ。ちょっとした誤解や、変な噂で仲違いするなんて悲しいことだ。

 底なし沼に片足を突っ込もうとしている感情を無理やり引き上げるべく、八雲はエクスフォンのスリープを解除した。XFWが起動したままだったけれど、サーバーからは切断されていた。ポータル画面に切り替えると、エクスフォンが自動的に学校外のオープンサーバーとの接続を回復する。この僅かなラグの間に、コロッケパンのラッピングを剥いて一口かじった。小ぶりのコッペパンにはウスターソースがたっぷりかかったコロッケと、これでもかと大量のキャベツが挟まっていた。少々食べづらいけれど、ジャガイモの甘みとソースのピリッとした酸味、そしてキャベツの新鮮シャキシャキ具合によだれが溢れだした。

 右手でコロッケパンを食べながら、左手で縦に持ったエクスフォンを操作する。メニューから『クラフト』を選んで、現れた9つのパネルから『錬金』をタップすると画面がアイテムイベントリーに切り替わる。小さなアイコンとアイテム名が名前順にずらっと並んでいる。クエスト中ではないので、倉庫内の所持アイテム全てがリスト上に表示されているためその数は膨大だ。とはいえ、目的の錬金レシピはすでに記憶しているので選ぶのは簡単だった。アイスマーメイドの鱗、アメジスト、純魔石、トレントの枝、虹色粘液、そして竜苔を複数選択する。実行ボタンを押して、確認画面で『はい』を選んで錬金が始まる。

 6つのアイコンが魔法陣の上に六芒星の形に配置されていた。演出が始まると、魔法陣が光輝きアイコンを飲み込んでいった。アイコンの姿が完全に見えなくなると、魔法陣の中央に光の粒が渦巻き新たなアイコンが徐々に姿を表した。この紫と青が交じり合った色をした正八面体の結晶こそ求めるアイテムだ。

 ローレライの雫、武具に組み込むことで衝撃と鈍足への耐性が上昇する。追加効果をチェックすると、魔力アップ3%と詠唱短縮5%がついていた。蒼天の兜に付けようかと思っていたけれど、次に作る予定の氷蝕の杖の方が相性が良い。コロッケパンを食べながらそんなことを考えた。

 他に錬金するものはないので、メニューから『情報』を選択し、さらに『エリア掲示板』を選択する。XFWの公式ニュースはネット経由でも確認することができるが、地域ごとの掲示板はそこに属するサーバに直接アクセスしないと閲覧できない。

 【良クエスト配信ポータル情報】【現状の育成方針(仮)】【濱月駅周辺の救援依頼】【最強装備考察】【戦神の斧売って下さい!】【デビルサマナーへの転職方法教えてください!】【まったり雑談】【初心者お助け情報】【裏アプリの噂】【鳳凰華の蜜クエスト一緒に回ってくれる人募集中】【アークデビルギアから始まる無限しりとり】【不確定スライムの倒し方を探すスレ】【ギルドメンバー募集中! 濱月周辺で活動できる人】

 更新順に大量のスレッドのタイトルが表示された。攻略に役立つだろうスレッドに興味を惹かれるけれど、八雲には明確な目的があった。メニューを開いて検索をかける。キーワードは『ジャック』だ。

 神秘のアルゴリズムパワーで検索は一瞬で終了し、個別の書き込みとスレッドのタイトルがずらりと出てくる。ヒット数は3000程だが、鍵付き(パスワード)付きは弾かれているので、実際の投稿はもう少し増えるだろう。

 まず目につくのは今朝のレイドイベント関連の投稿だ。ジャックを見たとか、ジャックがチートしてるとか、ジャックが落下ダメージで死んだとか、橋本くんが好きそうな話が大半だ。

 そこから少し時間を遡って行くと、懸賞金の話になり、求めていた情報に変わっていく。

『昨日ジャックが野良パーティー襲って壊滅させたって』『ジャックの野郎、不正アプリ使ってるらしいぜ』『ジャックからヤバい薬買った奴が病院運ばれたってさ』『ジャックが配ってるアプリをインストールすると端末が壊れるらしいよ』『四葉ビルの事件ってジャックがやったらしいね』

 求めていたのはこの悪評だ。見に覚えのない噂だけれど、《ジャック》はこの噂に困らされていた。

 そもそも八雲自身は《ジャック》なんて名乗った事は一度もない。他のプレイヤーたちが勝手に呼び始めたのだ。XFWは実際の地理を利用しているゲームの性質上、プレイヤーの生活圏がそのままフィールドになる。キャラクターの操作可能範囲が50メートルあるとはいえ、プレイヤーとそのPC(プレイヤーキャラクター)を結びつけることは可能だ。

 そこでXFWはバトル画面などではプレイヤーネームが非表示になっている。発言がPCからの吹き出し形式になっているのはそのためだ。ただし、フレンド同士になればプレイヤーネームが表示されるし、他人からは見えない個別チャットやメッセージも使える。

 XFWを最初期からプレイし、様々なイベントで活躍している八雲は、そこそこの有名プレイヤーだった。普通そういった有名プレイヤーは、同じギルドのメンバーや、リアルの知人からプレイヤーネームがバレているものだ。しかし、八雲は誰とも交流せずフレンドは0のまま、たった一人でXFWをプレイし続けていた。だから《ヤクモ》の名前を知る者はいない。

 活躍すれども名前は分からない。ただ、そのプレイスタイルからヤクモの職業がパンプキンナイトであることが知られていた。そして、専用装備であるパンプキンヘッドを愛用していることから《ジャック》と呼ばれるようになった。

 八雲自身は他人にどう呼ばれようと気にすることはなかった。しかし、ここ一ヶ月ほどで少し事態が変わってきていた。やってもいない《ジャック》の悪評が広がり始めたのだ。

 最初はただの嫌がらせだと思った。意地の悪い誰かが面白半分に根も葉もない噂を流しているだけ、飽きたら止めるだろうと考えて静観していた。しかし、この悪評は途切れるどころか、多くのプレイヤーからネット上に報告されるようになった。まるで都市伝説ができあがっていくように、得体のしれない気味悪さが《ジャック》を取り巻き始めたのだ。

 そうなると八雲としても、ただ黙って噂が広がるのを見ているわけにはいかない。情報を集め、噂を辿っていった。

 そうして分かったのが、どうやら別のジャックと名乗るプレイヤーが悪事を働いている事だ。

 簡単に対処することもできる。アカウントを作りなおしたり、エクスフォンの二台目を持って、一からやり直すという方法だ。しかし、それはXFWにつぎ込んだ膨大な時間を失うということを意味している。レアアイテムや鍛え上げた武具、スキル熟練度は惜しいし、なによりパンプキンナイトの職業(ジョブ)は限定ものなので、現在は入手方法が存在しない。XFWはジョブ変更ができるけれど、ヤクモのジョブは事実上固定されている。

 パンプキンナイトのメリットは、全職業の専用装備が使えることにある。一部のイベント装備なんかは無理だけれど、現存する武具の95%は装備できる。もちろん、武具に付いているスキルも利用できる。

 デメリットはとにかく低すぎるステータスだ。力は魔法使いを下回り、魔力は格闘家を下回り、素早さは重戦士を下回る、ぶっちぎりの最低値だ。まともにダメージを与えるには、デメリットのある倍率系装備をつけた上で、敵の弱点をついたりしなければならない。特に有効なのが専用装備のパンプキンヘッドだ。これは全身の装備のレアリティが低ければ低いほどステータス補正が得られるという代物だ。倍率系の装備はレアリティが低いけれど、強化には激レアイテムが必要で集めるのは時間がかかる茨の道だ。

 もちろんプレイヤーとしての苦労が水泡に帰すのも嫌だけれど、なにより嫌なのは、『ゲームに負ける』ことだった。だからこうして、八雲は暇な時間を見つけては《偽ジャック》の情報を集め、対抗策を考えていた。

 いつの間にかコロッケパンがなくなっていたので、次はハムエッグコロッケパンに手を伸ばす。バンズの間にコロッケとハムエッグが挟まれているバーガー型だ。形は違えど、また同じような味かと若干うんざりしながら一口食べると、様子が違った。たっぷりのタルタルソースが、刻みピクルスの旨味&酸味とマヨネーズが美味しさを強烈に主張してきた。目玉焼きのコクとハムの濃いめの塩っぱさ、そしてコロッケのジャガイモの甘みを、濃厚なタルタルソースが調律者のようにまとめあげている。コロッケパンがHP50%回復なら、ハムエッグコロッケパンはHP50%回復とMP30%回復で、さらに防御力上昇の効果もありそうだ。

 ハムエッグコロッケパンをもぐもぐしながら、目は掲示板のログを追っていく。情報の真偽の程は確かではないし、絶対にネタだろうという書き込みも多い。砂粒の中から小さなメダルを探すような作業だ。なかなか有力な情報が見つかるはずもない。無駄なことをしているかもしれないという考えがチラつきながら、時間だけが過ぎていった。

 ハムエッグコロッケパンも少なくなり、午後の授業開始までもう時間が無くなる。最後の一欠片と思って放り込んだパンが大きすぎて、喉に詰まった。こんな場所で倒れた誰も助けてくれないと、急いでお茶を流し込むと激しくむせてしまった。飛び出したお茶がエクスフォンにもかかってしまう。防水性能は高いので壊れる心配はないけれど、慌てて制服の袖で拭いた。その拍子に画面をタップしてスレッドの一つが大きく開いてしまった。


『ジャックさん

 あなたの力が必要です。

 今日の夕方4時に濱月駅前のポータルで待っています。

 どうか助けて下さい』


 そのシンプルな張り紙の投稿日を確認すると、まさに今日だった。

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