第6話 父の話 退院した日
ところで、病室には、短くても5時間はいた。
なかなかに暇なので、鶴をおることにした。
名付けて、「オトンを元気づける千羽鶴プロジェクト」だ。
病室にメモを残して、折り紙を置いておくと、叔母達も一緒に折ってくれた。
「プロジェクトに参加しといたで~」
みると、鶴が増えている。形がすごくいびつなのが、たぶん叔母のである。私もせっせと鶴を折っていると、やってきた看護婦さんが
「あら、千羽鶴折ってくれよるよ」
「はい」
「父を元気にするプロジェクト(笑)」
「はい」
ちなみに千羽いかなかった。
150羽鶴だった。父は退院したのだ。
お見舞い三回目くらいから、急に父が元気になった。
同じ会話を繰り返さないのだ。最初は張り紙の効果かと思った。
しかし違う。表情がいつもと全然違うのだ。そして軽口をたたくのだ。
その日の夜、せっせと鶴を折っていると、父がこういった。
「鶴折る暇があったら、焼き鳥でも買ってきてたべよや」
父に食べ物をリクエストされたのは初めてのことだった。
食欲がわいたのは、とても良いことだ。
「かってこよか?」
「おう」
「優しい娘やでほんま」
「親の教育がええんや」
「どの口が言う」
たったこれだけの会話に、どれだけ重みがあったことか。
たったこれだけの会話をするまでに、どれだけの時間がかかったか。
9日。地元の叔母と母がやってきた。
父はもうすっかり元通りになっていた。
その日の夜、母と地元の叔母と私の三人で焼肉に行った。
父が倒れた日に行った焼肉は本当にまずかった。おなかを下した。
なので、リベンジである。
その日入ったお店は、本当に本当においしかった。
私の中では打ち上げだった。
前日が母の日だったので、LASHで買ったギフトセットをプレゼントした。母からはムーミンのパジャマをもらった。なぜか女児用だった。キレて脱ぎ捨てた(かろうじて着られた)
母が「あんたと叔母ちゃんとでホテルに泊まらんかい」と言う。
叔母はわかるが私を泊めてどうする。母は明日、父を連れて帰るために何時間も車を運転するのだ。
「私が病室にいるからいい」と固辞したが、結局私が泊まることになった。
今回頑張ったから、らしい。頑張ったのはみんな同じだ。
叔母とは申し訳ないもったいないを連呼しながら泊まった。朝ごはんは最高だった。
翌日、退院の日。
叔父もやってきた。病室には、私と母と父と地元の叔母と神戸の叔父がいた。
大所帯だ。
先生と看護婦さんがやってきた。
大所帯にちょっと笑っていた。
看護婦さんが、協力ありがとうと言った。交代で見張ったこと。
神戸の叔母の言葉を思い出す。
私にとっては父なので、協力なんていうとおかしい、あたりまえのことなのだ。
それから、父は退院した。
神戸の叔母と従兄にお礼のメールを送った。
叔母の「また会う日まで」というメールがなんだかグッとくる。
従兄とは、今度従兄の出演する舞台を見に行くことになった。
没交渉だった親戚と急に距離が縮まった気がしてうれしい。
全員でぞろぞろと病室から出た。
エレベーターが狭いので、私は階段を駆け下りた。
母が支払いを済ませて、病院を出る。
やけに空が広かった。
久しぶりに晴れていた。私の心も晴れていた。
それから、母が運転する車で、叔母と父は愛媛に帰った。
父はこれから地元の病院に転院し、今度はアルコール依存症の治療をメインに行うらしい。
まだ記憶がとぶこともあるらしく、たばこを買おうとして怒られたらしい。
しかし、財布の中身は母が抜き取ってあるので不可能だ。
叔父が神戸の人なので、神戸駅まで送ってもらった。
この叔父も、もう何年も会っていなかった人だ。
幼少期に怒られた記憶があるので、本能的になんか怖い。
しかし、いい人だった。みんなみんないい人だった。
私の鞄の中には、まだ折り紙が入っている。
父の入院生活はこれからも続くのだ。
来月、祖母の法事で帰省するときに、残りの鶴を渡そうと思う。
それまでに千羽になっていればいいけれど。
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