第3話 父の話 そして倒れた。
そんな船乗りで酒飲みで喫煙者な父が倒れた。
以前、禁酒禁煙を勧める私に、父はこういったことがある。
「我慢して長々生きるよりも、旨いものを飲んで死んだほうがええ」
どうやらその時が来てしまったらしい。(生きてるけど)
以下は、父が倒れた当日の私の日記である。
*****
父が倒れた。父は船乗りなのだが、船内の階段から転落し、入院したらしい。知らせを聞いたときは驚いたが、屈強な父のことだから、大したことはないはずだ。なんせ、父は海の男なのだ。屈強な海の男だ。
そう思いはしたのだが、一応心配なので見舞いに行くことにした。転落した時たまたま関西にいたらしく、入院したのは兵庫の病院だ。兵庫ならさして遠くもない、そう思って電車に乗り込んだのだが、思った以上に遠かった。片道二時間かかった。往復で四千円。そして原因不明の停電で環状線が止まったため、足止めをくらい片道三時間。
幼少期、私はよく入院していた。お見舞いの時にもらって嬉しかったのは何だったか。父はグルメなので、下手に食べ物も買えない。そういえば、雑誌は結構嬉しかった。そう思い出し、人生で初めて週刊誌を購入し、病院に向かった。
たどり着いた病院は、なんだかどんよりしていた。悪天候というのもあったのだが、なんというか、こう、空気がどんよりしていた。そして久々にあった父も、どんよりしていた。父は寝間着を着ていた。驚いた。人生で初めて父の寝間着姿を見た。父はいつも、夜になると酒をしこたま飲んで半裸でひっくりかえっているのだ。
父 と母は、私を見て驚いた。そりゃそうだ。久々に会った娘の髪色が真っ赤になっているのだ(髪を一度脱色して真っ赤に染めていた)驚かない方がおかしい。父は「わしゃ余計頭が痛くなったぞよ」といった。
なんのこっちゃ。頭が痛い? 見ると、父は頭をケガしていた。骨折としか聞いていなかったので驚いた。縫ったらしい。脳が腫れているらしい。
先生と話すから、と母が席を立った。久々に見る父は、小さくなっていた。週刊誌を渡そうとしたが、すでに同じものが部屋にあった。不要になったので自分で読むことにしたが、すごくしょうもなかった。大人はこんなのがいいのか。(私ももう大人だが)
父はやけにゆっくりと話した。元々ゆっくりしゃべる人なのだが、いつも以上にゆっくりだった。そして、気づけば寝ている。起きて会話をしている時も、時々かみ合わない。聞けば短期記憶がないという。
なんだこれ、思ってたのと違うぞ。なんでこんなに重症なんだ。
父が寝てしまい退屈になったので、こっそりと病室の引き出しを開けてみた。書類が入っていた。「脳挫傷」とか「外傷性くも膜下出血」とか「高血圧」とか書いてあった。血圧は、たぶん酒のせいだ。父は一年三百六十五日毎日飲酒しているのだ。母から聞いたのだが、正常な人の肝臓の数値? を六十とすると、父のは三百らしい。
なんだそれ無茶苦茶じゃないか。もう酒もダメらしい。脳に悪いらしい。酒もたばこもやめるって、それもう誰だよって感じだ。
目覚めた父に「三時間と4千円かけて来たで」と言ったら、礼を言われて4千円渡された。そういうことじゃないのだけれど、もらえるものはもらっておく。
暫くすると、看護師(理学療法士?)の方がきて、リハビリをしましょうと言った。母についていけと言われたのでついていった。
リハビリ室には、人形が飾ってあった。病院には、いろんなところに人形や折り紙が飾られている。子供のころ、私はそれがとてもうれしかった。ここにいていいんだよと言われている気がしたからだ。しかし、今日はそれが嫌で嫌で仕方なかった。なんだ折り紙って。なんだ人形って。オトンを老人扱いするなよ。
言ったって仕方ないので、半泣きで(自分でももうよくわからないのだが)リハビリを見守った。
「目をつぶってください。これから足の指を触るので、どの指か当ててください」
そう言って、看護師さんが父の足の指を触り始めた。親指と小指の区別がついていなかった。
「なにぶんこういうことには慣れていないもので」
という父。そりゃ誰だって慣れてないわと笑った。
リハビリを終えて部屋に戻るとき、
「娘さんから見てお父さんはいつもと違いますか」
と聞かれた。違う。全然違う。こんなヨボヨボな老人は私の知っている父とは違う。私の父は海の男なのだ。屈強なのだ。屈強なはずなのだ。
次に眼科に行った。幻覚が見えているらしい。待っている間、母と昼飯の相談をしていたら、
「さっきの4千円返して。1万円あげる」
と言われた。6千円増えた。母が病室に財布を取りに行っている間、父に何度か話しかけたが、ほとんど応答はなかった。ずっと斜め上を見つめていた。そして「母さんは何しよんじゃ、遅いな」と三回ほどいった。
それから父を残して、病院を出た。母はこれから地元に帰るのだ。わたしも大阪に帰る。だいぶ心配である。
もらった1万円で、晩御飯を食べた。適当に入ったお店は、昔家族で行ったチェーン店。焼肉やケーキが食べ放題のお店だ。昔は地元にもあったのだが、つぶれてしまった。私の記憶にある、もっとも古い食べ放題のお店がここだ。
大好きなモンブランが食べ放題だなんて。お肉が食べ放題だなんて。まるで夢のようだった。ずっとどこのお店だったのか思い出せなかったのだが、やっと思い出した。そうだ、この店だ。
確かまだ幼稚園のころだ。肉より先にケーキを取りに行って、怒られた記憶がある。あの時と同じモンブランがあった。美味しくはなかった。お肉も全然美味しくなかった。ほとんど食べなかった。家族全員とのキラキラした思い出が、すこし壊れた気がした。
一万円からお釣りをもらった。結局、来る前よりも財布が潤った。潤ったはずなのに、何かいろいろ失った気がする。
気が重い。
父は仕事を辞めた。辞めざるを得ないよな。これからどうなるのか。大丈夫だとは思うけれども。心配することないとは思うけれど。ただ、病室で小さくなっている父のことを思い出すと、どうしても視界が滲む。
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