二節:おはよう
「――になりまして、この部分を……」
次々と黒板に書かれる白の文字を、生徒達がノートへと書きこんでいく。
それぞれが忙しなく頭を動かす中、黒板の前にいる先生は背を向けたまま、右手に持つチョークを頻りに動かし続けていた。
ふと左手に付けていた時計に目を向ける。
「……それじゃ今日はここまで。明日にはノートの提出を」
生徒を見渡すように、先生が教卓へと移動した。それに合わせるようにして、チャイムが鳴り響いた。
「起立!」
一人の男子生徒の号令と共に、一斉に椅子が引かれ、生徒が立ち上がる。
「礼! 着席!」
お辞儀をし、先生が部屋を出ると同時に生徒達は椅子へと座った。
始まる談笑。教室から出た何人かの生徒は、廊下にいた別の生徒と話を始める。その中に葉月識の姿があった。
笑顔を見せ合いながら、他の女子生徒と話を続けている。
しばらくし、葉月は手洗い場へと向かうため、その女子生徒と別れた。
廊下では別のクラスがそれぞれが集まり、楽しそうに話をしている。
葉月はその間を進む。その中に、一つの女子生徒の集まりがあった。
三人で集まり何かを話している横を、葉月が通り過ぎる。
――――――――――――
「高橋朱莉と関係のあった生徒はこの三人です」
葉月が机の上に三枚の写真を置いた。その一枚一枚には、女子生徒が一人ずつ写されていた。
遠くから撮られているためか、それぞれ視線を別の場所へと向けている。
「一枚目」
そう言いながら、葉月が右端の写真、ショートヘアーの部分に指を置いた。
「三年一組、東美佳。次に……」
細い指が真ん中の写真、ジャージ姿の胸元辺りへと移る。
「三年三組、江藤優美。で最後が……」
一番左端の写真、長い巻き髪へと指が重なる。
「三年四組、吉岡愛里、この三人です。休み時間、または休業日の際にはよく顔を合わせていました」
「……リーダーはこの吉岡愛理か?」
「その通りです。高橋朱莉と一緒のクラスにいた吉岡愛理がこのグループの中心にいるみたいです。ちなみに高橋朱莉とは一番親しかったようですね」
「他の生徒との接触については、どこまで調べがついている?」
「一応全て調べてはいますが、あくまでも噂、それとその証言者の個人的見解も含まれてますのでハッキリとは断定は出来ませんが……、東美佳は二年の時で、江藤優美は一年の時に同じクラスになっていると聞いてます。唯一、高橋朱莉とだけが、一年から三年まで一緒のクラスで居たみたいですね」
「一年から三年? それは長いな」
「はい、一応、偶然かどうかを教頭の方に聞いてはみたのですが、その通りだという事です。全体的の成績などを見てクラス分けは行われるらしく、双方にも学校側が影響されるような問題事などを起こしてはいなかったみたいなので、偶然そうなったと」
「それじゃ、朱莉の死を一番悲しんでいるのは吉岡愛理になるか……」
「はい。でも、お別れ会の時に様子を窺っていたのですが、涙を流しているような感じはありませんでした。他の二人も同じようにです。すでに泣き飽きた可能性はありますが……」
「まあ、それは明日の様子次第だな。もう中には入れたのか?」
「まだです。……早めにグループの中へと入りたいのですが、やはり日が浅いため中々入りにくいです。何かきっかけがあればいいのですが……」
「話すだけじゃダメなのか?」
ふと、上から龍麻の声が聞こえた。
顔を見合わせている二人の間に龍麻が座る。
「話してその中に入っていくとか?」
「あら? 盗み聞きとは感心しませんね」
「盗み聞きって……聞こえたんだからいいだろ?」
「それでもいいが、どこまで溶け込めるか、だな。一つの組みの中に入るというのはかなり難しい」
「んーそうなのか……? ただ話してれば自然と仲良くなってくると思うんだけどな……」
「それでは、ぜひ参考にさせていただきたいんですが、貴方の周りにいるお友達とは一体どうやって仲良くなったのですか? 最初の出会いとか」
「え? 最初? 最初は……」
龍麻が何かを必死に思い出すかのように、目を逸らし考え始める。
「んー、霧崎と僚……んー」
答えが出てこないのか、何度も頭を捻らせてた。
「まあ、最初の出会いなんてほとんど覚えてないだろう。特に友達同士の場合なんて。代わりに、断片的な記憶だけは強く残ってるはずだ。どこかに出掛けたとか、一緒に話した事とか」
「ああ、それなら覚えてるけど……」
「確か、霧崎や僚との出会いは小学校の時だろ?」
「ああ、小学校の時に会ったよ」
「で、最初に何を話した?」
「んー、それが思い出せないんだよな。他の事は覚えているけど、その部分は覚えてないな」
「人の記憶と言うのはそういうものだ。印象としては覚えていても、会話までは詳しく覚えてない。それはその場の空気が自然なものだったからだ」
「自然?」
「所謂、空気みたいなものだよ。その場にいる人や物などが全て目に見えないもので溶け込んでいたから、そのまま一緒になったって感じだ。だから覚えてないのも当然の事だよ」
「……よく分からないが、それなら違和感みたいなのがあれば、記憶に残るってことかよ?」
「当然」
「私との出会い覚えてますか?」
葉月が龍麻に顔を向ける。
その笑顔に、龍麻は顔を引き釣らせて小さく頷いた。
「ああ、そりゃもう、強く……」
「でも、会話の一言一句をハッキリと覚えてるわけじゃありませんよね?」
「そう言われればそうだけど……大体の内容としては……」
「もし、その状態で次の日に私と出会ったとして、一緒に遊びに出かける程までのお友達になれると思いますか?」
「そ、それは無理だろ! 俺は絶対に行かないと思う」
「私達がやろうとしているのは、そういう所までの事だよ。つまり、今日話し掛けて、明日には一緒に楽しくるんるん気分で買い物に出掛けようという仲にまで進展させようとしているんだ。そうしなければ、相手の内側までは探れない」
「話し掛けて距離を詰めてもいいですが、相手は三年生の方です。全く知らない人が話し掛けても一緒に買い物には行ってくれないと思います。学校内だけでお話をする仲でもいいのですが、それでは意味がありません。大事なのは姉様の言う通り、空気なんですよ。一緒に溶け込まなければ、今回の真相を見つける事は出来ません」
「……俺には難しい話だな。仲良くなるだけなら簡単だと思うんだが……」
「時間があれば可能だが、そんなスパイみたいに悠長している時間はない。相手は一年から三年という間に築き上げた関係だ。三年生にでもなると、身の回りにはそういうのが固まっているから新参ものが飛び入りしても、その中に入れるわけがない。それにそもそもクラスが違うからな。同じクラスならば、まだ可能性としてもあるんだが……」
「それじゃどうするんだよ?」
「話し掛ける何かのきっかけがあれば助かる。例えば、何かの行事での手伝いとか、相手が事故を起こした時に手助けしたりとか。別のクラスに居ても交流できる機会があればそれでいい」
「相手の問題が難解であれば難解であるほど、救ってあげるとその方への印象は深くなりますからね。距離も一気に縮まります」
ふと葉月が龍麻へと顔を向けた。
立てた左手に頬を乗せ、目元の涙ぼくろに薬指を重ねている。
その異様な視線に龍麻が気付いた。
「そうだ姉様、こういうのはどうですか?」
葉月が左腕を軽く広げ、言葉を続けた。
「ある不審の男性が、か弱き少女達の前に現れ不埒な衝動を起こそうとする。そこへ私が現れ、彼女達を救い出す」
「採用。それならその後すぐに溶け込める」
「……おい、その男って……まさか俺じゃないだろうな? そんな役絶対に嫌だぞ!」
「さっき仲良く出来るって言ってませんでしたっけ? 喋るだけで」
「っ!? そ、そりゃ会話すれば仲良く出来るだろうけど……ほら、違和感ってのが出来るんだろ? 初めて話す人なんだし、んなもん、普通に溶け込むとかの話じゃないだろ?」
「助けられた人に対し、いちいち不審を抱くような奴がどこにいるんだ? テレビのドッキリとかじゃないんだし、何より、相手は同性。自分自身が他の誰よりも疚(やま)しい事をしている、もしくは特定への恐怖心を抱いてない限りは、そういう目では見ないはずだ。それに、その案を実行するにしても、まず最初に話し掛ける所から始まるんだ。相手がもし、その話に乗るなら私達が助けるも何も無いだろ? 助けに行く行かないとかは、あくまで不審者として見られた場合の時だよ。要は喋りかける側の雰囲気と器量だよ」
「……それじゃ、とりあえずただ話しかければいいって事かよ? それでどうやってきっかけみたいなのを作るんだよ?」
「友人の設定でもいいだろ? 他には葉月との兄妹みたいな感じでもいい。とにかく話し掛けるだけでも意味はある。話し掛けてある程度してから、葉月と合流すればいい」
「……話しかけるたって、なんて言えばいいんだよ? おはよう、とかか?」
「何ですかそれ? おはようなんて、その後なんて続けるつもりなんですか?」
「えっ? おはよう……君……えぇーっと……」
「豊中高」
ふと聞こえる麻祁の声。龍麻がすぐに同じ言葉を口にした。
「豊中高の生徒だよね?」
龍麻の言葉に、葉月はその目をじっと見返していたが、そっぽを向いた。
「相手にされてないぞ」
横から聞こえる麻祁の声に、龍麻は少し慌てた様子で言葉を続けた。
「あー! ちょ、ちょっと待って! 俺、葉月の兄なんだけど」
「葉月? 葉月って誰ですか?」
葉月の返しに、龍麻が困惑した表情を見せる。
「えぇーっと、豊中高の……」
「三年二組」
「豊中高の三年二組……にいる葉月だよ……知らない?」
「葉月……? 知りません。一体何のようですか?」
「いや、その用事はその……」
「……? もう行きますね」
「……はい」
「ダメじゃないか」
麻祁が呆れるように息をワザとらしく吐いた。
「続けれるわけないだろ? 初めて会うんだし、どんな会話していいのか分からないだろ」
「それは会話してる側に目標がないからだ。だから、途中で諦めたり、言葉を失くしてそのまま終わったりするんだよ。何か明確な理由があるなら話を続けられる」
「……そこまで言うなら、やってみてくれよ。見てるから」
「ああ、かまわない。いいか? 目的はあくまでも葉月がその生徒と接近しやすくなる舞台を作ることだ。まず大事なのは設定。ナンパする男性役で話し掛けて、そこへ葉月が助けに来る流れでもいいし、兄の設定として、妹の存在を印象付かせてその後の展開へと続かせるようなど、色々ある」
「麻祁はどれでいくんだよ?」
「性別もあるから妹の設定でいこう」
そう言った後、麻祁が一呼吸置き、そして話を始めた。
「あの……すみません……」
「……はい?」
「ごめんなさい、間違いだったら申し訳ないのですが、豊中第一高校の吉岡愛理さんですか?」
「……はい、そうですけ――」
「ちょ、ちょっと待って!」
龍麻の伸ばした腕が、二人の間に割って入った。
二人の顔が龍麻の方へと向けられる。
「なんですか?」
「いや、何で名前を知ってるんだ? 初めて話しかけるのに、名前なんて知ってるわけないだろ相手の」
「はあ……本当に何も考えてませんね」
今度は葉月が呆れたように息を吐いた。
「私達が今いる立場というものを考えてください。本当に友達になるつもりではないんですよ? あくまでも、そのグループという中に入るために特定の人物を選んで、事前に調べているんですから、名前の一人や二人ぐらいは知ってて当然です。名前と言うものは、呼びかけられると、無意識にその人の話を聞く姿勢に入るんです。例えば、外に出た時に、突然後ろから久柳龍麻って呼ばれたらそちらの方に振り返って、話しかけられたら、どうして名前を知ってるのかってぐらい聞きたくなるでしょ? 姉様はその心理を上手く使っているんです」
「そういうこと、それじゃ続き」
「はい、お願いします」
葉月が麻祁の方へと顔を向き直す。
「では……そうですけど、私に何か?」
「ああ、やっぱりそうですか。私、葉月識の妹です。よく姉が話していまして、写真でも何度か……」
「写真? 写真って何のですか? それに葉月なんて人、私知りませんけど……」
「あれ? そうですか……確か二年の時、修学旅行で一緒に観光した時に撮った写真も……」
「一緒に? トウジン湖かな? 深山の……」
「そうですそうです! 確かそんな名まえ……あっ、ごめんなさい。もしかして姉とはあまり……」
「ああ、そうじゃないのよ。あの時は集合写真で人が多くて……あなたのお姉さんと仲が悪かったわけじゃないのよ」
「そうなんですか! それは良かった……あっ、ごめんなさい。突然、こんな事を言って……見掛けたからつい声を……」
「いえいえ……」
「また姉にも言っておきますね。そういえば、吉岡さんは姉とは同じクラスでは……」
「私は四組。お姉さんは何組なの?」
「確か、二組って言ってました。……それなら話すこともないですよね……」
麻祁が暗い顔を見せ、顔を伏せる。
「……またお姉さんと会ったら話してみるわ」
「ああ、こちらこそ突然ごめんなさい。私の方からも言っておきますんで」
ふと麻祁の方から差し伸ばされる右手。それを葉月は左手で掴み、そして重なる手を机の真ん中で上下に振った。
「なっ? 大団円だ」
「なっ? じゃないだろ!? そう上手く行くわけないだろ!」
「おはよう、と言うよりもマシだとは思いますけど?」
「くっ……」
「何にしても、こんな感じでもいいから。とにかく設定を決めて、そして後は立場を下手目線で話せばいい。相手もそうそう高圧的には来ないだろう。今日は葉月も泊まるから、設定に関してはじっくり話し合えばいい」
「泊まる? 泊まるってここに?」
狐にでもつままれたかのような表情で龍麻が机を指差す。
「ああ、それ以外どこに泊まるんだよ? もう遅いんだし、ここ以外にないだろ?」
「嫌ですか?」
ぐっと近づく涙ぼくろの顔に、龍麻は一瞬身を引かせた。
「い、嫌ってわけじゃないけど……どこに寝るんだよ? 場所はないぞ?」
龍麻が辺りを見渡し確認する。
右からベッド、机、そして押入れと、視線を動かし、そして二人の間にへと戻る。
「後一人は寝られるスペースはある。ベッドか床か、私は押入れになる」
「姉様はいつも押し入れなのですか? ベッドは?」
「ベッドは龍麻」
「床ではないんですか?」
「なんで俺が床なんだよ!? この部屋は元々俺の場所だぞ!」
「こんな狭苦しい場所に一人の女性が泊まるんですよ? 一人の男性としてならば、ベッドの方を譲るのが当たり前なのでは?」
「俺が泊めたわけじゃないんだぞ!? 勝手に家まで着いてきたのに、なんでベッドを譲るんだよ! それに、麻祁が勝手に押入れを選んだんだよ! 俺が決めたんじゃないっての!」
「分かりませんか? それが姉様の優しさなんですよ? ね?」
葉月の言葉に、麻祁が相槌を打つ。
「私は親切だからな。罪だよね」
「何言ってんだよコイツは……」
麻祁の言葉に呆れる龍麻を余所に、葉月が言葉を続けた。
「それに聞きましたよ? 確か、要らない事をして命を狙われているらしいですね?」
「っ……そ、そうだけど? ……でも、あの日からは別に周りに怪しい人なんて見かけてないし、家とかにも入られたような形跡はなかったから、まだ大丈夫だとは思うんだけど……」
「そういう方が、ひょいと現れて目の前で堂々と教えてくれるわけがありません。ただ気付いてないだけで、もうすぐそこには……」
「ああー! 怖い事言うなよ……」
「今日は私がベッドですね。代わりに身代わりになると自ら率先して捧げているのですから、構いませんよね?」
「……ったく、まあ、それでもいいよ……でも、なんで俺が床に……」
「……で、寝る場所が決まったから、今度は設定の方を話し合った方がいい。その方が行動を取りやすいし、何より大根では個性がない」
「大根? ……俺は別に大丈夫だと思うんだけど、変なのか?」
「鏡で一度確認するといいかもしれませんね」
「鏡って……洗面所しかないんだが……」
「なら、自分の力で直すしかありませんね。私が見ますから、何度か呼び掛けてみてください。このままだと、そこら辺にいる下手なナンパ師になってしまいますよ?」
「……それは嫌だな。んー、それじゃ兄でいいかな」
「兄? 正気ですか? 私の兄となると、大学一年か就活中の方ですよ? 出来ます?」
「出来るんじゃないかな? あれ? 君は確か葉月と一緒の学校だよね?」
「……どちら様で?」
「俺は葉月の兄。葉月識の兄貴だよ」
「葉月? 葉月と言うのは?」
「ほら、四年二組の葉月、知らない?」
「知りません。私、一組ですから」
「あれ? おかしいな……でも、修学旅行で一緒の組になったとかで……二年の時に……」
「二年の時? ……でも、そんな名前の人はいなかったと思いますよ? 人違いでは?」
「いや、そんな事は……でも、確かにトウジン湖に一緒に行ったって……」
「どこですそれ? そんな場所行ってませんよ?」
「えっ? でも……あれ……?」
「気持ち悪い……」
そう一言呟いた後、葉月は首を横へと逸らした。
「あれ……おかしいな……」
「はあ……自分から場所を言っちゃダメですよ。一応情報としては手に入るとは思いますが、まずは相手に喋らせる状況を作らせないとダメです。グイグイ押していくようでは、下手での親しみある空気を作れません。いいですか? まず……」
始まる葉月の講習に、龍麻は時より小さく頷きながら聞き入る。
その二人の声を耳にしたまま、麻祁は机に置かれていた三人の女子生徒が映った写真を手に持ち、ただそれをじっと眺め続けていた。
しばらくし、突然飽きたかのように、写真を投げ捨て、机へと滑らせる。
机に立てた右肘に頬を置き、話し合う二人の姿を静かに眺めていた。
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