終節:菖蒲高の熊さん

 日も落ち、街の明かりが一際光を灯す時間。

 俺達は駅前にあるコーヒーショップの中にいた。

 紗希が電話で、帰りが遅くなると両親に伝えた後、話をするために立ち寄ったのだ。

 俺の横には麻祁が座り、その前には栞と紗希が座っていた。

 机の上には四つのコーヒー。俺達三人はホットを頼み、紗希だけがアイスを頼んでいた。

 湯気の立つコーヒーを前に、麻祁と栞は手を付けずに、先ほどからずっと話を続けている。

 その内容は、俺との出会いから何故一緒の部屋で暮らしているのか? まで細かく説明し、その間には世間話や昔の話などを入り交えてのものだった。

 当然、俺が経験してきた荷物持ちでの、頭のおかしくなるような仕事の手伝いや、命が狙われているという部分は伏せている。

 二人はまるで友達のように、笑顔を見せあい、互いに会話の主導権を入れ替えながらも話を続けていた。

 その姿を見て、俺は麻祁に対し、改めて不思議……というよりも感心させられていた。

 全くの初対面だというのに、どうしてこうも笑顔で話が出来るのだろうか? それに、さっきから話している会話の内容、俺の部屋で一緒に暮らすまでの一連の流れの説明に関しても、嘘がほとんどだと言うのに、さも本当かのように話を続け、尚且つ、全ての辻褄が合う様に組まれていた。

 まるで最初から用意していたシナリオのようにも思えるが、今まで一緒にいても、そんな事を俺自身が打ち合わせした事もなく、そんな素振りなんて見た事ない。

 ――詐欺師。悪く言えばそういう感じにも思えるが、今俺の代わりに全てを説明してくれているとなると、非常に頼もしい存在だった。

 何かを言えるような隙もない俺は、ただ二人の話を頷いて聞き、たまに会話を振られた時だけ、少しだけの言葉を返す。それだけで、全てが順調に進んでいる。

 ふと、視線が前に座っていた紗希へと向いた。

 俺と同じで入る隙がないのだろうか。二人と会話はせずに、暗い外の景色を眺めては、時たまグラスを手にし、ストローを口にへと付けていた。

 ギョッと、紗希の視線だけが俺の方へと向けられる。

 俺は思わず、目を伏せた。

 悪い事はしていないのだが……昔から、ああいう目で見られると、何も言えなくなってしまう。

 まるで全てを見透かされているよな、そんな視線だ。

 チラチラと様子を窺うように紗希の方へと視線を送る。しばらく紗希は俺を見続けていたが、突然飽きたかのように、また窓の方へと視線を戻した。

 俺は心の底から、ふと、ため息を吐き、湯気の消えたコーヒーの中にミルクを入れ、掻き混ぜた。

 話しは長い間続き、ある区切りの後、俺達は外へと出た。

 辺りは完全に暗くなり、駅前に居た人達の姿も大きく変わっていた。

 俺達は電車に乗り、そして天渡三枝駅へと着いた。

 駅から家までの途中の道の間も二人は話を続け、そして俺達は別れた。

 街頭だけが点々と道路を照らす暗い道を、俺と麻祁は自分の家を目指し歩いていた。その間、俺達は一言も喋らなかった。……というよりも、そんな空気ではなかった。

 ふわっとした感じの雰囲気が漂い、喋る事すら俺は忘れていたのだ。

 なんと言えばいいのだろうか? まるで幼稚園や小学校の時に過ごした、仲の良い友達に久しぶりに会い、昔話を楽しく話し合った帰り――そんな感じだった。

 コーヒーショップでの暖かい雰囲気が、今だに俺の心を包み、自然と得ていた満足感に浸り続けている。

 栞と紗希に会うのは、決して昔の話ではなく、最近にでも家の方で顔を見せたりはしていた。それでも、今日はあんなに笑顔で、特に栞があんなに笑って話をしているのは久しぶりに見た気がする。

 ……何より俺自身、学校であれだけ栞と二人で話したのは、今考えると長い感じがした。

 家でも会話はするが、二人正面に向きあって、あれだけの話をした事はない。あれは家で見るいつもの栞のではなく、また別の姿にも見えた。それに比べ紗希はまあ……いつも通りだったけど。

 今日起きた一日は、俺の中では非常に長く、そして充実としたものだった。

 歩く中、頭の中でコーヒーショップでの雰囲気を思い出すと、ふと浮かび上がる笑みがこぼれそうになる。

 しかし、帰宅後に点けたテレビの声に、俺は愕然とし、その雰囲気が一気にぶち壊された。

『午後六時頃、菖蒲高等学校にて不審者が入ったという通報があり、警察数台が駆けつけました。被害に遭われた男性教師の話によりますと、不審者は、灰色のスーツ姿にメガネを着用し、髪を後ろで結んだ女とされ、現在、逃走中の為に、傷害と不法侵入の両方を視野に入れ、警察が近くの住人から目撃情報を集めています』

 そのニュース内容を耳にした時、晩飯を運ぶ俺の両手が自然と振るえた。

「あわわわわ……」

 振るえながらも何とか机に皿を置き、今だその話題で続けられる内容を棒立ちしたまま見続けていた。

 内容が終わった後、麻祁にへと目を向ける。

 ベッド側に寄りかかり、そのニュースを見ていた麻祁は、何食わぬ顔をしたままテレビを見続けていた。

 俺は台所の電気を消した後、急いで麻祁の元へと駆け寄った。

「おいおいおい! 大丈夫なのかよ! あれお前の事だろ!?」

 その言葉に、麻祁は顔を俺の方には向けず、テレビだけを見続け、一言返した。

「物騒な世の中だ、全く」

 まるで他人事のような言葉に、俺は自分の耳を疑った。

「何言ってんだよ!? 警察が来たらどうするんだよ! ヤバイって!!」

「そうそう騒がなくてもいいって。傷害たって、軽いものだし、相手だって私に傷害を負わせているんだ、どっちもどっちだよ」

「どっちもどっちって……どこ怪我してんだよ」

 座る麻祁の全身に目を向けるが、どこかを痛む様子もなければ、怪我をしたような感じもない。

「腰と心の傷。ただうろついていただけで不審者扱いなんて、心が痛む。こんな美少女が今じゃ逃亡者だぞ?」

「んなこと俺に言われても知るかよ! 勝手に逃げたんだろ?」

「侵入したと言えば、お前も立派な不審者になる。同罪は同罪だ。……まあ、それほど気にする必要はないよ。カメラも設置されてないんだし、目撃情報だけじゃ絶対に見つからなければ、証拠の不十分。数日もすればこんな話題なんて、世間からじゃ忘れ去られてしまう。……だから、気にせず私は晩御飯を食べる」

 変わりのない落ち着いた口調でそう言った後、麻祁が手に箸を取った。

 淡々と飯を食い始めるその姿に、俺の心は不安で押しつぶされそうになっていた。

「呑気な……。そうだ、栞に電話してみて……」

 部屋の角に置いてあった受話器を取ろうと手を伸ばす。しかし、その動きを麻祁が止めた。

「止めた方がいい」

 俺は体を伸ばしたまま、首だけを振り向かせる。

「どうして? 栞も今頃ニュースを見ているはずだし……」

「今日あった情報を聞いた所で、入ってくるのは限られてくる。聞くなら明日の夜の方がいい。その方が、より一層詳しく状況の変わった内容が聞ける」

「情報たって……俺は別にそんなに詳しくは……ってあああー!!」

 ある光景が目に入り、思わず声を上げた。

 体を起こし、見えた机の惨状。喧嘩にならないようにちゃんと分けて、数を決めておいた、卵焼きの数があっという間に半分以上減っていた。

「卵! 俺も食べるんだよ!」

「コッコさんが私の口へと運んでくれた。私は仕方なくそれを口にした。罪があるのは、卵を運んだコッコさんか? それとも、その優しさを仕方なく受け入れた私なのか?」

「何言ってんだよお前!! 頭おかしいんじゃないの!? 食べようと思って卵を掴んだ箸が悪いんだろ!?」

「なら、これを食べようと思って箸を伸ばす、私自身に罪はない」

 そう言いながら、麻祁が残り二つある卵焼きの一つを口にした。

「や、やめろよ! せっかく焼いたのに! 俺も食べるんだよ!」

 最後の卵焼きを奪うようにして、俺はそれを掴んだ。

 残り一個、湯気の立つ卵焼き。俺は涙を呑みながら、その暖かさを口にした。

――――――――――――

 次の夜。俺は焦る気持ちを抑えつつ、栞へと電話した。

 栞と紗希はそれぞれ自分の携帯電話を持っているが、家の方へと電話を入れた。――出たのは紗希だった。

『もしもし、久柳です。……ああ、なに? 龍麻? 何よ?』

 俺と分かった瞬間に、吐き捨てるような言い方に変わる。……一体何かしたと言うのだろうか?

 そのまま俺は気にせず、昨日学校で起きた内容、そして麻祁の言った通り、今日の学校内でどこまでその話が進展しているかを聞いてみた。

 しかし、しばらく話を聞いていたが、立って話すのが面倒らしいので紗希が携帯に掛けるようにと指示をしてきた。

 俺は一旦電話を切り、再び紗希の携帯へと掛ける。そして、今朝の学校内での内容の進展に関して聞いた。

 教えてもらった内容は、俺にとっては意外なモノだった。

 今朝、菖蒲高の中ではその話題が学年問わず、持ち切りだった。

 菖蒲高に通う生徒の全てが何かしらの部活に所属しており、当然、全員と言える全員が、同時刻に帰宅させられていた事は知っていた。

 だが、それが何故そうなったのか? までの原因を知っている生徒は少なく、先生側からも、混乱などを避ける為に、その話をする事自体は止められてたらしく、昨日のニュースや今朝の学校での会話で知った人も多かったようだ。

 そのせいもあり、学校側は保護者への説明をしたりと、対応に忙しく動いているらしく、そんな中、生徒の達の間では奇妙な噂をチラホラ上がっているらしい。

 不審者は、他の高校から頼まれて部活の内情を知る為に送り込まれたスパイだとか、はたまた、別の学校から教師の引き抜く為にその情報を仕入れるようにと送り込まれたとか、色々である。

 その中でも、最も有力なのが、『三島先生の恋人』というものだった。これには有力な目撃情報もあるらしく、女子と男子の間では、菖蒲高の熊さんとして、あの童謡と組み合わさり、替え歌として広まっているらしい。

『……コラサッサのサ、スタコラサッサのサ。って曲よ』

「……なにそれ?」

『菖蒲高の熊さんよ! どこから出たかは知らないけど、その歌ばっかり歌ってる奴がいて、頭がおかしくなりそうだわ!』 

「……で、それが最も有力な話しなのか?」

『そうらしいわよ。一応目撃者も居たらしくって……二年生で三組にいる、西山って人が直接見たらしいわよ、その現場を。なんでも、三島って……柔道の指導している先生なんだけど、その人とその不審者が廊下で話しあって、急に抱き合ってるのを見たいだって。職員室に行って、警察を呼ぶように頼んだのもそいつって話だし、嘘じゃないみたいだけどね』

「抱き合っていたのか? 不審者と?」

『らしいわよ。その後なんか言い合いの喧嘩になって、体育館の裏じゃ、もう掴み合い。……その後は、何か名前を呼ばれて感謝されたらしいけど、今でもその時に名前を呼ばれた事が嬉しかったみたいで、もう一度会いたいなんか言ってるらしいわよ』

「……そ、そうなんだ」

『で、結局、ああいう事になったんだけど、今じゃ噂として、あれは三島の彼女じゃないのか? って事になってるのよ』

「実際は違うんだろ?」

『私が分かるわけないでしょ? 直接本人に聞けるわけないんだし? ……そう言えば、三島先生って見たことない? 校門前でいつも居たと思うんだけど……』

 その言葉に、頭の中にふと浮かび上がってくる。校門前に確かにいた、あのガタイのいい男性教師の姿が。

「ああ、いたな……そう言えば……」

『あれが三島よ。生徒からは、熊、なんてあだ名で言われてるの。だから、それと今回の事を掛け合わせて、あんなアホみたいな歌が出て来てるわけ。もう、あっちこっちで飽きもせず歌ってくるから、頭がおかしくなりそうだわ……。って、そういえば、校門前で常にいるんだけど、あんたよく入って来れたわね? いなかったの?』

「えっ……いや、その……」

 思わぬ指摘に、俺の心臓が一瞬高鳴る。まさか、麻祁が誘導したとは言えないな……。

「ああ、確か居なかったかな……誰もいなかったから、そのまま入ったんだけど……」

『……そう、それならいいんだけど。次は気をつけないと、掴まっても知らないからね。私は嫌よ? あんたの名前が堂々と報道されて、妙な替え歌作られるなんて。一家の恥だわ』

「俺が掴まるわけないだろ!? 今度入る時は最初から学校に電話してから行くよ」

『……それなら別にいいけど……まあ、そういう感じよ。三島の方も、屋上に閉じ込められていて、一時不審者扱いされていたらしいし。今じゃもう、その不審者なんてみんなどうでもいいって感じね。以前の事もあるし、菖蒲高って案外、そう言うのが多いのよ。そろそろカメラも付けようかって話あるし、本当困るわ』

「カメラを付けるのはいいんじゃないのか? それなら安心するし……」

『気持ち悪いと思わない? なんか見られてる感じがするし……私はあまり好きじゃないわ。まあ、あんなアホみたいな歌を唄われるぐらいならいいかもね。で、聞きたい事はそれだけ?』

「ああ、うん、それだけ。色々ありがとうな」

『これぐらいだったらいつでもいいわよ。……また何かあるなら、家より私に電話してきて、知ってるなら教えるから、それじゃね』

 ぶつ、っと一方的に切られる電話。俺は受話器を置いた。

「はぁ……」

 自然と出てくる溜め息。ただ会話しているだけなのに、妙につかれた。

 視線を前へと向けると、そこには昨日と同じくテレビに集中する麻祁の姿があった。

「……あまり話題になってないって、むしろ、その教師が話になってるってよ」

「だろうな。あれだけの体をしているんだ。のしのしと歩いていたなら、あっちの方が不審者にも思える」

「……屋上に閉じ込められていたって聞いたぞ? お前がやったんだろ?」

「一時の客寄せとして利用させてもらっただけだ。あれが無ければ、お前だって今頃、無事に出て来れていたか分からないんだぞ? 私に感謝されてもいいぐらいだ」

「はいはい……」

 俺は最後まで相手せずに、適当に切るようにして話を流した。

 その対応に気にした様子も見せず、麻祁はテレビに顔を向かせたままだ。

 視界に入る麻祁の横顔に、ふと溜め息が出る。

 ……本当に全て計算しての事なのだろうか。

 俺は立ち上がり、飲み物を取る為に台所へと向かった。

「ついでに私もお茶を一つ」

 居間から聞こえる声に、俺は、はいはいっと適当に返事をし、冷蔵から二つのペットボトルを取り出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る