四節:猪突猛進
「一体何が来るってんだ……」
背中を打ち付ける風に体を揺らされながら、龍麻は荷台の上で呆然と立ち尽くしていた。
左右の景色は忙しく流れ、瞬時に変わり行くも、目の前を流れる道路の先は何も変わりはない。
「…………なっ!?」
ある物が目に入り、龍麻は思わず声を上げた。――道路の上に黒の物体が突如落ちてきた。
ガシャンという機械を叩き付ける様な音をあげ、道路に落ちたそれは動くことなく、そのまま道路に取り残されすぎていく。
龍麻は急ぎ振り返った。そこには、荷台に載せられていた機材を持ち、外へと次々と放り投げる篠宮の姿があった。
音は増え続け、今度は鍋や鉄パイプなど様々な物がトラックから飛び降りるように、次々と道路へと飛び出し、まるで子供が楽器を好き勝手叩くような奇妙な演奏会が始まっていた。
「な、何してんだよ!?」
風が吹き荒れる中、龍麻の言葉に篠宮は動きを止める事なく、手にしたアウトドアチェアを二つ道路へと放り投げる。
「何してんじゃないわよ、久柳龍麻!! 早く手伝いなさいッ!! くっ……くそ重たい! なんなのこれは!!?」
四つの細い足の付いた四角の台を両手で持ち、振り下ろす形で前へと放り投げる。鉄のぶつかる音が微かに響くと同時に、付けられていた金網が飛び上がった。
「グリル」
「バッカじゃないの!? なんで! 呑気に! あんな場所で! はぁはぁ、バーベキュー楽しもうとしてん……のよぉぉーー!!」
耳から聞こえる麻祁の言葉に、篠宮は悪態を付きながら、今度は奥に置かれていたダンボールを何度も体を揺すっては両手で手間へと引きずり、反対側へ回るや否や体全身を使い、外へと押し出した。
――飛び出す木炭。
「炭」
「見れば分かるわよ、アホ式!! 夏休みかッ!!」
荷台に最後のダンボールを全身を使い押し出す中、
「久柳龍麻!!」
今度は龍麻の名前を叫んだ。
「えっ!? は、はい!」
突然名前を呼ばれた事で、今まで唖然とその姿を見ていた龍麻はふと我に返り、背筋が自然と伸びる。
「手伝わないなら、麻祁式から何か着火材を借りて!!」
「着火材!?」
「ライターか! ……何かよ!!」
紅く染まる左目と口元を歪ませた篠宮が、何度も何度もダンボールに体をぶつけては、少しずつ前へと移動をする。
その言葉に、
「着火材ならダンボールに入ってるだろ。ほら、そこ」
運転席後部にあるガラスから麻祁は顔を覗かせ、篠宮の方を指さす――同時、押し出されたダンボールが道路へと飛び出し、中の道具を盛大にぶちまけた。
「はぁ、はぁ、バカ……もっとは、早く言いなさいよ……」
銃とポリタンクしか残ってない荷台に、篠宮がうつ伏せに倒れた。短い呼吸を何度も繰り返すも起き上がらない。
「仕方ない、龍麻」
心配そうな表情で篠宮を見ていた龍麻を麻祁が呼ぶ。その言葉に、足下を取られながらも後部座席にあるガラスへと近づいた。
左から近づき、格子の端を掴み、そしてガラスから顔を覗かせようとする。その瞬間、
「下がれ」
「へっ? ――なッ!?」
数発の銃声が鳴り響き、ガラスが飛び散った。
腰を抜かし尻餅をつく龍麻の前に光の粒が降り注ぐ。更に、突き出した銃口が窓枠に沿うように動き、場所を広げていく。
パラパラと細かく砕かれたガラスの雨に紛れ、小型のライターが一つ落ちてきた。
龍麻はそれに気がつき、すぐにガラスの中から摘み取ると立ち上がった。
「あ、危ないだろ!! 突然撃つなよ!!」
「だから下がれと言っただろ? 早く届けてやれ」
麻祁の言葉に急かされるように、龍麻は何も言い返せないまま、篠宮の元へと駆け寄った。
「篠宮さん! ライターを貰って――」
「来たわよ」
「来た……?」
うつ伏せで寝ている篠宮と同じ方向へと龍麻が顔を向けた。
それを目にした瞬間、龍麻の目が自然と見開かれた。
道路の先からまるで川が迫ってくるように、いくつもの黒い塊が走ってきていた。車のエンジンと吹き荒れる風の音に紛れるように、ドッドッと、まるで低い太鼓を叩く様な音が聞こえてくる。
「な、なんなんだあれは……」
「どっからどう見てもイノシシよ……しょっと」
篠宮が両手を荷台に押し当て、上半身を起こす。近くに転げていた銃とバッグを座ったまま手に取り、二つの弾丸を取り出した。
「久柳龍麻、今から指示するからよく聞いて」
抜いた弾倉に二つの弾丸を押し込め、銃身に取り付けると、今度は立てた片膝に左肘を乗せ、更にその上に銃身を置いた。筒先を固定させる為、巻きつく左手が右腕を握り締めるる。
銃身の上を紅い瞳が視線を通し、一呼吸……撃ッ――。
噴出す煙と音を瞬時に風が攫い、撃ち出された銃弾が先頭を走る一体のイノシシに直撃した。
目元から鮮血を激しく吹きださせると、そのまま態勢を崩し、後に続く同属を巻き込む。
篠宮がボルトハンドルを引き、空になった薬莢を荷台に跳ねらすと、今度はうつ伏せになり銃を構えた。
「すぐにガソリンを道路に流して!」
「ガソ……ガソリン!?」
一瞬、間の抜けたような表情を見せるも、龍麻はすぐに思い出し、端に置かれていたポリタンクを引きずるように手前へと運んだ。
動かす度、中で激しく波立っていたピンク色のかかった液体が、流れ出る時には小さな粒へと姿を変え、歪んだ線を道路に描いていく。
「それが少なくなったら、中にライターを入れて、思いっきり振りかぶって投げて! 蓋は軽くでいいわ!」
「振りかぶるって!?」
「ぶん殴る勢いよ!」
徐々に傾ける容器の口が荷台へと近づいていく。
軽くなった容器を戻し、右手に握り締めていたライターを中に入れ、蓋を片手で弾くように閉めると、すぐさま腕を大きく横へと振りかぶり、勢いよく前へと放り投げた。
白いポリタンクが不規則な動きで宙を舞い――、一閃。
光の線が液体に沈むライターを撃ち貫いた。
白い容器が一瞬で炎に包まれ、火の粉を辺りに撒き散らせる。
更に一閃。篠宮の構える肩が後方へと大きく下がると同時に、銃口から光の線が一直線で走り、道路に撒かれたガソリンを瞬時に燃え上がらせた。
まるで地獄のように炎は燃え広がり、後を追いかけてくるイノシシ達の動きを鈍らせる。
「今のは!?」
「曳光弾」
「えいこうだん?」
「調整用の弾丸」
「――龍麻」
麻祁に呼ばれ、龍麻が運転席へと近づいた。
「これを使え」
割れたガラスから長い棒が現れた。丸みのある先端が龍麻に向けられる。
「これは?」
龍麻が棒を手に取り、ガラスから引き抜く。
先端から少し離れた場所には何かの機械が付けられ、更に引き抜くとその先には三叉に分かれた刃が見える。
「そこのスイッチを押せば電気が流れる。それを近づいてきた相手の頭に刺せ」
「頭って……」
「ここだよ――ここ」
格子の向こう側にいる麻祁が、自身の額を数回指先で叩――破裂音。
後方から聞こえた音に二人が瞬時に目線を向ける。
そこには、頻りに右腕を動かす篠宮の姿があった。煙を吹き上げる度に薬莢を荷台に跳ねらせている。
龍麻は急ぎ篠宮の元へと近づき、後方に伸びる道路の先へと目を向けた。
まるで濁流が流れ込んでくるかのように、黒く染まった毛と肉の塊が道路の端まで埋め尽くし、波のように走ってくる。
「嘘だろ……おい……」
再び目にするその異様な光景、しかし龍麻にはそれが信じられず、三叉の棒を握り締めたまま呆然とし立ち尽くした。
横で篠宮が右手を動かす度に、迫りくる一体の体勢が崩れ、波に穴が開く。が、すぐにそれは埋まり、再び波となって走ってくる。
「――ッチ、きりがないわ」
篠宮が体を起こし、弾倉を抜き出すと、バッグにある弾丸を詰め始める。
「あとどれぐらいで出口に出るの!?」
「ここからまだ数十キロはある。今六十から七十で走ってるから、約一時間以上」
「……絶対に追いつかれるわね」
弾倉を銃身に入れた後、ボルトハンドルを引いた篠宮はうつ伏せにはならず、座った状態のままで前を見ていた。
「追いつかれるってどうして!? 今は追いついてないんだから、このまま走っていればそのままなんじゃ……!?」
「バカね、よく考えてみなさい。さっきガソリンを撒いてアイツ等の動きを止めたのよ? それが今、姿も見せて追いかけてるんだから、当然追いつくに決まってるでしょ? それにあれが本当にイノシシだと思ってんの?」
「えっ? どういう事……」
困惑する龍麻の耳に、麻祁の声が響く。
「種にもよるが、イノシシの平均速度は約四十から五十とされている。今この車は六十から七十の間で走っている。単純に考えれば、その速度を保てば当然追いつかれない、ただし、その対象が私たちの知っているモノならばの話だがな」
「そんな……!?」
響く銃声。龍麻が顔を下に向けると、そこには再びうつ伏せなり銃を撃つ篠宮の姿があった。
一発撃っては煙を吐き出させ、銃身からは、まるでガムをはき捨てるように空の薬莢が飛び出て行く。
「久龍龍麻! ただ突っ立っているだけなら手伝いなさい!! さっきから体が揺られて狙いにくいわ!」
怒鳴るような大声に、龍麻はすぐに篠宮のそばへと近づいた。
「ど、どうすれば!?」
「私の体を押さえて! 全身で圧し掛かるのよ!」
うつ伏せに寝ている篠宮の背に龍麻は頭を強く押し付けた。
「ぐっ!?」
溜まった空気が篠宮の口から不意に漏れる。
同時に響き発砲音、撃ち出された弾丸は迫り来るイノシシの頭上をかすめ、毛を赤く染める。
「重たい! どけッ!!」
「なっ!?」
篠宮の肘裏が鋭く龍麻の眼前に迫った。龍麻がすぐさま顔を上げ立ちあがる。
「ど、どうしろって言うんだ……」
突然の事に呆然と立ちつすく龍麻に、篠宮は何も言わず黙々と同じ動作を繰り返し、引き金を引いた。
一頭、また一頭。頭部に命中した弾丸が血を吹き上がらせ確実に仕留めていく。しかし、いくら倒そうと、その勢いは止めれず、徐々に車の後部へと迫っていた。
「ッチ……数が多すぎる」
「お、おいどうするんだよ!? このままじゃ追いつかれるぞ!?」
「見れば分かるわよ! 麻祁式! 何か持ってないの!?」
「手投げならあるが」
「ちょうだい!」
「龍麻」
「また俺かよ!?」
しぶしぶとした表情で龍麻が麻祁の元へとふら付きながら駆け寄る。
麻祁が足元に置いてあるザックから片手に納まるぐらいの筒状の物を取り出し、割れた窓からそれを渡す。
「五秒」
「ごびょう?」
「ああ、五秒」
「ごびょうって、何の――」
「アホみたいな会話してないでさっさと持ってきなさい!」
篠宮の怒声が耳元に響く。
龍麻は急ぎその場を離れ、うつ伏せの篠宮の肩を叩いた。
立ち上がるや否や、篠宮は龍麻の持っていた筒状の物を奪い取り、上部にあるピンを引き抜き、砲丸を投げるような態勢で近づくイノシシへと放り投げた。
「伏せろ!」
篠宮がすかさず荷台へとうつ伏せに倒れる。
「ふせっ……」
龍麻が言葉を返そうとした瞬間、それは炸裂した。
破裂音と同時にイノシシの群れの真ん中で灰色の煙が吹き荒れ、同時に、風を切りながら、いくつもの小さな刃物片が飛び出した。
降り注ぐ刃物は瞬時にイノシシの体を引き裂き、何頭かの動きを止める。
「痛烈ね」
篠宮が体を起こし、後方にあるバッグから銃弾を取り出し、弾倉へと詰め始める。
「ば、爆弾……」
「……頬から血が出てるわよ」
「血? ……えっ、なんで!?」
龍麻が頬を右から左へと頬を擦り、手を確認する。そこには真っ赤な線が描かれていた。
「血ッ!? なんで血が!? なんで!?」
騒ぐ龍麻を気にせず、篠宮が弾倉を銃身へと入れ、ボルトハンドルを引いた。
「ただがそれぐらいの傷で死にはしないわよ。それより……」
篠宮が目を細め、未だ止まる事をしないイノシシの群れに目を向けた。
「なんか変ね」
「変? 何か違和感があるのか?」
聞こえてくる麻祁の声に、篠宮がすぐに答えた。
「二つあるわ。一つは、すでに追いついているはずなのに未だに近くまで来ない。意思で距離を保っているわ」
「……考えられる可能性は?」
「一つが様子見、もう一つが陽動」
「……様子見は除外だ。相手は仮にも動物だ。様子見するぐらいならすでに諦めている」
「なら、陽動……でも、どこに別働隊を……」
「後一つの違和感は?」
「撃った後の結果よ。さっきから何発も撃ちこんでいるのに、一発撃って倒れるのは一体しかない――考えられないわ」
「異常変質か」
「あれだけ硬いなら食えないわね、残念ね――ん?」
篠宮の目にある光景が入り、少しばかり視線が前へと出る。
「どうした?」
「……あれって……ッ!!?」
篠宮の言葉を突然の衝撃音がかき消した。同時に荷台が大きく揺れ動く。
「な、何ッ!?」
篠宮が音のする方へと振り返る――同時。
「なっ!? ッ!!」
鉄と何かがぶつかる様な激しい衝撃音が響き、吹き飛ばされた龍麻の体が運転席側へと叩き付けられた。
篠宮の目の前に、毛の生えた縞模様の巨大な肉の壁が聳え立っていた。
深く何度も繰り返す荒い息遣い、まるで先陣を切り込んだ猛者の如く、人が鼻を鳴らすような声を口元から溢れ出し、そして高く張り上げる。
「――!? 龍麻刺せッ!!」
格子の向こうから麻祁が叫ぶ。しかし、言葉と同時にその巨体が龍麻に向かい突っ込んできた。
「クッ!!」
両手に持たれた三叉が意思より先に、前へと突き出された。
強い衝撃、横向きに出された三叉の柄が開かれたイノシシの口元を押さえる。
ガタガタと揺れる三叉に、龍麻の眼前には涎を垂れながし、今にも噛み砕こうとするイノシシの歯が迫っていた。吹き荒れる鼻息が前髪を揺らす。
麻祁が前へと向きなおす。その瞬間、ある光景が目に入り、小さな舌打ちをした。篠宮も同じくある音に気づき、後部へと振り返った――開かれる目。
――右側の小高い崖からいくつもの肉塊が降り注いできた。
「豚が……」
「踏め!!」
麻祁が再び声を張り上げる。それに合わせ運転席にいたスーツの男が強くアクセルを踏み込んだ。
加速する車から投げ出されるように、降ってきたイノシシ達の体は、鈍い音を混じらせながら、その体を地面へと叩きつける。
「さっさと降りろッ!!」
スカートに隠した太ももから、篠宮がサバイバルナイフを取り出し、荷台に居続けるイノシシの尻へと向かい何度も突き刺した。
血が吹き出る度に声を張り上げ、イノシシが更にその巨体を激しく揺らす。
運転席の窓から覗く麻祁の顔、突き出る銃口。二回の発砲音が響き、白の板に赤色の液体を散らす。
龍麻が踏ん張っていた両手を離した。赤黒い液体を垂らす柄はカラカラと音を立て、ただの肉の塊にせき止められる。
「はあ、はあ、はあ……」
点々とした血を頬に付けた龍麻の肩が何度も揺れる。目を開いたまま、一点だけをただ見続ける。
横から現れた篠宮が龍麻に向かい手を伸ばす。
「あ、ありがとう……」
震える手で冷たい手を握り、立ち上がった。
「なに言ってんの」
そう言いながら篠宮が、肉塊の頭部を押し始める。
その光景を呆然と立ち尽くして見続ける龍麻に、
「何してるのよ! 早く!」
急かすように声を張り上げた。
龍麻が篠宮の横へと並び、一緒に頭部の部分を押し始める。
「バカッ! 一緒に押したら誰が向こう押すのよ! あっちを押してあっちを!」
指差す篠宮に龍麻はか細く一言謝り、震える手でイノシシの後部を押した。
ずるずると肉塊が左右に血の跡を擦らせながら、少しずつ前へと移動させる。
荷台の端まで後少し――。
「篠宮!!」
運転席から顔を覗かせていた麻祁が突然叫んだ。
篠宮が麻祁に顔を向け、視線の先を見る。そこには一匹の小さなイノシシがいた。
二人の間に小さく居る存在。体を赤く染め、ジッと龍麻の方を見つめている。
「どこから……クソっ!」
荷台に溜まる血を跳ね上げては駆け寄り、小さなイノシシに向かい篠宮が片足を振り上げた。しかし――、
「痛ッ!?」
篠宮の足は空を切り、足元を滑らせては大きな音を上げその場に倒れた。
「な、何!?」
龍麻が音のする方へと顔を向ける。同時に小さなイノシシは後ろを走り、外へと飛び出した。
「大丈じょ――」
龍麻が篠宮に手を伸ばした瞬間、
「――っ!?」
足元が突然揺れ動いた。
何かに乗り上げたような振動、一瞬浮き上がる体。
二人の体は大きく揺さぶられ、左へと寄せられる。
更に大きな振動を一度響かせ、車は中央分離を飛び出し――崖へと飛んだ。
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