五節:タグ

「はぁ、はぁ、はぁ……後どれくらいなんだ……」

 頭を下げたままの龍麻が呟く。それに対し麻祁は、

「今、六階ぐらいだ」

淡々とした口調で答える。

「よし、下ろすぞ」

 階段を目前にし、麻祁が声を出す。それに合わせ龍麻は、肩に掛けていた手を下ろし、足下へと回った。支える力を無くした腕を、すぐに麻祁が捕まえ、両脇を支えながらゆっくりと仰向けに寝かせる。

 二人がやっと並んで通れるような狭い通路に、黄色の防護服が片側の道を塞ぐ。二人はその場で腰を下げ、今度は両脇と足を持ち上げ、そのまま階段を上り始めた。

「ま、まだ六階……はぁ、はぁ、っていつまで続くんだよこれ……うえ……」

 嘔気まじりの声に、

「上にたどり着くまでに後、四回か五回ぐらいは繰り返さないといけない」

麻祁は淡々と答えた。

「もしキツイなら手すりを持て、私が力を入れるから、最低限足を上げれるだけの力は残せ」

 その言葉に、龍麻の目が横にある手すりに向く。

 まるで妬ましげな目線を送り、すぐに正面へと目を向けた。

「ザック持ってるから無理だろ……」

「そうか、私なんて棒と紙切れを持っている。しかも、片手ずつそれぞれ分けて!」

 強調するように上げられる声に、龍麻はなにも言わず、足を抱えるように持っていた手に力を入れ上げた。同時に、階段に底が当たり、カンカンと鳴らしていたザックの音が止む。

 階段を上り、足下が平面へと変わる。麻祁の声に合わせ、二人は腰を下ろし、再び黄色の防護服を寝かせた。

 麻祁は横へと並び、左腕を肩に掛けては体を起し、態勢を変え、すぐさま龍麻が垂れる右腕を肩に掛け支えた。

 二人は体の向きを手すり側の吹き抜けの方へと向け、足を引きずらせながらも少しずつ、通路を進む。

「はぁ、はぁ、何回も何回も同じような……」

「背負えたら楽だが、代わりにボンベを下ろさないと行けない。地上に出る前に呼吸を我慢できる自信があるのなら、私はそれをオススメしたい。その方が楽に運べて、尚且つ速く辿り着ける」

「…………」

 麻祁に虚ろな目を向けた後、龍麻は首を上げた。

 頭の上にはいくつもの網状の足場がグルグルと螺旋を作り、それを不気味に裸電球が点々と薄闇で浮かび上がらせる。それがずっと先まで続き、遮るものは見えない。

「……ああ、無理。歩く」

 諦めたように龍麻は大きな息を吐き、肩に力を入れ直した。

 再び現れた階段に、二人は慣れた動作で素早く態勢を変え、一段ずつゆっくりと足を上げていく。

「あ、麻祁……」

「……なんだ?」 

「少し気になって……一つだけいい……?」

「……なに?」

「苦しく……ないのか……?」

「…………」

 足場が平面へと変わり、二人は同じ動作を繰り返し、また足を引きずりながらも歩き始める。

「性別が違うからな」

「……そんなものなのか……うえ……」

 同じ動作を繰り返し、何度目かになる足場が平面へと変わった時、麻祁は支えていた両脇をすぐには下ろさず、しばらく歩き、真ん中辺りで声と共に下ろした。

「少し休憩に入る。前を見せろ」

「はぁ、はぁ、えぇ……?」

 手すりにしがみ付くように両手を掛けていた龍麻に、麻祁が棒を横の壁に立て掛け、近づく。

 龍麻はその声に反応し、左手を手すりに掛けたまま、体を麻祁の方へと向けた。白の防護服に付けられている目盛りを、麻祁がマジマジと見る。

「……な、何かあったのか?」

「…………ボンベの容量確認だ。無いようなら、急いで先に進もうかと思ったが、まだ大丈夫そうだ。それにその呼吸数では、辿り着く前に切れて酸欠で倒れてしまう。出来るだけ呼吸を整えろ。ここがある種の分岐点になるかもしれないぞ」

「……分岐点?」

「この先、何事もなく地上に出れるとは限らない。何事も余力を残すという事がが大事なんだよ」

 麻祁が少し離れた場所の手すりに持たれかかり、上から照らす薄明かりを頼りに、手にしていた資料を読み始める。一方、龍麻は、壁にザックを置いた後、荒れた呼吸のまま階段の方へと向かい、足を出してはその場に座った。

 薄闇の中、それぞれが別の方向へと向き、しばらく誰も喋ることはなかった。しかし、数分後、階段に座ったまま、目の前にある壁を見ていた龍麻の耳に麻祁の声が入ってきた。

「すぐにあいつを呼び出してくれ」

「は、はい」

 突然の言葉に、女性は慌てた様子で同じ部屋にいる男を呼び始めた。

「……どうした?」

「今資料を見ている。どうやら各フロアに蔓延している緑の粉は、細菌のようだ。粉粒体故に、風による影響が高い。すぐに汚染されているフロアを調べて、それに繋がるダクトを全てチェックしろ。外へ漏れると面倒な事になる」

「処理の方法は?」

「高温度の直熱に弱いらしく、死滅するようだ。そっちはまだ日は出ているか?」

「……ああ、もう落ちかけだが……」

「一定の熱を直接感じると粉粒体から液体に変わるようだ。丁度二十度以上の温度で反応する。もしダクトから溢れているなら、壁を伝って液体化しているはずだ。夜になると気温が下がって粉粒体になり、回収が面倒になる。今のうちに繋がるダクトの全ての確認を頼む」

「……了解」

「回収する際は断熱の手袋を、液体化しても人の肌に触れると反応するようだ」

「……わかった――すぐに各階で待機している調査隊に伝えてくれ。すぐにロビーに集合、それと断熱のある手袋、無ければそれに似たような厚手の物でもいい、すぐにかき集めてくれと!」

『はい!』

 女性の声が一斉に上がり、様々な言葉が忙しく飛び交い始める。

「しばらくこちら側は混線状態になるかもしれない、もうすぐ戻ってくるのか?」

「……今近場まで迫っている。何事も無いなら、あと数十分で出れるはずだ」

「……わかった。一応何人かは置いておく」

 それ以上、男は何も言わなくなり、ただ喧しく幾つもの別の音が響き渡る。麻祁は左耳を押さえつけていた手を離し、その音を止めた。

 資料を数枚めくった後、麻祁が口を開く。

「それじゃ、行こうか。もう大丈夫だろ?」

 立てかけていた棒を掴み、龍麻の方へと目を向ける。

「……ああ、いこう」

 ふっと、息を吐いた後、龍麻は立ち上がり、通路に寝る防護服の足元へと向かった。

 麻祁が右手を左肩に掛け、腰を上げては態勢を変え、そしてすぐさま龍麻が左手を肩へと掛ける。それは、何度も繰り返されて来た動作。

 引きずる様に一歩前へ踏み出した瞬間、

「さあ、もうすこ――」

麻祁の足が止まった。

「――ッ!!?」

 振り返ると同時、右肩に黄色の手が伸びる。

「なにッ!?」

「なッ!?」

 咄嗟に上がる二人の声。突然、龍麻は押されるように後ろに倒れ、麻祁の右腕を黄色の防護服が握り締めた。

 麻祁はすぐさま引き離そうと、掴む左手を振りほどき、相手の顎下を押える。しかし、左腕は相手の右腕と絡みつき、すぐには解けない。

 二色の防護服は、揉め合うように互いの背中を壁や手すりにぶつけ合い、そして、麻祁の背中が手すりへと押さえつけられた。

 後ろに広がる底なしの闇へと落とすかのように、黄色の右腕が麻祁の肩を押さえつけ、もう片方の手でマスクに向けて手を伸ばす。しかし、麻祁が顎下を掴んでいるため、首は上へと向き、それ以上手は伸ばせない。

「ブゴ……ゴボゴボブゴゴ――」

 小刻みに震える頭。マスクから液体が噴出すような音が聞こえる。

「――ッ!」

 次の瞬間、麻祁の目が見開いた。

 飛び出た黒の吸引口から吹き出す煙。顎下へ向かい、緑の液体がたれおちて

「麻祁ッ!!」

 声と共に龍麻が横からぶつかり、黄色の防護服を引き剥がす。

 吹き飛ばされた防護服は鉄格子がぶつかり合うような音を上げ、通路へと倒れた。

 起き上がる体、同時に麻祁が駆け寄り、首下を片手で掴んでは手すりへと叩き付ける。

「すぐに足を掴め!!」

「えっ、えっ!?」

「早くしろッ!!!」

 言われるがまま龍麻は腰を下げ、ジタバタと動き回る両足を掴んだ。

「押せッ!!」

「――クッ!!」

 麻祁の声に合わせ、龍麻が腰を上げる。

 黄色の防護服は宙に向かいしがみ付くように両手をバタつかせ、声もなく下へと落ちていった。

 二人が吹き抜けへと顔を覗かせる。その先は点々と廊下を照らす明かり以外は何も見えない。

 数秒の沈黙の後、

「な、なんなんだよ……」

まるで糸を切られた人形のように、龍麻は頭を下げたまま、その場に崩れた。麻祁は何も言わず、通路に散らばる紙と棒を拾い始める。

「一体どうなってんだよッ!!!」

 マスクを通し、怒鳴るような声が辺りに響く。

「あまり大声を出すな、耳にひび――」

 突然、龍麻が立ち上がり、麻祁の肩を握り締めた。掴んだ白の生地にシワを寄らせ、険しい目を向ける。それに対し麻祁は何も言わず、ただその目を見返す。

「…………!?」

 突如辺りが暗闇へと変わる。

 僅かに照らしていた電球が全て落ち、一瞬で何も見えなくなった。

「どうなってるんだ……何が……」

 一瞬にして様変わりした状況に、頭の中が追いつけず混乱する龍麻。唯一触れる細長い鉄の感触のみが頼りとなり、それにしがみつくだけで、その場から動けない。

 龍麻の呼吸する音だけが、マスク内に響く。それ以外の音は何も聞こえてこない。

「麻祁……? あさ――ッ!?」

 目を潰すような強烈な光が前から射し込み、顔を逸らす。もう一度その光に対し、龍麻は顔を向けた。そこには懐中電灯を持つ麻祁の姿があった。

「どうなってるんだ……一体なにが……?」

「……私が聞きたい。…………おい、どうなってるんだ?」

 麻祁の呼びかけに、女性は返事をし、すぐさま男へと変わった。

「それはこっちが聞きたい。突然全ての階のカメラが落ちた。それ以来戻らない。どうなっているんだ?」

「…………発電機をやられたか。どうやら微弱の電磁波にも反応するようだ。……おかげで私も襲われそうになった」

「……なに? 大丈夫なのか?」

「対応が早かったから、被害はない。それより、これからそちらに戻る。もう酸素もないすぐに――」

「それなんだが……」

 男が言葉を遮った。そして、躊躇うように言葉を続けた。

「最初に通った扉はもう使えない。電子ロックになっている」

「……? 予備の鍵があるだろ、それで開けれるはずでは?」

「……キーボックスを確認したが、その扉の鍵が無くなっていた。これはあくまで想像だが、どうやら問題発生時からしばらくして担当の警備員が到着し、バイオハザードの為、エレベーターが使用停止の状態になっていたから、その扉を使って下の階に向かったようだ」 

「二人一組で両方が突っ込んでいったのか。マヌケにも程があるな。……扉は壊せないのか?」

「壊そうにも道具がない。薄そうに見えても案外厚さがあって、焼き切るのには時間がかかる。……道具の到着時間を見込んでも、二、三時間はかかる」

「それではこちらの酸素がなくなる。私は待てるが……」

 明かりを揺らしながら麻祁が龍麻に近づく。服についているメーターに触る。

「もう一人の方が待てない。……別の道はないのか?」

「ちょっと待って……」

 男はそう言い、近くにいる女性に指示を始めた。

「……ここから少し遠くなるが、東の方に以前使われていた作業員用の階段がある。ドアは封鎖されているが、昔のままで電子ではない。厚さもそれほど無いはずだから、今ある道具で焼き切れるかもしれない」

「では、そちらに行く。人を向かわせてくれ」

「了解。……ただ一つ問題がある」

「なんだ?」

「そこへ向かうにはいくつかの階層と通路を行き来しないといけない。その通路なんだが……、こちらが派遣した作業員の信号があった場所だ。通る場合は十分注意してくれ」

「……数はいくつだ?」

「四つ。先ほどまで動かずにいたが、停電により図面が消え、信号が確認できない。更にはカメラも使えないから、現在どういう状況なのかも……」

「……危険だが時間がない、一応ナビを頼む」

 麻祁の言葉に、向こう側からゴソゴソと音を上がる。

「……代わりました。今から案内します。今、何階にいますか?」

 通路を少し進み、ドアの真上にある数字に麻祁が目を向ける。

「四階」

「……了解しました。そのまま三階へと上がり、道なりに通路を進んでください。こちらには現在位置としての図面、及び信号が表示されてない為、直接的な案内が出来ません。唯一記録に残したいた図面を頼りにしますので、近くに何かの目印となるものがあるなら、出来るだけお伝え下さい」

「……わかった。おい、行くぞ」

 近くに置いてあるザックを手に取り、懐中電灯を龍麻に向け、呼びかける。しかし、通路に寝転ぶ龍麻から返事はない。

「おい……おい!」

 肩を揺らすこと数回。

「……あ、えっ……?」

龍麻が反応し、体をゆっくりと上げていく。

 まるで何かを探すように首を動かし、数秒間前を見続けた後、顔を上げ、横に立つ麻祁に目を合わせた。

「あ、麻祁……」

「立てるか?」

 差し出される手。龍麻はそれを不思議そうに見た後、掴み、引き上げられるように体を立たせた。一瞬足下がふらつくも、手すりに左手を乗せ、体を支える。

「……なんか体がだるくて……」

「…………」

 麻祁が計器をチェックし、ゴーグルの奥にある目を見る。龍麻の目は、どこか虚ろな感じだ。

「頭は痛むか?」

「……少しだけ、あとなんかちょっとだけ眠くて……」

「緊張から酸欠をおこしかけているか……ボンベの容量はまだある。鼻から息を吸い込んで、腹を膨らませてゆっくり吐き出せ」

「……すぅ……はぁ……すぅ……」

 麻祁に言われるがまま、龍麻は深呼吸を繰り返した。

「ここから長い距離を歩くかもしれない。その際、何に襲われるか分からない、私が先頭を行くから、これを持って後ろからついてこい」

 手にしていた明かりを切り、暗闇の中、ザックに懐中電灯を入れ、渡す。

「えっ……何も見えないんだけど……うっ」

 慌てる様子もなく、力のない声で喋る龍麻の胸に、突然ザックが叩き付けられた。咄嗟に両手で抱えるようにしてそれを持つ。

「相手は熱を頼りに向かってくる。懐中電灯なんて点けていたら、相手にわざわざエサの場所を教えているようなものだからな。ここから先は暗闇の中を進んでいく」

「……俺は? 全く前が見えないんだけど……」

「歩いている時は私の服を掴んでついてこい。もし立ち止まった時はすぐに離して、その場で待機していろ。ほら」

 通路に置いてある黒い棒を手に取り、動けずにいる龍麻の腕を、麻祁は背を向けたまま、もう片方の腕を伸ばして掴んだ。それに対し、龍麻はその腕を頼りに体を引き寄せていき、肩の辺りを掴む。

「それじゃいくぞ。まずは階段を上るぞ」

 麻祁が声と同時に、足を進ませる。

 一瞬その動きにより、龍麻はバランスを崩しかけるも、すぐに立ち直らせ、ふらつかせながらも後に続く。

 まるでその場所にいる事を必死に辺りに伝えるように、ザックが何度も階段を叩いた。

――――――――――――――――――――――――――――

 暗闇に一瞬だけ青白い光が走る。しかし、相手は怯まず、黄色の防護服は麻祁に向かい走った。

 すぐさま、棒の先端を左手で持ち、顔面のカバーへと向かい叩きつけるように薙ぎ払った。

 鈍い音。それと同時に黄色の防護服はバランスを崩し、勢いのまま体ごと壁へとぶつかり倒れる。

 麻祁は片手に持った棒を高く上げ、そのまま穴の開いたカバーへと向かい突き刺した。 

 ぐちゃり、と何か液体の溜まったものを潰すような音が聞こえ、開けられたカバーにたまる緑に赤色が混じっていく。

 先端に付いた液体を数回払い、黄色の防護服の胸元に付けられたタグを引きちぎる。

「渡した武器が電気なのに、その防護服に耐電とはな。追加報酬の上乗せを伝えないと……」

 先も見えない廊下を一人歩き、立ち止まる。麻祁が視線を下ろすと、そこには緑の粉の上に置かれたザックと、その横で壁にもたれ座る龍麻の姿があった。

 麻祁は手にしていたタグに何か付着物がないかを確認すると、すぐにザックの中へと入れた。

「よし、行くぞ」

 呼びかけるように言葉を発した後、棒を握った手にザック、そして、もう片方の手は、龍麻のマスクに掛けられたロープを持ち、肩へと掛けた。

 前へ一歩、二歩と踏み進める度に、麻祁の後ろでは、両手を上げた状態で横向きに引きずられる龍麻の姿があった。腰に巻かれたロープが器用にボンベへと巻かれ、そして両肩、両腕、麻祁の肩へと伸びている。

 下を染める緑の粉に一筋の道が後から続くように作っていく。

 暗闇をひたすら歩き、そしてあるドアの前で立ち止まった。

 ドアの横には表示板があり、第三準備室と書かれている。

 静まり返る暗闇の空間で、麻祁は辺りを気にするように見渡し、耳元に手を当てた。

「……今、第三準備室だ。」

「……そこから更に廊下を東の方へ道なりに進んでください。第二食堂があるはずです。そこを通り過ぎ、二つの目の分かれ道を右に進んでください。その奥に部屋があり、その場所に、以前使われていた旧作業員用の階段があります。ちなみに、もう一つ階段があるのですが、そちらは、電子ロックの掛かったドアへと出るので注意してください」

「……了解」

「ああ、それと!」

 麻祁が耳元から手を離そうとした瞬間、それを止めるかのように、女性が声を少しばかり張り上げた。

「その辺りには、わが社が派遣した探査メンバーがいます。最後の通信前の状況から、憶測ではありますが、何かに感染している場合があります。十分に注意してください」

「その情報ならアイツから聞いている。それに既に黄色の防護服を一人やった。ちなみに後、何人いるんだ?」

「えっ……は、はい! 最後の信号では、四つ確認しています。防護服の色は黄色と赤。二人一組で行動しています」

「了解、気をつけるよ」

 その言葉を最後に、麻祁は耳元から手を離し、ため息を吐いた。

「やっぱ聞いても数は減らないか……。ってより、黄色と赤で二人一組……。どこぞの警備員と変わらないじゃないか、ったく……聞こえたか、あと少しで出れるぞ」

 寝ている龍麻を呼びかけるように声を出す。しかし、誰からもハッキリとした返事は返ってこず、微かに呼吸を繰り返す、音しかなかった。

「荷物持ちが、完全にただの荷物になったな……」

 その場で間近にする現状に、全てを諦めたようなため息をもう一度吐き、先の見えない闇に向かい、一人また歩き始める。

 ただ重たい物を引きずる音が数分続き、そしてある二枚戸の前で立ち止まった。

 扉の横の表示板には、第二食堂と書かれている。

「二つ目の分岐点を右へ……っしょっと……」

 肩に掛けたロープの位置を直し、足を進める。

 最初の分岐点を過ぎ、そして二つ目の分岐点へ。

「……ん?」

 ふと、あるものが目に入り、麻祁の足が止まった。

 それは二つ目の分岐点の直進へと進む方向に赤の防護服がゆらゆらと体を揺らしながら、立っていた。

 そのまま通り過ぎようと足を進めるが、赤の防護服がこちらに向いている事に気付く。麻祁は咄嗟に荷物を置き、棒を持って一気に走った。

 片手で大きく振り払い、防護服の足を狙う。鈍い音にその衝撃で倒れた後、すぐさま穴の開いた顔面のカバーに向かい、勢いよく突き刺した。

 胸元にあるタグを引きちぎり、液体の垂れる棒を引き抜く。

 手に入れたタグをザックに入れ、再び荷物を引きずり、歩き始める。

 しばらくすると、目の前に一枚のドアが現れた。

 まるで今から来る人物を待ち受けるかのように、扉は開かれている。

 中へ入るとそこは、数多くのダンボールと箱が壁際に置かれ、背板のない戸棚が部屋の間を仕切る様にいくつも並んでいた。

 引きずる荷物がぶつからないように気をつけて歩き、奥に見えるドアを目指す。

 目の前まで着くと、麻祁はザックを地面に置き、黒い棒を持ったままドアを開けた。その部屋に何もいない事を確認すると、まずは引きずる荷物を先に置き、次にザックを中に入れようと戻る。

「……ん? なッ!?」

 思わぬ光景に声が自然と上がる。

 突然、奥にある戸棚が大きな音を上げ倒れた。

 ガタガタと辺りに物を散らし、そして更に次の戸棚も大きな音と共に倒れる。

 麻祁の目に映る光景。暗闇でありながらも、それが何なのかは見えた。――赤と黄色の防護服が走ってきたのだ。

 それはまるで、自分が大切にしていた宝物を見つけたように、一心不乱で走ってくる。例え、目の前に自分よりも高い障害物があろうとも、例え、足下に引っかかる何かがあろうとも。ガタガタと喧しく音を鳴らしながら、止まる事無く一直線で走ってくる。

 麻祁の視界にふと、床に置いてあったザックが目に入った。その瞬間、防護服がこちらに向かい走ってくる理由が頭を過ぎる。

――タグの信号。

 すぐさまその場を離れようと、ザックに手を伸ばす。しかし、黄色の防護服の手が体ごと、ザックに向かい滑り突っ込んできた。

 麻祁は手に触れると同時に、掬うようにザックを左手で持ち上げ、下から上へと右手に持った棒を走ってくる赤の防護服に突きつけた。

 何かを潰すような音が聞こえ、麻祁の手に重たい衝撃が伝わる。それと同時、持つ手の部分にあるボタンを押した。

 激しく電気の弾ける様な音が流れ、青白い光が辺りの様子を浮かび上がらせる。

 ゴプっと、まるで液体が噴出すような音が赤の防護服から聞こえると、そのまま麻祁は棒を持つ手を離し、倒れてくる体を蹴りで押し返した。

 吹き飛ばされた赤の防護服、倒れていた戸棚に体をぶつけ、激しい金音を響かせる。

 間、髪を容れず麻祁は、左手に持ったザックを開け、中から懐中電灯を取り出し、明かりを点けては遠くにあるドアに向かって投げた。

 伸びる直線の光はくるくると辺りに明かりを散らしながら、地面に落ちる。それに導かれるようにして、今度は寝ていた黄色の防護服がすぐに立ち上がり、その明かり向かい走った。

 麻祁はそれを確認する事なく、喧しく鳴らす音を後にドアを閉め、塞ぐようにしてボンベをドアへと寄せた。

 少し開いたザックの口を閉め、正面に目を向ける。

「…………ッチ」

 思わず出る舌打ち。少しだけ開いた空間、そこには真っ直ぐと上に向かって伸びる梯子があった。

 上からはどこから吹き込んできたのか、緑の粉がふわふわと雪のように落ち、壁際に掛けられている電球を真緑に染め、足元の床へと積もっていく。

「階段じゃないのか。確認ミスだな」

 ドアの向こうからは、今だにガタガタと何かを探すような音が聞こえる。

 麻祁は手にしたザックを確認し、そしてその近くで寝ているもう一つの荷物に目を向けた。

「……時間がない。さぁどうする……」

 その言葉に応える様に、体にあるメーターの針が僅かに下へと動いた。

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