二節:昼食サイクル

 一限目、二限目の授業が終わり、そして今、三限目の授業が終わろうとしていた。

 黒板から響くチョークの文字、喋る先生の言葉。そこにいる生徒達はそれぞれの身振りでそれに対して表す。

 首を動かしノートにペンを走らす人、胸元に手を重ね踏ん反りかえる人、肘を付いた手に頬を乗せ空を見る人、そして自分の腕を枕にして寝ているやつもいる。

 何も変わらない、変わってない空間。日常。そう、一昨日、いや入学当時から変わらない光景。俺の目の前には、それが広がっていた――ただ一つの音以外は……。

 俺の後ろでさっきから……ではなく、ホームルームを終わった時から聞こえてくる、レポート用紙をただひたすらにめくる音。パサパサと忙しなく後ろから聞こえ、時たま止むと思えば、リュックを開ける音の後にまた繰り返される。

 休み時間の時、俺は気になり、その様子をずっと見ていた。麻祁は周りの音を気にせず、自分だけの世界を創り、その中でずっと、分厚いホッチキスで止められた用紙に目を通し続けていた。そこに何が書かれているのかは容易に想像がつく、が、あまりにもそれが長い気がする……。

 授業の終了を告げるチャイムが鳴る。先生が去り、大人しく座っていた生徒の半数が立ち上がっては、それぞれ散り始めた。俺は振り返り、未だに用紙を読む麻祁に声をかけた。

「……それ、ホームルームの時から読んでるけど……あの、仕事内容とかのやつ?」

 俺の言葉に麻祁は用紙を見続け、言葉だけを返す。

「そうだよ。……読んでみるか? 今一つ終わった所」

 ぬっと差し出される分厚い紙の束。俺は、重りの無くなった軽い手でそれを取り、読むことにした。

 用紙には沢山の文字、そしてページによっては意味の分からない記号や、図形を記した写真を印刷し載せたものまである。ざっと読む限り、何かの結果報告みたいなのだが……。

「これ何のやつ?」

「それは一週間前ぐらいに起きた事故を調査し、そこから回収した物を分析したやつだな」

「……事故ってのは?」

「殺人。まあ、正確には事故より事件に近いけどな。森の中で獣に食われたんだよ。歩いている時に、一人行方不明になって後から捜索したら、全身ズタズタに切り裂かれて、その後食い荒らされていた。原因を探るため辺りを調査してみると、その周辺では結構な数の獣が死んでいてな。たまに人里まで降りて、家の壁は破壊するわ、そこのワンちゃんは喰われるわでも、もうとんだ被害ばかり。で、これからの事も考え、駆除をする事になったんだよ」

「原因は何だったんだ?」

「――鹿。それも大きな。お前なんて一飲みするぐらいの大きさだぞ?」

 麻祁が俺の目を見ながら、片手を大きく広げ表現する。そのせいで、俺の頭の中では、口から血を垂らす、あのお金持ちが持っているような鹿の首が浮かび上がった。

「し、鹿って草食じゃ……?」

「イメージではそうだろうが、基本は雑食だ。種類もあるが、奴等は何でも喰う。草だろうが、木の実だろうが、はたまた――人だろうがな。写真が最後の辺りに載せてあるだろ? それを見ると、どれだけ喰ったのかがよく分かる」

 麻祁に言われるがまま、俺は最後辺りのページをめくり、探した。そして、その写真を見た時思わず唖然とする。

 そこに載せられていたのは、体が大きく太った獣だった。白黒の為、少し見難いが、一見での胴体だけでは巨大な猪にも思える。この巨体、それだけで鹿と言われれば驚くが、それより一番目を奪われたのは、その鹿の特徴とも取れる頭に生えた角の部分だった。

 俺の知る鹿の角と言えば、頭の左右から二本生え、そして先が小枝のように分かれているものだ。だが、今見ている鹿の角は、その小枝の幅がかなり大きく、何より幾重にも枝分かれをし、そしてその先は刃物のように鋭かった。

「これなんだよ……本当に鹿なのか……?」

「巨大な肉塊の先に先端を歪めたフォークを沢山つけた感じだろ? 血液を調べるまで分からなかったが、間違いなく鹿だよそれ」

「なんでこんな姿になってるんだ?」

「粗方の検査結果では、体内に新種の寄生虫らしきものが入り込んだらしい。そいつらは入り込んだ宿主の成長を急激に促進させるらしく、角がその影響を一番受けた。そのおかげで、腹が減りすぎて、角の成長を早める為のタンパク質を欲するようになり、そこら一帯のありとあらゆるものを喰い荒らすようになったんだ」

「どうやって倒したんだ? こんな大きいの、まともにやっても倒せないだろ?」

「――走った」

「……え? 走った? 走ったって……」

「そのままの意味、私は走っただけ。……いや、ちょっとだけ手伝ったかな。走って逃げて、バンって撃って、こけた時に頭部を撃ったか。まあ、構造は他の生物と同じだからな、頭をやれば何でも終わる。単純なのは楽でいい」

「へぇ……」

――全く意味が分からない。俺は相槌を打つも、頭の中では疑問だらけのままだった。

 麻祁の言葉、ただの鹿なら、聞いただけでその想像は出来るとしても、この写真を見た上で、その説明をされても、到底納得のいくようなものではない。

 何が、走ってパンして、こけてパンなのか? ……ダメだ、考えれば考えるほど、その鹿が小さくなっていく。

「何見ているの?」

「えっ!?」

 突然の声に驚き、写真から目をずらす。そこには霧崎がいた。

「なにこれ?」

 霧崎が俺の持っていた用紙を手に取り、そのページに目を向けた。

「あ、いや、それ、あの……」

 焦りから上手く喋れず、何と説明しようかと戸惑う中、麻祁が口を開いた。

「それユーマだよ。ユーマ」

「ユーマって?」

 霧崎が麻祁に顔を向け聞き返す。それに対し、麻祁も霧崎の方へ向いた。

「ユーマってのは、未確認生物の事だよ。聞いたことない? 人魚とかネッシーとか、後ビッグフットとか」

「宇宙人とかも?」

「そうそう、それも。ちなみに、あそこにいるのも生態が確認されてないからユーマ」

 麻祁が離れた場所にいる僚を指さした。

 丁度どこからか帰ってきたのだろう。ニコニコと笑顔を見せながら自分の椅子に座り、周りにいた男子生徒と話を始める。

「ふふ、そうなんだ」

 霧崎はいたずらぽっく笑い、俺に用紙を返してきた。

「はい、……それでその、ユーマって……どうして二人が見ているの?」

「龍麻が持ってきたんだよ。面白いものがあるって」

「……龍麻君、そんな趣味が……」

 ふと向けてくる霧崎の目。それは、今朝見た、どこか俺を心配するような目と同じ……。

「違う! 違うって! 俺が持ってきたんじゃ――」

「龍麻君これも返す。面白い情報ありがとう、世界の可能性を知ったヨ」

 麻祁がさっきまで読んでいた用紙を俺に渡してきた。思わずそれを手に取る。

「え、いや……俺がもらっても……」

 鳴るチャイム。視線を前に戻す、離れる霧崎。

「き、霧崎違うって! 霧崎!」

 白い背中に何度も名前を呼ぶも振り向かない。

「ほら、そろそろ戻せって」

 麻祁が持っていた用紙を引き剥がすように奪い取り、リュックに入れた。他の生徒も座り、先生が来るのを待つ。

 俺の心は、だだ拾い海底に一人取り残されたような寂しい気分になった。

―――――――――――――――

 四限目が終わり、そして待ちに待った昼食の時間がやってきた。

 麻祁の方に向くと、電話帳ぐらいの大きさの資料をリュックに入れていた。

「昼食の時間だけど……飯どうするんだ?」

「お前はどうするんだ?」

 麻祁の言葉に、俺はポケットから小銭を取り出した。

 いつも昼食は売店か学食で済ませる。他の生徒も同じく、弁当を持ってきてない人はそのどちらかになる。しかし、最近は学食の方が少し値上がりしている為、今人の流れはパンなどが売られている売店の方に傾いていた。――俺もその一人だ。

「売店でパンを買うよ。麻祁は……お金あるのか?」

 今朝俺と一緒に麻祁は出た。記憶にある限りでは、麻祁は弁当など作ってないはず。ましてや、あのリュックの中にもそういったものが入ってるとは思えない。

 俺の言葉に麻祁が立ち上がる。

「私もパンを食べる。ここの学食は高いからな」

「ああ、高いよな。あれを毎日食べると考えて計算すると、意外と大きなお金に……」

 ふと差し出される手。細い指五本が揃って俺の方を指す。

「お金」

「えっ? お金って……」

「私海外からの転校生、円もお金も、弁当もない。このまま飢え死にしちゃう」

 内容からして、一瞬悲愴感の空気を漂わせるが、その言葉を放つ表情と姿、そして声からは、何とも言いがたい冷たくもふてぶてしい態度が伝わる。

「なんで持ってなんだよ、昨日どうしたんだよ?」

「昨日は持っていたよ。でも使ったら無くなるだろ? 悲しい社会のサイクルさ。行こう、時間は限られている」

 麻祁がずかずかと歩き出す。俺は溜め息を吐き、渋々後に続いた。

―――――――――――――――

 売店は一階。四方はガラスで張られ、出口はレジの前に一つ。場所の大きさにすれば、町にあるコンビニぐらいの広さはある。

 食べ物の品揃えは基本パン、それとペットボトルと紙パックの飲み物。米はおにぎりしかなく、一応カップ麺も置いてある。品揃え的には他の高校に比べれば、結構な多さだと思う。

 今の売店は戦場のような状態だった。それはまるで、大安売りの日に起きるスーパーのような光景。どこもかしこも白いシャツを着た人間がひしめきあう。

 しかし、レジでの流れはスムーズだった。学食が高くなってからの数日は、レジに人が集まりすぎて、ひどい時では昼食を買った直後にチャイムが鳴ったりして散々な目に合う人もいた。

 だが、その問題はすぐに改善されることになり、今ではレジの数が増え、何より打つ人の対応に早さが増した。それに買う生徒にも後悔を学習するように、先に購入したり、はたまたいつも食べてる物の値段を覚え、先にお金を用意したりと、お互いが自然と協力する形になっていた。

 俺は棚にあるパンを数種類手に取り、片手で積み上げ、麻祁に近づいた。麻祁はペットボトル一つと、おにぎりを一つ持ち、それを積み上げる山の上に乗せてきた。

「それじゃ頼む」

 そう言った後、銀髪を軽く揺らし、そのまま外へと出て行った。

 掛ける言葉も無く、俺は黙々とそれをレジに通し、お釣りをポケットに入れ、外へと出る。

 向かいの廊下の壁に麻祁はもたれ立っていた。俺は買った品を麻祁に渡す。

「どこで食べるんだ? 教室?」

 その問いに、麻祁は手にしたおにぎりを器用に片手で開け、近くのベンチ横にあるゴミ箱に、巻いていたフィルムを捨てた。

「歩いて食べるよ」

 そう言いながら、麻祁が歩き出す。

「おいおい、先生に見つかったら怒られるぞ?」

 俺の言葉に麻祁は止まらない。仕方なく俺もパンの袋を一つ開け、後を追った。

 昼食は基本どこで食べてもいい。その為にゴミ箱は廊下中に置いてある、ただしそれがあるのは、座って食べる場所のみ。歩きながら食べるとかは、今まで数人見たことあるが、先生に見つかり怒られてる事が多い。内心俺はドキドキしながら歩いた。ちなみに外は屋上以外は、全域禁止にされている。

 他の生徒の声に囲まれ、歩く度に揺れる銀髪を見ながら、パンを一口。甘い香りが中に広がる。そして、ふとある事に気づく。――どうして麻祁の周りに人が集まらないのだろうか?

 今考えると、それは不思議なものだった。俺の目の前には他の人にはない髪色が歩いている。銀髪、ここにいる全生徒の黒の中でたった一人の変わった色だ。それに転校生というある意味特殊な状態で学校に来ている。普通なら情報を聞きつけ、興味本位で集まるものじゃないのか? ……もしかして催眠?

 考えれば考えるほど募る疑問。俺はたまらず聞くことにした。

「麻祁一つ聞いていいか?」

「なに?」

 麻祁は立ち止まらず、背中で返す。

「俺の思い込みかもしれないんだが……なんで人が集まらないんだ? ……ほら、こういうのもあれだけど、一応転校生だし、それにその髪……ここの学校ってクラスも人数も多いから、結構人が集まると思うんだけど……」

「ああ、それは昨日の一日で終わったよ。その日はかなりの人が集まったな、一瞬見世物みたいだったよ。まあ、帰りになったらほとんど人は居なくなったけどな」

 扉を抜け外に出る。俺は急ぎ残り一つのパンを開け、空気を抜きズボンのポケットに隠した。

「興味が無くなればそれまで。後はそこら辺にある草木や土と同じさ。馴染むまでに違和感を覚え浮き上がるが、馴染めばそれが全体のものの一つとして見える。私は既に――生徒の一人だよ」

 校門前にある草花を過ぎ、太陽が注ぐ運動場の横を歩く。外では、ボールを持ち出し遊ぶ生徒が何人かいた。

「……催眠とかそんなのはしてないのか?」

 その言葉に麻祁は立ち止まり、振り返った。ジっと俺の顔を見た後、バカにするように声を一瞬張り上げる。

「ハッ? どうやってここにいる連中を集団催眠で操れるんだよ? そんな事が出来るなら、テレビ中継でやって全国民の意志を私の思うがままにするわ」

 そう言って、また麻祁が歩き出す。

「……なるほど」

 その回答に俺は思わず、頷いてしまった。

 外をぐるっと回り、また校内へ入る為、学校裏手の扉を目指す。その扉の手前、麻祁が立ち止まり、角の壁に体を寄せ、覗き込むようにそこを見た。俺もそれに合わせ覗き込む。そこには、数人の生徒がいた。

 人気の少ない細い通路。四人の男子が一人の男子の前に立ち、何かを話している。俺は顔を下げ、音を静め、その声に集中する。

「なあ、持ってきたか? ……いつもありがとうな。また明日も頼むわ」

  声が止み、四人の生徒は楽しそうに笑いながら中へと入っていった。残された一人の生徒は、その場で表情のないまましばらく動かず、そして中へと消えた。

 その様子を見ていた麻祁が姿勢を戻す。

「今のは?」

 俺の言葉に、麻祁はその通路に足を踏み入れ、扉の方へと進めた。

「――金だ」

「えっ?」

 その言葉に、俺の頭の中であの言葉だけが瞬時に浮かび上がった。

「それってもしかして……」

「ああ、そうだよ。もしかしてもなく、それだ」

 まさかと思った事が麻祁の口により確定され、俺は少し嫌な気持ちになった。学校ではどこでもあるような事なんだろうけど、実際にその場面を見ると少しやるせない気持ちになる。

 廊下を歩き、階段を上り教室を目指す。その途中で聞こえてくる笑い声がさっきよりも、大きく聞こえた。頭の中に、あの通路での出来事が絶え間なく思い浮かぶ。

 その空気を感じたのか、麻祁は振り返らず、言葉をかけてきた。

「……さっきの生徒、誰か知っているのか?」

 俺は一瞬悩んだ。頭に浮かぶあの映像から、顔を思い出す。しかし、そこに居るのは俺の記憶には無い人の顔ばかりだった。

「多分……知らない人だな。一年か二年かも分からない」

「そうか、なら忘れることだ。どこの誰かも分からない生徒なら、私達にはどうしようもない。そいつ自身から私達に助けを求めるなら話は別だがな」

「そう……なのかな?」

 溜め息と共に言葉が出る。麻祁はそれ以上は何も言わず、教室に入り、自分の席に戻った。手に持っていたペットボトルをリュックに入れる。

 俺も椅子に座る。そしてある違和感に気付く。急ぎポケットから取り出し、それを見る。

 それは白く汚れた袋。座った事により、潰れたパンは更に形を変え、クリームが少し溢れていた。

 手に付くクリームを舐め、ポケットの中に手を入れては確かめ、抜く。

 同時に落ちるコイン。床に落ち、それがくるくると回り始めた。

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