三節:二度目の登校

 授業が全て終わり、帰宅する。外に出ると、陽が傾き、空の色を少し変えていた。俺はそれを掴むように軽くなった腕を天高く上げ、腰を伸ばした。

 今俺の腕にはあの忌々しい重りはない。それはまるで鳥が羽を得て羽ばたいている気分だ。

――が、所詮それは気休めのようなものだった。今俺の足にはあのくそ重たいバンドが両足で四つしがみ付いていた。腕がどれだけ軽かろうと、歩く度に重みは足に響き、まるで砲丸を引きずっているみたいだ。おかげで、さっき霧崎に、

――龍麻君、ねんざ?

なんて聞かれてしまった。俺なりに普段どおりに歩いているつもりだったのに、そこまで見た目がおかしかったのか……。

 麻祁と登校して、わずか一日目で霧崎から変な目で見られ続けている気がする。俺にとって変と言えば、僚とかがそうなるのだが、それでも霧崎は僚の事を変人だとは一回も言ったことはないし、そんな目でも見ている様子もなかった。

 しかし、今朝から俺を見る目が、どこか不安そうな感じの雰囲気がヒシヒシと伝わってきていた。それは俺が病気で無理したあの日、その時の目で見てくる。あれが本当の変人を見る目なのだろうか? そう考えるとそう思えてくる。

 このままだと俺は本当に変人扱いになるかもしれないな……。徐々に曇り陰る気分を払うように、俺は両手を大きく振り回した。

「そういえば、式ちゃんって良い匂いしてるね、……香水かなんかつけてるの?」

 そんな俺の気も知らずに、目の前にいる僚が楽しそうに麻祁と話している。

 横にいる麻祁の肩あたりに顔を近づけ、何度も鼻をあげる。その姿は、ただの野良犬だった。

「香水はつけないな。そもそも校則違反だろ?」

「それじゃあれかな、シャンプーとか?」

「いやいや、そんな界面活性剤で出せる匂いじゃないさ。これはあれさ、私から出る魅惑のフェロモンさ」

 後ろに垂れる銀髪を片手で持ち上げ、麻祁が大げさに広げる。

「ナッチュラルッ!!  プライマーフェロモォンッ!!」

 それに感化されたのか、声を張り上げ僚が叫ぶ。その姿は、ただのアホだった。

 僚は麻祁の銀髪が広がる度、訳も分からない言葉を叫ぶ。その二人の姿を、俺の横にいた霧崎が楽しそうに笑っていた。

「昨日もあんな感じだったのか?」

 少し飽きれながら聞くと、霧崎がその笑顔を俺に向けた。

「そうだよ、昨日もあんな感じ。僚君素直だから、麻祁さんと合っちゃったのかもね」

「……素直ね」

 ふざけ合う二人の後ろ姿、それは一昨日転校して来たばかりの生徒には見えず、まるで幼稚園から共に過ごした仲の良い友達同士に見える。昼間、麻祁が言っていた馴染むというのはこの事なのだろうか?

「そういえば、麻祁って転校生なのに、他のクラスから見に来る生徒が今日誰一人来なかったんだけど、昨日何かあったのか?」

「……そっか、龍麻君休んでいたんだっけ。昨日の休み時間は他のクラスの人が教室の前で、麻祁さんを見に来てたよ」

「結構いたのか?」

「うん、もうお昼ご飯の購買部みたいにね。でも、麻祁さん、すぐに外へ出て行って、それから休み時間の時は、廊下とか外とかを歩いていたんだって。裕美ちゃんが言ってた」

「……歩いていた、それだけ?」

「ん~、後、話し掛けられる度に立ち止まって、何か話したりとか……。麻祁さんって、私達とと髪とかが違うから、ほら、最初外国の人で少し話し難いかな? って思ったんだけど、龍麻君の事聞いた時に、ちゃんと説明してくれて、それから話してみると明るくて楽しい人だったから、少し驚いたよ」

「明るくて楽しい? ぶっきらぼうな、の間違いじゃ……」

「……そうかな? 少し男子っぽい喋り方なのはそうだけど……でもほら、まだ日本に来て間もないから? ……そういった感じになったのかも。麻祁さんの言い方って、上からでも下からでもなく、平等って感じだから、私は無理に敬語使って話されるより良かったよ」

「平等か……俺はずっと狐につままれた感じがして、怖いよ」

「きつね? 学校と家じゃ違うの?」

「あ、いやいやそういう意味じゃなくて……話し方は変わらないよ、昨日からあんな感じ。……で、午後からは? 人まだいた?」

「午後からは……いなかったかな。帰りは僚と話しながら外に歩いていたんだけど、途中で、忘れ物、とか言って一人学校内に戻ったよ。私が校門辺りで振り返ってみたら、ちょうど部活している人と会っていたんだけど、みんな気にした様子もなかったし……」

「もう馴染んだって感じ?」

「そうそう、入学式から一緒にいたような雰囲気。なんか不思議だよね……」

 今だ変わらない二人の背中を見ながら、俺は霧崎と話しながら、校門を抜けた。

 僚は校門前、霧崎は少し歩いてから別の道を、そして俺と麻祁は家を目指す。俺は、先程霧崎から聞いた話を麻祁に言ってみた。

「さっき霧崎から聞いたけど、休み時間の時、ずっと外を歩いていたみたいだな? やっぱ何かしたんじゃないのか?」

「何、ってなによ?」

「……例えば、さっき話していたフェロモンとか、そういった臭いで……」

「もし、私が学校中の人間を魅了させる程の香りを放つなら、まずこの街にある駅に向かって、老若男女問わず、私の虜にさせた後、その身滅ぶまで主に仕い尽くす幸福を、全員に教えて込んでやるわ」

「それじゃ……何だよ?」

「昼間に言っただろ? そこら辺の草木と一緒、馴染めばいいと。私のこの姿を全生徒に見せる為に歩いたんだよ」

「わざわざ注目されるために?」

「その方が後々都合がいいからな。おかげで帰りには、ほとんどの生徒が私の事なんて見向きもしなくなった。飽きみたいなものだよ。興味が無くなるとそれまでなのさ」

 麻祁が右手を少しだけ外に広げた。

 俺はその言葉があまり信じられなかった。本当にただ歩いただけで、そうなるのだろうか? しかし、疑えば疑うほど、全ての疑問が答えに思えてくる。頭が痛くなってくる話だ。

「昨日言ったが、これから少しだけ付き合ってもらうから。まずは先に家に帰る」

「付き合うって……どこに行くんだ?」

「学校だよ、学校」

「学校? どこの学校なんだ?」

「行けば分かるよ」

 その一言。それから麻祁は何も言わなくなり、俺もただ黙って後を歩いた。

 玄関の前に着くと、麻祁がすぐに戻ると言ったので、俺は外で待つことにした。

 開かれたドアからは机のある居間が見える。麻祁は押し入れの方に姿を消し、そして戻ってきた。背中には大きなリュックと腰に緑のポーチを巻き付けて。

 俺の中で不安と嫌悪感が瞬時に入り混じる。あの姿に、良い印象はない。また危険な場所に行くのか? 

 階段を下りる中、俺はもう一度確認してみた。

「今から行く学校って、この近くなのか?」

「ああ、そうだよ。すぐそこ」

 その言葉に俺は悩んだ。麻祁は手や足、はたまた顔で場所を示さず、言葉だけで『そこ』と指してきた。

 この辺りには幾つもの小学校から始まり、大学までとその数は多い。その中から一つを特定するとなると、絶対に当たるとは思えない。更にもう少し言えば、今、俺達が歩いている方向の先には駅がある。もし、電車に乗るとすれば、市内だけではなく、かなりの広範囲がその『学校』と呼ばれる場所に該当する事になる。そうなると俺の頭の中では到底当てることは出来ない……。ここは素直に名前を聞いた方がいいな。

「ちなみに、その学校の名前は?」

「名前? 椚だよ。椚学校」

「くぬぎ、くぬぎか……えっ?」

 俺の足が思わず立ち止まる。

――椚。その言葉だけが頭の中で繰り返され、そして、その学校の外景が浮かび上がる。椚という名が付く高校はこの辺りでは一つしかない。

 私立椚高等学校。それはもっとも入学の道のりと条件が厳しいとされ、そして何より黒い噂が絶えない高校。そんな場所に一体何が……?

 徐々に募る不安。そして、ある光景がその不安にさらに拍車を掛けた。公園内を通る際、壊れた噴水とそれを囲む作業着を着た人達が目に入った。昨日の事が瞬時に頭に浮かぶ。

 公園を抜け、駅に着く。そこは色々な服装をした人と足音、そして声で溢れかえっていた。あの時、夜通った感じと変わりはないな……。そう思った時、ふとある事に気付いた。

――もしかして、昨日俺が居た場所は……?

 人混みを横切り、俺達は駅裏手にある坂道をのぼる。そして現れる、それは以前俺が見たあの高い壁、そして草木を模った穴の開いた大きな両開きの青銅の門。俺はここから出てきたんだ……。

 麻祁が片方の門を開け、中に入る。しかし、俺の心はためらい、足が進まない。

 長髪の銀髪が揺れる背中が、徐々に奥へと進んでいく。俺は覚悟を決め、一息呼吸をし、中へと足を踏み入れた。振り返らず、後ろ手で力を入れ門を押す。それはあの夜開けた時とは違い、閉める時、そしてその後聞こえる音が、やけに重たく感じた。

―――――――――――――――――――

 青銅の入り口から、草木に挟まれた広い道を歩く。正面に見えるのは校舎への扉。その途中のいくつにも分かれる横道からは青い半袖の制服を着た生徒が現れ、俺の前を何度も横切る。遠くの方では木の下に置かれたベンチに座り、何人かが楽しく話していた。

 その光景に俺は驚いた。それはあの時の夜に見た風景とは大きく変わり、本当にここは高校、学校という事を伝えてくるものだった。今歩いている道も、一人の時は広いはずだったのに、今はどこかしら狭く感じる。

 小さい階段を数段あがり、校舎に入る。見渡す限りの靴箱。その広さは一瞬でそこに通う生徒の数を、脳に直接叩き込んでくる。俺の通う高校も生徒は市内で一番のはずなのだが、ここはそれを超えてる感じがする。

 まるで校舎の入り口を守る兵士のように、静かに佇む靴箱の群れに圧倒され、動く気すら無くなっていた時、麻祁が口を開いた。

「来客者用の靴箱はあっちの一番端にある。スリッパもそこにあるから」

 左の靴箱を麻祁が指さす。俺は言われるがままに、その奥を目指した。

 空の群れの一つに靴を入れ、その前に積み重ねられたスリッパを履き、麻祁と合流する。

 ふと、左に目がいく。そこには一枚の大きな紙が壁に貼り付けられていた。紙にはいくつもある部屋とその場所の名称が書かれている。漢字で言えば、回という字に見える。

「校舎の見取り図。ここ、結構広いから、迷う人が多くてな。こうして大きく書いておかないと、二年以上過ごした生徒ですら、たまに間違う時がある。……私達はここを目指すぞ」

 麻祁が指さす場所。回の左上辺り、それの一階、そこには『校長室』と書かれていた。

「校長室?」

「そうだ、そこでまずはお話タイムだ」

「お話しタイム……?」

 意味が分からず唖然としている中、麻祁でそそくさと歩き出した。

 校長室に着くまでの間の長い廊下を歩く。右側の窓から見える中庭にふと目を向ける。ベンチには数人の生徒が座っていた、周りは色々な種類の花に囲まれ、外の世界とは違う、なんとも不思議な空間に思えた。

「ここの学校については、当然、何か色々な噂を聞いているんだろ?」

「噂……。ああ、そりゃ、受験の時にはまず話題に出る場所だからな……昔から有名だったみたいだし……って、そういえば、どうしてこの学校に? まさかここの生徒?」

「そうだよ」

「へぇ、そうなんだ……はぁ!? そうって!?」

 それは衝撃的な答えだった。まさか……とは思いつつ、それは無いと思いと決め込んでいたのに、その答えが、『そのまさか』だったとは。

 麻祁がここの生徒だとすれば、ここにいる生徒の全てが銃を持ち撃ち合うのか? そんな疑問が一気に頭の中を駆ける。

 自然と顔が中庭へと向く。先程から座って楽しく話し合ってる数人の生徒。今俺の頭の中で、彼らが突然銃を持ち、俺に向け、そして横にいる友人と撃ち合いを始める映像が浮かび上がった。青いシャツは赤くなり、そしてやがて黒へと染めていく。

 最悪だ! 俺はすぐに顔を逸らし、脳内の映像を消し去った。ここはトンデモナイ場所なのか……!?

 再び来る不安、廊下を踏む足音が少しだけ大きく聞こえた。頭の中で色々な妄想が次々と駆け巡る。だが、ある音がそれを瞬時にかき消した。

――骨が木を数回叩く高い音。そして、鍵が外れるような鉄の音。目の前に居た麻祁の白い背中が部屋の中に入り、消える。

「あっ……」

 それを目にした時、俺の口から思わず言葉が漏れた。開かれたドア、外にいる俺のちょうど正面、部屋の奥にあの眼帯をした男が座っていた。

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