終節:帰路
「いや~、それにしても運がいい。ほんとに運がいいな」
長く伸びた銀髪を揺らしながら、麻祁が軽く手を広げた。
片手に持つ鉄パイプが狭い坑道に当たり、微かに土を削る。
「まずは最初、ここに来るまでの間、私が居たおかげであいつらに襲われずに済んだ。次に、連れ去られる前に毒を打たれたが、私の作った血清のおかげで食われずに済んだ。そして、天井から落ち、途中、糸に掛るも私の呼びかけにより這いあがってくれた。そして最後、また私に救われた。初日の依頼でここまで幸運な人はいないよ。もし、どれか一つでも運が悪ければ、今頃お前は死んでたかもな……ってより、全て私のおかげか。いやはや、凄い、ホント凄い。やるね私は――」
一人長々と喋り続ける麻祁に対し、その後を続く龍麻は黙々と足を進めていた。
表情を落とし、土で汚れた服装のまま足下だけを見続けている。
その背中には青い袋が担がれていた。
背中全体を覆うそれは、妙にふくらみを帯び、ゆらゆら上下に揺れ動いていた。
汚れた衣服を気にする様子もなく、龍麻はただ前へと歩き続けている。
ふと、先を歩く麻祁が立ち止まった。
それに気付いた龍麻も足を止め、顔を上げる。
「――忘れるなよ?」
右目だけを覗かせた麻祁がそう言った後、再び歩き出す。
龍麻は表情を変えることなく、その背中を見続け、そして後に続いた。
何一つ変わることのない土を蹴る足音。二人は発電機のある小屋へと戻ってきた。
麻祁がキョロキョロと辺りを見渡し、また狭い坑道へと踏み入る。
その瞬間、ポーチから着信音が鳴り響いた。麻祁は足を止めず、携帯を取り出した。
「なに? ……そう、で、特定は? ……めんどうだな。……まぁいい、こちらはもうすぐで出る。迎えを……ああ、分かり次第連絡を……」
携帯を切り、ポーチに戻す。
そして右手に持っている鉄パイプを肩に乗せた。
「これを持っていてくれ」
麻祁の言葉に、龍麻が首を傾げる。
肩から向けられる鉄パイプがさっさと取れよと言わんばかりに、何度も跳ねる。
龍麻はそれを受け取った。
「これは……?」
「私が貸せと言ったらそれを渡せ。いいか、すぐにだぞ」
「……まだ何かあるのか?」
龍麻の質問に、麻祁が返答する。
「邪魔者が入った。ダブルブッキングだよ。ったく、ロクでもない」
首を数回振った後、麻祁は歩いたまま背中のザックを器用に前へと移し、中を開けた。
「ダブルブッキングってのは……?」
「その言葉のままの意味。これだから……」
一人ぶつぶつと呟きながら銃を中から取り出し、ザックを戻す。
ポーチを開け、弾倉を取り出しては手早く装填し、スライドを引いた。
無言のまま坑道を歩く二人。土の踏む音が少しばかり速さを増した。
――――――――――――――――――
錆びた鉄の音が鳴る。
鉄格子が開かれ、坑道から麻祁と龍麻が出てきた。
射し込む太陽に龍麻は目を細め、大きく息を吸った。
吹き込む風と鳥のさえずりが二人を迎える。
同じく目を細めていた麻祁。ただでさえ睨むような目つきは更に鋭さを増し、正面を見据えていた。
龍麻もそれに気付き視線を向ける。そこには、一人の男がいた。
広場の入り口。黒のスーツを着込み、小型の二輪車にもたれ、何かを飲んでいる。
坑道から出てきた二人に男が気付く。
視界を動かさず、ペットボトルに一口つけた後、それを地面に捨て、二輪車のシートに腹を寄せては、側面に顔を隠した。
「誰なんだ? 迎えの人?」
先も見えず、浮かんだ疑問をそのまま口にする龍麻に、麻祁は何も答えない。
しばらくして、男が身体を起す。
右手には木で作られた細長い物が握られていた。
男はそれを腰元に当てて、二人に向かい歩き出した。
麻祁もそれに合わせ一歩踏み出し、そして銃を構えた。
グリップを両手で強く握り締め、狙いをつける。
銃を構える麻祁の姿に男は動じることもなく、徐々に距離を詰めていく。
歩きながら男が、木の棒を両手に持ち、自身の眼前へと掲げ右手を横に引いた。
木の棒が左へとずれ――刀身が現れる。
男は表情を変えることなく、鞘を投げ捨てると走った。
刀を立てたまま走ってくる男に対し、麻祁は数歩待ち、引き金を引いた。
音が辿り着く前、男は地面を踏み、刀身を振り下ろした。
微かに聞こえる何かを弾く音。
すかさず麻祁がもう一度引き金を引く。同時、男は身を横へとずらし、立て続けて聞こえる音を気にもせず、走った。
「貸せッ!!」
「――ッ!?」
銃を手放すと同時に発せられる大声。
龍麻は一瞬怯むも、すぐ横に並ぶ麻祁へと鉄パイプを投げた。瞬間――アスファルトに硬貨を落とすような音が微かに響いた。
下から右斜めへと振り上げられた刀身に対し、上から振り下ろされる鉄パイプがそれを止める。
男と麻祁の目が合う。
鉄パイプの先端が折れ、麻祁の体が一瞬落ちた。
右腕を大きく広げた男は、すぐに刃先を右から左へと水平に滑らせた。
銀色の頭頂をギリギリ掠める刃。麻祁は背を曲げたまま、後ろに飛び跳ねると同時に、切れた鉄パイプを男に投げつけた。
地面に着くなり太ももにある銃を取り出し、引き金を引く。
男が咄嗟に右肩を前に出した。投げられた鉄パイプが男の肩に当たり、そして放たれたゴム弾が右腕に直撃した。
男の表情が一瞬歪む。
続け様に聞こえる空気の掠れた音。男はすぐに身を翻し、そのまま走っては麻祁との距離を空けた。
――静止。両手で銃を構える麻祁に、左手に刀を持ち替える男。
男の垂らした右腕が小刻みに何度も震えている。
一瞬の流れ。その瞬きすらも、一回のうちに終わるような出来事を前に龍麻は動けなかった――否、動く間すら無かった。
鳥のさえずりと風に鳴く葉音が三人を包む殺伐とした空気を、のどかにかき消す。
先に動いたのは麻祁の方だった。
銃を左右持ち変えては背負ったザックを外し、左に向かいそれを投げた。
龍麻は一瞬戸惑うも、拾うため駆け寄った。
真横に着く龍麻に、麻祁が呟くように言葉をかける。
「それを拾い、最初の場所へ。銃を投げる、映画のように引け」
断片的なその言葉に龍麻は戸惑うも、首を小さく振り、ザックを手にした後、急ぎ元の場所へと戻った。
麻祁が僅かに目を下に向ける。
足下には先程捨てた銃。
視線を戻し、今度は男の右腕を見る。いまだ震える手、その先にある指が何度も握るような仕草を繰り返している。
「……来るか」
小さな舌打ちをし、麻祁が引き金を引いた。
音が鳴ると同時に男は体をずらし、避け、走る。
麻祁は撃った直後に銃を左に放り投げ、顔を下に向け、足下にある銃を手に取った。
視界を戻さず、身を屈めたまま飛ぶようにして右に走る。
距離を詰めた男は麻祁に向かい、片手で刀身を振り払った。
立ち上がる麻祁の目先を刀身が過ぎ行く。
男はすぐさま足に力を入れ、流れる刀身を止めた。
向きを麻祁に合わせ、今度は刃先を持ち上げる。しかし――、
「クッ!?」
鈍い声が溢れだし、天さす刃が地へと落ちた。
放たれたゴム弾が男の右腹部に直撃していた。
男はその場に刀を落とし、膝を軽く曲げ、荒い呼吸を繰り返す。
濡れる顔をあげ、左手で右腹を押えたまま歪んだ表情で麻祁の横を見る。
そこに両手を震わせ、銃口を男に向ける龍麻の姿があった。
歯を噛みしめ、睨む視線を送る中、男の左側から足音が聞こえた。
首を左に向けと、そこには横を通り過ぎる麻祁の姿があった。
慌てる様子もなく、平常のまま歩き、男の後ろへと回り込む。
うなだれる後頭部に向け、麻祁は銃を構え、引き金に指を掛けた。
人差し指に力を入れ、引き金を引く――が、それは叶わなかった。
男が咄嗟に振り返ると同時に、右手を大きく後ろへと振った。
銃声と共に上がった銃口が射軸をずらし、麻祁の体を大きく逸らさせる。
次に聞こえた小さな音。それは女の濁ったような声だった。
龍麻の目が見開いた。その場の空気が止まる。――刀身が体を貫いていた。
男は振り返った後、足元に落ちていた刀を拾い、左手を柄の底――頭へとつけると、そのまま前にいた麻祁の腹部へと突き立てた。
刺された麻祁は自身を貫く刃にその見開いた瞳を向ける。
震える体。しかし、まだ足元は崩れていない。
麻祁は奥歯を噛みしめ、右手で握っていた銃を構えた。
振るえる銃口が汗ばむ額を捉える。しかし――男はそれをさせなかった。
貫く刃を強く押し、さらに深く頭を押し入れた。
背中から突き抜けた赤い刀身が、地面に滴を落とした。
――――――――――――――――――
それは生涯忘れる事のない記憶の一つだった。
目の前で人が刺された。それも、腹からその刃を貫かせて――。
誰がどう見ても終わりの状況。そこに『生』という希望などはなかった。
刺された場所から突き抜ける刃の途中で血が滴り落ちている。
男は表情を変えることなく、両腕を垂らす麻祁の体に靴を当て、そのまま蹴るようにして刀を引き抜いた。
吹き出す血、蹴られた衝撃で麻祁の体が仰向けに倒れていく。
その最中、俺はハッキリとその表情を見る事ができた。
それは先程まで喋っていた時と同じ、相変わらず細い目で、俺を見ていたあの顔だった。
沈むような音と共に地面に倒れる。
横たわる手足を小刻みに震わせ、合わない視点でどこかを見ている。
その変わりゆく姿に俺は――。
―――――――――――――――――
男が靴底に麻祁の体を当て、力を入れた。
蹴り押される体は刃先へと動き、鍔から距離を延ばす。
男は両足に力を入れ、今度は力強く引き抜いた。
するりと抜けた刀からは鮮血が噴き出し、男の頬や体に赤い斑点をつけた。
赤く染まる刀を軽く振るい、龍麻がいる方へと体を向ける。
「――ッ!?」
突然、男の頬に強い衝撃が走った。
一瞬体勢が崩れるも、すぐさま踏み止まり、頬を赤くしたまま、刀をその場で振り上げた。
「――なッ!!」
続け様に来る衝撃。男の体はその勢いに負け、刀を落とし、仰向けに倒された。
「クソオォォォォー!!!!!」
涙を流し、濁るような大声で龍麻が叫ぶ。
男の腹へと圧し掛かり、再び頬へと向かい拳を振り上げた。
その気迫に男は一瞬だけ怯むもすぐに表情を戻し、龍麻のわき腹に拳を突き立てた。
「グッ!!」
男の拳が横腹に沈み、鈍い音をあげる。
痛みで龍麻は態勢を崩し、勢いのまま横へと倒れた。
「――ハッ! ――ハッ!」
脇腹を叩かれた衝撃で呼吸が乱れ、発作のような息遣いを繰り返す。
男は起き上がり、未だ息の整わず、ただうつ伏せに倒れる龍麻の横腹に向かい、今度は蹴りを入れた。
衝撃で自然と声が漏れ、手足が動く。だが、龍麻は体を起こすことが出来なかった。
男はまるでゴミを踏むように、何度のも何度も靴底で踏みつける。
乱れた呼吸から、啜るような声へと変わる。
背中にある青の袋がカタカタと激しく揺れ、その場の音を掻き消していた。
男は右足を大きく振り上げ、そして顔面を蹴り上げた。
濁り曇った声に鈍い音。
止まる気配も見せず、何度も何度も靴先を入れ、そして頭部を踏みつける。
砂利を踏みにじる後を響かせ、男は足をあげた。
そこには、ぐしゃぐしゃに乱れた髪と血にまみれた龍麻の顔が残されていた。
男は自身の首筋に左手を当て、左右に軽く動かした後、小さく舌打ちをして振り返った。
――男の声、瞳が開く。
ゆっくりと、確かめるように首を下げ、自身の腹部を見る。視界に入ったもの、それは赤黒く塗られた刀身だった。
スーツの下に来ていた白のシャツが赤く濡れる。
男が視線を戻す。そこに居たのは、刀を持つ麻祁の姿だった。
男と同じくシャツを染めるも、何事もなかったかのように平然とそこに立っていた。
唖然とする男に、麻祁が言葉をかける。
「落し物」
頭を押し、更に深く刺す。
男の口からは自然と声が漏れ、徐々に溢れ出る涙が頬を伝った。
「痛いなら抜けばいい」
助言するようにそう言った後、麻祁は柄を放しその横を抜けた。
男は顔を動かさず、ただ震える両手で柄を掴んだ。しかし、足元がふらつき、刀は抜けない。
数歩前へと歩き、そして地面へと倒れた。
聞こえる音に麻祁は気にもとめず、龍麻の元へと近づく。
覗き見える顔面は青く腫れあがり、血と土で酷く汚されていた。体残るは無数の靴跡。
麻祁は表情を変えることなく、ただそれを眺める。
ふと電話が鳴る。麻祁がポーチを開け、携帯を取り出した。
「……遅い。もう終わったよ、後で聞く。……それと急患だ。……ああ、大至急」
変わらない声で携帯を閉じ、ポーチに入れる。
小さく聞こえる風切りの音。
しばらくして、周りの音は完全にかき消された。
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